国境クッキング①本日も曇天、明日も曇天!帰路につく同僚が横でそう言っているのを聞きながらイリヤは手袋を嵌めた両手を擦る。彼らが言うように灰色の雲が垂れた空はどんよりとして今にも雪が降りそうで、本格的な冬が来たなと嫌でも自覚させられた。12月のその痛いくらいの冷たさは、慣れていても思わず身震いする程に厳しい。
「さて、我らが末の弟はちゃんと最後まで出来てるのかね」
「また壺を焦がして炭が出来てるに一杯かけるか?」
「ハハ。……いいや、今日はやめとく。さすがにあれだけ失敗したら夕食はマトモだろう」
本日の食事当番はヴァシリだったのだが、彼が煮炊きが苦手だった。朝はイリヤの力を借りかろうじてブリヌイにありつける事が出来たのだが、昼は肉の煮込みを壺に入れ、ペチカの中で盛大に吹きこぼして炭にしてしまったのだ。
『……………また肉を調達してくるから手打ちにしてくれ』昼をダメにしてしまった事に罪悪感を負ったのだろう。なんとも言えない顔で気まずそうに言う姿のなんとしおらしかったこと。その後ヴァシリを慰めながら総出で手伝い昼食をとったのだが、悲惨な事になっている部分を含め、全会一致で後始末を彼に託し小屋での雑務も兼ねて本日は一日お留守番という形をとってもらっていた。
おおい、帰ったぞと扉を開ければ見知った美丈夫が食卓の支度をしている。
「帰ったか。まだちょっとかかる、少し待て」
「やあ、良い匂いだ。上手くいったみたいだな」
ニオイはだいぶ良さそうだな、ああ、そうだなと思い思いに言いながら、どやどやと流れるように手伝いに入る。これも4人で持ち回りを決めた生活の中、培ってきたお陰だ。
「おいこれ凍み芋か?4等分が全部繋がってんぞ」
「大目に見てくれ。料理は愛嬌だろう」
「まあすぐ焼くけどよお、お前さんそんな無表情でよく愛嬌とか言えたな」
【はじめてのブリヌイはだんごにできる】最初は失敗しがちだから甘く見てくれということわざがあるが、実は調理以外にも切り込み作業で既に2回失敗している。
「そうだイリヤ。お前が教えてくれた『ヤマネコノテ』だがやはり野菜が滑って逆に危なかったぞ、なんでだ」
お?なんだ夕飯はヴァーシャの血入りか?とふざけたことを抜かす眉無しの背をつねり、コートの皺を伸ばしていたイリヤに問いかける。
「……ヴァーシャ、正直に言え。指は切ってないだろうな?」
「馬鹿を言え、ちゃんと洗ったし服に付いたこの色は朝のビーツだ」
「本当か?」
「本当だ」
イリヤの世話焼きパーパが発動してる、と未だに茶化す眉無しに、ワハハと勢い良く背中を叩かれる。失敬な、なんなのだこいつは。
「なあヴァーシャ、ここまで行けたならせめてカーシャに肉を入れておかないか?イリヤがつまみにし損ねてた缶のやつがあっただろう」
鍋を覗いて何かに気付いたカイゼルが包丁を持ってそう語りかける。
三者三様に口を出されてしまったので、ギュンと口をへの字に曲げて口の中に入れたら全部同じだという言葉をぐっと飲み込んだ。
一度そういった反論をしたらみんながみんなにヴァーシャ、それは違うぞと親が子に言って聞かせるように諭された経験があるからだ。戦争が終わり、先の見えない任を果ての国境にて任されているからこそ、日常をどう過ごすのかが大切になってくるのだと、彼らは言う。若い自分はまだその境地に至れていないのでそんなものかと聞き流してはいるが。
そうこうしている内に支度が終わり、無事に夕食が完成した。本日のメニューはやや不格好に広げられたじゃがいものドラニキとカイゼルが足したおかげで見目が格段によくなった肉入りのカーシャ、そこまで手が回らないだろうと昼間に作り置きしてくれていた残りをそのまま使ったウハーの3品だ。
「ここへ赴任して2か月でちゃんとここまで形になるんだからすごいもんだ」
