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    fmk118

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    サラリーマンあべさん×ネイリストあしやさんの出会い編

    カタカタと絶え間なくキーボードを叩いていた指先に、ふと違和感を覚える。パソコンのモニターに固定していた視線を手元に下ろすと、左手薬指の爪が見事に割れてしまっていた。
    「はぁ……」
     溜息を吐き、袖机の一段目から絆創膏の箱を取り出す。箱の中身はもう随分と減っていた。そろそろ買い足しておかねばならないだろう。残り数枚のうちの一枚を取り出してぺりぺりと包み紙を剥がし、指の先に巻きつける。
    「晴明様、またお爪が割れてしまわれたのでしょうか?」
    「ええ。少し爪切りを怠るとすぐにこれです」
     声を掛けてきたのは、晴明の対面の席に座る女性社員、藤原香子だった。同じ大学の出身であり、晴明の部下でもある。
    「あのぅ……晴明様もネイルサロンでお手入れしてもらってはいかがでしょう?」
    「ネイルサロン?」
     自分のPCモニターの陰からおずおずと顔を覗かせて、香子は提案する。
    「私の友人が勤めているネイルサロンでは、男性の方も爪のケアのために来店されるそうです」
    「ほう、男性もですか」
    「はい。私も以前は爪が薄くて割れやすいことが悩みだったのですが、その友人に勧められてネイルをはじめてみたのです。今ではキーボードも電卓も、恐る恐る打たなくてもいいようになりました」
     爪の脆さは、幼い頃から今日にかけて『最高最優』と呼ばれてきた安部晴明唯一の悩みであった。香子の言うとおりにこの煩わしさから解放されるのであれば、試してみる価値はあるかもしれない。
    「ふむ。香子がそこまで言うのなら行ってみようかな」
     ぱぁっと表情を明るくした香子は、両掌をあわせて喜んだ。
    「あとで友人に連絡をとってみますね。よろしければ、ご予約も香子がいたします」
    「うん。そうだね。勝手が分からぬから最初は頼んでも良いだろうか? 次の土日であればいつでも空いていますので」
    「承知いたしました」
     香子に礼を言い、再び業務へ集中する。しかしその数分後、晴明を嘲笑うかのようにぱきりと音を立てて今度は右手中指の爪が弾けた。

     定時を十分ほど過ぎた頃、帰り支度を済ませたところで香子に呼び止められる。
    「晴明様、先ほど友人から返事がありました。土曜日の午後二時の予約がちょうどキャンセルになったそうです。こちらでご予約をお取りしてしまっても大丈夫でしょうか?」
    「明日ですね。ええ、よろしくお願いいたします」
    「かしこまりました。お店のホームページのURLを晴明様にも送っておきますね」
    「ありがとうございます」
     ポコン、と個人用のスマホにメッセージが届く。淡いローズピンクを基調とした、いかにもといった様子のホームページだ。メニューバーの中の『アクセス』をタップしてみる。会社の最寄駅から二駅先の場所にあるらしい。晴明の自宅はそこから更に三駅先だ。自宅と職場のほぼ中間地点となれば、もし今後通うことになったとしても苦にはならないだろう。
     改めて香子に礼を言い、晴明は帰路へと着いた。
     翌日。伝えられた時間の十五分ほど前に店舗へと到着する。ホームページの様子から、店自体もキラキラと可愛らしい雰囲気なのだろうと予想していたが、思いのほかシンプルな内装はそこまで居心地の悪さを感じない。客層に男性も含まれるためだろう。
    受付を済ませ、待合室のソファーで待つこと五分。スタッフルームの扉を開いて、パタパタとこちらに向かってくるカラフルな人影がひとつ。
    「どもども~! かおるっちの会社の上司さんですよね~! かおるっちがいつもお世話になってマス!!」
     赤と青のメッシュがところどころに入ったツインテールを揺らす小柄な女性店員は、清原諾子と名乗った。晴明の両手を握ってブンブンと振り回される。おそらく彼女流の握手なのだろう。
    「っていってもぉ、今日の担当はアタシちゃんじゃないんだけどね~!! それではこちらへレッツゴー!! お客様ご案内いたしまぁ~す!!」
     待合室の先に通され、小さなテーブルの前に設置された丸椅子に腰掛ける。そして、机を挟んだ向こう側、スタッフ用のスペースを仕切るカーテンを割り開いて担当らしき店員が現れた。
    「いらっしゃいませ。安倍様をご担当させていただきます、蘆屋道満と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたしまする」
     旧知の人間にすら『感情のスイッチがどこにあるか全くわからない』などと言われている晴明が心から驚愕したのは、この瞬間が初めてであった。
     まず目を引くのはその巨躯である。椅子に座った状態である以上、こちらが見上げることは必然だが、それを抜きにしても大きい。二メートル近くあるのではないだろうか。身長だけではない。この店のユニフォームらしき黒いポロシャツの袖口から見える白磁の皮膚に覆われた上腕は、しなやかな筋肉に覆われていた。肌にうっすらと浮いている青い血管が艶めかしい。濃茶のエプロンに隠された豊満な胸(筋)は、ボールペンくらいならば余裕で挟めてしまいそうだ。
    「……よろしく、お願いします……」
     一つに括り上げられた白と黒の豊かな長髪は彼が動くたびにさらさらと流れ、ふわりと白檀の香りが鼻腔をくすぐる。中性的なかんばせは完璧な微笑を湛えており、目元と唇に薄く施された裏葉色の化粧が彼の美しさを更に際立てていた。年の頃は晴明と同じか、少し下かもしれない。
    器材を用意しながらコースについて説明されるが、伏し目を縁取る長く黒々とした睫毛が黒曜石のような瞳に影を落とす様を見つめて「うん」「はい」とぼんやり相槌を打つばかりで内容は全く頭に入ってこない。ひどく色気のある声だという情報だけが辛うじて処理された。
    安倍晴明、齢二十八にして初めての一目惚れだった。

