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    sushiwoyokose

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    ケ~ンえおすて後のボクロク+グラカイ風味のつれづれ話 グは没後

    波乱の後見慣れた背を、音もなく追いかけている。短い金髪に紅白の革ジャン、ロック・ハワードの後姿だ。やたらと潜められた足音は後ろめたさの証だろう。居候とはいえ、現時点では彼の帰る家はこの屋敷である。ここに連れてこられた当初のロックならば話は別だが、カインに同情めいたものを抱いてしまったらしい今、彼は決してこの場所を警戒しない。
    よく知る男を、よく知る場所で、普段は敵に使うような技を駆使しながら追跡するというのは大層居心地が悪かった。しかし今は非常事態。もやつく胸を致し方ないのだからと自ら宥めて、文字通り足音を殺す。
    (足音が乱雑。歩幅も乱れてる、そもそもふらついてて危なっかしい。あれでよく、外に出ようと思うよ……まったく)
    ロックは武闘に関して、有り余る天賦の才を持つ男だ。故に普段の彼であれば、どれだけ足音を殺そうとも苦笑いをしながら「なにしてんだよ」と俺を振り返るはずだった。しかし今、追いかけている背はこちらを振り向くどころか前に進むのにさえ難儀しているように見える。誰がどう見ても満身創痍だ。それでもなお、外を目指して歩き続ける健気さは、宥めたはずのもやを苛立ちへとあっという間に変えてしまった。
    「つかまえ、た」
    「う、わ……ッ!」
    足音を立てて一気に距離を詰める。ようやく振り向いたロックを抱き込むようにして両腕で捕まえると、素っ頓狂な悲鳴が返ってきた。こちらを見上げる紅眼はすっかり生気を無くしている。赤子のように滑らかなはずの頬はどこか色が悪く、隈も濃い。
    「なんでベッドにいないかな。俺もカインもお願いしたよね? まず身体を休めて、考えるのはそれからにしなって」
    「……それは……その。どこか行こうってわけじゃねぇよ、ちょっと気分転換に散歩、っていうか」
    「嘘が下手って自覚ないの? 目が泳ぎすぎ、それから証拠の隠滅が雑。テリーに会いに行ってるのは知ってるよ。隠しても無駄」
    「……っ」
    息を呑んだロックは、悪事がバレた子供のようにしょんぼりと俯いてしまった。逃げられないと踏んだのか、それともそんな体力がないのか、多少身じろいでいた身体もすぐさま大人しく固まってしまう。常日頃、絶えず口喧嘩を繰り返している「友人」としてこれほど悲しいこともなかった。腕の中にいる友はあまりにも弱り切っている。こんなに強く抱きしめたら壊れてしまうのではないかと、不安が過るくらいには。
    サウスタウンを騒がせた洗脳騒ぎから数日。ケンの尽力により事態は一挙に終幕を迎えたが、残る余波は大きい。殊更ロックは、師であり養父でもある最愛の男を病院送りになるまで傷つけてしまった、という事実にこれ以上なく大きな心の傷を負っていた。身体とて無傷ではない。洗脳を解かんとする皆との闘いによる物理的な怪我は勿論、長く強い洗脳による酷い衰弱も目立っている。しかしロックは、医者による入院の勧告を強く、強く断って、このカイン邸に戻ってきた。理由は、察するに余りある。怖いのだろう。
    「素人目に見ても今のアンタは本当に危ない。病院に入らないなら、代わりにこっちで絶対安静にするって、そういう約束だったよね。それが寝てないどころか抜け出して、あまつさえ病院までの結構な距離を出歩いて帰ってきてる。悪いことしてるって自覚はあんでしょ? 俺が仕事でどうしても抜けなきゃいけない一瞬の隙、ちゃんと考えて狙ってるもんね」
    「う……」
    「そんなに毎日会いたいってんなら今すぐ入院するべきなんじゃないの? 狼と同じ病院入ればいいじゃん。ベッドの位置くらいどうにでもなるでしょ、同室になるように手配してあげる。そうする? それがいいよね」
    「……いや、だ」
    「じゃあ大人しく寝てなよ。分別の付かない年でもないでしょ」
    「……、ごめん……」
    「……」
