鷲獅子の剣スペルビア帝国、皇宮ハーダシャル。KOS-MOS Re:と共に暴走した人工ブレイドを排除するためにその地を訪れたレックス一行は、ジークの従姪であるアステルの要望によりモルスの地へと向かうことになった。
様々な危険が伴うモルスの地へ向かうため、メレフはスペルビア軍の船を手配した。急な手配のためその日すぐに出発とは行かず、モルスの地へ出発するのは明日の朝となることを兵士から伝えられたメレフとカグツチは、皆にその旨を報告するため皇宮の門前に待機していたレックス一行の元へ向かった。
「……ったく、すまんな。アステルの我儘に付き合わせてもうて」
「まあ、気にしないで。とりあえず、今日は皆もう休んで、明日また改めて皇宮の軍港へ向かいましょう」
そのカグツチの言葉に皆了承する声を口々に上げる。彼らがその日にやれることはなくなった。
「……ああそう、私とメレフ様は少し皇宮でやっておきたいことがあるの。悪いけど、先に貴方達だけで宿へと向かっていてくれるかしら」
「やっておきたいこと?」
その言葉を聞き、レックス達は不思議そうにメレフとカグツチを見た。カグツチは横に立つメレフと顔を見合わせて小さく頷くと、腰に下げていた短剣を外し、彼らの眼前に差し出した。
「私達、以前モルスの地へ落ちたでしょう?その時この短剣を傷めてしまったの。とても大切な物だから、出来れば早めに直しておきたくて」
皆が短剣の周りに集まり、それを興味深そうに眺める。レックスは短剣を観察しながらふんふんと頷くと、メレフとカグツチの方へと顔を上げた。
「わかった。じゃあオレ達は先に宿に行って待ってるよ」
皆もいいよな、とレックスが周囲の仲間を見回す。誰も反対する様子はなく、それを見てメレフは小さく頷いて礼を言った。
「すまない、助かる。……では行くぞ、カグツチ」
「はい、メレフ様」
メレフとカグツチはそう言うと、踵を返して再び皇宮の奥へと向かっていった。
皇宮へと戻った二人は、すぐに技師を手配し短剣の修復を依頼した。傷んだのは短剣の柄の先端と鞘の部分だった。特に鞘はあの場所の瓦礫によってか爪痕のような大きな傷が刻まれており、交換を必要としていたが、短剣自体は殆ど無事であった。
修復はそう掛からず終わるとの話だったので、メレフとカグツチは久し振りに戻ってきたメレフの執務室で雑談をしながら短剣が返ってくるのを待っていた。
「……しかし、大きな傷が付いたのが鞘だけで良かったな」
「ええ、本当に。短剣自体を壊したり、なくしたりしてしまわなかったのは幸運でした」
カグツチの短剣は、代々帝国に伝わる儀礼用の宝剣だった。それはカグツチが同調された際必ずドライバーから彼女へと渡され、受け継がれてきた。武具とはいえ宝剣であり、自分でサーベルを発生させることも出来るカグツチがそれを何かに実用したことはなかったが、彼女はそれに強い思い入れを持っており、毎日の手入れを欠かしたことはなかった。
短剣の意匠は帝国のものだ。淡い黄金に輝く短剣は、カグツチが身につけることで彼女が「帝国の所有物」である証の役割も果たしていた。
メレフは短剣の意匠を思い出しながら、何の気なしにカグツチへと質問した。
「……お前は……、『帝国の宝珠』でなかったら、どうしていたと思う?」
「え?」
突然の質問にカグツチは聞き返す。しばらくきょとん、とした表情を浮かべ、そして何かを思案するように口元に手を当てた。
「……そうですね。やはり、ただのブレイドとしてこのアルストの誰かの元に存在していたことでしょう。様々に所在を移し、人々の手を渡り歩いて………」
それは、自由――だったかもしれない。
まだ旅をしておらず、主に帝国で過ごしていた頃は、メレフとカグツチの休日が違うこともままあった。カグツチは他国へ遊びに行くのが好きで、よくメレフへの土産にスペルビアだけでは手に入りにくい菓子や化粧品、美術品などを持ち帰っていた。カグツチはスペルビアを愛し、その身を捧げていたが、彼女は他国の珍しい品を見ることも、大切な思い出となる好ましいことだと思っていたようだった。
