Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    hiko_kougyoku

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 44

    hiko_kougyoku

    ☆quiet follow

    若やまささ+弾児郎、源志郎
    「この拳が護るもの」④
    ※弾児郎の物語。
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※途中残虐・流血表現あり。

    この拳が護るもの④  5


     尸魂界に、夜の帳が降りようとしている。瀞霊廷のいたるところで一つ、また一つと篝火かがりびが焚かれ、漆喰が塗りたくられた白壁が炎と同じ色に染まりゆくのを見た金勒は、いよいよか、と我知らず声を漏らした。
     総隊長不在の間、瀞霊廷での陣頭指揮は金勒がとることとなった。本陣となった三番隊舎周辺には三番隊士と元柳斎から預かった一番隊士が控えており、塀を隔てているにもかかわらず、隊士たちが迫りくる脅威に備え四方に神経を張り巡らせている気配を肌で感じる。
    「先程善定寺から報せが入った。じきに虚たちが瀞霊廷に到達する」
     金勒は、庭で待機していた出立組へと声を掛ける。元柳斎がうむ、と短く唸る声がした。
    「儂らも出るとしよう」
     言いながら弾児郎、長次郎、源志郎の顔を見回すと、三人は揃って頷きを返す。
     他の隊はそれぞれ決められた配置に向かった。あとは迎え撃つのみ……とはいえ、自分が刀を振るうことになるというのは、すなわち前線の状況が思わしくないことを意味する。そうならなければいいのが当然の心理であると同時に、待つだけというのも案外落ち着かないものだ。考えていると、元柳斎が金勒へと近付いて来た。
    「留守は任せる」
    「承知した」
     金勒は一言、応える。総隊長直々に指揮権を預かるということに、粛然としたものはあっても重圧はなかった。だからこそ自分にこの任が与えられたのだろう……。
     遊離しかけた意識を戻し、三番隊舎を出ようとする一行に目を向けると、金勒は最後に「尾花」と弾児郎を呼んだ。
    「くれぐれも、我を失うなよ」
     「分かってるさ」と浮かべられた笑みが、どこかぎこちないものに見えたのは気のせいだろうか。胸に暗いものを感じながら離れてゆく元柳斎たちの背中を見送った金勒は、外回り部隊からの第一報が来る前に今一度策を講じるべく、執務室に入ろうとした。
     すると霊圧が近付き、足を止められた。それは一般隊士の脆弱なものではなく、もっと強大な霊圧だった。出立組の誰かが引き返して来たか、隊長格の誰かか。思いつつ振り返ると、そこには女と見間違う長髪に、屋根状に作られた笠を被った死神が一人、影と同化するようにひっそりと佇んでいた。
    「どうした。お前は卯ノ花とともに南の守護に向かったはずじゃ……」
     おどろおどろしさすら漂う佇まいに金勒が思わずといった声を出すと、雨緒紀は一歩こちらに歩み寄り、「厳原、頼みがある」と重々しく口を開いた。
    「何だ」
    「私も、山本たちのところへ行かせてくれ」
    「できるわけないだろう」
     金勒は間髪入れずに断る。予想はしていたのか、返答をすんなり受け入れようとしている雨緒紀に対し、金勒は「尾花に感化されたか」と率直な言葉を投げかけた。
    「否定はしない」
     雨緒紀はここでも素直に応じた。その気持ちに偽りがないことは、こちらに据えられた真摯な目を見れば分かる。少し前の雨緒紀と比べ、闇にも瞬くようなあたたかな光を湛えた眼差しを真正面に受けた金勒は、おもむろに「変わったな」と口にした。
    「今のお前は、前よりもやわらかい」
    「やわらかい……どういうことだ?」
    「そうだな……他人に心を配れるようになった、とでも言っておくか」
     それでも首を傾げる雨緒紀に、金勒は言葉を重ねる。
    「前は尾花がお前を放っておけないといった感じだったが、今はお前が尾花を放っておけないという目をしている」
     見開かれた目が、戸惑いに震えるのが見て取れた。そこに不快感というものはなく、はじめて目にした美しい花に触れる時のように、自分に芽生えた感情を確かめんとする慎重さ、実直さがあった。そうしてしばらく呆然と立ち尽くしていた雨緒紀だったが、ややあって口元を満足そうに緩めると「そうか」と噛み締めるように、ゆっくりと呟いた。
     受け入れたのだ、と金勒は思った。人は変わることを、そして変わることで目の前に広がる世界までもが違うものになると。人は年を重ね、精神が成熟すると同時に守りに入るようになり、安穏たる毎日を望むようになる。見てきた景色、出会って来た他人だけを世界の全てだと考え、それが正しいと信じて疑わなくなる。そうなるとどこかでつまづき、やり直そうとしても自分が生きてきた今までの否定するように思えてしまい、意固地を捨てられないまま時を過ごすこととなってしまう……。