「くく、そらぁな。保存食に飽き飽きしてた所にこうして多少の自由も効けば嫌でも上達するってもんだ。だがなヴァーシャ、狙撃の腕はお前に負けるが料理の腕は俺のが上だぞ、悔しがってクルミ齧って前歯が取れないように気をつけろよ」
「お前こそいつもやってる歯で酒の蓋を開けるやつで奥歯でも折れるんじゃないか」
ぴっと匙で指差し言い返す。すると、ヴァーシャ、お匙で人を指差すのは良くないぞとイリヤに即注意をされてしまった。
「……イリヤはすぐ子ども扱いする」
「むくれるな。本当のことだぞ。……ま、何にせよ里が違う奴らや年上の言う事にはちゃんと耳を傾けるのが一番ってことだ」
粗食であれ豊かにしようとする工夫は大事だぞと付け足され納得する。
手元のカーシャに視線を落とし、すっとその肉ごと掬う。軽く炙ってくれたのだろう香ばしく肉が焼けており、口に含めば蕎麦の香りと塩気の効いた脂の旨味が混然一体となり、大変よいものに仕上がっていた。
昨日イリヤが作ったカーシャは甘く味付けられていたので、続けば飽きると思い牛酪と塩にしてみたのだが、なるほど。確かにこの味は。
(肉は偉大、香辛料はさらに偉大ということか)
なんとなく、エレニンカでの日々や従軍して初めてイリヤに連れていかれた街や料理を思い出す。静かに匙を動かして、どこか懐かしさを感じながら皿の中身を丁寧に空にしていく。
温いものを胃に落とす感覚は心地良い。
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「だ~か~ら~俺って意外と慎み深くないか?まじめで重々しい訳じゃないから結構イケるとおもってるんだけど」
「それはモテるかモテないかの基準で言ってるのか?皺だらけで服を干すお前には無理だよ眉無し」
「なんだとこのヒゲ!」
食事を終え、食器を片していた隙にどうやら口げんかが勃発したらしい。
「うるさい、こんな狭い小屋の中でケンカするなお前ら」
「あ!?なんだ年寄りライオン!!」
「偽サンタ!!」
「アァン!?」
窘めようとイリヤが間に割って注意したのだが、悲しいかな、却って逆上させてしまったようだ。血気盛んなことはいいが酒が入っていない状態でこの騒ぎなので少々配慮をしてもらいたい。
まあ、イリヤは他の者が開けられなかったジャムの蓋をいとも容易く開封できるほどの力の持ち主なので、素手の殴り合いに発展した場合すぐ収束するだろう。
まあ、基本的にはみな人付き合いが上手なので滅多に荒事にはならないのでそこは一先ずスルーする。それよりなんてデジャビュだ。先日の酒盛りを思い出してため息をつく。
(あれは本当にうるさかった。この三人は盛り上がると特段うるさい)
「おい、私はもう茶を頂くからな」
大の大人が一体何をしているのだとジト目で言い放ち、沸いたサモワールの元へ歩いて行く。お先に一杯と好きに飲み、支給された茶菓子を摘まみ一息つくのがいつものルーチンだ。
茶菓子に摘まんだスーシュカは、ぽってり丸っこい形をしていて甘い。ぱり…と前歯でそっと噛み、もごりと残りを奥歯で噛みきり右の頬を膨らませる。その甘さが、幼稚な言葉が飛び交っている喧騒でささくれた心を癒してくれる。
(しかし、私の料理はそんなに下手だったか?……母は旨いと言ってくれたのだが)
一瞬でもそう思ってしまったら【敗け】だ。悔しいが絵や狙撃で勝っても料理のセンスが壊滅的のままではいけない。次がある内にマスターしなければならない事はきっと沢山ある。食事に関してもプライドを以ってお返しするのが筋だろう。
「……フン」
次の三日後までに首を洗って待っていろよ。密かにそう決意しながら鼻でひとつ笑ってやった。
――今度の当番のときは、せめてヤマネコノテ位はマスターしてやろう。