Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    poidf

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 30

    poidf

    ☆quiet follow

    !!!

    【折り込みチラシ】
    水仙香る丘の上に、一本の木が生えている。
    その梢には艶やかな若葉が茂り、昨日産まれたばかりの雛が寝る巣を優しく隠した。野生の牝鹿が新芽を食みながら丘を歩き、後を追う小鹿二匹はあちこち跳ね回って遊んでいる。春の日差しは麗らかに降り注ぎ、咲き揃う花々は鮮やかな絨毯のようだ。花々の合間を縫う小川は一跨ぎ程度の幅しかないが、豊かな雪解け水が勢い十分で流れていく。

    げに美しき春の午後…と、それらしき詩にでも歌うべに光景に、場違いな軍人達は粗雑に笑う。着崩した軍服、腰のなまくら、そして大音量のマイムマイム。曲に合わせて椅子取りゲームをする様子はなく、かと言って踊るわけでもなく、ただ垂れ流して春の雰囲気を崩すだけ。花見の泥酔に近しい騒音に鹿の母子は森へ逃げ戻り、二度と顔を出さなかった。

    「隊長〜、そろそろ何か来ないかなぁ!暇だな!」

    暇だな!と笑う部下の声を聞き流し、朝刊を手にしたハインは木陰に座る。

    春の日差しも垂れ流しマイムも、硝煙まとう軍人達のやかましさも、何もかにもを無視した彼女は朝刊片手に呑気なものだ。マイムマイムで遊ぶ部下達を注意するでもなく、戦時下なのだからと不謹慎を咎めるでもなく、放任的に寛容だった。

    ぱさり、と朝刊が広げられる。
    一面を飾るのはやはり戦争の記事。民衆に向けたそれは幼稚であり、末端戦場の一時的な状況しか得られない。まぁ民衆が好むのはエンタメだ。だからどの新聞社もエンタメ色の濃い戦争記事を書く。

    見慣れたそれらを鼻で笑って、ハインはぺらりぺらりと読み進めた。

    ここはヴァロワーナ王国の国境。
    通称“祖国の縁”と呼ばれる、郊外の丘陵地帯だ。国の花である水仙の群生地が広がる、国境近辺ゆえの警戒区域。すぐ外には緩衝地帯が広がり、山向こうには敵国“ランター帝国”が鎮座する。

    戦争が始まって約半年。
    国内外に衝撃が走って半年も経ち、人々はすっかり慣れてきた。当初は一枠丸々戦争関連だった番組も、今や時事として数分報道するのみになった。路地で遊ぶ子供達は兵士を模して枝をぶつけ合い、少年は兵士に憧れて…青年となれば就職先の一つとばかりに志願する。

    日常の一場面となる程度には慣れていて、その一場面をスルーできる程度には無関心。自分達の国の有事ながら、どこか遠くの他人事。だからたった半年で戦争はエンタメになってしまった。

    だが、とある人種にとっては待ちに待った現実である。

    その一人であるハインは規律を少し違反しつつも有用性を示し、そこそこ図太く悠々自適に、そして嬉々として争う日々を送っていた。彼女の率いる部下も嫌に強かな戦闘狂ばかりで、戦績優秀な闘犬集団として戦場を駆けている。

    火力は優秀。
    火力だけは優秀なのだが、しかし手網の切れた暴れ馬。ゆえについたあだ名は〈食い破り小隊〉との攻撃的なもので、そんな評価の特攻部隊が大規模作戦に組み込まれるわけもなく。国の縁の防衛任務と託けた厄介払いの後、現地でお好きに状態だった。とて、仮にも国王の保有する軍隊。律儀にもそれらしい命令は送られてくる。どこそこの夜間巡回をやってくれ、あそこの監視を一晩頼む、物資輸送車が通るから護衛するようにだのなんだの。

    まぁ、形だけの命令だ。

    だからハインは『この場は都市から遠く、娯楽に欠けます。次からは新聞も配達して貰えませんか』と形だけ整えたお手紙を出してみた。軍司令部担当者からのお返事は…ハインが木陰で朝刊を広げているのだから、そう言うことだ。毎朝、毎夕、基本的に送ってきてくれる。

