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    Suiyoubiga

    @Suiyoubiga

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    Suiyoubiga

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    キリとの戦闘後のジグソーとメスの話です。

    この作品には以下の描写が含まれます。
    多少のホラー。
    殺しを仄めかす描写。
    少量の血の描写。
    その時代では違う名前であっただろうものの描写。

    全てが幻覚です。はじめての二次創作小説、どうかご容赦ください。

    嘘吐き生者 今まで破壊したいものは全て破壊してきた。
     この刃で全てを破壊してきた。
     建物や工具、あるいは数人の人間の姿が次々と思い起こされていく。
     脳裏にそれらを壊しているときの記憶がまざまざと蘇っていく。
     切り倒したもの、薙ぎ倒したもの、殴り倒したもの…。
     まるで走馬灯だ。
     そう思ったとき、うつらうつらとしていたジグソーの意識が急速に浮上した。
     走馬灯だと?
     死ぬ間際に見るようなものをどうして小生が見なければいけないのだ。
     意識が怒りで塗り替えられていく。
     あの狐だか工具だかよく分からない奴。あんな奴に負けたなど全くあり得ない。
     意識が途切れる最後、攻撃を受けた腹が痛んだ。
     手足は冷たいのに腹だけは熱を持っている。
     手足が冷たい?
     今度は急激に頭が冴えてきた。
     自分は仰向けに寝ているようだ。
     しかし地面はひどく冷たく、すべすべとしている。戦闘をしていた場所の地面は瓦礫の多い荒れた地面だったはずだ。なぜ自分は別の場所で寝そべっているのか。
     体を起こそうと体に力を入れる。
     ジグソーはそこで初めて自分が仰向けになっているどころか、まるで磔のような形で固定されていることに気づいた。
     両手を左右に広げられて足は一直線に伸ばされている。手首と足首を何かで固定されている。ぐっと手足に力を込めてみたが、それに呼応するように固定するものも硬く手足を縛った。
     ふと隣に人の気配を感じた。何事か呟いている。声の低さからして男だろう。
     この磔は貴様がやったのかと怒鳴りつけてやろうとした。
     しかし、ここはひとつ弱者のふりをして助けを求めておくのも悪くないとジグソーは思い至った。猫被りしているうちに受ける屈辱は、痛みや疲労が引いた後にそいつを壊すことで帳消しとしてやる。何よりもまず、回復しなければ。
     言葉を発するべく口を開いたとき、ジグソーはやっと自分の顔の上に何かがのっていることに気づいた。よくよく意識を集中させる。鼻や頬に当たっている感触からして、顔にのっているのは薄い布のようだ。
     確か、日本国では死者の顔に白い布を…打ち覆いというものをかけるのだったな。
     近くにいる男は自分が死んでいると思い込んでいるのだろうか。弔うために打ち覆いをかけたのだろうか。そのくせ手足は磔のようにして、まるでめちゃくちゃだ。
     布擦れの音が聞こえた。次いで足音がする。男が近づいてきているようだ。
     ジグソーがどう切り出したものかと迷っていると、顔にかかった布がいきなり冷たくなった。男が布に液体をかけ始めたのだ。
     咄嗟のことで液体が口に入ってしまった。思わず口を固く結んだが、どうやら液体はただの水のようだった。
     一体どういうつもりだ。どこの国の儀式だ。
     困惑しているうちにいやに息苦しくなってきた。水がかかったことによって布が顔に張り付いてきているのだ。このままでは呼吸ができなくなる。
     どう話しかけるかなんて悠長なことを考えている場合ではない。ジグソーは大きく首を振った。ぼとっと音を立てて布が顔の横に落ちる。