    まくし立てるようにロックを詰ると、戻ってきたのは反抗ではなく素直な反省の言葉だった。思わず喉を詰まらせて、ため息を吐く。やりづらいことこの上ない。いつものように噛みついてくれたのならまだしも、これでは流石に良心の呵責で胸が痛む。
    「俺もごめん、流石に言い過ぎ。心配してんだ、これでも。これ以上無茶したら、本当にロックが壊れちゃう。ね、わかるでしょ」
    「……。その方がいいと思ってる……つったら、お前は、怒るよな……」
    ロックもまた、腕の中で小さなため息を吐いた。こちらを見上げた紅眼が悲し気に笑うのを見て、思わず力が籠る。スラムで暮らしていた頃、幾度となく目にした寂しい笑顔だ。重なる地獄に希望を失ってしまった子供が、よくこの顔で笑っていたのを思い出す。こんな人生なら早く終わってしまいたいと、終わりを願うその時に。
    「怒る。……捕まえたからには、今日は外に出さない。戻るよ」
    「……うん……」
    苛立ちがなるべく外へでないように。表情を殺して、ロックを肩に担ぐ。かかる重さは記憶よりも軽いような気がした。服越しである以上何とも言えないが、抱き心地も肉が落ちているように思う。
    「……洗脳されてるとき、さ」
    「……うん」
    「意識は、うっすら、残ってて……。だから、全部、覚えてる。テリーに何したかも、全部……」
    「……。今回の件は警察も手を焼いてるって聞いたよ。まず加害者が多すぎるし、被害者の大多数も正気じゃなかった。じゃあ罪とか罰はどうするかってところで、お偉方は頭を抱えてるんだって。天災みたいな扱いでお咎めなしに着地するんじゃないかって噂だけど、俺もそう思う。裁きを考えるには規模が大きすぎるから」
    「そう、なんだ」
    「俺とカインもさ。騒ぎの一報を聞いて、危ないかもってアンタを置いてったのはまずかった。危ないって思うなら傍に置いとくべきだったんだよ、だから……つまり……。別に、悪いのはアンタだけじゃないって言いたいんだけど、それで元気になるなら世話ないよな。正直慰めにもなんないでしょ? 多分、アンタは一層自分を責めるだけ。なんて言ったらマシになんだろ、ずっと考えてはいるんだけどさ」
    ロック・ハワードという男は、苛烈な宿命に弄ばれたにしてはあまりに柔い心根を持っている。その罪が例え、彼自身の意志と無関係に行われたものであったとしても、彼が姿の見えない第三者を糾弾して、保身に走ることはまずない。俺がどれだけ悪くないと繰り返したところで無駄なのはわかっていた。自らの手でテリー・ボガードを追い込んだという事実は覆らず、彼の心は救われない。ではどうしたらいいのか、その答えは見つかっていなかった。素直に迷っていることを告げながら担いだ身体を軽やかに叩くと、困ったような笑い声が耳朶を擽っていく。
    「らしくねぇこと、言ってる。……慰めようとしてくれてんだ」
    「あ、酷いんだ。オトモダチのひとりも心配できない鬼か何かだと思ってる?」
    「思ってねーよ、案外人がいいってのは、よく知ってる。……ごめんな」
    「なんで謝んの」
    「一生懸命考えてくれてんのに、ほっとできねーから……。今、は、だめだ。優しくされると、それだけ痛い」
    背に縋るようにして爪が食い込む感触があった。分厚いジャケットに阻まれて痛みをほとんど感じないことにもどかしさを覚える。そんなことで彼の心痛がほんの少しだって背負えるのなら、いくらだって分けてほしかった。
    「……そっか」
    地を這うような幼年期の中で、無力であることに歯噛みすることなど幾度もあった。けれど、大事なものを少しだって慰めてやれない屈辱はそのいずれにも勝る。募っていく悔しさを悟られない様にそっけない返事を渡したが、胸の奥は荒れ狂って仕方がなかった。本当に何もできないのだろうか。心根の柔さ故、大人にはどうにも強がってばかりいる彼を、子どものまま甘やかすことができるのは恐らく友人である俺ただ一人だけなのに。
    できる限り負担をかけない様にゆっくりと歩いて、ロックの私室を開ける。彼にしては珍しく部屋は散らかり放題だった。物を片づける余力がないのだろう。脱ぎ捨てられた服を軽く退けて、ベッドに身体を降ろしてやると、ロックの手が俺の腕を弱弱しく引き留めた。
