国境ぐらし①「たまには胃の腑がズンと来るすげぇ酒を気の利いたつまみをでひっかけたい所だなァ」
「そりゃあいい。お前が昨日勝手に飲み干した私のウォッカのことを言っているのか?」
「ウハハ!アチッイテッ!やめろカイゼル!」
大笑いする眉無し男の背をペチカのかきまぜ棒で懲らしめながらカイゼル髭の男もワハハと笑う。酒の恨みは怖い。
たっぷりの薪で暖められたこの小屋内で、今日とて代り映えしない一日が始まろうとしていた。
「なあヴァシリ、今から外出て賭け早撃ちやるから審判頼む」
「………」
軍備を揃え、扉に手をかけた所で声を掛けられる。さっきまでじゃれ合っていた男二人にどうやら出がけを狙われてしまったらしい。
「おっと、ちなみに参加はだめだぞ。お前はいくらハンデを乗せても絶対勝っちまうからな」
「リスは好かん、やるならお前たちだけでやれ」
「すまんヴァシリ!持ち酒の最後の一本を取り返すチャンスなんだ!あとでイリヤにお前の借用書でも渡しておく!」
こちらの意見などお構いなしにちゃんと見ててくれよなんて言い残して男二人は少し離れた樹氷の森へ勇み足でリスを探しに行ってしまった。
「勝手な奴らだ」
少しだけ双眼鏡を覗いていたが完全に飽きてしまったため木に腰掛けて足元の雪を掬う。今日の雪は少し重い、おそらく丸めやすいだろう。ギュッと無心で雪を揉み、国境警備の任を仰せつかってからどれほど日数が立ったか考える。
守備としての狙撃が必要とされるこの任は、個人としての才能を腐らせない上手な使い方をされたと思っている。しかし、短くも長い果ての国境で過ごす日常はいささか刺激のない平坦なものであった。
パラパラパラと少し遠くから銃声が空を撃つのが聞こえる。けしからん、あいつら一度で仕留めきれなかったな。などと思いながらせっせと手元を動かしていると数分もしないうちに大の男二人が肩をぶつけ合いながら戻ってきた。どちらも頬を紅潮させて駆けてきたので、よほど接戦だったのだろう。
「ヴァシーリ!どうだ?どっちが先に撃ち落とせてた?!当然俺だろう?」
「待て待て!今のは私に決まっているだろう。……で、どっちなんだ?」
「しらない。飽きたから見てなかった」
「は!?」
「なんて!?」
そうして二人の前に差し出したのがころんと綺麗に丸められた雪のナキウサギ。
丹精込めて雪の表面を整えた身体部分は小枝の先で繊細な毛運びまであしらわれており、乙女のハートだって射貫けてしまえそうな愛くるしい仕上がりとなっている。
「見ろ、ナキウサギはこの薄い耳の部分と目のキャルキャルがとても難しい。わかるか?今日は上手くいった。触るなよイリヤにも見せるから」
キリリと言い放つその姿はいっそ冴え冴えと美しい。この男が手ずからこさえたと知られれ街の乙女が大挙して欲しがるのではないか?そんな事すら思い浮かばせる良い表情だ。
「ウソォ!?」
「おいヴァーシャ何してんだ折角の賭けだったのに!」
「やめろ寄るな。崩れるだろう」
「うるさい。何してるんだお前ら。あっちの方まで声が響いてたぞ」
「ねえちょっと!お前のとこのハニーが俺らの勝負の審判役投げて雪いじってたんですけど!」
「お、何だまた出来たのか。紙と鉛筆の在庫が減るといつもそれだな。どれ」
「ちょっとは叱るとかしてぇ?」
ヒゲと眉の言葉もそこそこに掌上のそれをイリヤへ手渡す。
「会心の出来だ」
「ふふ、すごいな。前は見せに来るまでに全部バラバラに崩れたのに。……ああ、紙と鉛筆はいつものように次の補給にこと付けておこう。待てるな?」
「バカにするな、俺だってそのくらい我慢できる」
「そりゃあいい」
じゃれつかれた時にずれたであろう帽子を外された。次いで空いた手でふわふわと髪を撫でられたので、満足げにくふんと鼻を鳴らし謹んで頭を撫でるその手を受け入れる。
「そら、就業前だ。おべべはきちんとしないとな」
そう言いながらぽす、と間抜けな音を立てて帽子をきちんと被せ直してくれるのも彼の面倒見の良さが伺い知れた。
「ったく、俺達の分も増やしてくらたらいいのに」
「うるさい黙れ」
「こらヴァーシャ、言い過ぎだ。仕方ないだろう、酒と文房具じゃ単価が違いすぎる」
さっさと向こうへ行けと持ち場へ促せば年上になんてことを!とハンカチを嚙む仕草で去る眉無しをカイゼルが茶化してようやくスキー板を嵌め進みだした。
「あいつらリス撃ちから一昨日も同じ事やってなかったか」
「さあな、潰せる暇があるだけましだろう」
「さて」
――瞬間、空気が張り詰める。白いひげを蓄え初老に差し掛かった彼の顔からはつい先ほどまで浮かべられていた柔らかな表情は消え失せており、ひどく無機質に感じられる。
「伝えている通り、本日の【リス】は重刑者三人の共謀者二人だ。ルートは付けたが俺たちはどちらを引くと思う?」
「問題も無い。あちらであれば眉無しが仕留めるだろうし、撃ち漏らしはカイゼルが確実に始末する。その為のツーマンセルだろう」
己の回答に満足げに頷き、では、と続ける。
「タマは温まっているか?」
「勿論」
「首尾は?」
「上々」
「―良し、では行くか」
平坦な日常が始まったとしても怠惰に遊んでいた訳ではない。きっかり時間を守りつつ持ち場へ着く。宛がわれた任は速やかに対処する。それが【仕事】だ。
正直に言えばここではきっと死に花を咲かせられないし、咲かすつもりも毛頭無い。
(きっといつか訪れる)
背に負う銃の嘶きは、鉛に乗せる誇りは磨かれ爛然と【その時】を待っている。
「…………」
ふ、と短く吐息を落とす。鈍い色に染まった空へ昇る吐息は未だ穢れを知らないましろの無垢。
「――― ―!」
遅いぞ早くこっちにこいと自分たちを呼ぶ声が聞こえる。
「やれやれ、騒がしい奴らだ。今度は四人で一緒に【リス撃ち】をしようだなんて言わないだろうな」
イリヤのぼやきを聞きながら、左の口端が上がり呼び声のする方向へ歩き出す。
ああまた己の日常がひとつ消費されて行くのだろう。
――ただ、今だけはこの悪くはないと思えてしまうのは何故だろう。