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    バートル編
    5.11 馬場の喧嘩、追加
    5.15 破煙、追加

    忘れし故郷/馬場の喧嘩/破煙「なんでこうなってるんだ…。」

    揺れる寝台電車のコンパートメントで、カザグルマは心の底からのため息をつく。頭上のラックには物の良さそうな鞄が一つ置かれ、床にはキャリーケースが倒してあった。磨りガラスの向こうを売り子が横切り、新しい同僚が何かを買いつつ一言二言の言葉を交わす。

    (…さぁて一難去ってなんとやら。)

    ガラリとドアが開けられ、カップケーキを手に上機嫌のハインが相席する。彼女の手荷物は小さなキャリーケースと剣一本、本が一冊だけだ。それは荷物番よろしくとばかりに置き去りにされ、仕方なくカザグルマが面倒を見ている。

    カザグルマ達の乗り込んだ寝台列車は、南方ザドガド楼区中央駅を出発し、西部ツェツェルレグ渓区の王都バートルを目指して進んでいる。一等席を陣取っての旅路は快適そのもので、三日かかる道もあっと言う間に残り数時間。昼過ぎには王都バートルのマーマ・ヴァロワーナ駅に着くだろう。

    「カザさんカザさん、ほらカップケーキ。次に通過する町の名産なんですって。メープルシロップ味と、プレーンと、あとミルク味。どれがいいですか?」
    「残ったやつをもらうよ。ありがとさん。」

    ニコニコと楽しそうな同席相手は、コンパートメントで大人しくできないようで、列車内をあちらへ行ったりこちらへ行ったりと動き回っている。まぁ確かに二人の乗り込んだ寝台列車は車両数が多く、観光列車としても走っているので暇を潰せる場所は多い。展望車で出会った人とその場限りの縁で談笑し、食堂車で食事を堪能し、気になった料理は別途詰めてカザグルマに持ち帰る。今日はバーを覗いて一杯楽しんだのか、お土産用のリキュールの小瓶がポケットから覗いていた。

    列車を探索するハインに対し、カザグルマはコンパートメントで静かに過ごしていた。彼は南方ザドガド楼区の総指揮官から、国王へ提出する報告書を携えた使者としてここにいる。列車の運転手に始まり、先程の売り子に至るまで、全ての関係者が『不便は御座いませんか?お暇でしたら何か手配致しましょうか?』と気を使ってくれる有様だ。のんびりと旅を楽しみたいカザグルマは、お構いなくとやんわり断り、最終日にしてようやく静かな時間を勝ち取った。

    (意外に社交的。見たかドロワ、噂もあてにならないぞ。)

    カップケーキをもらったカザグルマは、座り直して一齧り、不在の副官を思ってフフンと得意げに胸を張ったものの、面倒事を思い出してグルグルと考える。

    副官の懸念していた“モナルヒと食い破りを同時に抹消できる好機”とやらについては回避できた。ドロワ副官の報告によれば『では狂人が獣をしつけられるか暫く様子を見ようではないか』と上の一人、南方ザドガド楼区の総指揮官殿は寛容に仰ったらしい。まぁだからなんだと言う話、便利屋には当然とばかりに王へ報告書を届ける任務が舞い込んでくる。恐らく国王に報告書を提出しないといけないのは本当のことで、その使者を誰にするのか悩んでいたのが正しい状況なのだろう。

    “王への報告”は本来であれば、爵位持ちの将校に任される任務であり、儀仗兵やらが付き添う式典的様式も採用される。何せ国王に謁見こそせずとも、国王宛ての荷物があるのだ。相応の運び手と、相応の旅路が用意され、王の権威に恥じないようにと尽くされる。

    だからカザグルマは一等席を得ているのだが…儀仗兵は一人もおらず。四頭立ての馬車も、軍旗も何もなかった。代わりに便利屋の料理人から渡された買い物リストと、副官から頼まれた買い物リストの二種類がある。出立前にリストを確認したカザグルマは、便利屋らしく普段の任務通りに物資輸送をして、王宮の担当者に手渡せばいいかなぁ…と買い物に要する時間を考えて計画を立てた。王都で観光がてら土産を買い込んで、二日後の列車に間に合うように荷物を作って、来た時と同じように帰るだけである。