    つまりは暗に『送ってやるから大人しく、その場を離れるんじゃない』である。

    「来た!隊長、客が来たぜ!!」
    「お出迎えどうぞ。」
    「よっしゃ!行くぞ野郎共!!」

    ワッと急に盛り上がる食い破りの猛犬達。
    彼らの首にリードなどなく、飼い主のハインが放任的では制御もされず。副官の大男“大長男リーディ”が声をあげれば、彼らは水仙を踏み付けて走って行く。客とやらが本当に敵兵なのか。それとも郊外の辺鄙な農村から王都へ避難してきた一般人か、もしくは近くの戦場から敵前逃亡でもした自国兵士か…正体を確認するよりも先にリーディ達の歯牙にかかる。丘陵地帯に点在する小さな森の薮向こうで、肉が滅多打ちにされる音。猛犬達の充足感溢れる笑い声。

    そよ風に梢が擦れ、小鳥が鳴いて、新聞をペラリとまた捲る。

    「隊長〜、これスルブ公爵家の伝令者だわ。やっちまったなぁ…お、いい財布。小遣い見っけ。よし、仕方ないから埋めてやるか。」
    「誰宛ての伝令書です?」
    「んー、俺らだ。ほら。ヨナキオオワシの封蝋はスルブ野郎のだったよな。」
    「中身。」
    「んんと待てよ、えぇ、隊長に面会したいと。明日こっちに使者が来るから、よろしくって。前半分は読めねぇや。爵位持ちのご挨拶は小難しくていけねぇな。」
    「明日?なら明日は皆休みで、自由行動にします。」
    「お、よっしゃ、じゃあ俺らちょっと国境向こう覗いてくるわ。帝国人が迷子になってるって噂なんだ。撃って金にして、んで遊んでくるぜ。」
    「街ではお行儀よく。いいですね?」
    「了解了解。」

    リーディは開封された手紙をハインに渡し、仲間達に『その辺に埋めとけ』と大声で伝える。おー、と特段なんとも思っていない返事に、背負っていたシャベルを地にさす音が重なり、十分ほどで無名の墓がまた一つ築かれた。

    やることがなくなった猛犬達は、いつも通り解散してそれぞれに過ごし始める。花畑のど真ん中で昼寝を始める者や、丘向こうの野営テントに酒を取りに行く者、焚き火に肉を突っ込む者など、仮にも戦場とは思えない振る舞いだ。

    「隊長って割と読みもん好きだよな。」
    「リーディはジャーキーが好きですよね。」
    「おう、話し方もお綺麗だったわ。もしかして良家の破門っ子?」
    「普通の一般国民ですけど。」
    「まじ?じゃなんで隊長に。何したらこんな隊の隊長を押し付けられんのか、前から不思議に思ってたんだよ。だって隊長は女じゃん。女なんてこの隊に隊長だけだし、寮の受付嬢は婆さんだし。」
    「軍政適遵検査で最低評価もらって、実技試験で最高評価もらって、性格診断で精神鑑定受けて、指揮官評価会は太鼓判で。他にも色々偏ってるから弾かれました。それに心配など必要ないのですよ。仮にこの隊の誰かが血迷ったとしても、それを処罰する権利が私にはある。」
    「わぁお、悪戯したらサヨナラ今世かよ。おっかねぇ!」

    うはは!と笑うリーディだったが、しかしふと公爵家からの手紙を指さす。数枚の折り込みチラシと一緒にまとめられたそれは、公爵からのものとは思えない扱いを受けていた。

    「んでもスルブはどうすんだ。隊長が一人で会うのかよ。」
    「ええ。お偉い方の相手は何かと面倒ですが…文面を読む限り、公爵家にしてはへりくだった書き方をしています。」
    「そうなのか?俺には分からねぇが…俺らの方が偉いってことか?」
    「まぁそんな所です。別に気にしなくても大丈夫ですよ。皆さんは自由に遊んできてください。相手がスルブ公だろうと、総出で出迎える必要などありません。」