    「お」
     あたりはもう暗闇に近かった。ほのかな月の光に照らされて、目を丸くしている男が見えた。水が入ったガラス容器を持っている。
     ジグソーは男の様子を見て思わず眉間に皺が寄った。
     死人だと思って弔っていたら生きていた。そんな状況だったなら、もっと飛び退くなりして驚くはずだ。しかし目の前の男は『目が覚めたか』くらいの感想しか持っていないように見える。
     この男、一体何をしようとしていたんだ。
     まつ毛にかかった水がどこかに流れていくと、男の姿がはっきり見えた。水色の髪をした男だった。いや、今は容姿はどうでもいい。問題はその男が大きなメスを持っていることだ。
     この男、工具か。
     思わず舌打ちが出そうになったが堪えた。男が白衣を着ていたからだ。
     理解不能な方法ではあるが、もしかしたらこの男は自分を介抱しているのかもしれない。ならば先ほど考えていた通り、工具相手に非常に屈辱的ではあるが弱者のふりをしておくのが得策だろう。
     一瞬でその結論を弾き出したジグソーは、眉根を下げて弱々しい声で男に話しかけた。
    「どちら様か知らないが、もしや介抱してくれているのだろうか? ありがたいことだ。見知らぬ男に襲われてほとほと参っていたのだ…」
     ジグソーはかろうじて自由がある手足や頭を動かし、自分が無害な被害者であると嘘を連ね始めた。
    「特に腹を手ひどくやられた。全く痛くてかなわん。よければこのまま…」
    「死ねばよかったのにのぉ」
     ジグソーの言葉を遮って男が言った。
     ジグソーは想像だにしていなかった言葉に目を見開いた。対照的に男はガラス玉のような目を少し細めて不満そうにしている。
    「わしの名はメス」
     それは分かる。手にメスが握られているのだから。今の発言の説明をしろ。なぜ自分は磔にされている。さっきの布はなんだ。なぜ水をかけた。
     ジグソーの混乱をよそに、メスという男はこそこそと耳打ちをするように囁いてきた。
    「お前さん、我が亡者に加わらんか? 今なら綺麗にエンバーミングしてやるぞ?」
    「エンバーミング…?」
     問い正したいことは山ほどあったが、聞きなれない言葉に思わずおうむ返ししてしまった。メスはやっと相貌を崩し、ジグソーの胸あたりを指差した。
    「遺体衛生保存じゃ。皆死体になれば顔は土気色になり、やがて腐っていく。死因によっては体がぼろぼろになってしまっていることもある。しかしわしのエンバーミング技術と修復技術があれば生前の姿に戻してやれる。そしてわしの研究の成果を持ってすれば、死してなお動き回ることができるぞ。なあに、ちと消化器官がなくなって保存液だらけになるだけじゃ」 
     今度はジグソーの右目の下、ヒビを指差した。
    「ああ、そうそう。自分の顔に気に入らないところがあるなら修復の技術の応用で整形も可能じゃ。文字通り生まれ変わることができるというわけだ」
     この男、狂ってるな。
     ジグソーは自分を差し置いてそう判断した。
     メスは自分に下された判断など露知らず、さらに言葉を連ねる。
    「いくら修復の技術があるとはいえ、外傷が多くては面倒臭いからな。さっきは溺れ死にさせようとしてたんじゃ。顔に布をかけて水で濡らすと溺死する。ああやって死んでくれると後処理が楽での」
     それを聞いてジグソーは自分が大きな勘違いをしていたと知った。
     あの顔にかかった布と水は自分を殺す凶器。手足の拘束は確実に殺せるように行動を封じるもの。
     ジグソーがおかしな儀式だと思っていたものの全ては、メスが自分を殺すためのものだったのだ。
     冗談ではない。亡者に加わるということはこの男の手下になるということではないか。
     メスの提案に乗るつもりはさらさらない。それどころか今すぐ叩き切ってやりたいくらいだ。しかしこの手足の拘束が解けなければそれすらできない。
