融解注意
・超捏造
・ソウリュウシティ氷漬けをツバが幼少期に経験している都合のいい時間軸の話です。
・PTSD、トラウマのような表現があります
・ツバの自己肯定感が低すぎる
当方、小説というものを初めて書いたので、大変読みづらい怪文書となっております。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
「ばか!カキツバタのばか!」
「バカって言う方がばかなんだよーん」
「バカキツバタ!くそっ···俺が勝ったのに!」
仕様もない言い争いがポーラエリアに鳴り響く。
毎日のように繰り広げられる元チャンピオン同士口の喧嘩。
まぁ口喧嘩とは言っても、傍から見れば自分が一方的にからかわれている様子であるのだろうが。
他方の一回り長身の男カキツバタは、一言一言に表情をコロコロと変えてしまう自分の様子に大層満足しているのか、薄い頬を上げ、にこにこと笑みを浮かべている。
2人はバトルを終えたところであった。結果はスグリの勝利。
いつもいつも意地の悪いことばかりを言ってくるカキツバタに、たまにはこちらから嫌味のひとつでも言ってやろうかと皮肉を口にすれば、すぐに会話のペースは相手に持っていかれ、気がつけばこちらがバカにされる始末であり、せっかくバトルで勝ったと言うのに面白くない。
しかし、こうやって軽口を叩ける仲になったことに、内心喜びを感じていた。
色々。本当に色々な事を経て、自分とカキツバタは顔を合わせればほぼ毎回バトルをする仲になった。他に彼ほど自分とバトルを交えた人間はいない。戦闘力のバランスがお互いに良いというのもあるが、腐っても"元々"チャンピオン。自分の発想にはまるで無かったような戦術を魅せられ、授業とは違った良い刺激を貰うことが多く、なにより彼とのバトルは本当に、本当に楽しいのだ。
入学してブルベリーグの玉座に君臨するカキツバタがバトルをする姿を見た時、全身にほうでんを浴びたようなビリビリとした衝撃が走ったのを今でも覚えている。
強い···!わやカッコイイ···!
ポーラの大気を押し退けるかのように強く降りゆく雪の中、不利なフェアリータイプの相手をものともせず打ち倒す竜使いの姿に、強く憧れの念を抱いた。
元々かなり引っ込み思案であった自分は、姉の力を借り、憧れの先輩が部長として率いている(?)リーグ部に入部することが出来た。
自分もこんな風にバトルをしてみたい。カキツバタ先輩みたいになりたい!
本気でそう思っていた。いや···。今だって···。
ふと顔を上げると、光の反射でキラキラと輝くポーラの礫に照らされたカキツバタの琥珀が揺れた。
「···ん?どったの元チャンピオン。ツバッさんに見とれちゃったかぃ?」
「ちげーべ!!!」
こういうところはシンプルにムカつく。
実力もあって、特段頭が悪い訳でもない。というより、どちらかと言えば彼は頭の回転は早い方であるし、バトルのアドバイスに関しては何度も鋭い指摘を受けた覚えがある。それならばなぜ椅子に根を張って、ダラダラと菓子を貪り食う事を天職のように過ごしているのか、前々から疑問であった。
その気になれば卒業だって難しくないだろうに。少なくともただ勉強が苦手だから3留しているようには見えない。いや、その気になれないのか?はたまたもっともっと別の理由があるのだろうか。
思えば自分はカキツバタに関してほとんど何も知らないのである。又、自分が学園に入学する以前の彼のことなど一切知り得なかった。
噂にて、ソウリュウシティのシャガの孫らしい。というのを耳にしたが、本人に確認した訳でもないし、真相は不明である。
3留というあまりに大きすぎる欠点を背負っているカキツバタであったが、誰にでも愛想良く接し、その人柄とバトルの強さから、敬愛に近い眼差しを向ける学生は少なくないし、正直自分も、認めるのははなはだ気に食わないがそんな学生のうちの一人なのである。
しかし愛想良く接すると言っても、カキツバタの口から自身の話を聞いたことはほとんど無い。誰にでも平等に接する彼は、裏を返せば誰にでも同じ距離を取っていた。