    「御手を消毒させていただきますね。失礼いたします」
    道満の白い大きな手が晴明の手を取る。道満の手はしっとりと温かかった。否、晴明の手が冷たすぎるのかもしれない。アルコールを染み込ませたコットンが指や掌を這う感触に、柄にもなくそわそわとしてしまう。初心な学生でもあるまいし。
    「冷とうございます。緊張、なさっていらっしゃいますか?」
    「……こういったサロンは、初めてなもので。それと、冷え性なのです」
    「諾子殿……清原から伺いました。藤原様と同じ会社に勤めていらっしゃるとか」
    「香子をご存知なのですか?」
     まずは形を整えまする、と言った道満は、ヤスリを取り出して晴明の爪を一本一本丁寧に磨いていく。道満自身の爪は目元や唇と同じ色で彩られていた。中央を割るように引かれた線がアクセントになっていて、よく似合っている。
    「ええ、ええ。基本的に清原がご担当させていただいているのですが、どうしても都合があわないときは拙僧が施術させていただくこともありまする。そういえば、今回のご予約は藤原様がわざわざ拙僧をご指名くださったのです」
    「指名、ですか?」
    「はい。男性店員の方が気楽だろうと思われたのでしょう。この店舗の男性店員は拙僧一人なのですが、タイミングが良うございましたね」
    「なるほど。香子には礼を言わねばなりませんね」
     香子には月曜にランチを奢ろう。なんなら一週間でも一ヶ月でも奢って良い。晴明はそれくらいに感謝していた。傍から見ればごく薄く微笑んでいるだけだが、晴明の心中は祇園の祭りもかくやという盛り上がりであった。
     サリサリサリ、と目の細かいヤスリが晴明の柔らかい爪を優しく削っていく。つい昨日割れてしまった爪も、綺麗に整えられた。
    「ご自分でお手入れなさるときはどうしていらっしゃいますか?」
    「普通に爪切りを使っています」
    「ンンン、安倍様の爪は薄くて柔らかいですから、こういったヤスリを使われるのがよろしいかと」
    「はは、どうにも面倒でして」
     それに、これからもここで道満に手入れをしてもらうのだ。晴明にはもう必要ない。
    「意外とズボラ……いえいえ、大雑把なのですねぇ」
     少しだけ棘のある砕けた物言いをする彼は、こちらが素なのかもしれない。ますます好感が持てる。
    「長さはこれくらいでいかがでしょうか? もう少し短くされますか?」
    「いえ、大丈夫です」
    「承知いたしました」
     本当はもう少しだけ短い方がいい。けれど、爪が伸びればそれを口実にまた道満と会える。
    「次はハンドバスにございます。安倍様は冷え性であられるとのことですので、ぴったりかと。アロマオイルを使うのですが、いくつか種類がございまして。お好みはございますか?」
     テーブルの脇に設置された棚から何本か取り出した小瓶を見せられる。
    「お任せします。ああ、蘆屋さんのおすすめが良いです」
    「ふむ、畏まりました」
    数本の中から選んだ一本を卓上へ置き、残りは元の棚へ戻す。
    手が浸かる程度の高さまで湯が張られている丸みを帯びた小さな盥に、数滴オイルが垂らされると、ふわりと爽やかな香りが漂った。
    「いい香りですね」
    「ええ。どこかで嗅いだことはありませぬか?」
    「うん? ……ああ、檜風呂」
    「ふふふ、正解にございますれば。サイプレスといいます。ウッディーでスパイシーな香り……などと言い表されておりますが。こちらの方がストンときますよねぇ?」
     いたずらっぽく笑う道満に、心臓が跳ねる。可愛い。すごく可愛い。
    「では、こちらへどうぞ」
     促されて、手首までを湯に浸ける。じんわりと芯から温まる、絶妙な温度だ。
    「熱すぎませぬか?」
    「大丈夫です」
    「よかった。マッサージさせていただきますね」
     道満が湯に浸かったままの晴明の手を取り、そのまま水中できゅ、きゅ、とマッサージされる。
     これは、もはや混浴なのでは……?
     両手をこちらへ伸ばしているせいでその大きさを強調するかのように寄せられた豊満な胸(筋)に自然と視線が吸い込まれる。眼福である。
    「サイプレスはリラックス効果と、冷え性にも効くのです」
    「うん、なんだかぽかぽかしてきた気がする」
     道満のしなやかで大きな手が、晴明の掌を、指の股を、しっかりと揉み解していく。他人の肌を、こんなにも心地良く感じたのはいつぶりだろうか。