     ジグソーは再び嘘を連ねることにした。
     やれやれというように大きく頷いて言う。
    「たしかにそれも悪くない気がしてきたな。身体中が痛くて痛くて。いっそ亡者となって好きに生きるのも良い生き方なのかもしれんな」
     手の先を広げ、お好きにどうぞ、という意志を示した。
     自分の答えに満足してメスが手足の拘束を外したならば、ジグソーはその瞬間すぐに拳ででも頭をかち割る準備はできていた。
     しかしメスはジグソーを虚な目で見ているだけだった。黒々とした両の目がジグソーを見つめている。やがて口を開いた。
    「とんだせんみつじゃの」
    「…せんみつ」
    「千の言葉のうち本当の言葉は三つという意味じゃ。つまりは大嘘つき」
     メスは視線をジグソーから外すと、辺りをゆっくりと歩き始めた。
    「お前さん、嘘をつくときに特有の仕草が出ることに気づいてないようじゃの」
    「は?」
     反射的に声が出た。
    「見ておったぞ。お前さんが降参のふりをしてプラスドライバを切り付けるところを」
     それを聞いてジグソーは大きく舌打ちをした。
     もはや嫌悪や怒りを隠す理由はない。自分の本性を知った上で弱者の演技を見られたかと思うと、すぐに手足の拘束を引っぺがして近くで光っている自分の本体でめちゃくちゃに切り裂いてしまいたいという衝動に駆られた。
    「誰でも嘘を吐けば心に負担がかかる。そしてそれを誤魔化すために、十人十色ではあるが無意識のうちに何かしらの仕草が出る。それがただの癖なのかどうか見抜くのは初見では難しいが」
     メスはジグソーの右側に立ち止まると、腰を折って顔を覗き込んだ。見下されている構図にますます怒りが湧き上がってくる。
    「『唇を舐める』というのは、まあ、一般的に嘘を吐くときによく見られる仕草だ。じゃがお前さんの場合はただの癖」
     メスはそこで言葉を切ると、ジグソーの頭、手、足と順番に人差し指で指していった。
    「お前さんが嘘を吐くときに出る仕草は、大きなそぶりじゃ」
     ジグソーは記憶を辿った。
     そういえばあの工具どもに降参の嘘を吐いたとき、自分は両手を広げたり刃を地面に突き刺したりしていた。先ほども動かせる部分は全て使って嘘を吐こうとした。
     嘘を吐くときに出る自分の無意識な仕草。それをこの男は少しの間に見抜いた。
     ジグソーの中でメスへの警戒感が急激に高まっていく。
     ジグソーが睨みつけると、メスはにっこりと微笑んだ。目が閉じられたことにより、目蓋に塗られた紫の化粧が目立つ。
     微笑んだまま、メスはさらに腰を折ってジグソーに顔を近づけた。
    「その演技で一体何人騙してきた? ん?」
     ジグソーは反抗するように無視を決め込んだ。
     ジグソーの返答には興味がないのか、メスはまたふらふらと辺りを歩き始めた。
    「嘘つきは嫌いじゃ。嘘吐きは死んだ方がいい」
     生ぬるい風が吹いている。雲がゆっくりと流れて、月が輝きを放ち始めた。
    「生者はうるさい。生者は嘘を吐く。その点、亡者は静かでいい。決して嘘をつかない」
     メスはその場に腰を降ろした。そして何かを愛おしそうに撫でている。言葉はまるでそれに話しかけるように放たれている。
     その気味の悪い行動を確認せずにはいられなかった。ジグソーは力を込めて顔を上げ、メスの方を見やった。
     メスは誰のものとも分からない墓石の上に座っていた。愛おしそうに撫でていたのは隣に立つ十字架。
     ジグソーは首を動かして辺りを見回した。
     ちょうど月が雲から顔を出した。辺りが明るく照らし出される。
     ジグソーが磔にされていたのは墓地の真ん中だった。
     ひとしきり十字架を撫でると、メスはジグソーに向き直った。
    「それに比べてお前さんは口を開けばやかましい上に嘘ばかり。亡者となって静かに正直に生きてみようとは思わんかね?」
