戦争の神の婚礼その日、エジプトでは慶事があった。
王である生命の神オシリスの妹である平和の神ネフティスと、弟である戦争の神セトの婚礼が、オシリスの命令によって執り行われた。
暗い面持ちの平和の神ネフティスは、セトの傍らに立っているだけで小刻みに震えている。自身の弟が戦争の神の権能を付与された頃から、彼女は弟を避けるようになった。それは平和の神としての本能に近い。戦争は何よりも平和を乱すものであり、その象徴が戦争の神であるセトである。ネフティスはセトを恐れ、セトを忌避した。
一部の神官の間では、オシリスから結婚の話を伝えられた時、ネフティスはセトとの結婚を嫌って泣き叫んで気絶した、とも囁かれている。
それでも、この二柱の神の結婚は覆らなかった。そして今日、震えながらも式に挑んだ勇気を褒めたたえるような視線が彼女へと向けられている。
対照的なのは、戦争の神であるセトだ。一言も言葉発さず、妻となる女神を支えることもしない。そのような態度に対して、ネフティスの神官辺りは陰口を叩くこともあっただろうが、本日のセト神は主役の一人だ。批難めいた言葉を口にすることも憚られる。
この国を治める姉弟神の婚礼は、パピルスへ名を記すという形で成された。
その日、セト神とネフティス神は夫婦となった。
オシリスは自身の寝室に近づく神の気配に顔を上げた。そして、入口に立っていた神の姿に嘆息する。そこには、本日婚礼を終え、初夜を迎えてるはずの弟の姿があった。
半ば予想していたことだったが、やはりネフティスはセトを拒絶したらしい。
セトが戦争の権能を得る前には仲がいい姉弟だった。セトの面倒をよく見ていたし、戦争に怯えながらも戦争で疲れたセトを気遣おうともしていた。だが、平和の神として平和を乱す存在への嫌悪は、オシリスの予想よりも上回っていたらしい。
「どうしてここに?とは聞かないんだな」
「・・・・ネフティスには私から言い含めておこう」
セトはオシリスの許しもなく部屋の中に入り、どかり、と椅子に腰かけた。その行いは平時であれば不敬だったが、オシリスは咎める気はなかった。セトは弟であったし、私的な時間である今であればなおのことだ。
セトは机に置かれていた酒の瓶の方に顔を向けた。その表情は冠に隠れて伺い知れなかったが、穏やかな気持ちでないことは容易に察することができた。
「王の命令通り、平和の神と婚姻した。これで他の奴も安心するだろ。戦争の神に首輪が付いたって」
セトの口調は淡々としていたが、内容はオシリスを責めるものだ。
ネフティスがセトを嫌って泣き喚いているのであれば、イシスもそちらへかかり切りだろう。明日にはペリオポリス中の噂になるかと思うと悩ましく、難しい顔をするオシリスをセトは揶揄するように鼻を鳴らした。
「ふん・・・・神の結婚とはいえ、中身のない婚姻関係に何の意味がある。神は権威を結びつけるための生贄じゃない」
セトは珍しく不機嫌を隠しもせず、そんな弟の態度にオシリスは瞠目した。
よかれと思った婚姻だったが、不幸な結果を招いてしまったのかもしれない。それに心を痛め、宥めるためにセトへ酒を勧めた。
「セト、落ち着きなさい」
「セクメトにしたように、酒に酔わせてうやむやにして誤魔化す気か?」
言葉を荒げるセトに、オシリスは静かに目を閉じた。
「犠牲にしてすまない」
泣き叫んで拒絶しているのはネフティスだが、セトの方も乗り気ではないことはオシリスも理解している。ネフティスは多くの男神が求める美しい女神だが、セトはその美貌に一切惹かれていないようだった。オシリスの前では思慮深い妹だが、セトの前だと委縮してしまう。そんな姉神をセトが女性として好んでいないことは察していた。
それであっても、今のエジプトには戦争の神と平和の女神の結びつきが必要だった。
そんな兄からの謝罪に、セトは「そんな言葉が聞きたいんじゃない」と言い捨て、花婿の衣装でもある肩からかけられている薄布をはぎ取った。
「花嫁は一人寝。新妻に拒絶された惨めな花婿は、朝に所在なさげにうろついていたところを神官に発見される。明日の朝には噂になるな」
「とりあえず、今夜はここで休むといい」
「・・・・・それだけじゃ、足りない」
オシリスはセトの名誉のために寝所に匿うことを提案したが、セトはぐい、と身を乗り出してオシリスの首回りの飾りを引っ張った。
「妻が夫の身体に残す痕跡を真似ることくらいはできるだろう?」
セトなりに、この婚姻が失敗であったことを隠したいのだろう。
人間達も興味があるはずだ。事実に対してはかん口令を敷くが、初夜が恙なく済んだということも流布しなければならない。戦争の神は平和の神に宥められたという証があればなおのことよい。