    「ん……?」
    「何か、してくれるって、いうならさ……。ひとつ、頼みがある」
    「……俺にできること?」
    「お前にしか……、多分。抑えといて、ほしい。頭とか、腕とか、どこでもいいから……ねじ伏せるみたいに」
    願ってもない頼みの一言に、俄かに過った喜びはすぐさま苛立ちに戻る。何も言えないままでいる俺に、ロックは苦笑して言葉を続ける。
    「変なこと言ってんのはわかってる。なんて言ったら、いいかな。眠りに落ちる時って、意識がふっと消えるだろ。あれが、操られる時の感覚によく似てるんだ。それが、今……本当に怖くて、寝ようと思ってもあんまり寝れない。でも身体のどこかが抑えられてると、マシになる。物に潰されるみたいにして寝るのが一番寝れたんだ、だから……」
    「……、わかったよ」
    平坦な声音の返事に、ロックは首を傾げてこちらを見上げた。籠っている感情が見えなかったのだろう。当事者である俺もわからない。怒り、哀れみ、慈しみ、感情がいずれも溢れてぐちゃぐちゃになっている。
    「抑えられてればいいんだよね」
    ロックの身体を攫いながら、ベッドの上に上がり込む。自分よりはよほど華奢な青年を、押さえつけるのではなく強く抱きしめて布団をかぶせた。
    「え……」
    「これじゃダメ? 痛くすんのも簡単だけど、それじゃ寝づらいでしょ。俺力強いから、これでも動けないと思うんだけど」
    「……、ふふ……、そうだな。これで、いい……」
    これほど体躯に恵まれていてよかったと思うことはない。全身を使って抱き込めば、ロックの身体はほとんど動きを封じられる格好になる。多少暑苦しくとも、拘束の下で寝かせるよりよほど健全でよく休めるはずだ。人の体温は、最も手っ取り早い安寧の素であるからして。
    「……」
    ほどなくして、腕の中の男は静かに意識を放り投げてしまった。寝息は穏やかだが、身体も、表情も硬い。
    「……、壊れないでよ、頼むから……」
    跳ね放題の金糸を優しく撫でつけながら、祈るように目を閉じる。神など信じなくなって久しいが、この男のこととなると縋れるものにはなんだって縋りたくなってしまうから笑えて来る。いつの間にか、この男との間に横たわる友愛は俺にとって必要不可欠な何かになってしまったらしい。それは師と主の間にあった、不可侵の絆によく似た輝きを持っていた。

    ◇◇◇

    夕暮れの窓辺からは強い西日が差し込んでいる。病人、ないし怪我人の身体には障りそうな眩さだが、この個室に入る個人に限っては日の光どうこうで体調を左右されることなどないのだろう。明るい方が骨が育って怪我も早く治る、くらいの突飛な思考は持っていそうだ。
    「邪魔をする」
    「ふぁ……、お~……、はは、病院似合わねぇなあ、アンタ」
    出迎えは退屈そうな欠伸が一つだった。その能天気さを、十年のうちに少しでも甥に分けてやれなかったのかと思わず文句が出そうになったが耐える。裏社会で聞けば嫌味になりそうな第一声も、この男のことであるからただ素直に感想を述べただけなのだろう。自らの風貌が見舞客に似つかわしくないこともよくわかっている。舌を打ってやっても良かったが、軽いため息一つで手を打ってやることとした。
    「はぁ。人を呼び出しておいてその態度かね。貴様を見舞うのに土産も癪だと思って手ぶらで来たが正解だったな」
    「はは、元気そうでなによりだ。アンタのとこでは今回被害はでなかったのかい」
    「洗脳、催眠、そういった類の精神的な暴力は裏社会では常識的な手段でね。最も、あれほど不可解な力は初めて見たが、それでも私とボックスにはある程度抵抗できる術がある。故に無垢な彼をおいて二人きりで調査に出た。これは私の落ち度だ」
    「狙われた、と思うか?」
    つい、一拍前までは呑気だった碧眼が鋭くこちらを射抜いた。刹那の間に冷えた視線に、思わず背筋が伸びる。この能天気かつおおらかな男はこれだから食えない。本人に欲のないせいで人のいい英雄どまりだが、もしもテリー・ボガードに少しでも野心があったのならサウスタウンなど一瞬で制圧されてしまうだろう。私とビリー・カーンが束でかかったところで、天性の狼をいなすことが果たしてできるだろうか、怪しい。