    それはともかくとして。

    「ドロワ副官って、彼いつもあんな感じなんですか?」
    「いやいつもじゃない。あの件はちょっと厄介だったから、ピリピリしただけだろ。」
    「嫌われたようです。いやー残念。」
    「うちの部隊の要なんだ。許してやってくれな。アイツがいなかったら俺らは何度、上の面倒事に巻き込まれたか。」
    「便利屋は確か…そうですよね、貴方達も上からあまり良くは思われてない人達ですよね。戦士にあらずとかなんとか。」
    「それは今でもたまに言われるなぁ。まぁほら俺ら、別に英雄になりたいとか、祖国のためにとかっての性にあわないし。」
    「そんな感じします。生き残るのはそう言う人達ですよ。私達みたいなのはいの一番に死んでいく。」

    あっはと笑うハインは、スラスラと死んだ部下の名前を上げる。彼女が言うにそれらは死に場所を求めて軍人となったらしく、中には貴族出身もいたらしい。平時において貴族の三男四男は柔らかな穀潰しとしてやっかまれ、戦争が勃発した途端に彼らは“手柄を立てて家の名を上げる”為に軍学校へと入れられる。長男を死なせるわけにはいかず、しかし将校には箔がつく。であれば次男以下を戦線へ送り、長男次男は後方で予め用意されたポストに就けば良し、だ。

    「あぁ多いよなぁそう言う事情を抱えてる奴。俺の所にもいるけど、あいつは自ら爵位を捨ててたっけな。権力争いにウンザリしたんだとさ。」
    「カザさんは?」
    「俺?俺はただの軍人よ。世渡りに自信のある一兵士。」
    「ふぅん…ま、いいですけど。」

    カップケーキを咥え、ハインは軍服をフックに掛ける。

    「国王宛ての報告書を預かって、カザさんは何もなしにお届けするつもりで?」
    「そのつもり。西部の軍事担当者に渡して終わり、謁見なし。何かしないといけないことでもあったっけ?」
    「噂ですけど、北部戦線が優秀な伝令兵を探しているとか。それこそ王都への機密文書を一人で運べるような優秀なのを。」
    「…うーわ最悪…。」
    「あははっ、大変そ。」

    カザグルマはラックに置いてある鞄をちらりと見て、あー…と腕を組む。

    貴族間の権力争いでたまに聞く手法だ。
    戦地では補給線や司令塔、そして伝令兵が狙われやすい。故にあえて邪魔な貴族にその役を押し付け、殉職しましたと片付けるのである。本当に殉職だったのか、人の手によるものなのかなど現場以外に知りようがなく、スルブ公爵の次男もこの手法により死んでいた。

    「はー…いい景色…。」

    現実逃避を始めたカザグルマに、ハインはただ笑うだけ。三日で慣れたカザグルマは王都郊外の田園風景をぼんやりと眺め、ふと昔の記憶を思い出す。

    燃える離宮から飛び立つ鳩の群れ。
    月を隠す黒煙と、鳴り響く警報音。
    崩れるドームは地を揺らし、モナルヒの血が瓦礫の隙間から滲み出る。しかし田園都市はそ知らぬ顔で、夜の静寂を乱さなかった。どこから火が出たのかも、闇夜の中にあった人影が誰なのかも、破られなかった静寂に隠されたまま。

    今も尚モナルヒの名前だけが、この西部には残されている。

    「任務、どうされるおつもりですか?」
    「やるしかないだろうな。紛失しましたで済めばいいが…無理だろ。仕事は仕事だ。そこに乗ってる悪意だけ退けたいがなぁ。」
    「カザさんカザさん、あのですね?この列車の三車両目に、汚名払拭に燃える若い将校さんがね、いるんです。」
    「…名指しの任務を譲れって言わないよな。」
    「フォーゲルさん家のご長男!」
    「渦中じゃんか。」
    「次男は産まれたばかりですから、彼は兄として今必死。貴族は大変ですねぇ。ご兄弟の評判まで背負わないといけない。あはは、諸共没落すればいい。」
    「…あんた、それがターゲット?食い破りってそんなことまでしてんの…やめとけよ。上に知られたら打首待ったなしだぞ。」
    「大丈夫大丈夫。殺しません。あっちが勝手に死ぬだけ。」

