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    2018/03/25 過去作投稿
    『Peafowl』収録(書き下ろし)
    ---
    レックスたちとの冒険を終えて帝国で忙しい日々を送っていたメレフが、とある選択を迫られる話。(2022/07/07)

    ##SS
    ##Xb2
    ##Xenoblade

    Peafowlアルストが楽園へと変生して数カ月。
    新たなる大地を手にした世界は未だ慌ただしく、アルストの国々では様々な法や制度の導入や整備、また新天地に関する条約締結が進められているところであった。
    そんな中、アルストに現存していた内では最も歴史が古く先進国でもあったスペルビアの動きは早く、彼の国は新たなアルストの中で一番に地位と安定を得ようとしつつあった。
    そうして帝国軍内にも少しずつ落ち着きが取り戻されかけていた、ある日の早朝のことだった。メレフ・ラハットはとある元老院議員から招集を受け、彼の待つ執務室へと向かった。そして、そこである『未来』を提示された。

    「……その件は以前もお断りしたはずですが」
    メレフは相手の言葉に僅かな不快の色を示した。だが彼女を呼びつけた初老の議員は、そんな彼女の機嫌取りでもするかのように、宥めすかすような声色で言葉を続けた。
    「まあ、そのようなお顔をなさらず。かの英雄の少年と共に世界を救い、そしてなお世界のために行動なさっている貴女に是非一度お会いしたいという者はやみません。旅は終わったのです、またスペルビアで過ごすことも増えましょう。ですから、顔を合わせるだけでも」
    しかしそれでもメレフにはその提案を受け入れる気は起きなかった。まとわりつく煩わしさに燻る胸を深呼吸で抑えると、彼女は普段と同じ冷静さを湛えた仮面を付け、返答した。
    「……結構です。我が身はこのスペルビアのために。未だ世界の情勢は落ち着いたとは言えない状況です。この国と陛下のため、私にはやるべきことがある。それに全霊を尽くすのが今の私の務めです。……それでは失礼致します」
    これで会話は終わりだとばかりにそう言い放つと、メレフは身を翻して執務室の出口へとまっすぐ歩いてゆく。そして、慌てて引き止めようとする議員の声も無視し、彼女は部屋を後にした。
    壮麗な皇宮の廊下を、一人歩く。まだ人の少ない早朝で、メレフはその廊下に響く自分の足音がやけに大きく聞こえた。メレフは皇宮内の訓練場へと向かっていた。旅に出る前は、都合さえつけば毎日欠かさずカグツチと鍛錬を行っていた。そして旅が終わりスペルビアへ戻ったことで、その習慣は再開された。もっとも、旅をしている時分でも二人は鍛錬を欠かさなかったのだが。新しい世界になってからというもの、その慌ただしい日々の中で、メレフにとってはその時間がある種の「休息」の時となっていた。

    「おはよう、カグツチ」
    訓練場へと到着したメレフは扉を開き、既に到着しているであろう己のブレイドの名を呼んだ。
    「メレフ様」
    カグツチはそこにいた。カグツチはメレフの姿を認めると、壁にもたれかかっていた身体を起こし、にこりと笑みを湛えてメレフへと歩み寄った。
    「おはようございます。準備は整えておりますよ」
    「助かる。……すまないな、いつもの時間より遅れてしまった」
    「問題ありません。さあ、訓練を始めましょう」

    鍛錬に勤しむのは、メレフが幼い頃から続いていた日課であった。メレフは武器を振るいながら、それが始まったばかりの遠い昔のことを思い出した。
    カグツチはいつもメレフの戦いぶりを讃えた。贔屓目に見ていたという理由もなくはなかっただろう。しかし、メレフは幼い少女とは思えぬほどの身のこなしでカグツチのサーベルを使いこなし、凄まじい速度で戦闘の知識を吸収していった。そのため、そのブレイドがドライバーに向ける贔屓と比べても、讃える理由としてはそちらの方がずっと大きかった。
    カグツチに褒められるのが嬉しくて、少し気持ちが大きくなったメレフは、ある時こんなことを口走ったことがあった。
    『――わたしはもっとおまえの力を引き出したい。わたしは、帝国の宝珠であるおまえにふさわしいドライバーになってみせる。だから、みていてくれ。ずっとそばで』
    幼かった自分のその宣言を思い出して、奇妙なこそばゆさがメレフの脳裏を駆け抜けた。ああ、その時のカグツチはどうだっただろうか。確か、彼女はこう言った。
    『もちろんです。私はいつでも、貴女と共にありますよ』