    公爵家すら見下す瑠璃の目は、朝刊の片隅にある名前を見逃さなかった。死者の名が連なる欄の中、最後にあるのは“スルブ・ドライヴ”の大きな文字。続く追悼文は彼に触れるも、優れた青年が惜しくも散った、と思いのほか簡潔に済ませている。限られた欄でまとめねばならない新聞社の都合もあるだろうが…。

    「…ははっ、なるほど。リーディ、明日は人払いを徹底的に頼みます。その後で遊びに行ってくれますか。」
    「おーう了解。」

    鼻で笑いつつ立ち上がり、新聞も封筒もチラシも一つにまとめて、昼間の焚き火に投げ入れる。

    「食い破る準備はできていますか?」
    「おうよ!なぁお前ら!」

    リーディの呼び掛けに、食い破りの獣達が吠え返す。掲げられた軍刀はなまくらだが、相手を叩き潰す彼らにとって問題はない。戦意十分、やる気満々。血を嗅ぎつければ反射的に駆け出すだろう。

    死神にすら喰らいつく狂犬達が、公爵家ごときに臆するなど有り得ないのだ。


    【便利屋の危機】
    なぁ聞いたか?と部下達が話している。
    カザクルマは裏庭のベンチでタバコをふかしながら、ぼんやりと夕暮れ空を見上げていた。彼の隣に置かれた灰皿には、燃え尽きた紙巻煙草の小山が作られ、本日の激務具合を物語る。ここ数日自室に缶詰だったカザグルマは、もそもそと座り直して何度目かも分からない濃い煙を吐き出し、ようやく終わった書類仕事に目頭を押えた。

    時間が流れるほどに増える書類の山。
    床にまで置かれた茶封筒。眠気覚ましのコーヒーを置く場所すら卓上にはなく、しかしカザグルマは丸一日かけてなんとか処理し終えてみせた。手伝ってくれた部下達はヘロヘロになって自室へ戻り、そのまま布団に潜り込んだようだ。カザグルマもそうしたかったのだが、忙しさに焦った精神が落ち着かず、こうして仕方なしにベンチで伸びているのである。

    「今回の噂話、把握していますか。」
    「いや知らない。」

    書類の束を腕に抱えたドロワ副官は、耳の遅い隊長を見やってため息をこぼす。カザグルマ率いる特殊部隊の中核である副官は、呆れ半分に書類の束を漁り、よいしょと夕刊を差し出した。

    「はい、昨日の夕刊。」
    「どれ…スルブ公爵家次男が北部で戦死?驚いた。一時間かそこらの視察計画なのに、最前線まで突っ走ったのか?」
    「らしいですよ。しかもノーデン基地。」
    「貴族の坊ちゃん、クソみたいな度胸じゃん…。」
    「慎ましく家族葬で終わらせたのも驚きでしょ?まぁ噂の種は伯爵家ではなくて食い破りですけど。」
    「また?」
    「えぇ。またです。しかし今回のはいつにも増して火力が強い。次男が戦死した戦場に同席していたとか、次男の仇を討ったとか、椅子取りゲームに誘ったとか。一応は証拠のない噂ですけど、ヴェリラゲーラを食い荒らしたのだけは事実です。」
    「あのヴェリファミリーに手を出したのか?まっさか!」
    「食い破ったようですよ。ほら、ノーデン基地から提出された証拠写真。表門塔から、真っ直ぐ貫いて裏門塔まで。ついでに言うと、この件については報道されてませんから、下手言わないように。」
    「黙ってろってか。そりゃそうか。有数のギャングがこんなんだもんなぁ…りょーかい…ん?だとこれ、俺ら便利屋にも飛び火しねぇか?」
    「まったく、もう少し早く気付きなさいよ。この書類は全部それ関連です。黙ってなんとかしろとのご命令ですよ。」
    「うーわ最悪だ…まぁとりあえず書類貰うわ…。」