    ケタケタと楽しそうに狂人が笑う。
    カザグルマはドロワに謝り、この場のしのぎ方を必死に考えた。

    フォーゲル伯爵の噂は知っている。
    ヴェリの一件以降に精神を病み、若くして西部の療養地に下がると小耳に挟んだ。伯爵家には今の所、跡継ぎは長男一人しかおらず、今年の冬に次男が産まれたばかり。また伯爵の娘が同格の伯爵家に嫁いで約十年たつが、そちらは子宝に恵まれず。失礼ながらに今後がやや心もとない状況にある。

    この“子供の少なさ”は跡継ぎ問題だけならず、家の栄誉にも関わってくる。それこそ今時代がいい例だろう。周りの貴族達が戦地で栄誉を手にしている中、フォーゲル伯爵家はまだ何も得られていなかった。せっかく己の領土を含む北部地帯で激戦が繰り広げられていると言うのに、他の土地の貴族ばかりが名を上げる。戦闘による土地の荒廃、田畑を失った民への対応、そして支払わざるを得ない損失ばかりで、武功の一つも家に入らない。

    戦争は一攫千金だ。
    ヴァロワーナの国力は疑いようもないが、それは外から毟り取る場合にのみ。内側の味方が活躍すればするほどに、同じ場で戦う味方の旨味は減る。祖国への貢献だけで戦えるのは平民の特権であり、貴族はもっと複雑な世界での活躍を強いられる。

    平民出身の戦士が大活躍すれば、貴族に成り上がるかもしれない。フォンの称号も夢ではない。しかしそれらを既に所有する貴族は、それ以上を求めるし求められもする。

    国の一大事において名の残せなかった貴族など…価値があるのだろうか?

    「駅が見えてきましたよ。」

    いつの間にやら長閑な景色は流れ去り、活気溢れる王都が迫っていた。

    (…バートルも変わったなぁ。)

    国内一の大平原に栄える王都バートル。
    カザグルマがここを離れた時、彼はまだ青年になったばかりだった。思い出は年月と共に掠れ、ドロワ達と出会ってからは思い出すこともなく、無意識に避けていたせいもあって把握していなかった。

    「邪魔する。南方からの使者がここにいると聞いて来た。話がある。」

    若い男の無遠慮な声。
    伺いもなく開けられるドアに、踏み込んでくるその足に。ハインは目を薄めて愉快そうに笑いつつ『流石はお貴族様、堂々としていらっしゃる』と喧嘩を売った。ぴくりと反応した若い男だったが、相手が女と分かるや聞き流し、失礼と言って隣に座る度胸まで見せる。

    「使者の役を譲ってもらいたい。貴族として、国王への遣いは責務だ。」
    「あーその…いやこれはそこまでのあれじゃなくて…。」
    「貴官、所属はどこだ。礼は支払う。」
    「食い破りですこんにちは!」

    にゅっ、と狂人が満面の笑みで割り込んでくる。食い破りと聞いた途端に男は硬直し、明らかな拒絶を見せた。

    「誰が相手でも食い破ります。どこまででも追いかけます。あと今ヴェリのコレクションを探しています。戦利品として持ち帰ろうと思ったのに、どこかの誰かに取られたみたいで。そいつが次のターゲットです。」
    「ヒッ!し、知らない!」

    バタバタと出ていく男を笑って見送り、カザグルマの視線に気付いて肩を竦め、狂人は静かに座り直す。

    「…王都では大人しくな。」
    「はい。」

    ​───────

    西部ツェツェルレグ渓区。
    王都バートル、チュルート要塞。灰色の巨人と呼ぶにふさわしいこの要塞は、王宮へと続くアクロポリスの道〈キングスロード〉を跨ぎ、身をもってして王の門番の役を背負う。