    「――はッ」
    メレフが声を上げると同時に、訓練用の的の最後の一つが両断される。すっぱりと真中から割られた的が地面へと落ちるのを見届けたメレフは、サーベルを納刀し背後に立つカグツチの方へと振り返った。
    「今日もお見事です、メレフ様」
    そう讃えるカグツチに向け、メレフは微笑を浮かべる。
    「ありがとう、お前のお陰だ。……さて、今日はこの辺りで終わりにするとしよう」
    その言葉を聞き、カグツチは頷いて同意を示した。
    「承知致しました。……ところでメレフ様。今日は何か……、お急ぎのご用がございましたか?」
    メレフが遅れてきたことを心配しているのだろう。カグツチは、もし何か重要な案件だったとしたなら、この鍛錬の約束が邪魔になってしまったのではないかと案じていたようだった。しかしメレフはそのカグツチの言葉によって忘れようとしていた先程の出来事を思い出してしまい、少しだけ顔を曇らせた。
    「いや、大した事ではない。議員の一人に呼ばれただけだ」
    その返答にああ、とカグツチは声を上げる。その人物には、カグツチにも思い当たる節があった。
    「……なるほど、またあの方ですか」
    「そうだ。最近妙にしつこくてな、思いのほか頻繁で辟易している。今はそのようなことに構っている暇など……。どうにかならないものか」
    分かるだろうと言いたげに、メレフはカグツチに目で訴える。そしてはあ、とため息をつくと、帽子のつばを掴み目深に被り直した。
    「そうですね。まだこのスペルビアも、世界も、完全な安寧を得たとは言えません。メレフ様の仰ることも分かります」
    カグツチはやんわりと肯定の意を示す。しかし、メレフはその言葉に微かな違和感を覚え、思わずカグツチの顔を見た。そして、そのカグツチの口が動く。
    「………ですが、メレフ様ほどのお方ですもの。世の殿方が放っておかないのも、無理はありません」
    ぐ、と喉のつかえるような感覚がメレフを襲った。その目が僅かに見開かれ、けれど、それはすぐに戻り。
    「……そう、……なのだろう……か」
    メレフはただ、そうぽつりと呟いた。


    そしてそれから数日が経った。遠方での任務を命じられたメレフはしばらく帝国を離れることになり、まだ皇宮に帰ってきてはいなかった。そのメレフとは逆に国内での任務を任されていたカグツチは、その日の用件を片付け、皇宮内のメレフの執務室の隣にある自室へと戻ってきていた。
    何やら随分久しぶりにメレフと離れたような気がした。時間を持て余したカグツチは、がらんとした室内で一人、棚の整理などをしていた。
    その中でふと、ある物に目が止まる。カグツチは比較的新しい日記が収めてある棚に手を伸ばし、その日記のうちの一冊とその傍らにしまわれていた箱を手に取った。それを持ち、近くの机の上に置いてその蓋を開ける。その箱は書類が収まるかという程度の大きさの、缶の箱であった。中には様々なものが入っていて、その中身の一番上に、空になったガラスの口紅入れがちょこんと乗っていた。
    「――……」
    カグツチはただ黙したまま、その空の化粧品の表面をつうと指先でなぞる。そして一緒に取り出した自分の日記を開き、パラパラとページをめくった。「ある日付」のページに書かれている文章は、毎年いつも彼女の特別な喜びが綴られていた。