     そんな人間を幾度も目にしてきた。思い描く自分になれないまま、後悔と心中した可哀想な魂を。雨緒紀は違う。自らを追い立てたであろう恐れに呑まれず。腐らず、前へ進むことができた。それがおそらく、雨緒紀にとって良い変化だ。そう思い、気を抜こうとした金勒は、頭の片隅で動いていた懐疑の存在を思い出すと「それともう一つ」と緩みかけた視線を険しくした。
    「お前、山本に同行したいのはそれだけが理由じゃないだろう」
     尋ねるというよりは詰問というほうが近い、鋭い声だった。一歩、また一歩と近付くと、ぎくりと唇を真一文字にした雨緒紀はじりじりと後ずさる。
    「な、何を言っている……」
    「お前のそれは、何か後ろ暗いことを隠している目でもある……正直に言え」
     図星を突かれ、言葉を詰まらせた雨緒紀は問い詰める視線から逃れようと明後日の方を見る。しかし金勒がそれで誤魔化されるはずもなく、観念した雨緒紀は悪戯をした子どもが言い訳をするように、ぼそりと小さな声で理由を告げた。
    「……卯ノ花と同じ配置は嫌だ」
    「そんな理由で出立許可を出せるわけないだろう」
     再度断言され、雨緒紀が落胆をため息に乗せたところで、今度は別の気配が庭に入り込んできた。
    「ちょっといいか?」
     塀を乗り越え、姿を現したのは外回りに出ているはずの千日だった。機動力に優れた二番隊はどの門の配置にも付かず、瀞霊廷内を絶えず動き回って情報収集を行い、場合によっては苦戦している箇所の加勢に向かうのが今回の役割となっている。にもかかわらずここにいるのは、虚の襲来を知らせるためか……そう推測し、身構えた金勒だったが、千日の背後にある光景を目にした途端、その考えは違うと理解した。
     千日に続き庭に入って来たのは、死覇装を改良した軽装の死神と、一般隊士が身にまとうごく普通の死覇装を着た死神の二種類だった。軽装のほうは敏捷性を重視する二番隊士だと分かる。一方で死覇装のほうは……、
    「五番隊の隊士か? 何故拘束されている」
     金勒の訝しんだ声に、体の正面で両腕をひとくくりにされた死神たちはばつが悪そうに唇を結ぶ。金勒の問いに答えたのは千日だった。
    「こいつら、俺たちの目を盗んであちこちの門から抜け出そうとしてた」
    「お前たち、本当か?」
     金勒と千日、そして雨緒紀という三人もの隊長の視線を受け蛇に睨まれた蛙となった隊士たちは、陰気な緊張を夜闇にまとわせると一様に下を向き、だんまりを決め込んでしまった。煌々と燃える篝火が強烈な光となって隊士たちを四方から照らし、上官に叱られたことによる不貞腐れではなく、どう切り出そうか迷っているようにも見える悄然とした面持ちに濃い影を落としている。
     ここまで大人しくされるとかえってやりにくい。困惑のあまり眉間の皺を深くした金勒は、軽く咳払いをすると隊士たちに問いかけた。
    「理由はまあ予想できるが……一応聞く。何故持ち場を離れて抜け出そうとした」
     五番隊士は何かを確かめるような目でお互いを見やる。やがて最前列にいた一人がおずおずと「……尾花隊長の加勢に行くためです」と口を開いた。
    「尾花は、お前たちを巻き込まないようにするためにここに残す判断をした。それを分かって言っているのか?」
    「ですが、私たちも……」
    「何もしないわけにはいかない、とでも言いたいのか? そうやって向こう見ずに飛び出して、一人でも虚に食われてみろ。尾花の胸に一層の穴を空けることになるぞ。それでもいいのか?」
     配慮も慈悲もあったもんじゃない、辛辣な物言いに隊士たちが目に見えて肩を落とすと、「厳原、言い方ってもんがあるだろ」と千日が苦言を呈する声を出した。
    「ここまで言わなければ諦めないだろう」
    「そうかもしれねえけど……」
     それきり言い淀んだ千日の視線の先を辿れば、五番隊士たちがまだ何か言いたげな顔をしている。これだけ言っても聞かないか。呆れ半分、苛立ち半分。次はどう言ってやろうかと考えていた時。なりゆきを見守っていた雨緒紀が「確か……」と思い出したように口を挟んだ。
    「五番隊士は四班に分かれて各門へ配置されていたな。今から向かうとなると後れを取る……どうする?」
    「なら、二番隊で借り受けてもいいか? うちだけで外回りとなると、どうも手が足りなくてな」
     言いながら、千日が地獄で仏とばかりにほっとした顔になるのを、金勒は見逃さなかった。しかし状況が差し迫っているというのも事実。睨むだけでそれ以上の小言を控えた金勒が「構わん。こいつらが無断で抜け出さないよう、しっかり見張っておけ」と顎で示せば、千日は二番隊士と拘束を解かれた五番隊士を引き連れ庭を後にした。
    「王途川、お前も行け」
     「ああ、そのつもりだ」と雨緒紀もその場から離れると、夜の静寂と隊士たちの緊迫感が金勒の首筋をそっと撫でた。痛みすら感じるような張り詰めた冷たさにふと頭上に目を向ければ、漆黒の空は重々しい鈍色の雲に覆われていた。月の光すら通さない、厚い雲だった。
     息を吸えば、鼻の奥につんとした刺激を感じる。肺すら凍てつかせる、冬の嵐の前触れ……今夜は吹雪くかもしれないと、金勒は思った。

