緋雪太夫 三枚歯下駄が外八文字を描く。
蒲葡に艶やかな牡丹文の襠に前帯も妖艶に、すらりと高い背の花魁は人でごった返す仲の町でも随分と目立った。
ひと際見物人も多いその花魁道中に、ネロは思わず立ち止まる。
長い睫毛が伏し目がちに視線を流す、そのなんと妖艶なことか。
気の強さがわかるきりりと上がった柳眉、瞳は鮮やかな躑躅色。
「なんだネロ、惚けたツラして!」
喜の字屋は味が悪くていけねえと、最近ネロが師事する親父さんの料理屋にも注文が来るようになった。
手が足りねえからてめえがいけと兄弟子と共に引っ立てられるようにくぐった大門。
初めて見たその艶姿は、ネロの心を焦がすには十分すぎるほどの美しさだった。
「はあ、いや、すげえなと思って」
「すげえ? ああ、なんだ緋雪太夫じゃねえか」
「ひせつだゆう」
「なんだ、知らねえのか。仲の町に踏み込むからにゃあ、緋雪太夫を存じませんじゃ恰好つかねえぞ!」
兄弟子がカラカラと笑ってネロの細い肩をばしばしと叩いた。
「北屋の花魁よ。まあ、抱けねえ花魁だともっぱらの評判だがな」
「え?」
吉原は男が最上の夢と女を買う町だ。
花魁と呼ばれるのは咲き誇る花の中でもほんの一握りの売れっ妓。
抱かれる為の艶花だというのに、抱けないとはどんな言葉遊びだとネロは首を傾げた。
「知らねえよ、俺が聞いた話じゃあ、どんなお大尽様でもあの花魁を抱くことを赦されねえが、それでも通わずにはいられねえんだと。なんでも癖になるらしい。まるで妖に化かされでもしたかのように恍惚でけえっていくっつうんだからどんな手管を使ってんだろうな」
「妖に……へえ。そりゃ、尻尾が九本あるんじゃねえか?」
「は、うまいこと言いやがって。葛葉太夫ってか!」
楽し気に笑う兄弟子の後をついてようやくその場を離れようとした時だ。
すい、と、躑躅色の瞳がこちらに視線を流した。
「っ」
男衆の肩に手を置き、美しい首筋を晒し人形のような涼やかな表情を見せていた彼女の口元が、その時、僅かに緩んだ。
途端にあどけなさを帯びる美貌に、ネロは踏み出しかけた足を再び止めた。
視線が絡む。いや、気のせいだ。そんなはずねえ。
「ネロ? おいおい、やめとけよ、てめえじゃ茶屋も請け負っちゃくれねえよ」
「ち、げえよそんなんじゃねえ」
何を勘違いしたか、下卑た笑みで振り返った兄弟子に朱を散らした渋面で抗議をしながら、ネロは無理矢理視線の呪縛から逃げ出した。
思えばこの時は、思いもよらぬことだった。
まさかこの花魁が役者も裸足の色男で、この先関わり続けていくことになろうとは。