これは言い訳だが、ここ数年の藤堂にとってバレンタインデーとは前日に妹と一緒にチョコを溶かして固める日という認識だった。中学時代の荒れた自分に義理でもチョコを渡したいやつがいると思えるほど愚かではない。
昨夜は通年通り一緒にチョコを溶かして固めて、なんというか、それで藤堂のバレンタインは終わりだった。
もうひとつ言い訳を重ねさせていただくのであれば、今年の藤堂にはなんと恋人がいる。チョコ欲しいな、貰えるかな、俺のこと好きな子に出会えちゃったりするのかな、などとそわつく理由が欠片も無かったのだ。なんと言ったって、恋人がいる。
かわゆく大きな瞳を宿すつり目が細くキツく強まって、吹雪を呼びそうなほど冷たく藤堂を見上げながら、隣でジトリと歩いている男、千早瞬平が藤堂の恋人その人だ。
「わぁーるかったって……」
さらにさらに言い訳を重ねさせていただくと、前述の言い訳はすべて藤堂の中で怒涛に溢れ出したものであり、千早本人に伝えるようなダサいことはしていない。
素直に、実直に、ごめんねと言うだけである。
「ま、藤堂くんには期待してませんでしたので」
刺々しい言葉に、期待してないならいいじゃん、と良くない男の返事をしそうになってグッと堪えた。
ことの発端は朝練が終わって教室に戻ると、クラスの女子がゆるくくねった髪を揺らしながら「藤堂と千早くんにも義理〜」とひと口大の本当に義理って感じのチョコを渡してきたことである。
藤堂はそのとき初めて義理チョコの存在を思い出し、そういえば恋人になにも用意してなくね? と気付いたのだ。
いやいや千早だって、バレンタインなんて浮かれた行事に興じるわけないじゃないですか(メガネクイ)、みたいなこと思っている可能性はある。なんてったってカッコつけスカし野郎なとこが千早の可愛いとこで、そもそも変なところでシャイだからチョコを用意するなんてできなかった可能性も――と、隣で一限の用意をする千早を一瞥したところ、カバンの中に、普通に、見覚えのない洒落た紙袋が入っていた。
千早ってロマンチストで、行事毎は大切にするタイプで、恋人には尽くしてくれがちで、そういうところも大好きです、と藤堂が涙を流しながら天井を仰いだところで一限が始まって、今は二限に向けて教室を移動しているところである。
誤魔化したりすっとぼけるのもダサいかと思って、なにも用意していない旨を白状したところ、普通に不機嫌な顔をされたのが、短いようで長くなってしまったことのあらましだ。
「放課後暇? 一緒に買いに行かね?」
「練習で遅くなりますし制服の男二人は絶対目立つので嫌です」
「気にするタイプかよ……」
「別にいいんですよ、期待してなかったのは本当ですし。見返りが欲しくて渡すわけではないので」
期待していない、というのは千早自身を守るための言葉なのだろう。本当に申し訳ない気持ちが湧いてくる。足を進める速度を落とし、藤堂は頭を必死に回した。
「ア!」
藤堂は隣の千早の首元に手を伸ばし、勝手にネクタイを解く。
「え、ちょ、なんです」
「イイこと思い付いたわ。千早こういうの好きだろ」
「イイ 往来ですよ」
ほとんど開いたことのない、いわば移動教室用アクセサリーみたいになっている教科書とノートを千早に持たせる。奪ったネクタイは首に巻いてリボンを作った。少しよれたがまあ、すぐに外すのでいいだろう。
「葵様がバレンタインのプレゼントってどう?」
「君ねえ……!」
シャープだがやわい頬が真っ赤になっている。
「次のデートで食べ放題♡」
耳元に口を寄せて囁けば、結んだネクタイをグッと引っ張られた。
「うおッ」
「貰いましたからね。覚悟しておいてくださいよ」
お気に召していただけたらしい。綺麗な顔が近付いて、冷たかった瞳の奥に色欲の炎が揺らめている。このままここで取って喰われそうな気にさせられて、背中がぞくりとした。
「……してるわ、そんなん」
意地の悪い、ベッドの上での千早を思い出す。とんでもないことを言ってしまったのでは、と遅れて思い至ったが男に二言は無かった。
千早が掴んだネクタイは、そのまま解かれる。そしてもう一度藤堂に差し出された。
「これ、今日一日着けておいてください」
「なんで」
「俺のって、君が忘れちゃわないように」
先に教室に入っていく千早を追いながら、記憶の彼方よりネクタイの結び方を引っ張りだした。喉のあたりが締まって少し苦しい。これだからネクタイは嫌いだ。
「下手くそですねえ、普段着けないからですよ」
一番後ろの席を陣取った千早の隣に腰をおろすと、手が伸びてきてく、とネクタイを引っ張られる。ネクタイは嫌いなのだが、首輪みたいだと思うと、別にそういう趣味を持ち合わせているわけでもないのに悪くない気がしてきてしまう。
簡単にネクタイを整えた千早が「首輪みたい」と目を細めた。