      *

     三番隊の敷地からだいぶ離れたところで、千日は後ろを振り返った。脱走防止のため二番隊士に囲まれながら移動する五番隊士たちの顔は総じて能面で、戦いに赴く兵士の滾りは微塵もうかがうことができなかった。
    「お前たち、腕に覚えはあるか」
     足を止めた千日の、張り上げた声が塀に反響し、消沈した隊士たちの顔を上げさせる。突然の問いかけにいくつもの瞳が迷いに揺れるのを見た千日はにっと唇を歪め、この場に似つかわしくない笑みを浮かべると、「へえ、五番隊は揃いも揃って腰抜けか。尾花もぬるい指導をしてんだなあ」と嘲ける声で言い放った。
    「そんなことありません! 尾花隊長は、俺たちを一人前の死神にしようとしてくれています!」
     そこに、烈火の如く噛みつく声があった。集団の真ん中にいた五番隊士だ。必死の弁駁が火種となったかと思えば熱はあっというまに五番隊全体に伝播し、金勒の小言などまるでなかったかのように、弾児郎を擁護しようと息巻く声があちこちから噴き上がる。
    「たとえ四楓院隊長でも、尾花隊長を侮辱するのは許せません」
    「隊長のためならば命だって惜しくはありません!」
     相手が上官であろうと、言わずにはいられない。一つ一つの言葉から五番隊士たちを駆り立てる思いの一端に触れた気がした千日は、後頭部をがしがしと掻き毟ると「あいつってほんと、人たらしだよなあ」と呆れ混じりの声を吐き出した。
    「お前たちのその心意気、嫌いじゃねえ。だが命を捨てることはするな。尾花はそれを望んじゃいねえからな……」
     そこで一度言葉を切り、ひと呼吸おいた千日は、こちらに注目するいくつもの目に向かって高らかに命ずる。
    「五番隊、すぐに出立の支度をしろ」
     五番隊士だけでなく、任務遂行を第一とする粛然さを持ち合わせた二番隊士にまで動揺が広がってゆくのが分かる。一体どういうことだ、という視線の中、「で、ですが……厳原隊長は抜け出すことは許さないと……」と全員の疑問を代弁する声が聞こえてきたのは当然の流れだろう。
    「〝無断〟ではな。無断じゃなきゃいいんだよ」
    「そんな屁理屈を……」
    「いいんだ。今の護廷十三隊の連中は、理屈じゃないもんに衝き動かされている。感情とか、気概とか、矜持とか。そういう不可知の積み重ねが人の縁を作ってんだ……お前たちと尾花のようにな」
     弾児郎と五番隊士の繋がりが、自分が想像する以上に強固なものだということは、隊士たちの訴えだけでなく弾児郎の振る舞いをみていれば察することができる。誰かと肩を並べ、夢見た未来へ歩めるということ。それを僥倖と喜ぶことができるのは、強さだけでなく痛みを知っている者のみ……。
     いくつもの冷たい夜を越え、それでも豪胆であれと駆け抜けてきた背中が、変わり果てた部下を前に気力を失ったように丸まっているのを思い出した千日は、五番隊士たちの泥臭くも熱い気勢をくじかぬよう、ゆっくりと言葉を繋ぐ。しかしそれで場を包み込む不安が消えることはなかった。
    「そう辛気臭え顔すんな。さすがにお前たちだけじゃ行かせねえよ。俺に考えがある」
     はっきりと告げた千日は、なおも顔を見合わせる隊士たちに向かって満面の笑みを作ってみせると今しがた歩いてきた方角へと目を走らせる。闇はどこまでも暗く、いくら目を凝らせどもその先へと消えたであろう人物の姿を浮かび上がらせることはできなかった。