――彼女がスペルビアの所有物でなければ、彼女はもっと……
メレフはそう考えかけて、思考を止めた。帝国の宝珠として受け継がれたことを幸運に思い、そして日記を通して己を連綿と続かせようとしてきたカグツチに対し、そのような問いをかけることは彼女への侮辱に当たるような気がして、メレフは微かに首を振ると、カグツチの顔を見て小さく微笑みかけた。
「……いや。下らない質問だったな」
「……メレフ様」
そんなメレフをカグツチは寂しげに見つめたが、彼女もまたすぐメレフへと優しい笑みを向けた。
「そう、ですね。今の私は帝国の宝珠なのですから」
と、雑談が途切れたところに扉を叩く音が響いた。どうやら修復された短剣を届けに使いがやってきたようだった。
「失礼致します」
使いはメレフとカグツチの前へ短剣を差し出した。
「お待たせ致しました。修復は完了しております、どうぞお持ち下さい」
「ご苦労だった」
メレフが使いを労う。使いは短剣を執務室の机の上に置くと、一礼して部屋を去っていった。
「よかった……。元のままの姿ですね」
カグツチは短剣を見て胸を撫で下ろした。メレフもまたその短剣を見つめ、カグツチに手渡そうとして手をかけ――
両手で柄と鞘を持った状態で、そのまま動きを止めた。メレフはぼんやりとした眼差しを短剣に落とす。
「……この短剣は、常にお前と共に在ったのだったな」
ちり、とメレフの胸に焦げ付く感覚が芽生える。
カグツチのドライバーは多くが皇帝であり、そのせいでカグツチとドライバーは行動を別にすることも多かった。それでもカグツチに下賜された短剣は、常にカグツチの手元に存在し続けていた。もしかしたらその短剣は、歴代のドライバー達よりずっと長い時間をカグツチと共に過ごしてきたのかもしれない。
メレフはカグツチの歴代のドライバーに淀んだ感情を抱いたことは一度もなかった。むしろ、自分とカグツチが巡り逢うまでカグツチと共にあり、そして彼女を帝国の宝珠として受け継いできてくれたことに感謝していた。そうして彼女と共に帝国を導いてきた彼らは、メレフにとって何よりの誇りであった。
彼女に関わった者に嫉妬したのは、強いて挙げるならば件のモルスの地でのレックスにだけ――それも、ほんのいっときだけのことだ。
だが、この短剣は何一つ変わることなくカグツチの元に在り続けた。メレフの知らない、たくさんのカグツチを知っているのだ。
――その事実が、何故だか堪らなくメレフの内をかき乱した。
伝統儀式であったとはいえ、その短剣はメレフ自身がカグツチに渡した物でもあるというのに。
メレフは己を嘲笑しながら、感情とは真逆のさっぱりとした笑みでカグツチを見つめる。
「――私よりずっと長い時間お前と共に在った『こいつ』が羨ましいよ」
そう言ってメレフは手にしていた短剣を机上に置くと、カグツチの手を引いてそのコアクリスタルに口付けた。
「――……ッ」
突然のメレフの行動にカグツチが目を丸くする。だがすぐに馬鹿馬鹿しさに頭がいっぱいになったメレフは、即座にカグツチから身を離した。
彼女は帝国のもの。そして、自分の身も帝国に捧げたもの。短剣を眺めているうち、メレフはそれを思い出し、意識してしまった。
しばらく沈黙が流れ、それにいたたまれなくなったメレフがようやく口を開く。
「……すまない、馬鹿げた事をした。……忘れてくれ」
そう言うと、メレフは再び短剣を手に取る。そしてカグツチに手渡そうとそれを差し出し――
その両手を、カグツチの手が優しく包み込んだ。
「……メレフ様は、そういうものとは無縁だと思っていたのですけれど」
噛み締めるように、カグツチが呟く。カグツチがうっとりとした表情で自分を見つめるのが、メレフはどうしようもなく照れ臭くて、ついそのカグツチから視線を逸らしてしまった。
カグツチがメレフの手から短剣を受け取る。愛おしそうに短剣の鞘に触れ、それを自分の腰に下げ直すと、カグツチは再びメレフの手を取り、ただ黙して頰を綻ばせた。
皇宮の天蓋から差し込む橙の夕陽は、今この時がアルスト激動の時代である事を忘れてしまいそうになる程に優しかった。