     その後は甘皮の処理やらなんやらをしてもらい透明なベースコートを爪に塗られ、今は仕上げにオイルを馴染ませた指先をホットタオルで包まれていた。
    「いかがでしたか?」
    「うん、気持ちよかった」
    「ンフ、それは僥倖にて」
     晴明に言わせてみれば、道満に出会えたことこそが僥倖である。
     会計を済ませて、新しく発行してもらったポイントカードと領収書を手渡される。
    「また来ます。ぜひ次もお願いしたいです」
     しかし、どういうわけか晴明の言葉に道満は表情を曇らせた。
    「あの……まことに、まことに申し上げにくいのですが……」

     月曜日。恐縮する香子を連れ出してランチへと赴く道中。
    「はぁ……腕良し、顔良し、声良しですものねぇ。彼が『タイミングが良かった』と言っていた意味が理解できましたよ」
     あの日の帰り際、心から申し訳ないという顔で道満に告げられたのだ。この先二ヶ月は指名で予約が埋まっているのだと。
    「はわわ……申し訳ございません晴明様ぁ~……」
     涙目の香子が歩きながらぺこぺこと頭を下げる。
    「いえ。私が甘かったのです。少し考えれば分かることでした……。あ、あそこのトンカツ屋にしましょう」
    「は、はいぃ~……」
     しかしながら、晴明にはそこまでの焦燥感はなかった。
     詫びに、と道満が仕事用に使用しているメッセージアプリのアカウントを教えてもらったのだ。爪切りではなくヤスリを使ってくださいね、と念を押され、何かわからぬことがあればこちらへご連絡ください。とはにかんだ道満はやはり可愛かった。
     まずはあの店舗へ通って、外堀を埋めることにしよう。今回のようにキャンセルが出る可能性もある。
     晴明は整った顔を少しだけ歪めて笑った。晴明の後ろを何歩か遅れてついてくる香子にその表情は見えなかったものの、良からぬ気配を感じてよりいっそう涙目になるのであった。
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