    「思わん」
     ジグソーはもう小賢しい手段に出るのは諦めた。これ以上策を講じて粗を突かれては憤死しかねない。
    「まあよい」
     メスはそう言ってあっさりと引き下がった。不自然な様子にますます警戒を強める。
     メスが懐から手榴弾を取り出した。
     「あ」と思わず声が出た。それはジグソーが持ち歩いていたものだった。
    「体をやるくらいなら百つに分かれてやるというタチなんじゃろ? 嘘吐きで卑怯者。そのくせ覚悟が決まっている。いや、極度の負けず嫌いというべきか。先程の戦闘では取り出す暇もなかったようじゃが」
     メスはわざとらしくため息をついた。
    「お前さんを亡者にするのは諦める。こんなものまで持って。扱いが面倒くさそうでかなわん」
     メスはそう言うとジグソーに背を向けた。
     去るならば拘束を解けとジグソーが怒鳴りかけたとき、
    「もう良いぞ。帰ろう」
     メスはそう言って自身の本体で地面を二度突いた。
     その瞬間、ジグソーの周りで土がぼこぼこと盛り上がった。手足の拘束が急速に緩くなり、解かれていく。周りの土から次々と亡者が這い出てきた。今までジグソーの手足を拘束していたのは、土中に潜った亡者の手だったのだ。
     墓地のあちこちで土が盛り上がり、中から亡者が躍り出る。しかしどれも亡者と称するにはふさわしくないほど血色が良かった。
     亡者一人一人を生前の姿に近づくようにと、丁寧に、慎重に、化粧を施していく。ジグソーの脳裏にそんなメスの姿が浮かんだ。
     メスの姿が遠ざかっていく。わらわらと亡者たちがおぼつかない足取りで彼についていく。
    最後にジグソーの体を抑えていた亡者も立ち上がり、行進に加わっていった。
     もう抵抗する力などないんだろう?
     その無防備で緩やかに進む行進は、まるでそう言っているようだった。
     あり得ない。全くあり得ない。
     ジグソーはゆっくりと体を起こすと足元に手をやった。
     待て。鉄屑。

     なんと形容すれば良い男だったか。
     さきほど言ったように、嘘吐きで卑怯者。それでいて覚悟がある。負けず嫌いの戦闘好き…。
    一筋縄でいかないのは確かだ。
     あの高度な戦闘の技術。我が亡者となってくれれば大きく貢献してくれるだろうが、あまりにも面倒な性格。諦めざるをえまい。多少後髪を引かれるが、まあ他を探せば良い。南蛮に送り込んだインパクトレンチは次の実験材料をちゃんと持ち帰ってきているのだろうか。
     あれこれ思考を巡らせていると、背後で鈍い音がした。「ぐっ」とうめき声が聞こえる。
    振り返ると亡者の一人が頭を抑えるようにして倒れていた。
     何が起きた。
     亡者の近くにはブーツが転がっていた。
     まさか、と思ったときにはもう眼前にそれが迫っていた。反射的に身を屈めると、近くにいた亡者にそれが当たり、再び鈍い音がした。
     遥か後方でジグソーが自らのブーツをこちらへ投げ飛ばしていた。
    「…亡者ばかり見過ぎて生者の見方を忘れていたのではないか。まだ動けるぞ…貴様を切り刻むくらいは」
     そして近くに転がっていた本体を支えにし、立ち上がり始めた。
     まずい。
     そう瞬時に判断し、全速力で走り始めた。
     この身ではいささか戦闘に自信が持てない。それに今、あの男は激昂している。自分の体がちぎれようが構わず切り掛かってくるに違いない。
     背後から咆哮が聞こえた。
     おそらく罵倒だろうが、喉を壊すような絶叫では言葉の意味までは聞き取れない。しかし怒り狂っているというのはぎんぎんと震える空気で十分に分かった。
     確かにちゃんと観察していれば、奴があとどれくらい動けるかくらいは分かったかもしれない。メスは途切れることのない咆哮を聞きながら後悔した。