    メレフとカグツチが同調して一年経った時のことだ。
    カグツチはその日、ある事をするためにメレフの部屋へと向かった。部屋に入ると、その中にいたメレフが嬉しそうにカグツチの方へと駆け寄ってきた。
    「カグツチ、きょうはなんの日かわかるか?きょうはおまえとわたしがであった日、同調日なんだ」
    そう言ってメレフはカグツチに何かの包みを差し出した。それはグーラから取り寄せたと思われる、可愛らしい菓子だった。甘い物を好むカグツチのことを想ってくれたのだろう、メレフは様々思案してその品を選んだようだった。カグツチは、その突然の贈り物になんと身に余る光栄だろうかと驚いた。
    「メレフ様……、ありがとうございます。……私もメレフ様のために贈り物をご用意致しておりました。お受け取り、……いただけますか?」
    実はその時、カグツチもまた贈り物を用意していたのだ。だがカグツチは自分がメレフに感謝を伝えられればそれで良く、まさかメレフまで記念の品を用意しているとは思っていなかった。
    そのカグツチからの贈り物を受け取ったメレフの表情は心底嬉しそうで。彼女はカグツチに礼を述べると、これからもよろしく頼むと言って握手を求めてまだ小さかった手のひらを差し出した。カグツチはその手のひらをそっと握り、告げた。
    「はい、メレフ様。これからも私は貴女と共に」
    ――そうして二人は毎年同調日を記念日として祝うようになったのだ。

    その時の菓子の箱こそ、この今取り出した缶の箱であった。箱の中身は全て、メレフから贈られた品だった。カグツチは同調日に贈られた思い出の品々を、最初に贈られた菓子の箱に納めていた。一番新しい贈り物は、旅の途中で贈られた、今は空の口紅だった。
    カグツチはメレフとの思い出に触れ直すことでその久しぶりの空白を紛らわそうと思ったが、何故だろうか、いつぞやに感じた寂寥にも似た小さな痛みがちくりとカグツチの胸を刺していった。
    ――いや、違う。持て余した空白を紛らわそうとしたのではない。カグツチは記憶から消し去ってしまいたかった。数日前にメレフが見せた、虚を突かれた顔。その忘れられない表情を。

    カグツチも他人に言い寄られた経験があった。「帝国の宝珠」の異名をもつスペルビア最強のブレイド。カグツチは並の人間の兵士達などよりはるかに強い権限を与えられていたため、それにすり寄ることでおこぼれにあずかろうとした者もあった。あるいは、いくら時を重ねようと一つとして変わらぬ、その人ならざる美貌に惹き寄せられた者もあった。しかしどのような者であれ、彼らは己のドライバーでも、命を捧げるこの帝国の皇帝でもない。そのような者になど、カグツチはさしたる興味を惹かれることはなかった。ゆえにその手合いは常に「自分はいちブレイドだから」という理由でのらりくらりと躱してきた。
    そして、そのような経験をもつのはメレフも同じ……いや、それ以上だったに違いない。アルストにおいて特に力を持つ国の「特別執権官」という地位をもつ彼女にパイプを繋げておきたいという者は後を絶たなかった。かの議員がメレフに会わせたがっている者はそのような思考の者が大半であろうということは、カグツチにも容易に想像できた。

