その日の授業、一時間目が始まるよりも早くに、イナバは職員室へと走った。道中ですれ違った教師たちから走るなと怒られもしたが、急いで確認したいことがあった。
担任であるジニアの姿を見つけると、彼のデスクまで歩み寄る。ジニアは、見ている方も気が緩みそうな柔らかい笑顔をイナバに向けた。
「イナバさんじゃないですかあ。おはようございます。早いですねえ」
「おはようございます、ジニア先生」
釣られてイナバもへらりと笑ったが、すぐにはっとして、少し周りを気にしながら耳打ちする。
「先生、人間とポケモンが交尾したら、タマゴは産まれるんですか」
まずどの授業でも触れないような範囲の質問に驚いたジニアは目を丸くした。なぜそんなことを聞くのかとでも言いたげにイナバの顔を見たが、そのイナバの表情が真剣そのものだったため、生物の教師として真面目に応えることにした。
「えーと……人間とポケモンとは、種が違うのでタマゴは産まれません。ポケモンはまだ、多くの謎に包まれているので、もしかすると可能性はあるかもしれませんが……過去にもそういう例はないですねえ」
ジニアの言葉を聞いたイナバは、ほっとしたような残念なような瞬きをしながら、そうですか、と呟いた。その反応に不穏なものを感じていると、イナバは自分から、ミライドンと交尾をしたことを打ち明けた。最初はそのつもりがなく流れでそうなったこと、けれど以前からスキンシップがあったこと、種族の違う自分に対して発情している様子だったこと。話を聞いているジニアの顔がこわばっているのに気付いたのは、ミライドンがタマゴを欲しがっているのではないかという予想を話している時のことだった。
イナバを職員室の外へ連れ出すと、ジニアは強く、しかしなるべく周りに聞こえないような声を出した。
「イナバさん、それは……その……だ、ダメですよお!まだイナバさんは子供なんですから!」
「いや、その、ボクもそれで、大丈夫なのかなって」
「大丈夫じゃないです!」
ジニアは珍しく眉を釣り上げ、イナバを叱りつけた。性交は正しい知識を持ってから行うものだとか、ポケモンにも悪い影響があるかもしれないとか、イナバとミライドンの身を案じた説教だったため、イナバは大人しく聞いていた。
「無理矢理されたわけじゃ、ないんですね……!?怪我や体調不良は……」
「ないです、ないです、ボクもいいよって言いました……」
強引じゃなかったのか、怖い思いはしなかったのか、酷いことや痛いことはなかったのか、質問責めにされたイナバはそれにいちいち答えたが、自らの体験を話すことには少し恥ずかしそうだった。ひとまずイナバにもミライドンにも不調がないことと、一応は和姦と見ていいこと、イナバが反省したことを確認すると、ジニアは大きな声を出してすみませんと溜息をついた。
説教が落ち着いた頃に、イナバはなぜミライドンが自分に発情したのかについて、改めてジニアの意見を求めた。
「……ええと……ポケモンと結婚した人がいたと、別の地方には言い伝えがありますね。イナバさんの話を聞いていると、求愛しているように思えますねえ」
きゅうあい。ぽかんとするイナバだが、ジニアは言葉を続けた。
「イナバさんの言葉を理解して、人間のような愛情表現をしているということは、そうなんじゃないかなあ、と思います。ただの予想ですが、イナバさんとミライドンの間に深い絆があるなら、可能性はゼロじゃないのかなーと……でもだからと言ってそういうことは」
「な……なるほど……ありがとうございます!ジニア先生!」
「あっ……イナバさん!今後はそういうことは、大人になるまで控えてくださいねえー!?」
美しいほどきっちりと、直角に腰を曲げてお辞儀をしたイナバは、すぐに職員室から走り去っていった。追いかけようとするジニアだが、もう授業の支度をしないと、ジニア本人が危ない時間になっていたため、イナバの背中へ声をぶつけるだけになってしまった。
全ての授業を終えて自由の時間を得たイナバは、テーブルシティを散歩することにした。その日ずっと、顔にこそ出なかったが、イナバはジニアの言葉を気にしていた。