     墓地は背の低い墓だけが整然と並んでいる。隠れる場所などどこにもない。亡者たちのうち、走るのが得意でない者の悲鳴が聞こえ始めた。もし奴が万全の状態なら、とっくに追いつかれていたことだろう。
     暗い世界ではあまりにも目立つ白衣を脱ぎ捨てた。これで身は黒一色になる。多少は闇に溶け込めるはずだ。
     墓地を突っ切って鬱蒼と草木が生える茂みに分け入った。しかしこれも良い身の隠し場所とは言えない。少しでも身じろぎすればガサガサと音が鳴る。しんとした世界には葉の擦れる音はよく響く。
     茂みは大して広いものではなかった。すぐに視界が開け、大きな建物が見えた。いつもは解体の対象であるが、今は身を隠すのが優先だ。もう亡者は半数ほどしか姿が見えなくなっていた。
     建物はあちらこちらが崩れかけた廃墟だった。数人の亡者と共に入り、扉を閉める。
     蜘蛛の巣だらけ埃だらけ。咳き込みそうになる口を抑えた。
     奥へ進むうちに、だんだんとその建物の構造が分かり始めた。
     建物は十字架の形をしていた。
     ほとんど崩れかけていてすぐには分からなかったが、建物の中には建てられた頃には美しかったであろうステンドグラス、欠損しているマリア像があった。
     この特徴はカトリックの教会か。
     崩壊しかけているとはいえ荘厳なステンドグラスに目を奪われかけたが、すぐに身を隠す場所を探した。とりあえず入り口から離れて奥へと進む。
     十字架で表すなら右に広がった部分。そこへ曲がった瞬間に教会の扉が開く音がした。もう少し曲がるのが遅かったらと思うと、ぞっと背中が粟立った。
    「ゴミが…」
     教会に割れた声が響いた。ついで凄まじい轟音が起こる。
     ジグソーは教会の奥へと進みながら手当たり次第の物を殴り、蹴り、切り裂いているようだった。
     メスはもはやなんの役にも経っていない、倒れた大きな柱の影に身を潜めることにした。数人しかいなかった亡者たちは身を隠すのが間に合わなかったようだ。物が壊れる音の合間に、亡者たちの悲鳴が聞こえてくる。
     べたっ…べたっ…。
     教会にいやに粘着質な足音が響いていた。
     その不気味な足音に心臓が脈打つ。ブーツを投げ飛ばしたジグソーが裸足のまま追ってきたのだとすぐに分かった。
     ざらついた地面、鋭い葉の積もる茂み、瓦礫だらけの教会。
     それらを踏んだ素足が血濡れになり、この不気味な足音を生んでいるのだ。
     べたっ…べたっ…。
     足音が教会の奥まで進んでいく。凄まじい轟音が鳴った。恐る恐る柱の影からジグソーの姿を覗き見る。
     ジグソーはマリア像の頭を生首のようにして持っていた。
     罰当たりな。
     そんな感想が浮かんだ。腕には薄く鳥肌が立っていた。
     この男の狂気を甘く見ていた。
     向こうへ行けと念じたが、その甲斐なく不気味な足音はこちらの方へ向かってきた。
     べたっ…べたっ…。
     ふいにその音が止んだ。
     しかし安堵することはできない。その禍々しい気配で分かる。この倒れた柱一つ隔てた先で、奴はじぃっと立っているのだ。
     獲物を追い詰め、これからどう弄んでやろうかと考えているのだ。
     メスは少しため息をついて立ち上がり、その黒い眼をジグソーへ向けた。

     亡者は斬っても血は出なかった。代わりによくわからない液体が漏れる。おそらくあの男が言っていた『保存液』とやらだろう。
     亡者を追うのは意外と難しかった。体のあちこちが悲鳴を上げているというのもそうだが、彼らには影がなかった。
     月は低い位置にある。本来ならば影は長く地面に伸び、体が物に隠れても影が飛び出るはずだった。
     生者だけが影を持っているのか。
     生者だけが嘘を吐くというのか。
     血だらけになった足で教会を踏み荒らしながらジグソーは口の端を吊り上げた。
     確かどこかの国では、嘘をつくと閻魔様とやらに舌を抜かれると言われているのだったな。
     それなら小生の舌は何枚必要になるのだろうか?