    と、カグツチがそう考え込んでいたところへ、ドンドンと部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。漂っていたカグツチの意識が現実へと戻る。彼女は席を立ち、その叩かれる扉を開いた。
    「カグツチ殿、失礼致しますぞ」
    そこへ件の議員が顔を覗かせる。扉が開くなり、その初老の男はずいと身を乗り出してカグツチの部屋を覗き込んだ。
    「……む、メレフ特別執権官はおられないので?」
    男のその無遠慮な行動にカグツチは苛立ちを覚えたが、それを表に出さぬよう彼女は男に返答した。
    「メレフ様は現在遠方での任務に当たっておられますので。まだお戻りにはなっておりませんよ」
    その言葉に議員は顔をしかめ、小さく呻いた。明らかに不機嫌そうな色を浮かべた男は大きなため息をつくと、部屋から出てきたカグツチを見やった。
    「……はぁ、いつまで逃げ回るおつもりであろうな、彼女は。カグツチ殿からも何か進言していただきたい。これはメレフ特別執権官のためでもあるのですぞ」
    しつこく言い寄る議員にカグツチの心中がささくれ立つ。つい返す言葉の端々がきつくなってしまう。
    「……お言葉ですが、メレフ様はご多忙なのです。この国のため、至る所に赴いて身を尽くしておられるメレフ様の妨げとなるような真似はご遠慮願いたいのですけれど?」
    「何……?」
    しかし、それが良くなかった。議員の不機嫌がより強くなる。
    「――ほお、仮にも貴女はメレフ特別執権官のブレイドである身でしょう。にもかかわらず、カグツチ殿はご自分のドライバーの『幸せ』を願わないとお考えのようで」
    「なっ……」
    思わぬところを突かれ、カグツチは動揺した。そのように言われるのは痛かった。そんなわけがない。カグツチがメレフの幸せを望んでいないなどあり得なかった。
    強制された『幸せ』とやらに何の価値があるのだろう、という思考がカグツチの脳裏を掠める。だが、メレフは人間だ。その『幸せ』とやらを強要されるのも無理からぬことだ。そして、カグツチはブレイド。それに関わることができないのも、仕方のないことだった。
    カグツチはすぐに言い返せず、唇を噛んだ。拳を握り締め、何と言い返してやろうかと思考を巡らせているところに、
    「――失礼。私のブレイドに何のご用で?」
    任務を終えて戻ってきたメレフが姿を現した。予想外の当事者の登場に、カグツチと議員はつい驚いて彼女の方へと振り向いた。
    「め、メレフ様!もう少しお戻りが遅くなるかと……」
    「ああ、予定ではな。ただ思いのほか任務が早く片付いただけだ」
    そう言うとメレフはカグツチの横で自分を睨みつけている初老の男を一瞥した。
    「……それで?こんなところまでおいでになって、何か火急の用件でも?ないのであれば、私は陛下の元へ報告に向かわねばなりませんので失礼致します」
    そこまでまくし立てると、メレフはカグツチへとついてくるよう促し、議員の横を足早にすり抜けようとした。だが議員はそのさっさと立ち去ろうとするメレフに、手に持っていた書簡を無理矢理押し付けた。
    「必ず目を通しておいていただきたい。それと、返答は明後日までにお願い致しますぞ」
    その言葉にメレフはあからさまな嫌悪を露わにした。内容など確認する必要すらなかった。メレフは思わずその紙束を突き返してやろうかと身を乗り出したが、彼はそう言い残すとそそくさとカグツチとメレフの前から立ち去っていった。
    その姿を見届けると、メレフは突き返し損ねた書簡を持て余したように眺め、やれやれといった調子でため息をついた。
    「……全く、何度来ようが同じ事だというのに」
    「メレフ様……」
    メレフは何と声をかけてよいかと考えあぐねるカグツチに振り返ると、わざとらしく明るい声で彼女を労った。
    「カグツチ、すまないな。くだらない手間を掛けさせた。……さあ、陛下の元へ向かおう。今後のスケジュールにも影響がありそうでな、お前も一緒に来てくれるか」
    「は、はい。承知しました」
    カグツチはそれについていけず、戸惑いを隠せない調子のまま返答する。しかしメレフはそのまま皇帝の元に辿り着くまで口を開くことはなく、それきり二人の会話は途切れてしまった。