そのくせ、にこにこと細められた瞳は、時にこちらの全てを見透かすようであり、現に自分を含めた周りの人間のことを誰よりもよく見て、理解していた。まぁ、ろくに授業に出席せず、ヌシの様に部室に居座り続けているから多くの人間の様子を観察できる、というのもあるかもしれないが。
「···やっぱりムカつくべ」
「そんな寂しいことゆーなよぃ」
するっと彼の体格に見合わない細い腕が首元に回されるのを避け、スタスタと歩き出した。
彼との会話は楽しさ・苛立ちそれぞれ5対5くらいである。言葉を交わすと、何故か胸の奥がぎゅっと締め付けられてイライラムカムカドキドキ···、自分でもよく分からない感情がふつふつ湧き出て息が苦しくなるのだ。苦しいと言っても、それは心地の良い苦しさであった。しかしそれが尚更自分を混乱させるのだ。
ねーちゃんと話す時も、イラッとすることはあるが、何か違う、全然別の感情。
分からないことが怖くて、彼と長くいることは極力避けていた。これ以上心をかき乱されては、今後のバトルに影響が出る。もうさっさと部屋に帰って今回のバトルの反省点を纏めてしまおう。というか寒いし。
「おぅい。前見てゆっくり歩けよぉ」
「···うるさいな!じーちゃんみたい!」
ポーラの氷山に、重く優しい声が反響し、凍てつく空気を揺らした。
何が転ぶだ。子供じゃあるまいし。
歳上とはいえほとんど同い年なのだ。
いつもそうだ。俺だって、カキツバタと対等に···
そんなことをモヤモヤ思考しながら足を進めていると、ズルッと視界が回り、重力にふわりと体が引っ張られた。氷に足を滑らせ、あ、転ぶ。そう思った時には体が半分湖の上に飛び出ていた。今しがた注意されたというのに。
背の高い氷山に囲まれた深く青い湖に怯えた自分の顔が反射する。身に迫り来る痛さよりも冷たさが恐ろしくなるが、どうすることも出来ず衝撃に備えギュッと目を瞑れば不意に強い力でグイッと腕が引っ張られる。
「スグッ······ぅわっ···」
その腕を引っ張りあげてくれたのは、紛れもなくカキツバタで。初めて見るような彼の焦った顔に目を奪われ、体が氷の上に戻っていく感覚に安心を覚えたのも束の間である。
ただ歩いているだけでも足を滑らせるほどツルツルと摩擦が少ない不安定な踏み場で、重力に引っ張られる少年を引き寄せようとしたらどうなるか。
湖に落ちかけていた自分の体を、地上に向かってブン!投げるように力込めた彼は、逆方向へと体を持っていかれる。為す術なく湖の上にふわりと投げ出されるカキツバタの姿が視界の端に入る。
「カキツ」
バタ。と言い終わる前にバシャン!!!!!!と湖が大きな音を立てて、周りを泳いでいたポケモンは驚いたように散っていった。
呼吸が止まる。いや馬鹿野郎急いで体を動かせ。
俺は尻もちをついたまま咄嗟にニョロトノのモンスターボールを、カキツバタが落ちた方向に投げた。
本当はこんな指が触れるだけで痛く冷たい湖に彼を放ちたくは無かったが、自分が飛び込んで行ったところで二次被害である。申し訳ないがここは力を貸してもらい、カキツバタを凍てつく湖から引き上げた。
「カキツバタ!カキツバタしっかりしろ!」
ぐったりとした彼を抱き寄せれば、たった数秒湖に落ちただけだというのに、その冷たさはあまりに異常で。いかにこの人口の箱庭が氷に包まれた世界のリアルを表現しているかが窺えた。
意識はあるが、急激に冷えたせいだろうか、身体がショックを起こしているようで、どうも呼吸の仕方がおかしいし、目の焦点も合っていない。カタカタと震えている彼の細い指先を握る。早く保健室へ···いや兎にも角にも早く温める方が先だろ···!焦る頭を回転させる。
ガオガエンを繰り出し、熱を分けるよう頼んだ時だった。バチン!と手に衝撃が走る。
「っ······、···?え···?」
「来るな···!!!!」
それは手をはたかれた衝撃であった。カキツバタに。