    「確証たるものは何もないが、直感での意見を述べるのであれば同意を送ろう。その標的がロック君本人であるのか、それともサウスタウンの英雄殿であるのかの判断はしかねるが」
    「どちらにしてもロックは『使われた』、そうだな」
    「ああ。ビリー・カーンにも話は回しておいた。悟られないようにはするが今後警備は強化する。あの子にはギースの御曹司としての価値があるからな」
    「カイン」
    命を値踏みするような言い方が気に食わなかったのだろう。青の視線が殺意めいた怒りをもって強くこちらを睨んだが、こちらも負けじと強い視線を送り返した。この話し合いの場に、慈愛はいらない。この見舞いの真意はロック・ハワードを守るための会合である。でなければ、愛しい息子を攫うようにして連れ出した私に彼がわざわざ「話がある」などと電話をよこすはずもないのだから。
    「事実だ。我々にとって唯一無二の一人であっても、彼に利用価値があるのに代わりはないだろう。私からすれば一人の姉であるメアリー・ハワードがギースの妻として価値を見出され、人質になっていたのと同じだ」
    「……」
    「ロック君にはもう一つ、貴様のいとし子としての価値もある。今回の件で、テリー・ボガードはロック・ハワードに対して本気の暴力を振るうことができないと立証されたわけだからな」
    「それは……」
    珍しく言い淀んだ男へ、敵意の放棄を見せるために両手を上げる。これは攻撃ではない。あくまで事実の羅列である。
    「勘違いするなよ。こればかりは責める気もない。――慈愛を注いだ相手に、容赦なく殺すつもりの力を振るうことができる人間など、正気ではないからな」
    「お前も正気は失えないだろ」
    「そうだとも。だから言っただろう、責めているのではないのだテリー・ボガード。どちらにせよロック君を『使われた』時点で彼のことは守れない。誰が傷つこうと、あの子は自分が他者を攻撃して……あまつさえ身内に怪我を負わせたと知れば果て無く苦しむ。だからまずは使わせない、それが第一だ。......向こうの手段がわからぬ分難しいことではあるが尽力するべきだろう。私達裏社会の人間は彼を物理的に守る。敵についての情報はケン・マスターズが仔細詳しいと踏んでいる、貴様はそちらを引き出し給え。無論、共有を怠るなよ」
    「一時休戦、ってことか」
    「一時も何も。今現在貴様と争っていたのなら電話一つ、身一つでおいそれと顔を出したりしない」
    「ははは! それもそうだな。やっぱりお前はロックの血縁だよ」
    厳しかった視線がはたと緩んで、穏やかな笑顔を向けられる。慈愛に満ちた瞳に見つめられるのは居心地が悪く、今度は大仰にため息を吐いて柔い視線を受け流した。
    「どういう意味かは聞かないでおこう。今しばらくは休養に励むことだ、それがロック君を慰めることにもなるだろう」
    「ああ、そうだな」
    苦笑して肩を揺らした英雄は、何かを決意するように頷いてまた表情に真面目さを戻した。
    「ロックはどうしてる? このところ来なくなったのは、お前が何か手を打ったからだと踏んでるんだが。顔を見ないのは見ないで、心配でよ」
    「……」
    何と答えるべきか、一瞬考えあぐねる。テリー・ボガードからかかってきた珍しい電話の用件は二つあった。一つは今回の件で話があるということ。もう一つは、絶対安静を言い渡されているはずのロック君が毎日病院に顔を見せているという密告である。脱走に気づいていなかったわけではない。目を離した隙に屋敷を抜け出しているとボックスが気づいた時点で行先に目星はついていた。それでも見て見ぬふりをしていたのは、その密会が彼の体調を戻すうえで励ましになるかもしれないと踏んでいたからだったが、目論見は外れて今に至る。
    「思わしくはない。ようやく寝込んでくれるようにはなったが、あれだけの衰弱の上からかなりの無茶をしていたからな。加えて、傍に人が――もっと正しく言うのであればロック君を返り討ちにできるレベルの強者が控えていなければ、目を閉じるのも難しそうにしている。休息を求める身体に心がついて行っていない、正直に言えば医者の目の下にいてほしいところだが」