    凱旋門を模した大門に跳ね橋がかかり、門の上には国王一族を表す紋章が掲げられている。要塞をぐるりと囲む堀は深く、落ちたらそう簡単には這い上がれないだろう。巨人のようにそびえ立つ要塞の外壁の厚さは軽く十メートルは超え、所々には一坪程度のベランダが張り出したかのような見張り台が作られている。いかなる攻撃を受けようとも崩れ落ちるなど有り得ない、バートルが誇る重厚な建築物の一つ。それこそがヴァロワーナ王国軍本部チュルート要塞だ。

    その要塞の裏手。
    小雨に濡れた馬場近くで、カザグルマは仕事を無事に終えていた。近衛兵が荷物を受け取りに来て、ご苦労とだけ言って踵を返して行ったのだ。呆気なく去り行く彼らの姿を見送ったカザグルマは、巨大な影を落とす城壁を見上げて煙草をくわえる。

    (…はっはーん…あれ報告書じゃねぇな。)

    ジッと煙草の先が燃え、ミントの香りが混じる煙を吐く。形だけでもシャキッとしなさい!とドロワが選んでくれた服のお陰で、なかなか様になる光景だ。馬場や畑、訓練場のある要塞外軍用地地を囲む厳つい鉄柵の向こうには、忙しそうに道を行くヴァロワーナ国民が歩いていた。立ち止まっている若い娘達はカザグルマを見て『見て、軍人様がたそがれていらっしゃる!』と控えめながらの黄色い声を上げていた。しかしそれはカザグルマに届かず、届いたとしてもカザグルマは生娘など相手にしないし興味もない。愛想良く笑ってサヨナラだ。

    (スルブ公爵の私通か?いや、だとしたら一言教えてくれるもんだろうな。私通なら私通で丁重に扱わねぇとだが…なら中身はなんだ?)

    対応してくれた近衛兵は一応本物のだった。
    見習いでもなければ門番でもなく、王を守る一人前の近衛兵だ。しかし王への提出物を一人で受け取るなどベテランでも有り得ない行いであり、二人ないし三人で受け取れ!と例外なしに定められている。その上に周囲には小隊が列を作り、真っ赤なビロードのクッションに報告書を載せる、時代遅れな儀礼もあるのだ。

    まぁ無事に仕事終わったし…とカザグルマは煙草を携帯灰皿に押し込んで、買い物リストを片付けようと歩き出す。しかし馬場エリアの入口付近で喧嘩をしている人物に気付き、彼は大慌てで走り始めた。

    「…いや、待て待て…。」

    走り始めた両足は三歩も行かずに止められる。
    幸いにもカザグルマは〈これは近寄ってはならない〉と気付いた。ドロワの忠告が身を結んだのか、あまりにも見覚えのある剣がそこにあったからなのかはともかく、近寄ってはならないと自分自身の足に言い聞かせる。

    争っている二名の両方とも、カザグルマの知っている人物だ。

    健康的な明るい赤毛短髪に茶の瞳。
    着ている服の装飾は少ないが、布の質が見るからに違うと分かる。握られた剣の煌めきは名刀のそれであり、間違っても馬場で解き放つものではない。しかし解き放ってしまうほどの焦りと怒りを抱くフォーゲル伯爵家長男坊に、相対するハインは意外にも抜刀していなかった。鞘で弾いては小突いて跳ねて、茶化しと挑発を繰り返している。かと思えば長男がよろめいた瞬間に彼女は一歩踏み込み、鳩尾を柄の先で突き上げた。ぐらりと傾いた長男はやたらめったらに剣を振り回したが、とっくに身を引いていたハインは鞘先でトントンと地面を叩き、相手が立ち直るのを待つような仕草を見せるだけだ。

    深くに突き刺した一手。
    そこで喧嘩が決着した。

    もし戦場だったら長男坊は死んでいる。
    数々の戦場を渡り歩いたカザグルマの目はハインの剣を良く見ており、彼女が柄で突いた時の角度が殺意のこもったものだと理解した。躊躇いなく繰り出された、鳩尾から上方向へと突き上げる力任せの重い一撃。真剣であれば肋骨を避けて体の奥を斬り裂き、心臓にまで届くだろう一撃である。