    メレフは書簡に目を通すこともないまま次の朝を迎えた。着慣れた軍服を身にまとい、メレフは寝台に腰掛けたままぼんやりと部屋を眺めていた。しかし、いつもの軍服に着替えてはいたものの、外套は羽織っておらず鎧や手袋も身につけていない、なんとも中途半端な格好だった。
    その日は休日であった。久しぶりに何の予定も入っていない日ではあったが、毎日の鍛錬には赴くはずだった。にもかかわらず、彼女はその日まだ一度も部屋の外へ出ていなかった。約束の鍛錬の時間はとっくに過ぎていて、時間があるのに鍛錬に赴かなかったのは随分と久しぶりだった。皇宮内を歩き回ることでまた議員と鉢合わせれば先日の返答を執拗に迫られるに違いないと思うとただただ煩わしくて、メレフはどうにも外に出ようという気が起きなかった。
    執務用の机上に目をくれる。数枚の紙が束ねられた書簡は、紐で丸められたまま、ころりとぞんざいに転がされたままであった。

    「メレフ様?……失礼致します」
    不意に扉が叩かれ、来訪者の姿がメレフの目に映る。カグツチだった。時間になっても訓練場に現れないメレフのことを心配し、様子を伺いに来たらしかった。
    「おはようございます。……今日はどうなさいましたか?どこか、お加減がよろしくないのですか」
    寝台に座り込んだままのメレフへカグツチはゆっくりと歩み寄っていった。手には温かい茶の入ったティーポットとカップの乗った盆を持っている。カグツチはメレフの側まで来ると、寝台脇のサイドテーブルにそれを置いた。その静かに自分の様子を憂うカグツチへ、メレフは申し訳なさそうに首を振った。
    「いや、そういう訳では……。……すまない、訓練場で待っていてくれたんだろう?」
    だがカグツチはなお優しく微笑むと、膝を折ってメレフへと視線を合わせた。
    「いいのです。ご無理なさらずに、今日はゆっくり過ごされたらよろしいかと」
    「……そうだな。そうするのも、悪くない」
    そう、曖昧な返事を返す。メレフは再び部屋を見渡した。無意識のうちに机上の書簡へと目がいってしまう。興味のない面倒事に貴重な休息時間が費やされてゆく。それが余計にメレフの気を重くさせていった。
    そのメレフの目線に気づいたカグツチが、視線の先へと目を向ける。ただ無言で机上に横たわっていた、開封すらされていない紙筒の姿を見て、カグツチは小さく息をついた。
    「昨日の書簡……まだ目を通されてないのですね」
    メレフはその問いに何も答えなかった。逃避だった。カグツチは諭すように続ける。
    「……メレフ様。何も返さないままでは、相手の方も困ってしまいますよ。……ですから」
    だがメレフはその言葉に僅かに顔を曇らせた。
    「カグツチ……、私は………」
    言い淀む。言葉が続かない。メレフは形にならないそれらを紡ごうと唇を動かし、けれどうまくいかず、しばらく沈黙した。メレフは座したまま、膝の上に組んだ自分の手に目を落とした。
    「……私はこの国に生涯を捧げると決めた。そのような事に時間を取られたくない」
    「時間を取られるのではありませんよ。きっと新たな幸せが加わるのだと思います」
    「そうは、思えない」
    「何故そう思われるのですか?」
    「……それは……」
    メレフはなお言葉を濁す。最早カグツチと目線を合わせることすらできなかった。
    「……メレフ様。お願いですから。私は貴女に『幸せ』になって欲しいのです」
    カグツチは跪いたまま、メレフに訴えかけるように少しだけ身を乗り出した。メレフは心細さを覚えた。それを紛らわそうと、カグツチの方へと自分の手を伸ばし――
    それを悟ったカグツチは、さっとメレフから手を遠ざけた。
    「――ッ……」
    メレフの息が止まる。カグツチが初めて自分に見せた拒絶。そのカグツチの拒絶は、まるで何かに酷く怯えているかのようだった。
    強張ったメレフの表情に、カグツチは即座に強い後悔の色を浮かべたが、それでもそれ以上メレフには近づかなかった。そして、微かに震える唇で、カグツチはやっと声を絞り出す。
    「……失礼、致しました。申し訳ありません。ですが、メレフ様……もう、私にそのような事をなさってはいけません」
    強い否定。突き立てられたその言葉はメレフの胸を貫いた。
    「…………何故……」
    メレフは酷く驚いて、僅かに揺れる瞳でカグツチを呆然と見つめた。そのメレフの様に、カグツチは胸の内にざりざりと擦り傷が出来るような心地がした。
    「分かって……おられるでしょう。私は、……私は『帝国の宝珠』。そして……貴女の、『ブレイド』」
    カグツチの言葉が途切れ途切れになる。絞り出されるそれは真実だった――しかし。
    「私は、……私は、……貴女の……幸せを、貴女が幸せであれば、それでいいと……」
    声の震えが収まらない。そんなものは建前だった。一つ言葉を紡ぐたび、カグツチの中で何か必死に守ってきたものが壊れてゆく音がした。カグツチの澄んだ紺青の瞳がメレフを捉える。
    「……さあ、彼の元へ返答しに行かなくては。………お願いです、どうか………」
    静まり返った室内に、カグツチの哀訴の声が虚しく響く。早く答えてほしいというように。「分かった」と。メレフがそう答えればそれで済む。
    そうすれば、メレフの傍にはカグツチではない誰かが立つようになる。
    「どうか……っ」