「自分では付けられない所の肌に痕を残してくれ」
オシリスはそのセトの言葉で、弟の冠に手をかけた。
するり、と抵抗せずに落ちた冠は、床に落ちる前に砂に変わる。その下から現れた鮮やかな赤い髪にオシリスは手を這わせ、手櫛でくしけずる。
されるがままにされながら、所在なさげな表情で目を伏せるセトは、妻となった女神に劣らぬほどに美しい。その首筋・・・・吸い上げれば綺麗に痕がつきそうな白い肌に手を伸ばして、オシリスは目を細めた。
「寝台へ」
「・・・・・・・」
「ネフティスがお前にすべきことを、教えてくれ」
兄からの言葉に、セトはただ俯いた。
お互いに冠を落として、素顔を見せあう。
それは、神の誇りを脱ぎ捨て、ありのままに姿になるということだ。
セトにとっては戦争の神としての誇りそのものであり、ネフティスにとっても冠は神としての資格そのものだ。
果たして、夫婦になったとてこの二人がそれを脱ぎ捨てることができるのかは疑問だったが、オシリスは初めにセトの素顔を暴いた。
セトが被りを振ると赤い髪がぱさり、と寝台にリネンを叩く。
「いつまで、吸ってる気だ・・・・」
オシリスはセトの胸の飾りを口に含んで、舌で転がしていた。夫婦となった神が戯れで痕をつける。それがセトの要求だったが、オシリスは痕を付けるべき胸元を始めに手で・・・・そして舌で愛撫し始めた。
吸い付き、舌で舐め嬲り、戯れに軽く歯を立てる。
ふやける程の時間行われるそれに、セトは顔を赤くして怒鳴った。
「一つでいい! 薄いもので十分だ」
「・・・・・・・・」
「っ・・・・・・」
チリ・・・と小さな痛みと共に、胸の飾りから少し離れた箇所が吸い上げられる。
オシリスが唇を離せば、そこには淡く色づいた肌がある。いかにも初心な女神が初床で付けそうな、柔らかな色だ。
それがついたことを確認したセトは、身体を起こした。初床の証拠としては十分だろう。女神が自身の所有の証として男に付けた印を見れば、神官たちも訝るだろうが、納得するだろう。
だが、そのまま寝台から抜け出そうとしたセトの手を、オシリスが掴む。
その意図を問うようにセトが首を傾げると、少し乱れた赤い髪が肩から滑り落ちた。
「どこに行く気だ?」
「砂漠に。夜の砂漠ならば出歩くものもいない」
「そして、戻ってきたところを人間に見られる」
「俺が人間なんぞに見つかるとでも?」
「人間は力をつけた。時に我々の思いもつかないことをする」
オシリスの言葉にセトは納得したわけではなかったが、これはいい『口実』にはなる。
人目を気にするのであれば、この部屋以上に見咎められない場所はない。ここで行っている植物の交配を理由にして、妻であるイシスですらオシリスの許可なしには近づくことが許されていないのだ。
朝まで、誰かが訪れる心配もない場所で、兄と二人。
「・・・・なら、お前が『夫』を慰めてくれるのか?」
ネフティスがすべきことを、というのであれば当然そうなる。
それに困惑したように眉を下げる兄を見て、セトは冗談だ、と軽く手を振った。
「俺は戦争の神だ。優しく女を抱くのは合わない。なら、奴隷にでも奉仕させた方がマシだ」
「・・・・・・・・」
女との交わりを否定したことで、セトは暗に、奴隷が男であると告げている。セトが男と関係を持っていることは、兄であるオシリスも把握していることだろう。女がいない戦場で、高まりを解消する必要悪である、と思われているのかもしれない。
セトが男を受け入れ、揺さぶられながら、目を閉じて誰のことを思い浮かべているかなんて、兄は知りようもないのだろう。
「いっそ、そっちの方がいいのかもな。初夜に花嫁を放って、奴隷と乱痴気騒ぎを起こした新郎・・・・世間はより一層ネフティスに同情する」
「セト」
「・・・・・・・離せ」
離せという言葉には従わないくせに、兄は何も言わずにセトを見ている。
そのすました顔が気に食わない。
この兄がイシスに見せるような穏やかな顔をセトに見せないことも、好きでもない女神と婚姻させられたことも、こうして未練がましく兄の腕を振り払わないことも、何もかもが気に食わない。
「・・・・・お前が、俺を満足させてくれるとでもいうのか」
挑発しながら、セトは自身の黒い腰布を少しばかり引き下げる。
これで乗ってこなければそれまで。
そんな決意をしながら誘いかけるが、オシリスは動かない。・・・やはり、無理だったか、とセトは口元に笑みを浮かべ、身を離そうとした。
「!!」
離れて行くセトの身体をオシリスの手が追いかける。引き締まったセトの腰をオシリスの腕が捕え、引き寄せる。