    長男坊も理解したようだ。
    相手は己を殺す腕を持つ、と。

    「そのブローチ、ヴェリのドンコレクション…。」
    「やる、やるから近寄るなッ!!!」
    「貴方の剣ってアグレクション?」
    「何でもやるからッ!やるから!!!」

    カシャンと剣が投げ捨てられる。
    腰を抜かしたまま後ずさる長男坊の元に、どこかに置き去りにされていたのだろう付き人が大慌てで駆けつけて肩を貸す。ばいばーいと見送ったハインは剣とブローチを拾い上げ、カザグルマに手を振る。

    「カザさん。」
    「あーあー、俺は何も見てないからな。」
    「残念。」
    「訴えられるぞ。」

    カザグルマはゆっくりと新しい煙草に火をつけて、今度こそ買い物リスト消化へと歩き出した。誰にも見られていないことを確認し、馬場を抜けて街中に紛れ込む。私服姿のハインは黒巴蛇とアグレクションに上着を巻き巻き、やや雑にも隠していた。

    「お家の威厳を守るためにマフィアを使ってあれこれするの、最近は結構多いですね。」
    「へえ。」
    「元ヴェリ連中が今日の食い扶持稼いでるのかなーなんて。」

    んはー、と紫煙が吐き出される。
    商業区へ向かう石畳の小道を歩いていたカザグルマは、ふと来た道を振り返った。

    心地の良い初夏の日陰から、春の名残を感じさせる雲を見上げる。少し視線を下げれば堂々たるアクロポリスがそびえ、王宮の尖塔が天を示していた。尖塔で揺れる旗の模様までは目視できないものの、そもカザグルマとハインには目をこらす必要などないのだ。ヴァロワーナ国民であれば態々見ずとも、王家の象徴くらいは描けるように育てられる。家なき者も幼子も、老いも若きも筆を握ればサラリと描く双頭の獅子。

    草原の王ヴァロワーナ。
    金の爪に銀の牙、そしてコバルトの双眼を前に、草原は頭を垂れて豊穣を約束した。らしい。

    「国が腐る原因はいくつかあります。王位継承権争いや流行病、国交不安定からの戦争勃発、または平和な時期が長すぎたゆえの飽和。昨今の風刺画を見てわかる通りです。風刺対象が他国なだけまだ良いかもしれません。」
    「太った子ヤギが王冠被ってるやつな。ランターは信仰心は悪魔のなんとかってラジオでも言ってた。」
    「神の名前は昔から伝わる便利な口上です。聖戦だとか言い始めたら末期ですよ。」
    「この前どっかの隊長が言ってたぞ。」
    「あはは、おめでたいこと。人の世に聖戦なんかありませんよ。」

    国が腐る原因を、カザグルマやハイン等の末端軍人が知っているのだ。であれば司令本部や参謀本部の面々が気付いていないわけもなく、何かしらの対策を考えていそうなものである。しかし現実は思う通りにいかないのだろう。ランターとの戦争はだんだんと過激になり長期間し、ヴァロワーナもポロポロと腐り始めていた。都市部における物価の上昇はまだ『いやねぇ』程度なので余裕があり、工場の稼働時間増加は賃金増加で納得してもらえている。

    ただ少し気になるのは鉄道ダイヤだ。
    軍用に組まれた鉄道ダイヤは開戦時に比べて密度が増しつつあるが、庶民の生活に大きな影響を与えていない。運ぶ物もあり、運べる列車があり、時間通り運行できている。それに幸いにもヴァロワーナは現時点において防衛側。国の外に鉄道を敷く手間も、馬車や軍用車に荒れた道を走らせる必要もない。戦線移動と共に物資倉庫を移動させずとも、その場その場の工場や街の倉庫から必要数を補給できる。

