遠き戦場台所からコーヒー豆を挽く音が聞こえてくる。
リビングのソファでテレビを見ながら、睡骨はその音に耳を傾けていた。夕飯は終わり、風呂も既に済んでいる。今日はもう疲れたし、少ししたら寝ようかなどと思いながらテレビで流れている天気予報を眺めた。来週はさらに寒くなるらしい。もう一着、フリース素材の室内着を買おうかと考えた。明日は休みだから買い物に行ったっていい。
「睡骨」
「おう」
煉骨がカップを2つ持ってリビングへとやって来た。それを受けとる。中にはブラックのホットコーヒーが注がれていた。煉骨のカップの中身も同じものだ。
睡骨の隣に腰かけ、カップに口をつける煉骨。コーヒーを一口飲むと、ほう、と小さく息をつく。
「今夜は本当に寒いな」
「明日の朝にかけてもっと寒くなるらしいぜ」
「そうか。早めに寝ちまうかな……」
「蛇骨から返事は来たのか?」
「いいや。見てないのかもしれねぇな。まあ、返事が無ければそれでいいさ」
CMが入り、テレビからはクリスマスにちなんだ音楽が流れ始めた。明後日の日曜はクリスマスイブだ。窓の外に見える街並みも、どことなく賑わっているような気がする。
「蛇骨から連絡がこなけりゃ、明日の午後買い物に行く。別に構わねぇだろ」
「そりゃ構わないが……どこまで行くんだ?」
「服を買いに行くだけだ。すぐ帰ってくる」
「ああ、冬服書い足したいって言ってたな、そういや……」
煉骨がまたコーヒーを口にする。睡骨もカップを傾けてコーヒーを口に含んだ。丁寧に淹れた味だと今日も感じる。煉骨の淹れるコーヒーは、おいしい。
「お前は寒がりだからな」
ふっ、と煉骨がそう言って笑う。その姿を黙って眺める。テレビは社会情勢バラエティの番組へと変わっていた。遠くの国の争いの映像が流れ、それについて司会のタレントが何か説明をしている。
「今も昔も、寒いのは好きじゃねぇ」
睡骨がそう口にする。その口調と表情に、煉骨の雰囲気も変わる。
「てめぇの冷たくなった手を思い出す」
静かになった空気の中、テレビの音だけが室内に鳴る。画面の中、破壊された建物や血が飛び散った道路が映った。
「前の話じゃねえか、それ」
「だが覚えてる」
「そうだな、おれも覚えてはいる」
会話が止まる。どこかの争いを映し、それを解説する司会者。そんなテレビの画面を見たまま、煉骨が小さく言葉を発する。
「お前は人を殺すことが好きだっただろ、睡骨」
「ああ」
「今はどうなんだ。この世は、退屈じゃねえのか」
コーヒーを片手に煉骨がそう尋ねる。睡骨もコーヒーを見つめる。安穏とした日常を過ごすことは当たり前になっていた。生活する上で血を見ることも、今は無い。
「そりゃあ退屈に決まってる。道を歩きゃ、どいつもこいつもぼやっとした面のやつばかりだ。呑気過ぎてむかついてくるぜ」
「そうか。おれも同じようなもんだ。ただ……」
煉骨が睡骨を見つめる。睡骨も煉骨を見つめた。
「退屈だが、壊すのは惜しい」
呟かれた言葉に、睡骨が小さく頷いた。
「ああ。そうだな」
「少しくらいは……いいかと思ってる」
「そうだな。おれも、少なくとも今回はこのままでいいと思ってる」
睡骨が煉骨の肩を抱く。暖かい部屋で、互いの温もりを感じる。冷たさは窓の向こうにあるだけで、命を脅かす寒さはここには無い。緩慢として、腑抜けていて、ひりついた緊張感もなく日々は過ぎていく。同じように終わっていく毎日。かつて体験したことの無いその日常を、この世の人々は平和と呼んでいる。その感覚に馴染むことはきっとないのだと、煉骨も睡骨も知っていた。
「今回……か。前は二度、命があった。さらに次があったってんなら、確かにその次もあるかもしれねえな」
煉骨がそう口にする。睡骨もそれに言葉を返す。
「そうだな。次がどうだかわからねぇが……またてめぇに会えりゃいい」
「ふっ、なに言ってやがる」
煉骨が笑う。言葉の冷たさとは真逆の表情に、睡骨も小さく笑みを浮かべた。
「なあ、次は敵同士だったらどうする?睡骨」
「ああ?敵同士だ?」
「そういう可能性もあるだろ」
「そりゃそうか………そうだな、てめぇが敵だったら、一番に殺しに行くな」
「へぇ、なんでだ?」
「危険なやつだってわかってるからさ。取り逃したら面倒なことになる」
「ふん、なるほどな」
「お前はおれが敵だったらどうする?」
「おれか?おれは……そうだな……」
考える煉骨。睡骨はその返事をじっと待つ。
「……もしてめぇが敵だったら。おそらく、おれも殺しに行く」
「へえ。理由は?」
「寒い場所で死ぬのはもうごめんなんだろ、てめえは」
煉骨の言葉に不思議そうな表情を浮かべる睡骨。煉骨は睡骨を見つめ、ふっと微かに笑った。
「最期はおれの腕の中で殺してやる。それなら寒くはねぇだろ」
煉骨の言葉に睡骨が目を丸くする。そしてそのまま噴き出して笑った。
「なるほどな。そりゃあいい。それで頼む」
「ああ。まあ、次の話だけどな」
「そうだな、次の話だ」
二人してコーヒーをテーブルに置く。意味深に見つめあい、どちらからともなく体を近づけ、押し倒し、引き寄せて、ソファの上へと沈み込む。
夜はまだ長い。寒くなるというのなら体を寄せあって過ごすのも悪くはない。今生は、あたたかな世界に身を潜めて生きると決めたのだから。
腕がテーブルへと伸びる。リモコンに触れた指が、戦の光景を消した。