    ぽいぽいっと必要な書類をベンチに落とし、ドロワはきびきびと歩き去る。カザグルマの予定を管理している副官は抜け目なく、書類はきっちりホッチキスでとめられ、要所には蛍光マーカーも引かれていた。

    カザグルマは首の後ろを掻き、大きなため息混じりの紫煙を吐き出すと、仕方なさそうにページを捲る。

    自分達”便利屋”は、軍の中でも特殊な位置に置かれている。積極的な参戦を求められず、指定された戦場も持たず、与えられる任務の内容も規模もその都度変わる。ここ最近は火力支援ばかりだったが、命令されれば運送会社にもなるし、偵察や観測も担う万能な“非好戦的”部隊。一般的な部隊では対応できない問題の中には、非好戦的な便利屋だからこそ対応可能な場合もある。

    カザグルマは灰皿に煙草を押し付けると、二ページ目、三ページ目と捲っていく。捲るほどに眉間のシワは深くなり、読み終わる頃にはドロワの名を呼んでいた。呼ばれると分かっていたのだろうドロワはコーヒーを両手に、はいはいと適当に応じつつ戻って来てくれる。

    「俺はさぁ、昇格したいとか思ってないんだけど、ドロワはどうなんだ。」
    「家族に楽させてやりたいですから、チャンスがあるなら稼ぎたいですよ。ただ正直悩みますね。後方職の昇格は胃が痛むだけでしょ。」
    「だよなぁ。ありゃあメンタル崩壊待ったナシだ。給料倍も夢じゃないけどな。」
    「貴方は昇格したらいけませんよ、隊長。」

    カザグルマの特殊な身の上を知っているドロワは、事ある毎に忠告する。それはもう事ある毎に欠かさずだ。それでも物足りないと思うほどには、カザグルマの生まれ持った“モナルヒ”の名は大きい。それは貴族の中でも別格であり、公爵すらもこの名を前に立場をわきまえる。モナルヒ家には爵位も称号も必要なく、ただモナルヒであれば足りていた。

    しかしモナルヒ家はとうに潰えている。
    たった一人のモナルヒは、今やカザグルマだけなのだ。もし誰かに知られればろくな事にならないだろう。

    「副官のお言葉は肝に銘じておりますよぉっと。んだけど今回の任務、それこそ、それじゃねぇかね。遂行するとマズイよな。」
    「…あぁ、えぇ、確かにそうですね。上にとったら思ってもみない好機です。モナルヒと食い破りを同時に抹消できます。失敗したとしても隊長は勲章授与式行き。ついでに昇格。バレるのは時間の問題でしょう。」
    「断っていいか?」
    「断れたらどれだけいいことか。」
    「だーよなぁ、くそ!はー、何か案はないもんかね、俺らのドロワ副官様よ。」
    「なんで貴方はそうも他人事のように…まぁそうですね…うぅん…。」

    ドロワは腕を組んで小首を傾け、うぅーん…と悩み込む。カザグルマもコーヒー片手に知恵を絞り、何とかして任務完了しながらも“便利屋は役に立たなかった”と示す方法はないか考えた。カザグルマの持つ勲章や、ドロワの功績が取り上げられるほどの失敗をやらかしつつ、かつ任務完了せねばならない。その失敗とやらも、あまりやりすぎると制裁を加える理由にねりかねない。不足なしに丁度よく任務を遂行し、かと言ってやり過ぎず程良さげの失敗をする。これぞ無理難題とばかりの条件に、便利屋のトップ二人は頭を抱え込む。