わけも分からず呆然としていれば、彼は今まで見たことない表情を浮かべた。恐怖と怒りが混じったような、そんな複雑な感情が窺えた。
「来るな!嫌だっ······くるな!!!···オイラの街を···こんなに···してっ······もうオイラたちに関わるなよ···!っ·········。」
聞いた事のない切羽詰まった怒鳴り声がキンと冷えた空気を斬るように揺らす。何を言っているのか全く分からない。美しい琥珀に恐怖の淀んだ色が滲む。彼は本当にあのカキツバタなのか?こんなの、まるで別人である。パニックになる頭で罵声をどうにか理解しようとしていれば、力尽きたのか氷のような体がくたりと折れ、慌ててそれを受け止めた。酷く軽かった。
何だったんだろうか。今のは。いやとにかく、彼を温めなければ。こうしている間にも体はどんどん冷えており、それは彼の体に触れている自分の指がピリピリと痛みを感じるほどであった。
すでに凍り始めているぐっしょりと濡れた上着とタンクトップを急いで脱がせ、代わりに自分の上着を被せた。自分の方が体格的には小さいはずだが、かなり痩せ型の彼の体に羽織らせる分には問題ない。
ガオガエンに温めて貰った後、極力彼に風が当たらないよう、まだ震えの止まらない青ざめた体を精一杯抱きしめながらカイリュウに保健室めがけて運んでもらった。
そのあとは必死で、正直よく覚えていない。
保健室の先生に、焦りと混乱からか今にも泣きそうであった自分の頭をぽふぽふと撫でてもらったことが記憶の片隅にある。わや恥ずかしい。
先生いわく、軽い凍傷はあるものの、すぐに治るし心配はいらない。しかし、少し頭を打っているようなので、目を覚ました後にもし何か異変があればすぐに知らせろとのこと。
気を失っているのは急に湖に落ちたことに驚いて、ショックを起こしたのだろうと。
先程の彼の罵声の話は、ここではしなかったし。他の誰にもする気はなかった。
先生は、落ち着いた呼吸ですやすやと眠るカキツバタをストーブの熱で温まった柔らかい布団の上に寝かせるのを横目で見る。子供の自分から見ればカキツバタの体は大きいと感じるが、大人の男性に抱かれた彼の体は、酷く細く小さく、儚く見えた。先程まで青ざめていた指先は、熱を持ち、健康的な色を取り戻しつつあった。
「私は少し留守にしますが、スグリさん。カキツバタさんをよろしくお願いしますね」
と言い残し、アチャモ数羽を置いて先生は保健室を後にした。
カキツバタの眠るベッドの横に置かれた椅子にこしかければ、よちよちとアチャモが足元に寄り添って来た。暖かく柔らかいその体を抱き上げ、眠るカキツバタの横へ優しく置いた。
「ふふ。ふわふわだなぁおまえら。めんこいべ。ポカポカにしてやってな」
「チャモ!」
ほかほかふわふわとした毛並みを優しく揺らし、モゾモゾとカキツバタの布団の中に潜り込んだアチャモはしばらく彼の体を遊ぶようにつついていたが、次第にすぴすぴと寝息を立て始めた。アチャモの動きが擽ったいのか、時折「んっ···」と声を漏らし、体を捩らせるカキツバタを見ていると、少し妙な気分になった。なんだ、これ。
ぶんぶんと頭を振り、気が付かないふりをする。目線を目の前ですやすや寝息を立てる男に戻し、普段見上げている顔を見下ろす。
よく居眠りはしているが、こう仰向けになって無防備に寝顔を晒している姿は初めて見た。それに、抱き上げられたりアチャモにつつかれたりしているのに、一向に起きない。
彼は自分が見る限り眠りが浅い男であった。ぐっすり寝ていると思っても、自分が少しでも物音を立てるとスッと起きて、けして隙を見せない。そんな男が、まさに今、自分の目の前で幼い寝顔を晒している。なんだこの、どうしようも無い背徳感は。
生乾きのしっとりとした髪の毛に触れる。
自分とは真逆の真っ白で細い髪が窓から差し込む夕焼けに照らされ儚げに煌めいた。
頬にへばりついていた髪を払えば、また擽ったそうに「ん···」とくぐもった声を漏らす。
「······めんこい。······は?」
今、なんて?
めんこい?誰が?彼が?カキツバタが?