      6


     この時代の〝瀞霊廷〟は規模としては街というよりも村と呼ぶにふさわしい、至って小規模な居住空間でしかない。
     中心部には護廷十三隊の隊士が生活する隊舎、その周囲に侵入者避けとして設置された迷路状の通路と殺気石が埋め込まれた白い塀があり、四方に門があるものの、そこには門番すらも置かれてはいない。隊舎から門までのんびり歩いても半日、瞬歩を使えば四半刻ほどしか掛からない敷地は、それでも無秩序の塊である彼らに与えられたにしては十分な広さで、この〝村〟を足掛かりに、護廷十三隊は尸魂界だけでなく三界を守護する警護組織へと発展していくこととなる。
     千年先の世において貴族街、娯楽施設を包括し中核都市としての機能を備えた〝瀞霊廷〟ができるのは、初代護廷十三隊が活躍した時代よりもずいぶん後の話なのだ。

     *

     瀞霊廷の北の玄関、黒稜門。その門を背にして立哨する隊士たちから発せられる空気には静とした殺気が込められており、今が戦いの前ということを自明のものとしている。
    「こうして門の前に立っていると、いかにもって感じがしますね!」
     そんな中、ここ一番の有事ということをまるで感じさせない弾んだ声が前方から聞こえ、夜の空気を震わせた。八番隊隊長の抜雲斎だ。その手にはすでに始解がなされ、薙刀となった斬魄刀が握られており戦闘態勢が取られているものの、その顔は平時の稽古の時と変わらぬ朗らかなものだった。
    「善定寺さんの話だと、もう少しで到着とのことです。どうお出迎えしましょうか?」
    「お前なあ、もう少し緊張感ってもんを持てよ。相手は虚。お茶しにくるわけじゃねえんだぞ」
     のんびり声を諫めたのは、同じく黒稜門の守護を任された九番隊の隊長である煙鉄だ。振り向いて見れば、煙鉄が自らの斬魄刀である棍棒を、その感触を確かめるように掌に打ちつけている。隊士を前に余裕を見せているつもりなのだろうが、さっきから辺りを行ったり来たりする様子を見てきた抜雲斎からすればそわそわしているようにしか思えない。
    「煙鉄さんは緊張しているのですか?」
     尋ねれば、煙鉄は棍棒で掌を叩くのをやめて抜雲斎を見る。
    「緊張……はしてねえな。けどなんだろう……久々に腹の中が落ち着かない気分だなあ。血肉が沸き上がる、っていうのか? 居ても立っても居られないってやつだ」
     篝火はあれど、視界が利かないことには変わりない。顔を上げて仰ぎ見るも自分から三歩ほど離れた煙鉄の目の奥の読み取ることはできない。抜雲斎は「分かるような気がします。あんなに落ち込んだ尾花さん、はじめて見ましたから」と返すと、今度は前方に視線をやった。拓けた大地の先には夜空との境目があり、なだらかな直線上には何かを確かめることはできない。
    「人が亡くなったら悲しいっていう気持ちなんて、すっかり忘れていました。だから、こんなことを言ったら叱られてしまいますが……少しだけ尾花さんが羨ましいんです。私たちが忘れてはいけない、大切にしなければならないものが、まだ心の中に残っているのですから……」
     「そうだな。俺たちはあまりにも多くのものを置いてきた」煙鉄は抜雲斎と同じく、地平線の彼方を見据えながら言う。
    「置いてきたなら探しに行けばいいさ。生きるっていうのは長い旅だ。縁があったらきっとまた出会えるさ」
    「……そうですね」
    「そのためには、ここで引くわけにはいかねえな」
     煙鉄の言葉に、抜雲斎はにんまりと笑みを浮かべる。
    「もちろんです! 精一杯戦いましょう!」
     自らだけでなく隊全員に言い聞かせるように意気揚々と声を出すと、控えていた隊士たちも雄叫びを上げる。
     ……虚の襲来まで、あと少し。