    「ランター内部は知らねぇけど、うちのは王家と言うよりは貴族間の権力争いが問題だよな。」
    「ですね。」
    「この前…どこの家だったか忘れたけど、俺らに舞踏会の招待状を届けに来た貴族が居てな。ドロワが苦労して断ってくれたが…コネ目当てってのが明らかすぎる。」
    「副官は本当に優秀でいらっしゃる。私それ受け取っちゃいましたよ。」
    「マジ?てか食い破りを舞踏会に誘う猛者がいたのか。」
    「リーディも同じこと言ってました。俺らを誘ってくれる奴がいるのかよって。けど今ひとつな子爵でしてねぇ。少し話してそれっきりです。」

    多分戦争を越えられないんじゃないかなぁ…とハインは小さな飴屋を覗きつつ呟いた。買い物リストを確認し直したカザグルマは、飴屋の砂糖を一袋購入し、配達を頼んで次の店へと向かっていく。

    「まぁ一部軍人や国民の思いを代弁するとしたら、早く戦争を終わらせろに尽きますよ。しかし貴族に言ったところで伝わらないでしょうね。武勇だとか栄誉だとか、そう言う騎士的誉れって戦争中以外に得られませんし。」

    棒付きキャンディーをパクリと咥え、狂人はモゴモゴと話した。

    「…?」
    「救急車のサイレンが聞こえますね。馬場の方からでしょうか。多分長男かな。」
    「やっぱお前さんちょっと良くないなぁ…。」
    「あははっ、今更。貴族のプライドはお高いのです。張らねばならない見栄も御座いましょう。」
    「なるほど…長男は全部墓に持っていく事を選んだのか。」
    「彼の命に免じて諸々は黙ってあげますよ。ただ戦時におけるあの死に方は、栄誉ある死からは程遠いものです。悪意を持って捉えるならば、フォーゲル伯爵家の御長男は敵に恐怖し、後方に逃げてきた挙句自ら命を手放したとなります。軍人にあるまじきお姿です。本人がどう考えていたとしても、結局フォーゲル伯爵家は泥を被りますね。」
    「…えぐいもんだよ、戦争ってのは。」
    「同意します。」

    ​───────

    十数メートル先にマーマ・ヴァロワーナ駅がある。

    深夜とあって人通りは少なく、駅前の店はほぼ全て閉まっていた。広場にはガス灯が柔らかな光を落とし、点々と置かれているベンチにぼんやりとした影が落ちている。小雨に濡れた石畳に光が反射し、駅舎が映り込む様子はなかなか美しいものだ。

    マーマ・ヴァロワーナ駅は、ヴァロワーナ王国内でも最古の鉄骨建造物であり、有形文化財としても登録されている。枝葉を伸ばす木々を模して組み立てられた黒褐色の鉄塔は、日光を程よく遮り、駅舎内部に木漏れ日を落とす。正方形のタイルに覆われた外壁は雨風に均されて、時を経る毎に艶めきを増し、上品な雰囲気を滲ませた。二階部分を覆う窓ガラスは人の背丈よりも遥かに大きく、開放感と風通しの良さ、採光効果を最大限に発揮する。

    そして何よりも、駅前の広場に立ち並ぶアンティーク品に近いガス灯と、芸術性溢れる駅から漏れる光の美しいこと。何百年と続く歴史を今に伝え、かつ色褪せることのない光が、戦時中の国を変わらずに照らし出す。歴史に疎い者からすれば、マーマ・ヴァロワーナ駅は単なる古い建物だ。しかし知る者が見ればこの駅は、アクロポリスの王宮とはまた別の意味を持つ〈国の象徴〉である。

    城の門に似た駅の出入口には双頭の獅子像が置かれ、口から水を吐いていた。駅の内部、中央には円形の駅員室が置かれていて、日中ならば荷物の受け渡し手続きや、対応が行われている。改札の奥には広々としたホームが広がり、連絡通路や階段が渡され、沢山の列車が往来するのだが、深夜の今は貨物列車が多い。カザグルマとハイン達が乗る、三十分後に出発する貨物列車兼寝台列車も既に停まっているのだろう。