    「…あ、俺思い付いたかも。」
    「うわ珍しい。」
    「ひでえな。でも多分いける。だが別の無理難題がでてくる。」

    コーヒーをグイッと飲み、カザグルマは頭を働かせる。カフェインによりハッキリとする思考は、新たな無理難題の解決策までも思いついた。

    「食い破りと会ってみよう。」
    「…まさか、あの獣達と話し合うと?狂人と?子猫を切り刻んだって話、さすがの隊長も知ってますよね?」
    「根も葉もない噂を確かめる良い機会じゃないか。それに食い破りを何とかしろって言うのが命令だろ?なら食い破り自身に何とかしてもらえばいいんじゃねぇの?祖国の縁ならここから歩いてでも行けるし。夜中の内に行って、話して示し合わせて、急げば夜明け前には帰って来れる。」
    「隊長はもう少し危機感を持つべきです。食い破りですよ?そこまで思考が回るかも分からないのに…言葉は悪いですけど、彼女らが貴方のことを上に報告したら終わりです。彼女らの代わりに私達が“何とかしろ”の対象にされる。」
    「火力的に俺らじゃ食い破りには敵わないのは分かってる。しっかしなぁ…小耳に挟むのは噂ばっかりだ。実際に会ったことはないんだから、狂人かどうか決めるには早くないか。」
    「…隊長のそう言うところ、私も見習わなければと思います。しかし忘れないでくださいよ。下手な帝国部隊よりも危険度が高い相手です。」

    と言いつつも、非常に不服な表情でカザグルマの案を承認したドロワは、念押を繰り返しながら渋々と支度を整え始める。話し合いに必要な書類をまとめ菓子折を添えて、艶のある牛皮の鞄にしまい、護衛に付き添える隊員を何人か集めて事情を説明して…カザグルマの身だしなみを指摘する。いつもの調子に戻った副官に苦笑いをこぼしたカザグルマは、星の輝く茜空を見上げた。

    春も終わりに近い。
    夏がすぐそこまで来ている。しかし夜はまだ肌寒く…遠くからは月に誘われたのだろう犬の遠吠えが聞こえた。

    【スルブの懐刀】
    ことの大きさを思い知らせてやれ。
    公爵のその一言を受け、食い破りは牙を剥いた。場所はノーデン基地のある北方キャフタ猟区。ヴェリラゲーラの支配する高原は、春が終わっても雪が降る。この気温差により甘い野菜が育つのだが、浅い雪にぬかるむ地面は人の歩み鈍らせ、重機を拒んだ。おかげでこの地方の農家は昔ながらの方法を受け継ぎ、重機の代わりに家畜を歩かせて土を耕す。手間暇をかけたキャフタの高原野菜は高級品だ。育てられる農産物は全てが高級品である。車の代わりにロバが荷車を引き、その伝統性が手間暇と合わさってブランド化し、王都では高値が付けられる。

    真夏になるまで雪の降るキャフタでは、食い破りの足も鈍るかと思われた。だが獣は野の歩き方も、新雪の踏み方も知っていた。その結果が〈ヴェリラゲーラの大根城崩壊〉である。

    根城崩壊の数日後である本日未明。
    ハインはまたスラブ公爵家を訪れていた。片手には報告書、もう片手には戦利品を持ち、トントンッと重厚感ある門を叩く。出迎えたスルブ公爵は彼女を自室へと通し、ブラックコーヒーを振舞った。

    「ヴェリラゲーラは恐ろしいマフィアだと聞くが、憂さ晴らし相手に丁度良かったかね?」
    「非常に良い相手でした。帝国軍人を相手にするよりもスリリングです。ドンのコレクションも中々でしたよ。」
    「満足したのなら何よりだ。こちらも望む反応が得られた。我が息子に手をかけたフォーベル伯爵家の長男が、貴官らを恐れて後方へ移動だ。明日にでも療養地行きとなる。」
    「追って殺します?」
    「…私の望みはそうだ。殺してほしい。だが条件は変わらず“再起不能”だ。表舞台に二度と上がらず、名家の泥になればいい。」
    「殺せば没落確定なのに?」
    「またそんなことを。貴族にはな、生きていてこその地獄もあるのだよ。全く貴官は…貴官だけだぞ。私を前に恐れもせず、遠慮もしないのは。」
    「このクッキー美味しいですよ。前のやつよりも好みです。」
    「やれやれ、お口にあったなら何よりだ。土産に持たせてやろうかね。」

