毎日SS8/16「……ッ!」
心臓を握り締められたような苦しさに目が覚める。慌てて飛び起きれば、体じゅうに汗をかいていた。
「夢か……」
起きてしまえばそう思えるのに、夢の世界では冷静になれない。
パジャマ代わりのTシャツは寝汗でぐっしょりと濡れてしまい、着替えようとベッドから出る。
適当なTシャツに着替え、すぐに寝直そうと思ったが、喉が渇いた。
少しの物音では起きないと思うが、ニコを起こさないようにそっとドアを開け、キッチンへ向かう。
廊下に漏れる光で、キッチンに誰かいることに気付いた。
「なんだ、まだ起きてたのか」
「あっ、モリヒト!いや、もう寝ようと……」
明日は休みだ。深夜のカップ麺は頂けないが、いちいち咎めるつもりはない。
「こんな時間にカップ麺はやめておいた方がいいぞ」
「いやー、はは……」
咎めるつもりはなかったのに、つい口に出してしまう。ケイゴが、食べ終えた空き容器を隠すようにすすいだ。
「モリヒトはどうしたの?」
このままでは分が悪い。珍しくこの時間に起きているモリヒトに、どうしたのか聞くことによって誤魔化した。
「変な夢を見て目が覚めた」
「へぇ、どんな?」
「それが全然覚えてない。でも、喉が渇いたから」
「麦茶飲もうって」
「そうだ」
中身をすすいだカップ麺の容器をシンクの中に置く。ケイゴが、プラスチックをきちんと分別することを見届け、洗い上げたコップを探した。
「あっ、モリヒトちょっと待って」
透明のガラスコップを取り、冷蔵庫の麦茶を取り出したところをケイゴに制される。
「なんだ」
一応返事はしたが、とにかく喉が渇いた。麦茶をコップに注ぎ、一気に飲み干す。
麦茶を冷蔵庫に仕舞うのと同じタイミングで、ケイゴが牛乳を取る。食器棚からモリヒトのマグカップを出し、そこに牛乳を注いだ。
「ちょっと待ってて」
耐熱マグカップを電子レンジに入れる。何がしたいのか明白だったが、何も言わずにそれを見ていた。
チン、と電子音が鳴る。そのまま渡されるのだろう、と手を伸ばしたが、手渡されることはなかった。
「はい、これ」
コーヒーはブラックで飲むことが多いが、各種コンディメントは用意してある。ホットミルクに蜂蜜を垂らし、それをモリヒトに渡した。
「なんだ、これ」
「あったまるよ」
今さっき汗をかいたばかりなんだが。キッチンに甘い香りが漂う。
「あー、寝れない時とか、母さんがよくこうやってホットミルク作ってくれたんだ」
「そうか」
ケイゴの母親を思い出す。優しそうな人だった。モリヒトの母親は小さな頃に死んでしまったから、眠れない夜にこうやってホットミルクを作って貰った記憶はない。
「ごめん、なんか……余計なことした?」
マグカップを持ったまま、白い水面を見つめていたら、ケイゴが横から伺うように声を掛けた。
「いや、なんでもない」
考えごとをしていたらしい。ケイゴに声を掛けられ、初めて気付いた。ふ、とホットミルクに息を吹き掛け、マグカップに口を付ける。冷蔵庫に常備しているものの、牛乳を飲むのは久し振りだ。
「牛乳なんて普段あんまり飲まないんだけどさ」
優しいミルクの香りと共に、甘い味が胃に広がる。
「嫌なことあった時とか、怖い夢見た時とか、なんか沁みるの」
確かに。口には出さなかったが、そう思った。しかし多分、それはケイゴが作ってくれたからだ。
自分で温めたミルクに蜂蜜を入れたとしても、こんな気持ちにはならない。
「ありがとう」
自然と言葉が溢れた。どんな夢を見たか、なんてもう覚えていないし、その時に感じたこともすぐに忘れてしまった。
「だからさっきカップ麺食べてたことは許して」
ケイゴが顔の前で両手を合わせる。
「許すも許さないも何も、関係ないだろ」
「うっ、その態度が辛い」
がく、と肩を落とすケイゴがおかしくて、口元を緩めた。ホットミルクのおかげで、表情筋が柔らかくなったのかもしれない。
「ごちそうさま」
飲み終えたマグカップを軽く洗って水切りかごに置いく。時間にしてわずか十分ほどのやり取りだが、嫌な夢を見たという後味の悪さを忘れてしまった。
「……また嫌な夢を見たら、作ってくれ」
「うん!もちろん!」
「その時は叩き起こすからな」
「それはちょっと……」
くすくす、と小さな笑い声がキッチンに溢れる。良い夢が見れそうだ。