抵抗せずに引き寄せられ、セトは意図を問うような視線を兄へと向けた。
「お前を、満足させればいいのか?」
「・・・・・正気か、オシリス?」
「お前が言い出したことだろう。それに・・・・」
「やるなら、早くしろ」
続くオシリスの言葉をセトは遮った。
きっと、婚姻を行わせたことへの謝罪や、常日頃のセトの振る舞いへの小言だろう。どちらにしても聞きたいとは思えない。
躊躇いなく腰布を脱ぎ捨て、裸身を晒す。戦争の神として、男として、申し分のない姿だろう。だが、これから晒すのはそれとは異なる側面だ。
「前戯は要らない。乱暴にしろ。あと、道具を使ってもいい」
砂で作り出した男性器を模した張型を片手に、セトは薄っすらと笑う。
慣らしも何もなく石のように固い砂の棒を突き入れ、セトの反応など無視して滅茶苦茶にする。もしもセトが女であれば、子を宿す部屋を破壊し、そこに続く道も壊されるような・・・・そんな乱暴な行為こそが相応しい気がした。
挑発するようなセトの言葉に対し、オシリスから返ってきたのは嘆息だ。
「今夜は、お前にとっては初夜だろう?」
「神に、初夜も何もあるかよ」
オシリスは腰回りの宝石をあしらった装飾品を取り払い、白い腰布を外した。
窮屈な場所からの解放を喜ぶようにそそり立つそれに、セトは息を呑んだ。
あんなものでいきなり犯されれば、本当に壊れてしまうかもしれない。兄に壊される幻想に、ごくり、とセトの咽喉が鳴った。いっそ、今夜壊されてしまえばいい。夜明けを待たずに兄に犯されて息絶えれば、欲しくもなかった花嫁の顔も二度と見ずに済む。
男のものが見えれば気が削がれるかもしれないと思い、背を向けようとしたセトの身体を、オシリスの腕が反転させる。どこからどう見ても男にしか見えないセトの身体を見下ろして、オシリスの手が肌を味わうように優しく撫でる。
「乱暴にしろ、といったはずだ」
「その言葉を私は了承していない」
有無を言わせぬ兄の空気に、セトはいい返す言葉を発することはできなかった。
男であれば、あの状態ならすぐにでも入れたいはずだ。オシリスの興奮が冷めていないことは、勢いを失わず・・・・それどころか先端から先走りを滲ませている様子からも分かる。
「いや・・・いやだ、こんなのは・・・・」
一つ一つ、纏っている服や装飾を取り払うように、丁寧にオシリスの手が緊張を取り払っていく。生娘でもうっとりとして身を任せてしまいそうな優しい愛撫から、セトは身を捩って逃げようとする。
やるのだとしても、もっと、乱暴にするのだと思っていた。
欲を晴らすだけが目的でそれ以上などないのだというように、おざなりに愛撫して、所有印を刻んで、大して慣らしもせずに突き入れる。そんな強姦を、人間達と行ってきた。好きにしていい、と許した途端、獣のようにセトに覆いかぶさり、セトが神であることも忘れ、欲を吐き出す肉壺として扱う男はいくらでもいた。
そんな欲だけの交わりに安堵するのは、そこに愛情がないからだ。
言葉で愛を綴る男はいたが、どれも信用するに値しない。セトの身体を好き勝手に扱っておいて好意を抱いているなどと言われる方が気持ち悪い。
「・・・・もっと、酷く扱ってくれ。娼婦を抱き潰すみたいに」
「すまないが、愛するお前を乱暴に扱う気はない」
愛する、という言葉でセトの頭が冷えた。
この言葉に他意はない。オシリスはセトを愛している。ただし、弟として。
ネフティスだって同じだろう。今日、ここを訪れたのがネフティスであったとしても、兄は情けを与えたのだろう。ネフティスがセトに抱かれたと偽るために必要だと訴えられれば、一夜を共にするくらいはしてやっただろう。
イシスのことが特別なのかが分からないが、求められれば与えるのだろう。
オシリスは、抵抗を止めたセトを訝りはしたが、オシリスは手を止めなかった。
セトの後孔に入れた指で、丁寧に内壁の奥のしこりを刺激する。
「・・・・・ふ・・・・・・」
堪えきれずに息を漏らすセトを見る眼差しは優しい。
兄から与えられる言葉や行為に確かな愛情を見出す度に、セトの中の気持ちが陰る。これ以上、惨めな想いをしたくなくて、セトは目を閉じて与えられるものに耐えた。
片手でいつでも逃げられるように柔らかく拘束され、もう片方の手ではこれから男を受け入れる個所を広げるように刺激される。
すぐに綻び始めるそこを、処女地を慣らすように優しく指が行き来する。
セトの中に踏み込んだ男などいなかった、とでもいう様な、丁寧な扱いだ。
自ら視覚を閉じて、鋭敏になった他の五感や神の感覚で、セトは行為を受け止めた。