自分の発言にぎょっとする。アチャモやタロじゃあるまいし。めんこいわけあるか。
めんこいわけ···
ふたたび彼の方へ視線を向ければ、先程と同じく、規則正しい寝息を立てる彼がいた。
ブルベリーグ"元々"チャンピオン。
竜を操り、時には人間までを操るようにして、誰のことも自分のペースに乗せてしまう。
いつもヘラヘラ適当を言って、裏で何をしているか分からない。得体の知れない、不気味で謎の多い、でも誰よりもかっこよくて、強くて、俺が憧れた人。
誰も、本当の彼を知らない。こんなあどけない寝顔の彼を誰が知ろうか。あんな切羽詰まって叫ぶ彼の姿を、何人が見た事あろうか。
足りない。暴きたい。彼の全てを知りたい。
そして、自分以外、そんな姿を誰にも見せたくない。
ずっと気が付かなかった。いや、気が付かないふりをしていた。そうだ、俺は···。初めて戦う彼の姿を見た時から、きっとずっと···。
本心を閉じ込めていた厚い厚い殻が、パキン。割れる音がした。
どぷりと、溜まっていた感情がとめどなく溢れ出す。もうだめだ。こんなの止まらない。
あぁ。そうか。そうだったんだな。
俺は、カキツバタのことが好きなんだ。
「······っ······すぐ、···り···?」
ハッとすれば、寝起きで潤み、しっとりと濡れた琥珀がこちらを覗いていた。むくりと起き上がろうとすれば頭部の痛みに顔を顰め、くたりと力を抜いた。
「無理すんな!お前頭さ打ったんだぞ!」
「っ···てぇ······あー、そうみたいだねぃ···。ちょっ、いいってそこまでしなくても」
彼の上体を抱え、揺らさないようゆっくりと寝かしつける。やめるよう促されるが、カキツバタの世話をするなんて始めてで、彼は嫌がっているようだったが、自分はなんだか、いつも見下ろしてくる彼と目線が同じようになったようでこそばゆく、嬉しかった。
「どう?体の調子」
「んー、まぁ特に何も?沢山寝かせてもらったみたいだし、カワイイ子に囲まれてツバっさん幸せもんよ」
「カキツバタ」
いつものように貼り付けた笑顔をうかべる彼の名を、あえて少し低めの声で呼ぶ。相手は少し驚いたような顔をして、はいはい···。と面倒くさそうに頭をかき、口を開いた。
「手と足の指の先。あとは···背中?が痛むかねぃ。まぁ背中から落ちたみたいだったし?そんくらい」
「頭は。頭も痛いんだろ。」
「あー、そうだね、頭もですよ」
「カキツバタ、ちゃんとこっちさ見て」
「っ···」
彼のベットに置いていた手を上へずらし、肩へと滑らせ、こっちを向けと言わんばかりに少し力を込めた。全てを暴きたい。そう思うが、彼が言いたくないことまで言う必要は無い。しかし、こればかりは別である。彼の体に関わる重要な事だ。
顔はこちらを向いても、彼の目はよそを向いていた。ふーん···。
言葉で取り付くろっても、お互いまだ子供、体は正直というやつである。これは、まだ何か隠しているな。
ギシッとベットに膝をつき、そのまま彼に覆い被さるように四つん這いになって、肩よりも上、彼の薄い頬に手をずらし、頭に衝撃を与えないよう、くい、と、優しく両頬を包むようにしてこちらを向かせる。
ギシッと1人用のベットのスプリングが音を立て、布団の影からアチャモが不思議そうに見上げてきた。
逃げ惑う視線を無理やり合わせた。逸らさせない。
「お、おいおい元チャンピオン様?この体制はちょっとさぁ···」
「まだ何か隠してるだろ。言って」
「······。···隠してな」
「目ェ見ろ」
「···」
なぜ言わない。何を隠してる?元凶は足を滑らせた俺とはいえ、気を失った彼をここまで運んで介抱したのだ。体の調子を確認する資格はあるはずだ。
だんだんムカついてきておもわず姉譲りのドスの効いた声が出る。ビクと体を跳ねさせたカキツバタを見てすぐに後悔するが、タイプ相性は良かったみたいで、「降参ですよぃ」と彼は両手を広げパタパタ振ってみせた。
よし、これで彼の本心を聞ける···。···あれ?