     目の前にマリア像があった。所々欠損しているが、まだ形としては残っている。
     形すら分からないほどに壊してくれる。
     思い切り腕を振るうとマリア像の首は案外簡単に砕けた。
     頭を鷲掴む。
     あいつもこうしてやる。これ以上にしてやる。そう、あの狐もだ。
     あいつがいるとすぐに分かった。この十字架の形をした建物の、右に折れたその先に。
     なぜ分かったかと問われると難しい。とかく壊さねばならない物が右手にあると本能が言うのだ。
     足が地面につくと、べたっと音が鳴る。足の裏はもはや目も当てられぬほど傷だらけになっていることだろう。しかしかつてなく怒り、興奮しきった今、痛みなど感じなくなっていた。
     感じる。この倒れた柱を隔てた先にあいつがいる。
     立ち止まって、じぃっと待った。
     出てこい。
     降参と言え。
     命乞いをしろ。
     全てが滑稽で情けないほどに。
     少しすると、柱の向こうから物音がした。
     水色の髪をした男がゆっくりと立ち上がり、ジグソーと相対した。
     さあ口を開け。
     自分でも瞳孔が完全に開いているのが分かる。
     破壊を一身に受けよ。
     しかしそいつは薄笑いを浮かべた。黒い眼が三日月を描いている。
     自分の中で何かがブチンと切れた音がした。
     自身の本体を勢いよく振り上げた。しかしそのとき、ジグソーはあることに気づいてしまった。
     目の前の男には影がなかった。
     床に伸びている影はジグソーのもの一つだけ。メスから影は伸びていなかった。
     固まっているジグソーを見て、メス、いや、亡者の黒い眼はさらに弧を描いた。
     ジグソーの手はわなわなと震え始めた。
    「貴様…」
     食いしばった歯の奥から言葉を絞り出す。
    「嘘吐きは嫌いだと…?」
     ギリギリと歯が音を立てる。
    「小生が嘘吐きで卑怯者だと…? お前が一番の嘘つきで卑怯者ではないか…!」
     ジグソーは柱に自身の本体を激しく叩きつけた。
    「エンバーミングの技術! 修復…整形の技術! 貴様、自分そっくりの亡者を作ったな! 貴様は別の安全な場所でのうのうと、この、小生の姿を見ているというわけだな!」
     視界がぐらついた。立っていられずに両手を柱についた。体も刃も悲鳴を上げていた。
    「あり得ない…」
     あり得ないことが今日一日のうちに起き過ぎている。
     今まで破壊したいものは全て破壊してきた。
     この刃で全てを破壊してきた。
     それが今、破壊されている。
     刃を再び握りしめた。刃こぼれしきったこの刃はもはや切り裂くことはできない。しかし、凶器としては充分だ。
     目の前でほくそ笑む亡者の頭に、刃を力一杯振り下ろした。

    「あーあ…せっかく作った『わしそっくり亡者』が…」
     メスは暗い研究室で呟いた。
     先ほど五感を共有していた『わしそっくり亡者』の意識が切れた。おそらくジグソーに頭をかち割られたのだろう。
     南蛮にまでなんてわざわざ出向くわけがない。研究室を出てしまえば実験器具が足りなくなってしまうではないか。
     堺の国のこの研究室こそがメスの楽園だ。
    「また体格の似た死体…いや、生きていても構わんが…探さねばな。そうじゃ、次は目もわしと同じ紫にするか。失明の危険性の少ない方法を見つけたんじゃった」
     メスはそう思い立つと、鼻歌混じりに薬品を漁り始めた。

     一人の亡者が帰ってきたのはその三日後だった。
     亡者は役目が終われば自動的にメスの元へ帰ってくるようになっている。
     あれだけ送り込んだというのに、戻ってきたのはたった一人だけ。それもぼろぼろになっている。
     これで船やら何やらよく乗って帰ってこれたものだとメスは素直に感心した。それに加えてあの暴れ回る男から逃げ切れたときた。
     メスは「ご苦労。よくやった」と労いの言葉をかけて亡者の背中をさすった。そのとき、亡者の服の後ろが不自然に盛り上がっているのに気づいた。
     しばし体が硬直した。冷や汗が流れる。
     何か、まずいことが起きている。
     急いで亡者の服を脱がせた。服と背中の間からぼとっと黒い何かが落ちた。
     それはブーツだった。
     メスはブーツを拾いひっくり返した。紙が一枚ひらりと落ちた。
     紙には血をインクにした文字が書かれていた。
    『尾けさせてもらったぞ』
     研究室の扉の向こう。
     廊下から足音が聞こえ始めていた。
     べたっ…べたっ…。
     何かの液体でぬめったような裸足の足音が。
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