セトの咽喉が耐え切れずに声を漏らし、後ろの刺激で前がすっかり立ち上がった所で、オシリスはセトの秘所からようやく指を引き抜いた。
大きく足を広げられて、腰の下には負担にならないように丸めた布の塊が押し込まれる。
ああ、来る、と覚悟をしたけれど、そんなものは何の役にも立たなかった。
先端で割り開かれて、セトは大きく息を吐いた。経験上、そうする方が楽だと知っている体は、男を受け入れるために自然と力を抜く。
最も狭い入口を最も太い先端が抜け、内壁が入り込んできた先端に吸い付くように纏わりつく。それをかき分けるように、少しずつ前後しながらオシリスの雄がセトを犯す。
途中途中で、セトの息が整うのを待ち、少しずつ奥まで進んでくる。そして、ついにはセトの柔軟な身体は、女では全て納めきれないオシリスのものを根本まで呑み込んだ。
「セト、奥まで入った」
処女を散らされ痛みに泣きじゃくる生娘をあやすような手つきで、オシリスはセトの頬を撫でる。それでも目を開こうとしない弟に目を緩ませて、ぐ、と腰を押し込んだ。
「うあっ・・・・」
「快感は、拾ってくれているようだな」
「あ、あ、・・・・・ふ、ぁ・・・・」
ゆるゆるとした動きに合わせて漏れる声を封じ込めるように、セトが自身の口を抑えようとする。その白い手首を掴んでリネンに縫い留めて、大胆な動きでセトの中を抉る。
「・・・・・何故、皆はお前のことを寡黙だと言うのか不思議だ」
「や、やぁ・・・・あ、あっ、あ」
「私には、惜しみなく声を聴かせてくれるというのに」
強く腰を突き入れられて、セトは仰け反った。
露わになる白い首筋。そこに吸い寄せられるように顔を寄せ、オシリスが唇を当てる。
吸い上げ、赤く色づいた痕を指先で撫て、オシリスは動きが止まりぼんやりとしながら荒く息をしている弟を見下ろした。
セトは美しい。女神ではないが、その姿は確かに男の情欲を誘う。
戦争の神という鎧に守られた内側は、繊細で傷つきやすい。これは、いかなる場合でも変わらないセト自身の本質に思えた。
オシリスは、棘のような殻をはぎ取られて、弱々しく息を吐きながら快楽に目を潤ませている弟の頬を手で包み込んだ。
セトを愛しているという言葉には偽りはない。
妹たちを愛するように、弟であるセトのことも愛している。
エジプトの民を愛するように、この地に住まう神の一柱としてセトを愛している。
妻であるイシスを尊重し愛するように、国政を助けてくれる王弟のセトを愛している。
だが、腕の中で静かに震えるセトへ向ける感情は、そのどれにも当てはまらない気がした。
「あぁっ、あ、は、あ、あ、あ」
再開した律動で、セトが啼く。
肌が打ち付け合う音と、セトの声。
粘液が立てる粘ついた水音に、交じり合った体液がリネンに落ちる音。
「あああぁぁぁっ」
高い悲鳴を上げてセトが達し、オシリスも掴んだセトの腰を引き寄せながら、弟の最奥で自身の欲望を放った。
お互いに荒くなった息を整える。
オシリスは余韻を楽しむように何度かセトの中を行き来していたが、名残惜し気に弟の熱い体内から自身を引き出した。抜け出したそれは堅さを全く失っておらず、反りかえった勢いで纏っていた体液をセトの腹から胸元に勢いよく飛び散らせる。
それに、セトがぱちり、と瞬きをする。幼子のようにあどけないその表情が、止めだった。
「ちょっと待て・・・何する・・・・・ぁああっ」
力が入っていないセトの身体をうつぶせて、まだ閉じ切っていない後孔に自身を突き刺す。先ほどまで咥えこんでいたそこは、柔らかくオシリスを包み込みながら奥に誘ってくる。きつく締め付けてくる入口から、抵抗なく呑み込んでいく淫らな孔の最奥まで。オシリスのために誂えられたように、他では感じたことがない快感が湧き起こる。それが単に相反するが故に惹かれ合う権能や、血の近さからくる相性の良さなのか、それともオシリス自身の心情から生じた特別な何かなのか。
言葉にならない喘ぎだけを発するようになったセトに快感を与えながら、その背に手を這わせる。白い肌はほの白く光っているようにも見える。そこに、無数の口づけを落とし、肌に多くの痕を残したくなる。
その衝動を押し殺しながら、オシリスはただ弟に快楽を与えるために腰を打ち付けた。
セトの意識が覚醒したのは、東の方の空が白んできた頃だった。
体を起こして、髪を掻き上げる。そして、「趣味が悪い」とぼやいた。
それに対し、「何が?」と問い返す声に目を伏せる。セトが髪を掻き上げたために露わになったうなじに痕をつける兄は、昨晩の様子を引きずったように甘い雰囲気を見せている。
「・・・・・・・」
イシスのことも、あんな風に抱いたのか?
