もも肉くるぶしほどに伸びた春先の青草を踏み、足取り軽やかに歩いて行く女性がいる。傍らのヒスイウインディは荷物を背負い、括り付けられた野良ポケモン避けのベルをカランコロンとリズミカルに鳴らしていた。散歩か何かとでも思っているのだろうか。ウインディは女性の少し先を歩いてはニッコニコの笑顔で振り向き、隣に並び立ってはまた歩きを繰り返す。女性はただ歩くのみだが、時折、ウインディをポフポフあしらいついでに撫でていた。
サクサクと青草が踏まれる。
動きやすそうな服装に、ふんわりとした上着を羽織り、護身用だろうか腰に刀を携えた女性は、ふー…と丘の上で立ち止まった。緩やかな坂とてずっと登っていれば疲れるものだ。ほとんどの荷物はウインディの背に乗せているが、それでも舗装されていない野良道は勝手が違う。
チラリと女性が隣を見る。
隣りに並ぶウインディは疲れの欠片もなさそうだから悔しいものだ。まったく…と呟くも、荷物でウインディの背は満員で、まぁ荷物を自分で背負うよりかは…と女性はまた歩き始める。
「はー、まったく…。」
自然のままの草地の向こうに、飛空挺が停まっている。蒸気と電気で動く新旧両方の動力を有した飛空挺は、青空を背に穏やかな時間を過ごしていたようだ。飛空挺から伸ばされたロープには洗濯物が並び、バーベキューでもするのか表にはテーブルが出されている。ネズミ番のニャオハは日向ぼっこ中、伝書用ムックルも日光浴を楽しんでいる。人間にとっては暖かいを通り越して軽く暑くすらある日光だが、ポケモン達には丁度良いらしい。
「アイビー、帰りました。あの町、ご飯どころかまともな薬すらなかったですよ。小麦粉だけはありましたけど、他は何もなしです。」
「おかえり、ハイン。やっぱりイマイチだった?ごめーん…やっぱり次の町にしておけばよかったかなぁ。薬足りる?」
「まだ備蓄がありますから問題ありません。それに、そもそも皆が怪我しなければ私の仕事は増えないんですよね。」
ハインと呼ばれた女性の、瑠璃色の双眼がじろりと他の船員を見る。アイビーの多色性白眼も船員達を見、苦笑い混じりに肩を竦めた。
アイビー率いるシルバー・ホライゾンズは、随分と若い組織である。飛空挺アカシックレコード・クロニクル号、愛称クロニクル号で陸海空を進み、遥か最果てを目指しているのだが、まぁ組織と言うよりちょっとした集団と表した方が良いのかもしれない面が所々に見られる。ハインから見て、組織としての機能は最低限に毛が生えた程度であり、しかし悪くはない連携が足りない部分を補っていた。
船員数も今のところはまだそう多くはない。
年齢層も随分と若く、船員間でのちょっとした衝突も日常であり、組織を運営していくための試行錯誤も続けられている。衝突や試行錯誤はともかく、船医兼情報屋のハインはこの〈即興の連携がとれてしまう若さ〉に度々苦言を呈していた。特性上仕方ないと理解はしているのだが、冒険、司令、そう言う言葉に誘われて来るのは若者が多く、またアイビー本人が気軽に『ねぇ君よければうちに来ない?』と誘うものなので、やはり若者が多くなる。年長者組であるハインですら自称二十五歳なので、もはや組織や集団ではなくサークルと言った方が良いのかもしれない。
若いことはいいことなのだ。
若くなければできないことは、若者当人が想像する以上に多い。だが若いからこそできないことも、それなりに存在する。
「まぁまぁ、ほら、おいでよ。バーベキューしよ!久しぶりにいい所に停泊できたからさ、この景色を楽しむにはやっぱりバーベキューだよ。」
「えぇ。」
「? 何か気になる?」
クーラーボックスから肉を取り出していたアイビーは、素っ気ない返事を返すハインを見やる。瑠璃の視線を追えども異変はなく、荷を下ろしてもらったウインディが駆け回って遊んでいるだけだ。
「いえ。」
「あぁ分かった、ハインが来た時と似てるよね。ボクがバーベキューしてて、ハインが香りにつられてやって来て、そのまま船に乗ってくれたっけ。そう言えばあのお肉美味しかったなぁ。あれ何のお肉?」
「オドシシのもも肉。」
食う?とハインはアイビーを見、頭上の窓を見る。アイビーもつられて上を見上げ、勝手気ままなもう一人の仲間がガン見してきていることにようやく気付いた。頭上の女性はアイビーと目が合うなりニィッと笑い、何が何だか分からない見積書を紙飛行機にして飛ばしてくる。
「もも肉食べたいね!君、やってきたまえよ!あぁアイビー君、蒸気動力炉の軽量化は注文通りに完璧だとも。メラルバの発熱器官を組み込んだから、以前より三十パーセントは軽くなっただろうね。しかしだ。肝心な稼働効率を見ないことには終われんだろう!」
「焼いた方が美味しい。もも肉の蒸しはパサつく。」
「言わずとも分かってるさ、ハイン君。任せたまえよ。グリル同等の焼き加減をお見せしよう!焦げ目もばっちり付くともさね!」
