何も残さないでこの目に美しく映るものを、お前に上手く伝えるにはどうしたらいいだろうと考える。
朱雀門惟光の友は、盲目である。
今よりずっと狭い場所に生きていた自分に、新しい世界を与えてくれた友。その彼の、視界というひとつの世界が閉ざされてしまっているというのは、なんて皮肉な話だろうか。だというのに当の本人はそんなことは何処吹く風であると、そんな様子で今日も笑っているのだ。それがなんだか悔しかった。
彼にみせたいものは沢山ある。それを拙い言葉だけで、自分の目に焼き付く美しさの、どれだけをちゃんと伝えられているのだろう。きっと殆ど伝わっていないに違いない。いつもと変わらない調子で"良かったね"と笑うのが、その証拠なのだ。
惟光はそんなもどかしさから、その日はずっと不機嫌だった。むすっとした態度と話し方。そんなつまらない事だけは、友人─射梅にしっかりに伝わってしまう。
何怒ってんの?とニヤついた顔で尋ねてくる射梅に、惟光は思っていたことをそのまま話す。すると彼はやはり下らないと笑うのだ。惟光は尚のこと機嫌が急降下して、とうとう拗ねそうだった。子供のようにむくれる惟光の様子を察してか、単なる急な思いつきか、射梅は何となしにこんなことを提案した。
「歌えば?」
きょとんとする惟光を、視えていないはずの瞳はまるでしっかり捉えているかのように見つめていた。
「俺は、耳はしっかり聴こえるし、お前、歌は得意でしょ」
その提案にはっとした。それはいいかもしれない。みるみる機嫌が良くなった惟光は、思い立ったように適当な挨拶を射梅に告げ、ばたばたと去っていく。その惟光の足音を聴いた射梅は、腹を抱えて笑っていた。
──
果たして丹精込めて完成した曲であるが……
おそらく不評では無いが、決して良いとは言えない評価のように惟光は感じていた。
「いひぁはははは!やーばい!!惟光お前〜〜〜ッアハハハハハ!」
「ちょっと笑いすぎじゃない!?」
かれこれ20分近くこんな調子ではないだろうか。披露した歌は途中から射梅の吹き出す笑っているのか咳なのか嗚咽なのか分からない奇怪な音が割り込んで、終わる頃には彼は過呼吸を起こしかけるほど笑い転がっていた。
「歌詞が……、歌詞の…ゴホッ、うん、センスがひっどい!クソ!」
「酷!」
射梅の提案で思い立った惟光は、その夜眠い頭を振り絞って一生懸命考えたというのに、失礼極まりないリアクションに惟光はぶすくれる。
惟光の綴った歌詞がいけなかったのだという。彼が笑っている間、ほとんど何を言っているのか分からないなかから聞こえてくる感想を要約した限りそんな感じだった。
「はーー、ひぃ…いやぁ……歌はすっげー上手いのが逆にツボに入っちゃってもう……はぁ……んふふっ」
「笑いすぎだろ!頑張ったのに!」
深呼吸しながらなんとか笑いを収めた射梅は、まだ溢れだしそうな余韻を押し留めて惟光に向き直る。
「まさかほんとに作ってくるなんてなぁ、笑った笑った。あれあいつらに披露したことある?やってみなよ、超ウケるよ。」
「自分で言ったんじゃん……やだよ……」
うーん、難しいなぁ…。
そう呟いて、惟光はしょぼくれて拗ねている。彼の肩を、ぽんぽんと慰めるように叩きながら射梅は思う。
─あぁ、嫌だな
全く酷い曲だった、笑っていいと言われれば、きっとあと半日は笑っていられるほど大変に愉快だった。故に惟光が言いたいであろう彼の目に映ったものを、正しく受け取れたかどうかはかなり怪しい。
ただ、惟光は知らない。
惟光の歌声が鼓膜を揺らした瞬間、射梅は少しだけ、涙を堪えていたこと。惟光は納得しないかもしれないが、画として視えるものよりもずっと射梅にとって愛おしいものが、届いてしまっていることも。
射梅の中にほんの一滴ずつ、残されていく感情があって、それは本来、射梅には要らないものだった。一欠片も残さず枯らしていくつもりだったもの。
─この場所が好きで、
死ぬのが、ちょっと嫌になる。
親のような存在も、血の繋がりはなくとも絆の深い家族ですら、引き出せなかった。
惟光は美しい景色の代わりに、何より純粋で美しい彼の心を不意に届けては、積もらせる。
射梅が必死に消し去ろうとしていた、未練を。