      *

    「いやいや、不安しかないんですけど……!」
     西側、白道門では知霧が薄闇でも分かるほど顔を青くしていた。なんでよりによってこの人と一緒なんですかねえ……ぼやきそうになったのをすんでのところで飲み込むと、目だけ動かし、隣の人物を見る。自分より頭一つ低い背丈、丸まった背中、毛のない頭。先ほどから遥か向こうを眺めたままぴくりとも動かない逆骨に、疼いていた不安が増幅していくにつれ自分の口がへの字に曲がっていくのを自覚した。
    「逆骨の大爺様、どういう策で行きましょう?」
     沈黙に耐え兼ねた知霧が尋ねるも、返事はない。まさかと思い顔を近づけると、逆骨の口元からは規則正しい寝息が聞こえ、曲がった口があんぐりと開いてゆく。「大爺様! こんなところで眠らんでください!」と大声を出せば、逆骨はびくりと肩を跳ねさせ、緩慢な動きながらもようやくこちらを向いてくれた。
    「なんじゃ、いきなり叫ぶでない。寿命が千年縮んだわい」
    「叫びたくもなりますよ! もうすぐ虚の群れがこちらに来るんですよ? 寝てたりしたら危険ですって!」
    「そう慌てるでない。戦で冷静さを欠いては、相手の思う壺じゃ」
     大あくびをしながら答える逆骨の様子は歴戦の余裕よりも危機感の欠如と表したほうが近かった。抱いていた不安は杞憂ではないという声がどこかから聞こえたような気がする。思考を攪拌していた焦りが急激に冷めていくのを感じた知霧は「はあ」という気のない返事をすることしかできなかった。
    「ほれ、おやつでも食おうぞ。せんべいは好きか?」
    「まあ、好きですけど……」
     逆骨は懐やら袖口からせんべいの包みを取り出すと、後方で待機していた四番隊士にも配りはじめる。呑気というか、つかみどころがないというか。そもそもこの人の考えを読もうとすることすら無謀なのかもしれないと諦めることにし、知霧はせんべいに目を落とす。
     おや、と思ったのは、包み紙に描かれた屋号に見覚えがあるような気がしたからだ。嫌な予感がした知霧は「このせんべい、どこから持ってきましたか?」とせんべいを配り終えた逆骨に尋ねる。返って来たのは「お主の部屋じゃ」という悪びれる様子もない声だった。
    「やっぱり! いつの間に盗んだのですか!」
    「先程バタバタとしている時に、ちょいとな」
    「勘弁してくださいよ! 盗むなら四楓院の若君のところからでお願いします!」
     知霧の懇願を面白がっているように、逆骨の喉からは引きつった笑い声が漏れ出た。

      *

     朱洼門は瀞霊廷の南に位置するということもあり、この時期特有の冷たい北風を受けることがない。寒さをしのげるということは体力の温存ができ、それはすなわち士気の維持にも繋がる。そう考えれば、今回の戦闘において自分が朱洼門に配置されたのは幸運なことと言えるだろう……組むこととなったもう一人の人選を除けば。
     状況を前向きに考えるようにし、割り切ろうとした雨緒紀だったが、突如背後に感じた霊圧に思考を止められた。振り返って見れば、そこには瀞霊廷を見回っているはずの千日が立っていた。
    「卯ノ花はどうした?」
     門には十番隊のほかに十一番隊の隊士が揃っているものの、隊長である卯ノ花の姿はない。
    「どうせその辺をほっつき歩いているのだろう。そのうちふらりと現れるのではないか?」
     雨緒紀はそっけなく答える。できることならほっつき歩いたままであって欲しいという本音はおくびにも出さない。
    「そっちはどうだ? 五番隊の隊士は大人しくしているか?」
     話題を変えるためにそう投げかければ、千日は貼りつかせていた微笑を硬化させ、「そのことなんだが……」と何かを言いかける。竹を割ったような性格の千日にしてははっきりとしない物言いが引っかかり、先を促そうとした雨緒紀だったが「おーい」と間延びした呼びかけが遠くから聞こえたため、会話は中断されることとなった。
     利かない視界でも、巨体のおかげで誰かはすぐに分かった。何故か急いでやってきたのは有嬪と、有嬪が率いる十二番隊だった。
    「雨緒紀、遅れて悪ぃ。ちょっとばかし足場が悪いところがあってよお」
     ししし、と誤魔化すような笑いが続いたが、しかし雨緒紀は何のことか分からなかった。有嬪と何か約束をしただろうか? 思い返すも心当たるものがなく、戸惑いながら千日を見ると、こちらの反応に千日までもがどういうことだと顔に疑問を浮かべる。
    「善定寺、お前は瀞霊廷周辺の警戒に当たっていたところだろ? どうしてこんなところに……」
     三つの隊が一か所に集まるという大所帯をどうにかしようと、千日がとりあえずの質問をする。有嬪は心底不思議そうにどんぐり眼をさらに丸くし、数回まばたきをしてから、
    「どうしてって……八千流の代わりに俺が南の警護に入ることになったって聞いたから」
    「誰に」
    「八千流」
     思いがけぬ内容に、千日が眉を顰める。こちらを見ないままの「王途川、聞いているか?」と向けられた声は、少しばかり低くなっていた。
    「いや、私は聞いていないが……もしそうならば、卯ノ花はどこの配置になったのだ?」
     じっとしていられるような性格ではないにせよ、卯ノ花が有嬪の代わりにあちこちを走り回るとは思えない。ならば卯ノ花はどこに……自然と浮かんだ疑念を口に出せば、きょとんとしていた有嬪もまたそこには思い至らなかったとばかりに頭を撫でる。
    「そういやあいつ、どこ行ったんだろうな……」
     落ちた墨が水を汚すように、暗い想像が思考に広がっていく。雨緒紀は千日と目を合わせる。「まさか」と耳朶を打った声は、良いことを考えているものではなかった。