やっと布団の中から出た彼の両手は、確かに震えていた。
「え、···さ、寒いの?」
「いーや全然?むしろアチャモ達のおかげで暑いくらいだね」
「だよな···もう寒くないよな···じゃあなんで震えて···」
「···ほんとに、なんでだろうねぃ」
彼が己の震える手を見る目は、先程叫んでいた時の恐怖に満ちた目の面影を感じた。
「さっきは怒鳴って悪かったな。ビックリしただろ」
てっきり、彼の記憶にはもう無いものだと思っていたし、掘り返さない方が良いかと感じていたので、カキツバタの方から先程の出来事を蒸し返してくるのは予想外であった。
気にならないと言えばもちろん嘘になる。
『来るな!嫌だっ······くるな!!!···オイラの街を···こんなに···してっ······もうオイラたちに関わるなよ···!っ·········。』
先程の、彼の劈くような叫喚は、頭の中でずっと鳴り響いている。
悲鳴の主は、いつの間にか布団の中に顔を潜り込ませてしまっていた。こんなに情けなく、逃げるような姿を見せてまで、その表情を見られたくないのか。自分のような子供では、やはり役不足なのだろうか。
カキツバタ。お前は何に脅えているの?
彼は氷に包まれたひどく冷たい湖の中で、一体どんな過去を思い出してしまったのだろうか。魂までを裸にするようなポーラの冷水は、奪った体温と引き換えに何を植え付けたのか。
役不足だって、構わない。
こいつは、何でも1人でこなしてしまうけど、その分人に甘えることが出来ない、そういう不器用な人間である。
自分が今ここで身を引いたところで、カキツバタは他の誰かに助けてくれと、求めることが出来るのだろうか。例えばそう、バトルだけじゃなく、様々な才能に溢れ、自然と人を引き寄せてしまう、主人公のような彼とか。彼だったら、こういう時どうするんだろう。どんな言葉をかけるんだろう。彼にだったら、カキツバタはすらすらと、本心を話したのだろうか。
分からない。分からないけど、ハルトがいたとしても、ここで自分が引き下がる理由にはならないのだ。
迷惑だと思われてもいい、うるさいガキだとあしらわれたって構わない。自分という選択肢があることを、取れる手がここにあるということを、知って欲しかった。
そもそもコイツだって、俺にたくさんの大きなお世話を押し付けてきたのだ。どれだけそのお世話に救われたか、お前は多分、分かってはいないのだろうな。
今度はこっちのターンだ。
もぞもぞと彼の潜る布団に手を入れて、依然小刻みに震えている手に、己の指を絡める。拒絶はされていない。
「カキツバタ、顔さ、見して。話そう」
「悪かったよぃ、驚かすようなこと言って。
まぁでも?すっ転んだのはスグリだし」
「うん。あんなわや焦った顔のカキツバタ初めて見たべ」
「そりゃかわいい〜後輩がすっ転んで頭でも打ったら大変ですからねぃ」
「···俺じゃあ頼りない?···ハルトみたいに強くないと、不安?」
「なっ、んでそこでキョーダイが出てくんだよ···。そーゆーの···よくないとおもいまーす···」
手をばってんにした桃色の髪の少女が脳裏に浮かぶ。そんな彼女の口癖を震えた声で述べた彼は、おずおずと目線だけ覗かせた。自分が覆いかぶさっていることで陰っている毛布の間から煌めく金色の瞳は、一番星のように美しかった。
片手を離し、自分の髪をまとめているヘアゴムに指をかけて解けば、もっさりと視界に重たい前髪がかかった。
「おー···久しぶりに見たねぃ。それ」
「俺もな、怖くて怖くて仕方なかったんだ」
確かに人前で髪を下ろすのは久しぶりだったが、こうして前髪で狭まった世界を見つめると、過去の自分と向き合える気がしたのだ。
そう。怖くて怖くて、毎日仕方なかった。
小さい頃からずっとずっと大好きだった鬼様を独り占めされたような気がしたあの日。
誰よりも自分のことを理解し、守護ってくれていた姉に、仲間はずれにされ、裏切られたと絶望したあの日。
吐くほど勉強して、他の何もかもを全て犠牲にしてバトルに費やしたあの日。
ずっと怖かった。
誰も味方じゃない。バトルだけしていればいいんだ。そんながむしゃらに突っ走る過去の自分が、へらへらと笑顔を張りつけて何事も問題ないよと隠してしまう彼と重なった。
嫌われ役を自ら志願した彼は、そんな自分を救ってくれた人間の1人だ。