そう尋ねたかったが、それを問う勇気などあるはずもなく、セトは意識を外に向けた。
朝の騒がしさが近づいてくる。
初夜を終えた夫婦に、王であるオシリスからは朝の言祝ぎがあるだろう。
オシリスの寝室にも、その内神官たちが訪れるだろう。そこに、先日妻を娶ったばかりの王弟が、情事の後を匂わせるような有様でいたらどうなるか・・・・・
見てしまった神官を・・・あるいはイシスかもしれない。この兄はどうするのだろうか。殺して口封じをするか、誤解があったとでも言いくるめてしまうのか。それとも、開き直ってセトとの関係を公のものとするのか。
何にせよ、オシリスの名誉は落ちるだろう。大々的に知られて地の底まで落ちるのか、それとも、身内だけで済まされて兄姉たちの間だけで共有される恥部となるのか。
そうなるくらいなら、見た者を全て殺してしまってセトが一人で汚名を被った方が千倍もマシだ。それがイシスや、ネフティスでも同じ。姉達の命も、守るべき被造物たち全てを束ねても、オシリスの名誉の千分の一の価値もない。
セトは戦争の神だ。戦争は破壊を伴うが、それそのものを目的とはしない。戦争の目的は、何かを得て、守るためにある。セト自身も、何かを得て、守りたいものを守るためにしか行動しない。人間達は戦争の神たるセトと平和の神であるネフティスを娶わせることで、戦争が平和のための行いであり、セトに平和に従属する奴隷のようなものでもなって欲しかったのだろうが、セトが選んだのは別のものだ。それは、神になったときから変わらない。
神としてのセトは、被造物たちのためではなく、ただ一人のために。
「セト」
目を伏せているセトの顔に影がかかる。見上げたセトの視界の中に兄は、どこか辛そうな顔をしていた。そんな顔をさせたいわけじゃない。そう思うのに、兄の心が自分の行いで傷つくことすら、心をざわつかせる。
この愛し方は間違っている。それが分かるのに、他の方法が取れない。
「(俺のすべては、初めからただ一人のために・・・・)」
妻を娶っても、初夜を終えても、変わらぬものはある。
セトが心の中だけを繰り返している誓いを秘めながら、オシリスからの口づけを受け入れた。
ネフティスとの、パピルスに署名をするだけのそっけない婚礼に、口付けはなかった。青ざめて震えている花嫁に顔を寄せようものなら、気絶でもして見せただろう。だから、セトが婚礼の儀以降、口付けた相手は一人だけ。
その腕はセトの腰を抱き、お互いに一糸纏わぬ身体を寄せ合う。
セトは兄の首に腕を回し、唇を薄く開いて、深くなる口付けを受け入れる。それは、兄弟で行うと言い訳するには淫靡で、明らかな熱と欲を孕んだ口付けだった。
これが夜更けであれば、きっと再び寝台に沈んでいただろう。
だが、周囲は初夜は終わりだと告げるように明るさを増していく。
オシリスは名残惜しげにセトを解放したが、セトは兄を直視することはなく、自身の身体を砂に変えると回廊の方へと逃げるように移動していった。
戦争の神セトの、婚礼の翌朝。
エジプトの王であるオシリスの寝室に太陽の光が差し込む頃には、静かに寝台に腰かけ、自身の手の中に僅かに残った砂を見つめているオシリスの姿だけがあった。
Fin