    装飾が多すぎて息の詰まる、スルブ公爵家の密会室。どこを見ても金の香りがする室内で、ハインだけが野の香りをさせている。

    「しかし貴官を見た時は自分の目を疑った。今回の件でやっと確信が得られたよ。」
    「それはどうも。」

    両者の初対面は比較的穏便に済まされた。
    祖国の縁に伝令が送られ、墓が建てられ、使者が来て話し合い、ハインが公爵家へ出向くこととなったのである。彼女を直々に出迎えたフルブ公爵は『どこの野良猫だ?』とほんの一瞬顔を顰め言いかけたが、そこはお貴族様。しれっと飲み込みサラリと誤魔化し、おぉよく来てくれたと門を開く。

    多くの権力者や王族貴族と日常的に付き合いつつ、政界内部の派閥争いなどを巧みに操りやり過ごすスルブ公だ。狂人が門を叩いた理由を察する程度、一秒も必要ない。使者を送り、話し合わせ、出向いてくれたのだろうと察するにはコンマ数秒で足りる。むしろ、来るならこの時間帯だろうと予測していた。日付が変わるか変わらないかの深夜帯、スルブ公爵家の正門ではなく裏門でもなく、公の離れのバラに囲まれた裏戸口。使用人も許可なしには踏み入れない、公だけのプライベートエリアならば何かと話題の食い破りも、人目を気にせずやって来れる。

    だから待っていたのだ。

    しかし想像していた狂人のなりと、目の前に現れた狂人があまりにもかけ離れていたので、コンマ数秒『どこの野良猫だ?』と思ってしまった。そのコンマ数秒を狂人は見逃さず、しかし意外にも気づかなかったふりをした。そのまま仕事の話を済ませた結果、食い破りはヴェリラゲーラを一掃したのである。

    「謝礼はここに。それとこれが貴官の欲しがっていた黒巴蛇だ。」
    「へぇ、フォーベルは中々に気弱と見える。もう少し吹っ掛けても良さそうですね。やっぱり追って殺しましょう。産まれたばかりの次男に触れれば、所有権を譲ってくれるかもしれない。」
    「欲しいコレクションでもあったのか?」
    「いえ?特に。まぁ命以外支払うしかないのがあれらの立場なら、せっかくですし取れるだけ取ってやろうかと思っただけですよ。」
    「ふむ。ではお聞きよ。剣を受け取った以上、命は保証してやらねばならんし、交わした約束は守らねば同格に落ちる。黒巴蛇が息子の命に相当するなどとも思っておらんが、フォーゲルは家の象徴を手放した。ならばスルブはこれ以上の制裁を加えはしない。」
    「スルブ・イングランデフ公爵。」
    「うむ、構わんよ。聞こう。」
    「聞くまでもないでしょう。」
    「まぁな。」

    スルブ公爵はモーニングコーヒーを優雅に楽しみながら、メイドの持ってきたスコーンをハインの近くへと置かせる。

    「後方で療養が必要なのは私もそうです。傍から見れば狂人です。精神的におかしいと見なされています。」
    「貴官のそれは演技かね?」
    「いえ。本心の本性でしょう。」

    あっけらかんと狂人であることを認めた彼女は、焼きたてのスコーンを食べ食べ、足を組んだ、スルブは相変わらずコーヒー片手に座るだけであり、平民の無礼や不敬を咎めない。

    古い時計が朝六時を知らせる。
    時計の鐘が鳴り止むと同時にメイドが新聞を持ってきて、そっとスルブに差し出した。小さな森の中に立っているスルブ公爵家の宮殿に、春の終わりの朝日が当たり始め、使用人達が本格的に働き始める音があちこちから聞こえてくる。スルブ公爵とハインのいる離れにも光が差し込み、やわらかな木漏れ日が窓辺に広がった。

    「一週間で帰ってきます。新聞には載りませんし、テレビニュースにもなりません。公のご子息同様、慎ましやかな家族葬で終わらせてみせましょう。」
    「大丈夫なのか?分かっているとは思うが、我々スルブ家と食い破りの同盟は公言していない。ヴェリラゲーラの一件も、君ら食い破りの蛮勇とされている。頼んでおいて言うのもどうかとは思うが、良い評価ではないぞ。」
    「王位を狙っている人が今更何を言っているのです?そも何かあったとしても、私達の発言など信用されないのですよ?狂人の狂言、それだけで全て処理できるではありませんか。」
    「捨て駒にされる可能性を知っていて、貴官は応じてくれたのか?なぜだ?」
    「黒巴蛇、前から欲しかったから。」