だからありがとうな。
そう伝えると、握っていた片手が、少しだけ握り返されたような、そんな気がした。
のもつかの間、グイッと強く引っ張られ、体制を崩した体は彼の上にべしゃっとその重さを預けた。やばい!潰す!と思い慌てて起き上がろうとすればもふっと暖かくて柔らかいものに包まれる。彼の毛布の中に引き込まれたと気がついた時には、目の前にはおかしそうに笑うカキツバタの顔があった。う、わ。近い。
わや熱い。顔が。全身の熱が集まったようだ。そ、そうかアチャモがいるから···いやいつの間にか彼らは布団から抜け出していたようだ。ということは、今ベッドの上には、先程好きだと自覚した相手と2人きりなわけで。というか本当に近い。そりゃそうだ。いくら子供とは言え保健室の狭いベッドに2人で寝転がれは、余るスペースなどない。というかこいつ、誰にでもこんなことしてんのか!?頭の整理が追いつかない中、ふにふにと彼の指に頬をつつかれて、現実に引き戻される。
「ふはっ、顔真っ赤。先にオイラのこと押し倒したのは元チャンピオン様だろぃ?えっち」
「え、えええ、っ···ち!?んなわけねぇべ!て、てか近ぇんだけど!」
「えー?オイラの顔見たかったんだろ。ほら、間近で見れるぜ」
「うっ······」
めんこい。悔しい。
にっと口角を上げた撫でるような微笑みに、きゅっと心を掴まれたようだった。もう、1度自覚してしまうとダメだ。認めよう。世界一めんこい。
恥ずかしくて仕方なくて、思わず目を逸らせば「仕返しだよーん」と両頬をふにふに摘まれあと、包むようにして顔を覗き込まれた。え?カキツバタって俺のこと好きなのかな?彼のいき過ぎたスキンシップは今に始まったことじゃないが、この状況は14歳の自分を勘違いさせるには十分すぎた。
と、とにかくこの状態は色々やばい。物理的に少し距離を取らねばと体を起き上がらせようとしたところで、ぎゅうっと、今度はカキツバタが少し覆い被さるように自分の体へ重心を預け、抱きしめてきた。男性にしては細くしなやかな腕が、するりと頭の後ろに回され、体はお互いの鼓動を感じるほど密着した。カキツバタの心臓の音、少し早い。
「か、カキツ······」
「オイラな、ソウリュウシティってとこで生まれたんだよ」
ぐりぐりと首元に彼の頭が押付けられる。まるで甘えるオオタチのようだった。柔らかい髪が揺れ、くすぐったい。ふわりと、ポーラの氷の匂いにまじり、甘くて心地よい香りが鼻をかすめ、なんとも言えない、そわそわとした気持ちになる。
ぽつりぽつりと、過去を語る彼の声は少し震えていて、抱きしめられているから表情は分からないけど、声色からなんとなくその様子を読み取ることは出来た。
過去の自分と、自分の生まれ育った街で起こった事件の話を聞かせてくれた。
ソウリュウシティ。過去と未来が絡み合う街。
そこで起こった悲劇の襲撃。
事件自体は昔耳にしたことがあったが、当事者の体験談からは聞いているだけで指先がピリピリと痛むような悲惨さが伺えた。
侵略されていく街の凍りつく部屋の中で、薄れゆく意識の中で、幼い彼はどれほどの傷を負ったのだろうか。その思い出したくないトラウマが、冷たい湖によって無理やり引き出され、叫ぶことしか出来なかった彼はどんな気持ちだったのか。
肩に埋められた頭にぽん、と手を乗せて撫でてみると、「生意気」と指摘されるが、振り払われることは無かった。
「あーあ。話すつもり無かったのにねぃ。チャンピオンがしつこいからさぁ」
「ん。しつこくしてよかった。手、震え収まったな」
「もー!いいからそーゆーの言わなくて!ってゆーかほかのリーグ部員とかにこーゆー話すんなよ?ツバッさんのクールなイメージ崩れちゃうからねぃ」
「言わない。言わないから、もっと俺の事さ頼って欲しい」
自分に話すことで、震えが止まった。そう考えていいのだろうか。そうだとしたら、やはり彼には吐き出す場所が必要で、俺はそれになりたい。彼の支えになりたい。
まだ弱い自分は心に秘めている気持ちを彼に伝えることは出来ないが、距離を縮めるために必要なのは、愛することだけではない。
俺の言葉に、再び優しい声色で「生意気」と言いつつも、満足そうに顔を上げた彼の目に先程まで濁らせていた恐怖の色はなく、穏やかに揺れる琥珀が夕焼けに照らされていた。