      *

     星どころか、月すらも見えなかった。瀞霊廷の東、青流門にいた不老不死は、辛気臭い夜だと思いながら右目を凝らし、枯草ばかりがへばりつく地面を先へ先へと辿ってゆく。景色の一番遠いところを睨みつけていると、ほどなくしてから暗いばかりの闇に蠢くものが現れ、不老不死は自分の口角が上がるのが分かった。
    「お、来たな」
     愉しげな声に、返って来たのは鼻で笑う音だった。不老不死は隣の人物に視線をやる。そこにいるのは天を突き抜けるような長躯に絶望を飲み込んだような黒を纏う、悪辣然とした男……。
    「おいチビ、俺の邪魔すんじゃねえぞ」
     乃武綱の悪態にかちんときた不老不死は「そっちこそ、ぼうっとつっ立ってると斬っちまうぞ」とまっすぐに嫌味をぶつけた。
    「乃武綱はただでさえでかいんだからな。うってつけの的だ」
    「お前に斬られるほどやわじゃねえよ」
     片や首を曲げられるだけ曲げて相手を見上げ、片や腰を曲げられるだけ曲げて相手を見下ろす。各隊の隊士たちが見守るのもおかまいなく、眼光鋭く睨み合っていた不老不死と乃武綱だったが、膠着状態は長くは続かなかった。
    「力比べをしたいところだが、そうはいかねえよな」
     不老不死がため息交じりに言うと、乃武綱もにわかに気の抜けた声で応じる。
    「ああ。俺たちの仕事は二つ。一つは侵入を防ぎながら一匹でも多く虚を倒すこと。もう一つは山本たちの進路を確保すること……」
    「少なければ楽勝と言いたいが……この数じゃなあ」
     ひい、ふう、みいと虚を指を差していた数えていた不老不死だったが、すぐに数えるのをやめる。近付くにつれ鮮明になる群れを見るに、その規模は想像以上に大きい。
     どれから倒すべきかなどと考えている暇はなさそうだ。思考よりも体を動かせ。研ぎ澄ました神経を刀と同化させ、その刃で敵の心臓を穿つ。斬って、抉って、貫く。そうでなければあっという間に囚われとなり、敗者の定めがごとく奴らの餌となり下がる……。
    「六番隊、後れを取るんじゃねえぞ!」
     皮膚を這い上がる怖気を払拭するため、不老不死は全身を声にして叫ぶ。飛ばされた激に隊士たちが応と返すと、吐かれた息が冷気に触れて白く変わる。輪郭をなぞるように霧散し、消えゆく息に目を奪われていた、刹那。刺すようなという言葉そのものの鋭い気配が首筋を撫で上げ、不老不死は前へと目を戻した。
     群れから一体が突出し、こちらへと駆けてくる。飢えた鷹を思わせる、獰猛で俊敏な動きだった。ならばこちらも正面から迎え撃つのみ……不老不死が地面を蹴ると「おい!」と乃武綱の焦ったような声が聞こえた気がしたが、構うことはなかった。躊躇っている暇はない。戦いはすでにはじまっているのだから……。
     不老不死は斬魄刀に手を掛け、抜きざまに斬りかかった。虚は軽々と跳躍して一閃をかわすと、中空で大きく口を開け、頭から呑み込まんと不老不死へと襲い掛かる。が、こちらが体勢を立て直すほうが早かった。隙となった口腔内に狙いを定め、刀を喉へと差し込めば、確かな感触とともに虚は悲鳴か絶叫か分からない叫びを上げて絶命した。
     神経の末端にまで障るような不協和音を合図に、群れが進軍速度を上げる。骸を投げ捨てた不老不死は、足元から伝わる無数の振動に心臓の鼓動が速くなっていくのを自覚すると、にやりと目を細め、喜色満面の顔を作った。
    「いいねえ、そうこなくちゃ……来い! 全員まとめて儂が……」
     続けようとした声は、脳天に走った衝撃によって遮られた。いつの間にか背後に立っていた乃武綱が不老不死に拳を落としたのだ。
    「このチビ! 一人で出るんじゃねえ!」
     頭蓋に響く痛みとたしなめる声に今度こそ頭に血が昇った不老不死は、目の前でちかちかとする星を払いのける勢いで「なんだよ! 先に仕掛けて来たのは向こうだぞ!」と言い返した。
    「あれは誘いに乗って突出して来た馬鹿を群れで襲うための陽動だ。むざむざと引っかかるな」
    「いいじゃんか。どうせ全部斬るんだから」
     「俺が言いたいのはそういうことじゃねえ」乃武綱は刀を抜くと、頬を引き攣らせて狡猾な笑みを浮かべる。
    「こっちの獲物まで奪うなってことだ」
    「……へっ! そういうことかよ!」
     不老不死と乃武綱が刀を構え目だけで敵を捉えると、虚たちはわき目もふらずに青流門へと近付いてくる。
    「儂は左から攻める。お前は右を行け」
    「怖気づいてめそめそ泣くなよ? すぐに終わらせて、援護してやるから」
    「馬鹿を言うな。それは儂の台詞だ」
     一体一体の姿がはっきりとし、仮面の白が浮かび上がり、その表情までもが目視できるまで接近したところで、体中の血液が一気に熱くなった。本能が戦闘開始を告げると、不老不死と乃武綱を筆頭に死神たちが一斉に動き出し、虚へと斬りかかった。