    たったそれだけの理由に、スラブ公爵は苦笑いを返す。これが冗談なのか本心なのか見分けられない公には、苦笑い以外に返せるものがないのだ。

    黒巴蛇と名のつく剣を手にしたハインはスコーンを食べ終え、食後のデザートに手を伸ばす。キャフタ産のフルーツに南方のハチミツ、そしてスルブ公爵家の保有する農場で作られるヨーグルトが、お上品なグラスに盛り付けられている。ヨーグルトの上にはクリームが絞られ、柔らかそうなミントが添えられていた。

    「そう言えば公爵。貴方にご紹介したい人がいます。」
    「貴官のお友達かね?」
    「軍の同僚と言ったところです。便利屋部隊をご存知ですか?」

    剣を抜き、朝日に当てて、薄められる満足そうな瑠璃の瞳。その奥には確かに狂気じみた炎があり、しかしスルブ公爵の視線を感じた瞬間にフッと消えた。おほん、と咳払いをして誤魔化したスルブ公爵は、聞き覚えのある名だと答えて先を促す。

    「西部ツェツェルレグ、チュルート基地所属。現在は本部に駐在している後方部隊ですが、近々こちらで活動するようです。」
    「あぁ確かドロワ副官の。一時やっかまれていた小隊だな。」
    「それです。隊長はカザグルマさん。先日、彼が祖国の縁に来ましてね、私達の蛮勇について“なんとかならないか?”と持ちかけてきました。そのついでにノーデン基地で次男が担当された視察計画について、貴方に話を伺いたいと言っておりまして。」
    「ふむ…貴官としてはどうしてほしい?」
    「どちらでも構いません。表向きはマフィアの急襲による不慮の事故。事実はフォーゲル伯爵家の企んだ暗殺事件。都合の良い方をお話すれば宜しいでしょう。本部に報告書が行ったところで、何の問題も起こりません。なにせ貴方はスルブ公爵その人です。」
    「遠慮はいらん。今更だ。」
    「誘いたいです。」
    「よし。良かろう。」

    スルブ公爵は深く頷き、どしりとソファに座り直す。スーツの襟をぴしりと直し、指の宝飾を煌めかせ、艷めく杖を傍に深く頷いた。ハインはヨーグルトにハチミツをたっぷりと掛け、緑豊かな貴族の庭を眺める。祖国の縁には水仙ばかりでどうにも荒し甲斐がないのだが、この庭なら楽しめそうだった。

    「メープルシロップありません?」
    「客人に出せる質のものがないんだよ。西の森に農薬散布されたろう?あれのせいで配送が二ヶ月伸びた。」
    「そこまでの味覚はもってないので、何でも良いですよ。」
    「ふむ、では使用人のものを持ってこさせよう。次までには良いのを食べさせてやろうさ。」
    「そんなに違うものですかね。」
    「食べたら分かる。辛味がないんだ。」
    「甘いのに?」
    「うむ。砂糖の辛味があるんだよ。いいから次まで待っていなさい。」

    子猫を切り刻んだ狂人の手に、切れ味鋭い剣が握られている。その視線は開け放たれた窓の外に見える、庭の雄鶏に定められていた。狂人はスプーンを咥えたままスッと立ち上がり、無言で鶏を指さす。スルブ公爵はやれやれと頷き、次の瞬間、黒巴蛇が撃ち出されるようにして窓枠を越えた。

    「…やっぱりこの剣、良いですね。」
    「ご機嫌で何よりだ。鶏は持って帰るかね。」
    「はい。血抜きだけここでしていきます。」
    「好きにするといい。懐刀の悪食癖程度、スルブの名において許そうさ。」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤❤❤💖💖💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works