穏やかな風に、僅かな機械オイルの匂いが混じる。動力室で何を弄っていたのやら、機械管理者のメコン博士は上機嫌でレンチを握る手を振り回し、やんやとハインをけしかけた。アイビーはまぁまぁと博士をなだめつつ、ハインも座りなよと椅子を引く。しかしその椅子にニャオハが滑り込み、コロコロと喉を鳴らしてちょこんと座った。
「ま、そろそろ来るでしょ。」
「え?」
「町で不良に絡まれて、ウインディで蹴散らしてきましたから。多分そろそろやり返しに来る。それの連れてたオドシシがとても肥えてましてね。重量アップは戦力アップですが、旨みもアップ。」
「えぇ…のどかな町だったんでしょ?なんでそんなことになるのさぁ…。」
「遊んだだけですよ。」
金でも見かけたのか、指先を擦り合わせる仕草と薄ら笑うハインの横顔。頭上のメコン博士は柵に寄りかかって鼻歌交じりに、双眼鏡を覗き込む。メコン博士のアンノーン達がワラワラと飛び交い、ハインのキュウコンとウインディが並び立てば、なんとなぁくを察したアイビーは、手持ちを呼び集めて敵襲に備えようとした。
「ボクが相手をするよ。ハインはいつも通りにしていいよ。」
「ではそのように。相手の連れにマルヤクデがいるので、それを捕まえて貰えますか。博士が欲しがってた。メラルバとマルヤクデ、どっちが熱いか試したいんですって。」
研究熱心な博士が『来た来た!』と笑う。
アンノーンが輪を描くように飛び、ペタリと飛空挺の壁に張り付いた。アイビーの相棒であるシルヴァディは地面を引っ掻き、敵襲者を迎え討たんとやる気十分らしい。
他の船員達は完全に観戦モードだ。
丘から爆走してくるオドシシと、それに跨った不良を見てやんやと騒ぎ、後続の不良仲間を見てはあーだこーだ話している。その内の一人、つい最近入団したばかりの若者がふと何かに気づいて口を開いた。
「ハインさんって医者っすよね?戦うんすか?」
すると隣にいた先輩風を吹かす男が苦笑い混じりに教える。
「あの人が一番血気盛んだよ。ルール無用のバトルすんだ。見境なしに吹っかけはしないがねぇ、売られた喧嘩は片っ端から買うんだよ。あの不良連中も可哀想に。共通ルール通りバトルに負けて金を取られるだけなら良いが、あの人は欲しいものがあれば分捕るぞ。」
「いいんすかそれ。他人のポケモン…。」
「パンピー相手にはやらねぇよ。あの人、情報屋だぞ?どうやってんのか分からねぇけど、悪いやつを見抜くのが上手いんだ。」
そう話している合間にもオドシシとシルヴァディがぶつかり合う。アイビーが手馴れた様子で指示を出し、阿吽のコンビネーションで相手を怯ませていた。その横でハインは唐突に駆け出し、オドシシに指示を出している不良に殴り掛かる。
「あっは!!貴方、賭け事してるでしょ!金の匂いがする!」
振りかぶられる拳は的確に不良の弱点を殴りつけ、主人のピンチに気付いたオドシシが、アイビーとシルヴァディとのバトルを放棄して駆け戻ろうとする。しかし背を見せた瞬間に、シルヴァディに吹き飛ばされた。吹き飛ばされて転がった先は、不運なことに意識を失った男を見下すハインの傍だ。
「バーベキューのメイン。」
ハインはにっこりと笑って躊躇いなく刀を抜き、オドシシの耳の下、首との境目に深く切り込んだ。不良の連れは一目散に逃げ出し、それをウインディとキュウコンが追いかけて行く。十分とかからず平穏を取り戻したホライゾンズは、不良の懐を漁るハインを横目にバーベキューの支度を進め始める。
「ハイン、収穫はどうかな?」
「上々。ほら見て下さいよアイビー。この人こんなにお金持ってる。あはは、すごーい。でも欲しいのはこれじゃなくて…あった!高濃度鎮痛パッチ!これ製造終了しちゃってて、裏ルートからしか買えないんですよねぇ。」
「不良の溜まり場に行ったら、もっとあったりするかな?」
「あると思いますよ。きっとあるでしょうねぇ。鎮痛剤パッチ、まぁクスリなんですけど、これが流れてるってことはどこかの団の部下でしょうね。蓄えの量によっては事件性があるかもですよ。」
「それなら確認だけでも行こうか。ジャヘナ団の手掛かりがあるかもだし。」
「見た目としては物流センターって感じです。警備はザル。のどかな町の全体があれの関係者ですね。」
「ハイン、そんなところに買い物行ったの。」
「アイビーも行けば分かると思いますよ。守る範囲が大きすぎて警備がザル、農民を買収しただけの素人仕事。しかも旅人が立ち寄る街道上にある町ですから、余所者に対する警戒心が薄くて薄くて仕方ない。取ってください盗んで下さいって言ってるようなものですよ。」
ニコニコと笑って鎮痛パッチの小箱を手に、ハインは自分の席へと戻って行く。メコンも降りて来てハインの隣に座り『お、それもしかして!』とパッチを見ていた。キャッキャと騒いでいる二人を見守りながらアイビーは肉を焼いて野菜を焼いて、網の真ん中に新鮮なオドシシのもも肉をセッティングする。ハインが言っていた通り、不良のオドシシには脂がよく乗っており、すぐに美味しそうな香りが漂い始めた。