    「拒んでる、か」
    「君は勿論、一般人を巻き込みたくないんだろう。力の暴走を恐れているんだ、無理強いはできまいよ」
    正直に現状を吐露すれば、怪我人の眉間には強い皺が寄った。彼を守ろうとした結果がこれではもどかしいこと極まりないだろう。だからと言って、抱きしめに行って解決する話でもない。
    「まぁ……不安は多くとも好転の兆しがないわけでもない。ボックスが傍に居るようになって少し安定した節もある」
    「あの坊主が? ……そういえば年が近いんだったか、あいつの前では妙に子どもらしくなるからな、ロックは」
    多少の安心材料も添えておいてやらねば、怪我の治りに響くだろう。なけなしの思いやりで言葉を続けると、英雄の顔は晴れずとも少し皺を薄くする。
    「ああ。健やかな時は顔を合わすたびに口喧嘩ばかりしているが、どちらかが弱ると誰よりも早く寄り添いに行く。意外にも良い友人なのだよ、彼らは。私も引き続き目は配るが、しばらくは奴に任せるつもりだ。護衛という面でも、あいつ以上に信頼が置ける人間はいまい」
    「魔人の後継、か。アンタがいうならそうなんだろう。信用してるぜ。……今はな」
    「ふん、可愛げのない老兵が。何かあれば連絡する、それでいいな?」
    「ああ。手間取らせて悪かった」
    ひらりと手を振る男に背を向けて、病室を後にする。背にかかった「任せたぞ」という再三の念押しにこちらも軽く皮手袋の手を挙げた。価値などさしおいて、ロック君に無償の愛を注いでいるのは同じこと――などと。かつて彼を利用しようとした私が言うのはおこがましいことだろう。しかし、今の心に偽りはなかった。

    ◇◇◇

    屋敷に戻ってまずかの青年の部屋を見に行けば、丁度ボックスがロック君の傍を離れようとしているところだった。
    「あれ、おかえりボス。どうだった、狼さんは」
    「ロック君と病床を入れ替えるべきだな」
    「元気だったと、そりゃあなにより。じゃ、あとはロックだけだ」
    潜めた会話のやり取りに、ロック君の寝息が混ざっている。眠るまでの時間はかかるが、一度落ちてしまえば眠りは深いのだ。
    「落ち着いているかい?」
    「うん、今日は比較的。相変わらず飯は食えないでいるけど、水は飲むようになった。スープくらいならいけるかもしれないっていうから作ろうかなって思ったんだけど……」
    「ほう、貴様にそんな技術が」
    なにかと器用な男だ。知らぬ間にロック君から何か教わりでもしたのだろうかと感心すると、ボックスの顔がみるみるうちに困惑の色に染まっていく。年相応のあどけない瞳を覗き込むに、「言ってみただけ」という勢いが見えた。
    「……水を、火にかけるでしょ。具は多分食えないだろうから……、あれ、ロックがスープ作るときってそういえば野菜炒めるのが先だったっけ? じゃあ具ないときって何で味つけるんだろう。塩かな? 塩水って沸騰させたらスープになる?」
    「まぁ、広義で言えば味の付いた湯はスープと呼べなくもないだろうが……。私が行くほうがマシ、というのはわかった。目覚めてお前がいないとロック君もどうなるかわからないだろう、ここにいなさい」
    「え~……? ボスも俺といい勝負なんじゃないの。グラントが言ってたよ、昔風邪で寝込んだ時振舞われたのがぬるい砂糖水だったって」
    「あいつ、いつの間に余計な昔話を……」
    世を去った親友に舌打ちをして、なにもない横を睨む。与太話を信じるくちではないが、己を守ることに文字通り命を懸けていた親友が簡単に私の傍を離れるとも思い難く、彼を想う時はすぐ隣を見ることにしていた。そこにいると想えば、喪失の虚しさもいくらかマシになる。自己暗示のようなものだった。
    「でも、こうも言ってた。何を持ってこられても、心配してくれてるのがわかればそれで満足だったって。……それ思い出して、ロックの傍にひっついてみたけど。意味あったかな」
    ボックスに言葉を返す前に、もう一度隣を見た。晩年、殊更胸中を晒すことに関して無口になってしまった男が、最後に心血を注いで育て上げた男に自らへの慈愛を語っていたと思うと驚きとともに何とも言えないむず痒さを感じる。しかし、悪い気はしない。つくづく思うが、彼が遺したかったのはどうも力ではなかったようだ。グラントが――アベルが、俺に置いて行ってくれたのは、決して孤独にならないための新たな家族だったのだと思う。