     統制も軍略もなかった。虚の仮面に穿たれた二つの穴、その向こう側のうろと目が合った時には刀を敵へと向けていた。がむしゃらというように一心不乱に刀を振るい、斬って、斬って、斬って。五感に全てを委ね、自我が無へと変化してゆく陶酔とどこまでも駆け抜けることができるような全能感。意識が闘争に支配され、興奮状態となった身には血液か体液か分からないものが飛沫となって顔にかかるのが自分のものではない、薄く透明な膜の向こうの出来事のように思える。ただ感じるのは、空気の冷たさのみ。頬をなぞる鋭利な痛みが、自分を人間の世界に引き戻してくれる……。
     一つ二つと敵を蹴散らし、屍を積み上げてゆくも、虚は次々とこちらへ襲い掛かってくる。本当に百かよ。どう見てももっといる……内心でごちたところでぞわと背中が総毛立ち、不老不死は一度足を止めた。恐怖ではない。塀の中から強大で、しかし慣れ親しんだ霊圧が染み出してきたからだ。やっと来たか。そう吐き捨てたのと乃武綱の声が聞こえたのは、ほとんど同時のことだった。
    「七番隊、開門!」
     人の背丈をゆうに越える大門が、力自慢の隊士数人の手で押し開けられる。甕の水がひびから漏れるように、細く開いた門から流れ出てきた霊圧が奮戦する隊士の間をすり抜け、戦場に満ち満ちる熱気と渾然一体となる。電流を思わせる刺激が肌を撫で、身動きが取れなくなった不老不死が辺りを見回せば、虚たちも霊圧に当てられたのか皆ぴたりと動きを止め、門に視線を注ぐ様子が目に入って来た。
     青流門の向こう側に四つの人影が見えた。かと思えば、人影はすぐに視界から消える。元柳斎を先頭に、四人が瞬歩で空中へと走り出したからだ。
     白い隊長羽織が夜空に映え、元柳斎と弾児郎が頭上を過ぎる。次いで隊長二人よりも一回り小柄な影が通過しようとするのを、不老不死は見逃さなかった。
    「お膳立てはしてやった! 思う存分暴れて来い!」
     腹から声を出すと、「ありがとうございます!」と期待していなかった返事が飛んできた。冷たい空気に弾けた溌剌な声は長次郎のものだ。こんな時に、馬鹿正直な奴め。そう思っていた矢先、今度は長次郎の隣を走っていた源志郎も「お二人もお気を付けて!」と頭を下げるのが見えた。
     全く、こんな時くらいお堅いのはなしにしろよ。若者特有の青臭さに、肩の力が抜けた不老不死は苦笑する。自分がもう手に入れることはできないであろう瑞々しさと、身に着けようとも思わない生真面目さは、どういうわけか見ていて気持ちが良い。胸に一つ吹き抜けた清冽さを、「早く行け!」と激励代わりの一言に込めると長次郎と源志郎は駆ける足を早め、先を行く二人の背中を追いかけた。
     瞬間、虚たちの咆哮が辺り一面に響き渡った。鼓膜を激しく揺さぶる耳障りな音は、しかし不老不死には極上の獲物を見つけた時の望外の歓喜を表出しているように思え、背中が粟立つのが分かった。
     あまりの騒音に耳を塞ごうとする。すると虚の一部が元柳斎たちが消えた東の方角を見つめていることに気付いた。一匹、二匹と体の向きを変え、そちらへ行こうとしているのは当初の計画通りではあるものの、目の前にいるのは相当数の虚。元柳斎たち四人が相手にするには未だ多すぎる。
     そして何より、ここまで昂ぶりに昂った闘争心を不完全燃焼のまま捨て置くことは、戦いに生きる者の沽券に関わる……。
    「おい、勝負はまだついちゃいねえぜ」
     刀を肩に掛け、挑発的な言葉を投げるも、しかしそれまで一心不乱に襲い掛かって来た虚たちがこちらを見ることはなかった。ただの死神には興味がないとばかりに、群れは東の森へと走り出す。頭の血管が大きく脈打つのを知覚した不老不死が「待てって言ってるだろ!」と喚き、後を追おうとした――その時。
    「これ以上門から離れるな!」
     乃武綱の一喝に、足を止められた。同時にそれまで熱に浮かされていた頭から血の気が引き、冷静になった思考が滞りなく巡ってゆく。
     自分が門から離れたら、それは死神側の隙となる。もしも虚が近辺に潜んでいたら、もしも元柳斎を追っていた虚が一斉に戻って来たら、こちらの緊張が解けたこの機会を狙う狡猾な個体がいたら……何か一つでも予想外が起きてしまったならば、瀞霊廷への侵入を許す結果となるかもしれない。
     そうなれば、これまでの奮戦は全て水泡と帰し、護廷十三隊は戦略的敗北と混乱に見舞われる。自分がそのひずみとなりかけた不甲斐なさが胃の底へと沈むのを感じながら、不老不死は闇の彼方へと消えゆく虚たちを見送ることしかできなかった。
     畜生、ほとんど取り逃がしちまった。自責と苛立ちに奥歯を噛み締めていると、肩を軽く叩かれた。
    「まあ、あとはあいつらがなんとかしてくれるさ」
     見返した乃武綱の目が、落ち着けと言い聞かせている。ささくれ立っていた精神が凪ぎ、全身の熱と外気が入れ替わってゆく感覚に、不老不死は刀を鞘へと納めた。六つ星の鞘が、高い金属音を奏でる。
     すると後方から何かが駆け寄り、二人のそばを風のように颯然とすり抜けた。
    「今のはなんだ? 虚じゃねえよな?」
     確かめるような乃武綱の問いかけに、不老不死は「人、のように見えたが……」と自信なげな声を返す。雪のように滑らかな肌と長い髪、そして白い隊長羽織……。
     なんであいつがここに? 何が何だか分からなくなった不老不死は乃武綱と二人、呆けたように棒立ちになりながら、しばらく東の森のほうを見つめていた。

