伝えたい言葉「僕なんて、生まれなければよかったんだ」
小さな肩を震わせながら、そう呟いた彼の身体を、私は掻き抱くことしか出来なかった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
あ、これは夢だと、すぐに自覚した。
今私の目の前にあるのは、真っ暗な闇と、そんな闇に溶け込むようにうずくまっている少年の姿だけ。
非現実的な周囲の様子は、夢以外にありえない。
それに、あの少年は、どう見ても。
「…和泉くん?」
うずくまる少年に、そっと声をかけてみる。すると、小さな方が一瞬跳ねて、その零れ落ちそうなアメジストの瞳を此方に向けてくれた。
その瞳からは、次々と透明な雫が流れていて。
今にも落ちてしまいそうな美しいアメジストに気づいた私は、慌てて彼に近づいてその目尻を優しく拭った。
「和泉くん、どうしたの?どこか痛い?」
夢だとわかっているけれど、彼の悲しむ姿など見たくはない。
大人の彼とは違う、か細く小さな身体を優しくさすりながら私は声をかけ続けた。
そうしてどれくらい時間が経っただろうか。
すっかり彼の目尻は赤くなっていて、その痛々しい姿に胸の奥がずきりと痛んだ。
ようやく落ち着いた、雨のような涙。
何が彼をそんなに悲しませているのか。
それになにより…、何故こんな暗闇の中に一人でいるの?
「…全部、僕のせいなんだ」
「え」
そんな私の考えをまるで読んだかのように、少年はぽつりと、今にも消えそうてしまいそうな小さな声で言葉を紡ぎ出した。
「周りの大人たちが言ってた。僕は疫病神だって」
「僕が生まれてから、父さんも兄さんも悲しい顔をすることが増えたって」
「ぼくが、母さんの命を…奪ったから」
それは、以前和泉くん自身が教えてくれた彼の出生と家族に関係する話で。
「僕のせいでみんなが不幸になるなんて嫌だ。だから、ここまで一人できたのに」
あぁ、そうか。この暗闇は、今まで積み重なって出来上がってしまった和泉くんの「我慢の形」だ。
「…なのに、兄さんが苦しんでいる時に側に居てあげられなかった。父さんの大切なものも充分に守れずに危険に晒してばかりだ」
そして、この少年の形をした和泉景は、まさに彼の「弱さ」そのものなのだろう。
「僕は何のために生まれてきたんだろう。母さんがいてくれれば、2人を助けてくれたのかな」
「ごめんね、母さん…僕は、僕、なんて」
「僕なんて、生まれなければよかったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の身体は勝手に動いていて、気づけばその小さな身体を抱き締めていた。
「…そんな訳、そんなわけ、ないでしょう!」
夢の中だというのに、思った以上に出た声に自分でも驚いた。
けれど、それで言葉を止めるわけにはいかない。
−夢だからなんだ、私は弁護士だ。いつだって正しいと確信している言葉を紡がないといけない。
「和泉くん、貴方は自分が思っているよりもとっても凄い人なんだよ。」
「お父さんの大切なもの、支えるにはとても大きくて苦しいことの方が多いよね?」
「お兄さんのことだってそう。気持ちばかり焦って、姿が見えないのは辛くて苦しいよね」
私の言葉と連動して、彼を抱きしめる腕に力がこもる。けれど、彼は身じろぎもせず、静かに私の言葉を聞いてくれていた。
「それでも、それでも泣き言も言わずに家族を守ろうとしている貴方を私は尊敬しているし、支えたいって思ってる」
「そんな貴方だから、出会えて良かったって心から思う…お母さんだって、貴方のことを愛していたから、貴方に命を繋いでくれたんだって、そう思うの」
「だから、だからね?」
1人になんてならないで
我慢して苦しまないで
…生まれなければよかったなんて、言わないで
そう言葉を告げた、次の瞬間
「…え、」
本当に一瞬だった。あんなにも広がっていた暗闇は消え去り、目の前に広がっていたのはどこまでも澄んでいる青空と、そして
「お姉さん…ありがとう」
−見慣れた彼の、優しい笑顔だった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
「…ん」
何だろう、とても、あたたかい…。
その温もりの正体を知りたくて、ゆっくりと瞼を上げる。
正体を確認した私は、自然と緩む口をそのままに、そっとその温もりに触れた。
「…生まれてきてくれて、ありがとう…大好きだよ、景くん」
いつもは恥ずかしくて伝えられない言葉。だけど、今なら伝えられる。
未だ眠る彼の瞼に優しくキスを贈り、私はもう一度瞼を閉じるのだった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
彼女が眠りについたのを確認して、先ほど見た夢を思い出しながら、彼女の柔らかい頬にそっと触れる。
先程彼女が告げてくれた言葉、もし自分が聞いていたと知ったら、彼女は怒るだろうか。
その様子は簡単に想像ができて、もしかしたらもう言ってもらえなくなるかもしれないと思うと、このことは黙っていた方がいいだろう。
苦笑いを浮かべ、優しく彼女の髪にキスを贈りながら、先ほど伝えたかった言葉を思い出す。
−俺を、真っ暗な闇から救ってくれたお姫様で、本当の自分を見つけてくれた大切な人…。
「…本当に、お姉さんには敵わないなぁ…かっこよすぎだよ」
「俺が欲しかったもの、全部くれるんだから」
「…俺の方こそ、出会ってくれてありがとう。大好きだよ…お姉さん」
不思議な夢から2人が一緒に目覚めるまでは、あと少し…。