    しかし二人は駅手前の路地に立っていた。

    「大根城から尻尾巻いてお逃げになったドンの御子息ですよね。こんな夜分にお散歩ですか?お茶でもどうかなぁと思って今日一日ずっと探したのに、隠れるのがお上手なようで感心です。」
    「煽るな…頼むから煽るな…。」
    「それは玩具の剣ですか?それともお父様の?銃を持ってこれば早いのに…あ、近所へのご配慮とか?発砲音って響きますもんね。あはは、お優しい。」

    カザグルマの大きな溜め息が路地に消え、瑠璃の双眼は行く手を阻む黒服の連中を凝視している。凝視されている連中のボスはヴェリラゲーラの後継者、先代の息子だ。大根城崩壊の際に食い破りが狩り損ねた首であり、ハインはこれを探しにバートルまで遥々やって来た。カザの配達や買い出しには興味なく、フォーゲル伯爵家長男坊はついでのこと。本命はこの首だ。

    「北方からの切符がよく手に入ったものです。フォーゲル伯爵家からの報酬とかですか?けど逃亡先としては微妙ですよね。スラムは王都にございませんし、工場区画は別のマフィアの縄張りです。」

    ニィッと笑ったハインが、僅かに重心を低くした。察したカザグルマは懐に手を突っ込み、ドロワから貰った催涙弾を数個構える。息子のボディガードだろうマフィア達と、息子本人は研ぎ澄まされた剣やナイフを手に、やや緊張した面持ちで狂人を見つめた。頭数的にはヴェリが優勢だ。しかし相手は大根城を食い破った部隊の隊長と、この状況下においても冷静な〈国王宛ての報告書を単騎で運ぶ伝令兵〉である。

    「いーちにーさーん…七人。」
    「八人な。相手取るには多過ぎる。催涙弾持ってるから、投げたら駅まで突っ走れ。」
    「分かりました。」

    お?とカザグルマは一瞬驚いた。
    抜刀して敵の数を数えていた狂人が、すんなりと頷いたのだ。だが頷いたのならこれ幸い。カザグルマは催涙弾を投げ、煙にまとわりつかれる前に走り始める。しかし後に続くはずの足音は聞こえない。

    「おい…!」

    振り返った先は、白い煙が立ち込めている。
    大きな生き物のようにうねる煙は刺激性があり、普通であれば目も開けられない。しかし煙の中からは肉を切り裂く嫌な音が聞こえ、ゴトリ、と重い何かが落ちる影もうっすらと見えた。

    「…っはー、完了です。そろそろ列車の時間ですよ。カザさん、ほら行かないと。」

    煙から逃げるように出てきたハインが、パタパタ走って駅へと向かう。息を止めていたのだろう、何度か大きく深呼吸し、改札を通る頃にはすっかり落ち着いていた。

    「あはは、あの首落としておきたかったんです。トップが死んで、跡継ぎが死んで、あとは同レベルのリーダーや野心家のギャングが内部で争い、そのうち自然崩壊ですよ。」
    「お前、催涙弾効かないのかよ。」
    「効きますよ。けど回避は難しくありません。便利屋も使う手だと思っていましたが。」

    ポイッと何かが投げ渡される。
    それはカザグルマが持っていた物と同じタイプの催涙弾と、ごく普通の眼軟膏だ。それで納得したカザグルマは、切符を確認しながら駅構内を進んでいく。清掃業者と遅番の駅員くらいしか人のいない構内は、がらんとしていて静かだった。

    「カザさんが催涙弾を持っていただなんて知りませんでした。私としては自分で催涙弾を投げて斬り込むつもりでいたのですけど、何はともあれご協力に感謝いたしますよ。」

    手についた血をホームの手洗いで流し、小雨に降られて濡れた上着をポンポンと叩く。ホームに入っていた列車はとても長く、山盛りの木材やコンテナ、重機まで載せている貨物列車部分を横目に、やっと指定番号の車両に乗り込んだ二人は、来た時と同じ一等のコンパートメントで一息ついた。

    十分もせずに出発の汽笛が鳴る。
    ガタンゴトンと列車が揺れて走り始め、ガラスの煌めきが美しい駅舎を出ていく。窓から見える景色は暗く、王都バートルの街灯がよく映えた。

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