    《続く》
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+弾児郎、源志郎
    「この拳が護るもの」③
    ※弾児郎の物語。
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※途中残虐・流血表現あり。
    この拳が護るもの③  4


     鉛のような空気に、有嬪の声が響く。深刻な面持ちで耳を傾ける隊長たちを順に見やった長次郎は、次には元柳斎の向こう隣、先ほどは座る者がいた場所へと視線を移すと、胸の辺りがじんと重くなるのを感じた。
     本日二度目となった全隊長の招集。集まった顔ぶれの中に、しかし先の当事者であったはずの源志郎の姿はない。元柳斎が自室に下がらせたのだ。
     長次郎は虚の襲撃後の源志郎を思い出す。茫然自失として佇んでいた源志郎の手には使われることのなかった斬魄刀が握られ、肝心なところで身が竦んでしまった未熟者を悔やむように、あるいは嘲るように、だらりと下がったまま揺れていた。
     戦う者であれば一度は経験したことのある、〝恐怖〟という洗礼だった。恐怖は常に人間のそばで息を潜めている。そうしていつの間にか背後から両の手を伸ばして目隠しをし、思考も、理性も、努力も、知識も、全てを無へと変貌させる、まさに魔的な存在……。その冷たさに、源志郎は身動きが取れなくなってしまったのだ。
    9398

    recommended works