    ――もう、二人きりではなくなるのだ。

    「メレフ、様ッ……」
    カグツチは堪らずメレフの胸へと縋り付いた。その勢いでメレフの姿勢が崩れる。メレフは呆然とした瞳のまま、カグツチを捉え続けていた。カグツチの息を吸い込む音がやけに大きく響いた。溢れてしまいそうな涙をカグツチは必死に堪え、メレフに懇願するような瞳でその顔を見つめた。
    「……何故……、何も、仰って下さらないのですか……?」
    メレフのことが愛しくて、愛しくて。ただ、彼女だけの幸せを願ってきた。それに偽りなどなかった。だから、いつか彼女が縛られる時がきたとしたら、ただ祝福して、送り出す。そのつもりだったのに。
    けれど、耐えられなかった。
    「自身がメレフのブレイドでなくなる訳ではない」――それは、カグツチも理解している。しかしカグツチは、彼女の傍に、己ではない誰かがメレフのかけがえのない存在として立つことが、許容できなかった。
    「……すまない」
    涙を堪えながら己に縋り付いたままのカグツチの姿に、メレフは胸を何度も貫かれるような鋭い痛みを覚えた。慰めるように、メレフはそっとカグツチの背を抱いた。
    「……すまない、すまなかったな、カグツチ。お前がこんなに私を想ってくれているのに、こんなにお前を傷つけて、……私は、お前のドライバー失格だ」
    ドライバー失格。メレフにそのような言葉を言わせてしまったことに、カグツチは激しい罪悪感を覚えた。だがカグツチは何も言うことができず、代わりに必死に堪えていた涙がとうとう溢れ出してしまった。カグツチはメレフに顔を埋めたまま、その言葉に首を振った。
    「……私は……、私はお前に酷いことを言わせようとした。お前が『誘いを全て断れ』と言ってくれないかと、……私は、ずっと願っていたんだ」
    一度だけでいい。カグツチが、己を欲してくれたら。それでよかった。だが、カグツチはそれを彼女自身に許そうとしなかった。「帝国の所有物」であるカグツチにそれを求めるのは酷なことだった。メレフは己を嘲るが如く、悲しげに、悲しげに笑みを湛えた。
    「……馬鹿みたいだろう?分かっていた。お前がそう言ってくれないことなど。だが、私は」
    メレフの自嘲にカグツチは拳を握り締めた。それ以上言ってしまえば、本当に壊れてしまう――カグツチも、そして、メレフ自身も。
    「違う――違います……!私も、私こそ、メレフ様を傷つけた。あんな、酷い、ことを……。ですが、私には、そうする、しか……ッ」
    数日前のあの早朝。自分の発言がメレフを酷く傷つけたであろうことをカグツチは理解していた。
    しかしやはりカグツチはあくまで「帝国の所有物」であり、メレフの「ブレイド」でしかなかった。カグツチは立場上、あれ以外に返せる言葉など与えられていなかったのだ。
    「そうだな。……すまない。その通りだ。分かっている。だから、本当にすまない、カグツチ」
    メレフは何度も何度も謝罪の言葉を紡ぐ。それでも足りない。ぎゅうと抱き締めていた腕を少しだけ緩ませ、メレフはカグツチの顔を見た。端正なカグツチの顔立ちは、泣きはらして赤く染まっていた。いつも何事にも一歩引いた態度で臨むカグツチが、こんなにも涙に頰を濡らしているのを見るのは初めてだった。

