冒頭の幼少期に起きた不思議なことは、自分をか弱いこどもと思い込む心と肉体の性能が噛み合わなかったために起きた齟齬。
のちのビーストであるサイヤ人としての悟飯は本能の心、地球人としての悟飯は理性の心であり、作中でもあるように別人格なんてほど分かれているものではなかった。
感情が昂ぶったとき、とくに怒りにより本能が出やすくなる。理性の悟飯が本能を眠っていると表現しているのは、本能を別人格のように捉えていたことによる思い込み。
ピッコロはビーストの話を聞き、悟飯が心に傷を負ったことによる防衛反応で多重人格になってしまったのでは?悟飯に過酷な運命を背負わせるきっかけになったのは自分だ!と自責の念にかられていた。
悟飯の過酷な幼少期は別にピッコロだけのせいではないのだが、悟天・トランクス・パンの面倒をみているうちに幼い悟飯にきつい修行をさせて前線に放り込んだことに少し罪悪感があったため思考が飛躍した。
悟空はずっと赤い目の悟飯を見たがっていた。しかしそれにより悟飯が悩んでいたことに気付かなかった、むしろ自分が助長させてしまったのでは?またやってしまった、と焦ったが、悟飯が存外呑気してたので、すぐに平静さを取り戻した。
界王神は悟飯が「生まれた」ではなく「出現」したという認識をしているため、顕現と表現した。
人として生きることを選んでいた場合、100年経てば高確率で亡くなっている筈だが、界王神はそうはならないだろうと思っているため100年後と言った。
悟飯もこれに気が付いているが、現時点で判断できるものではないと結論を先延ばしにした。
悟飯はビーストと分離してしまったことを重く受け止めていないので、聞かれなければ答えない。彼の中ではあの対話で悩みが晴れてしまったので瑣末事となってしまった。
初期タイトル案は「和御魂/荒御魂」
いかつすぎる上に露骨だなと思い「良い子/悪い子」に