中心地のカフェでココアを注文すると、テラス席に座る。自分のIDではないボールをそばに投げると、ミライドンが現れて、イナバに向き合った。
「キミのせいでボク、怒られちゃったじゃないか」
イナバは椅子に寄り掛かり、足首を交差させた。ふてくされたように言ってみると、ミライドンは少し瞼を伏せて背を低くした。その様子が可愛らしく、イナバは嘘だよと笑ってミライドンの頭を撫でた。
ミライドンを見つめるイナバの眼差しは優しい。決して、身体を繋げたのが理由で生まれたような単純なものではない、深い愛情が確かにあった。撫でられながら、ミライドンも安心したような鳴き声をこぼす。
「キミの言葉がわかったらいいのにね」
イナバの呟きに同意するように、掌に擦り寄るミライドン。伝えたいことが伝わらないことも、この子にはあるのだろうかと、イナバは改めて考えることとした。
「なんとなくなら理解してるつもりだけどね。」
「アギャ……?グキュウ」
ミライドンは確かに首を振った。
「そ、そんなにしっかり否定しなくてもいいじゃないか」
ミライドンは、自身の求愛行動を、そうだとすら認識されていなかったことに拗ねている。イナバはそんなことは知らないから、反論してはそっぽを向かれを繰り返し、珍しくツンとした態度のミライドンを見て、困り果ててしまった。そのうちミライドンと目が合わなくなると、イナバも拗ねてテーブルに突っ伏した。
思えばイナバとミライドンは、もうずいぶん長い時間を一緒に過ごしていて、生活においてもメンタルにおいても、イナバはミライドンが居なくてはうまく過ごせないようになっている。その自覚はイナバにも随分前からあったが、恋心なのではないかと思うようになったのは、最近だった。
「……ミライドン、こっちを見てくれないと寂しいよ」
それでも今、ミライドンがこちらを向かなくて寂しいのは、そういうことなんだろうか。ミライドンがずっと自分に触れたがるのも、今の自分と同じような気持ちだからだろうか。閉じ込められてくぐもったイナバの声が、ミライドンに落ちた。恋しがられて満更でもなさそうなミライドンは、すぐにイナバの足に擦り寄り、ハーフパンツの裾を噛んでイナバを呼んだ。ゆっくりと顔を上げたイナバはココアを飲みながら、片手でミライドンを撫でる。
「……ジニア先生がさ、昔話で、ポケモンと結婚した人がいるって言っていたよ」
「アギャァス」
自覚すると途端に恥ずかしくなってくる。ミライドンのあれもこれも、全て求愛行動の可能性があったのたと、思い返すと顔が熱くなるイナバだった。もちろんただの思い込みで、都合の良い勘違いかもしれないけれど。
「ボクは……キミのこと、好きなんだと思う」
ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぐイナバ。ミライドン以上のパートナーはこの先見つからないだろうだとか、ポケモンと人間という種の違いがあっても関係ないだとか、ミライドンがいなければ生きていけないだとか、歯の浮くような台詞を並べていった。
「キミもそう思ってくれてるなら、ボクは……あ、あれ」
気付けばミライドンは、目を黄色くさせて固まっていた。かと思えばそわそわと動いたり、か細いモーター音のような鳴き声を出したり、明らかに挙動不審だった。たまに瞬きをして目が合っても、すぐに逸らしてしまう。
まさか、これは、照れているのか?
ミライドンの新たな一面を見ることのできたイナバは、満足そうに口角を上げると、混乱しているミライドンをボールに戻した。
「キミ、自分からアピールはできるのに、されるのは恥ずかしいんだね」
ボールに向かって優しく声を掛けると、大事そうに撫でてからしまい込んだ。空を見上げると、いい時間だった。
寮に戻って、ミライドンの好きなサンドイッチを作ってあげよう。その後は、ひたすら可愛がってあげよう。それから、窮屈な思いをさせてしまうけど、一緒にベッドで寝よう。いつかベッドが壊れるかもしれないけれど。そんなことを思いながら、イナバは自分の部屋へと戻るのだった。