    記憶が消えながら幾度となく存在が繰り返される「ブレイド」という在り方は特別であり、それ特有の辛い宿命を背負っている。故に、二人はいつか分かたれるだろう。だが、それは悲しいことではない。いつか分かたれるのは人間同士やブレイド同士でも同じことだ。この世に生きている全ての者はいつか別れを経験する。
    いつかメレフがこの世から去り、そしてコアクリスタルへと還ったカグツチが新たなドライバーの元へ生まれ変わるとしても、その運命は「今ここに生きている」二人の絆を妨げるものではない。
    ――妨げるのは、ただ一つ。二人以外の他者のみであった。

    相手を想うあまり、彼女達の心はすれ違ってしまっていた。メレフはカグツチだけを想っていたかったはずなのに、下らないことでそれがかき乱され、その結果こんなにも自分を想い慕ってくれる者の心まで苦しめてしまった。
    だからこそ、今。言うまでもないと思っていたことを、メレフは改めて告げなくてはならなかった。彼女に、自分しか与えられない許し――いや、助けを与えなければならなかった。カグツチの背中に触れていた手にそっと力を込める。メレフは優しい声でカグツチに語りかけた。
    「……だが、やはり私は、お前以外の者が私の横に立っている未来が想像できないんだ」
    抱き寄せていたカグツチの身体が硬直する。悲しみで張り裂けそうだったカグツチの身体の震えが、微かに弱くなった。メレフは背中に回していた手を緩め、カグツチの肩を掴んで僅かに身体を離すと、まっすぐにその紺青の瞳を見据えた。
    「……隣にいるのはカグツチであってほしい。いや、お前でなくては駄目なんだ。私と共に在ると、お前は誓ってくれたではないか」
    誓い。メレフの言葉にカグツチは息を飲んだ。幾度となく我がドライバーに告げた言葉。メレフと共にあり、傍にいるという誓いを幾たびも立ててきたことを、カグツチはようやく思い出した。
    「……メレフ、様………」
    カグツチの凍りついていた心が徐々に解れてゆく。胸の内へ僅かに温かさが灯る。カグツチは濡れた瞳でメレフを捉えたまま、確かめるようにメレフへと問うた。
    「……私で……、私で、よろしいのですか?私だけが、貴女のお傍にいて、良いのですか……?」
    その問いにメレフは目を細めてゆっくりと頷く。
    「そうだ。お前だけが傍にいてくれるなら、それでいいんだ」
    そして、メレフは決心して胸に秘め続けていた言葉を口にした。
    「――カグツチ。どうか、私と共に生きてくれ。私の最期の時まで」
    カグツチの瞳が大きく見開かれる。そして、その瞳から再び涙が零れ出した。溢れた雫はカグツチの透き通るような肌を伝い、ぱたぱたと下へと落ちてゆく。カグツチはすうと深呼吸する。そして、目の前で自分を見つめる愛しい者に向け、顔を綻ばせて静かに頷いた。
    「……はい。それが、メレフ様のお望みであるならば」
    カグツチは震える手のひらで、そっとメレフの頰を包んだ。そして恐る恐る、拒絶されない事を確かめるように唇を寄せる。メレフの薄紅に色づいた唇に。
    お互いの唇が触れ合う。唇に伝わる柔らかな感触に、カグツチの胸は高鳴った。メレフもまた、自分に身体を寄せたカグツチの香りに高揚する。カグツチは名残惜しげにそっと唇を離すと、メレフの手袋を付けていない、滑らかな白い手を握った。
    「……先程貴女の手を振り払ってしまった無礼……、どうか、お許しください」
    そしてカグツチはその握った手を持ち上げ、その甲に唇を寄せて親愛の意を示す。そのカグツチに向け、メレフは僅かに首を振り微笑んだ。
    「いいんだ」
    そして、まだ涙の跡が乾かないままのカグツチの頰を、もう片方の手の指先で愛おしげに拭う。
    「……そんなことはもう、いいんだ」
    メレフは、生涯でただ一人己と歩むと決めた者の瞳を、至福の表情で見つめた。その瞳から、たった一粒の涙が伝っていった。
    カグツチはもう一度メレフに口づける。今度は、もっと深く。
    重ねられた唇の隙間から熱を持った吐息が漏れた。二人はお互いの手のひらを組み合わせる。しなやかな指先が触れ合い、そして強く握り締められる。メレフがカグツチの髪を梳く。カグツチの髪が揺れ動き、ふわりと柔らかな香りがメレフに届く。
    とめどなく溢れる愛しさがメレフを突き動かす。メレフは重ねた唇を再び離すと、今度はカグツチの頰に、首筋に、紫紺の髪に、胸元で蒼炎と同じ色を湛えたコアクリスタルに口づけた。
    代わりなど存在しえない、この世界にたった一人だけの、パートナー。母のようで、姉のようで、親友のようで。そして、従者で、己のブレイドで――己と最期の時まで添い遂げる者。メレフはそのカグツチの手を再び強く握り締めた。その手を二度と離さないと決めたいつかの誓いを露わにするかのように。