    「私が応えるべき質問ではないな。ロック君が元気になったら、直接彼に聞くことだ」
    「応えてくれると思う?」
    「お前が真剣でいればな」
    肩を叩いて笑いかけると、ボックスはわかっているのかいないのか、首を傾げながらそれでも快活に笑みを浮かべた。これ以上騒いでは流石にロック君の意識を刺激しかねないと、踵を返して部屋を去ろうとすると、軽やかな声が追いかけてくる。
    「カイン。ロックが起きたらさ、俺達もここで飯食おうよ。食ってるとこ見たらつられるかもしれないし」
    「名案だ、が、生憎そう何品も作れる腕は持ち合わせていない。我々のものは出来合いで構わないな?」
    「勿論。あ、考えるの面倒だったら俺の部下使っていいよ、いつものって伝えたらハンバーガー買ってきてくれると思う」
    「つい昨日まで水の一滴すら難しかった人間がジャンクフードにつられるとは思えないが……」
    苦笑を返しながら部屋を出る。思えばこの屋敷にも、随分と慈愛が満ちてしまったものだ。「切り捨てるばかりの支配者ではない」と、狼に余計な進言を送られたことを思い出して俄かに苛立つ。言い得て妙だ。強者は常に個として抗うべきと言いながら、己はずっと友と二人寄り添って生きてきたのだから。
    (だが、しかし俺は……今更生ぬるいことを言うには奪い、失いすぎている。もしもこの街に救いの手段をもつ支配者を求めるのであれば、それを担うのは、きっと)
    心を撚り合う二人を想う。彼らは私と友に似て、しかし非なるものだった。己が野望は己が物。託す気も今はない。淡く浮かんだ幻想を笑って打ち消し、思考を料理へと切り替える。ボックスにはああ言ったが、自信があるかと言えばそうではなかった。台所はロック君の不可侵領域でもある、少し慎重にならねばならない。
    (俺でさえこうなんだ。仮に何度ロック君が使われようと、彼は人に戻ることができる。……これだけの慈愛に囲まれていればきっと。大丈夫だ、きっと……守り切れる)
    長閑な思考の片隅を過る波紋の予感に、今は考えすぎるなとわざとらしい安堵を与える。少なくとも今聞くべきは、遠い嵐の足音ではなく友愛の息吹であるはずだった。
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    Replies from the creator

    sushiwoyokose

    DOODLEボリパにも怪我してほしかったからしてもらいました ボクロク/グラカイ風味(グ没後)/カが比較的保護者をしている
    駒の安寧海沿いに聳え立つカインの屋敷は、言わずもがな豪華絢爛である。分かりやすい豪勢さは家主曰く釣り餌代わりとのことだったが、俺から見ればむしろ逆。足を竦ませる抑止力だ。見渡す限りの巨大な彫刻、手入れの行き届いた庭の植生、そして玄関前を塞ぐ大仰な門。もしも俺がカインとまったく面識がなく、サウスタウンのいち住民としてこの屋敷を眺めたのなら、間違っても立ち寄ろうなどとは思わないだろう。
    (俺の身の丈には絶対に合わない場所、だと思ってたんだけど。慣れるもんだな)
    貴族然とした空間にどこか肩身の狭さを覚えていたのも今は昔。この屋敷で寝起きをするようになって幾月もの時間が流れ、今やどの部屋を覗くにもさしたる抵抗はなくなってきている。日付が変わろうかというこの時間になって、手持無沙汰にベースを鳴らしているのが羽を伸ばせるようになったいい証拠だった。どんな時間になろうと好きに楽器をかき鳴らせるのは、あたりに他の居住区のないこの場所故の特権である。無論、屋敷内の人間には気を遣わねばならないがこの規模の家だ。部屋同士の距離とて十二分に離れているのでさして心配はいらない。アンプを繋がない生音であれば、せいぜい憚るべきは目の前にある一部屋くらいのもの。そしてありがたいことに、その部屋の主はそれなりに音楽が好きときている。
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