    そうして長い間、メレフとカグツチは抱き締め合っていた。


    「………承りました。ではすぐに出立の準備を整えて参ります」
    「はい。では、よろしくお願いしますね、メレフ特別執権官」
    「はっ。それでは陛下、失礼致します」
    メレフはネフェル皇帝へと一礼すると、身を翻して謁見の間を後にした。昇降機を使い下階へと降りてゆくと、昇降口の近くで待機していたカグツチの姿が見えた。メレフは開いた扉から出てそのカグツチへと歩み寄ってゆく。
    「……いかがでしたか、皇帝陛下は」
    「いや、それが大笑いされた。結局全て断ったと伝えて、これからも全部断るだろうとも言ったら、すごくおかしそうに」
    メレフはカグツチの問いにばつが悪そうに答えた。ネフェルもかの議員の執拗で個人的な行動には注意を払っていたらしく、経緯を聞くために彼女を呼び出したのだった。
    「……ああ、あの議員の申し入れは今後全て陛下からお断り下さるそうだ。自分の任務に集中して取り組んでほしいと仰せで……。自分の事だからと思ったのだが、彼は最早私からの話は聞きそうもないからと……」
    「まあ」
    そんな個人的な問題で大切な従弟の手を煩わせるわけにはいかないとメレフは反対した。メレフはそれを避ける理由の核心までは告げることができなかったが、国のために働き続け未だ忙しい身であるのは事実であった。彼はそのメレフの事を案じて、それを申し出たのだった。
    「……しばらく議員達から嫌味と小言が増えそうだな」
    メレフは面倒そうに大仰なため息をつき、カグツチはそれにクスリと笑う。メレフは一つ息を吸い込むと、気持ちを切り替えるようにさっぱりとした顔を見せてカグツチへと振り返った。
    「……ところでカグツチ、陛下から新たな任務を承った。以前地熱上昇で封鎖されていた地区の一つが解放される予定だそうで、そこの視察に向かってほしいということだ。すぐにお前と二人で向かうようにとのことだが、問題ないか」
    そのメレフにカグツチは頷き、明るく微笑みかける。
    「承知しました。では早速出発しましょう、メレフ様」
    「ああ」
    メレフは青々と晴れ渡った空を見上げた。楽園へと生まれ変わった巨神獣の上の空は、以前よりずっと高かった。その澄み切った空を見上げたメレフとカグツチの間を、心地よい風が吹き抜けていった。
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