くちびるまでは程遠い 何も言わないのなら帰ってほしい。事務処理をする手を止め、ロナルドはそう思った。
普段は大体においてロナルド不在時に事務所に不法侵入してくるくせに、今日の半田はよりによってドラルクとジョンが出払っている時にやってきた。
「何しに来たんだよ」と問えば、
「昨日の貴様があまりにも退治人の風上にもおけん迂闊さを露呈させたから監督に来てやったのだこの歯の間に挟まったネギめ」
などと職務に託けた暴言を吐かれ、それから腕組みをしたままこちらをじっと睨んでいる。
否定できればよかったのだが、昨日ロナルドは確かに、またもや退治中におポンチ吸血鬼に催眠をかけられた。
情けないかな、ロナルドが変態吸血鬼共と対峙することで醜態を市民の皆様にお見せするのは今やシンヨコの日常茶飯事である。そして場合によっては半田もそれを喜んで記録していたりする。
が、どうやら昨日のそれは半田にとって「違った」らしい。不機嫌そうな顔には明らかに何か言いたげだ。
ロナルドは、その原因に心当たりがないわけではなかった。
昨日現れたポンチ吸血鬼は、強制的に術にかかった人間の恋心を操作するタイプの能力を持っていた。そしてかつてシンヨコが恋のトキメキ危険地帯になった時や、伝説の木が現れた時同様、ロナルドはいとも簡単にその術中にはまり、全く知らない誰かに恋に落ちた。もちろん、他の退治人や吸対の活躍によってすぐに能力は解けたのだが。
ロナルドが思うに、半田はそういうのを嫌う。いくら情けなくとも、ロナルドの心が本心とはかけ離れたものにに書き換えられるような、そんな催眠は面白く思わないらしい。それは、根が真面目で、自らの母を心より愛し、信念を持って吸対の職務に従ずる半田らしいところだとロナルドは思っていた。
それに、半田とは、少なくとも。それに。
「あー、クソ!」
ロナルドは勢いよく椅子から立ち上がると、ズンズンと半田に近付いた。半田は腕組みをして動かないまま、視線のみをロナルドから離さない。ロナルドはその目の前に立つと、頭をわしわしとかきながらため息をついた。
「なんだ」
白々しく答える半田に、こっちが聞きてえくらいだよ。と、ロナルドは心の中でつぶやいた。
「あ〜〜〜悪かったって!簡単に感情操作されちまって!あんときは流れでうっかり油断してたっつーか」
「ハッ!油断したと自ら白状するかこの大バカめ!人気退治人が聞いて呆れるわ」
「はぁ・・・なんとでも言えよもう」
半田の口の減らないさにため息を吐くと、ロナルドはその不機嫌そうな目を、少し上目遣いで覗き込んだ。本当はそのまま触れたかったが、ロナルドの方から急にくっ付くと半田はいつも怒るから。
ロナルドが何をするつもりか察した半田は、一瞬猫のように目を丸くすると、すぐに眉間の皺深くし、訝しげに呟いた。
「貴様、誤魔化すつもりか」
「そんなんじゃねぇよ!ただ・・・その、だ、ダメなのかよ?」
照れ隠しにそう問えば半田はチッと舌打ちをする。
「ダメとは言ってない!」
「お前なぁ」
素直じゃないグランプリに出れば半田は優勝できるんじゃないか。そんなくだらないことを頭によぎらせ、ロナルドはそのまま黙り込んだ半田にまた一歩近づいた。
そして少しだけ唇を突き出し、その左頬の真ん中に、軽く口付けた。シラフでするなんて滅多にないから、ほんの少し、胸の奥がこそばゆい。それに、小慣れたような軽いリップ音がするのがこっ恥ずかしい。
顔を離す際に半田の様子を伺うと、まだ眉間に皺を寄せているものの、少しばかり表情が緩んでいるように思えて、ロナルドはほっとする。
こんなとき、半田はいつも少し大人しい。まんざらでもなさそうに見えるそれを、ロナルドちょっとだけかわいいと思ってしまう。
別に半田とは、そういう仲じゃない。ただ、ちょっとした戯れに互いにほっぺにちゅーするようになって、かれこれもう五年くらい経つ。それだけだ。
だから今回の件だって、別にこんなことをする必要ないはずだ、と道理ではそう思う。それでも半田の不機嫌がこれで少しは和らぐのではないかとロナルドには予測はついていたし、ロナルドだって半田に誤解を与えたくなかった。一体…なんの弁明なのかはわからないが。
「二度も三度もまがいものの感情に支配されよってこの意志弱弱のいもむしルドめ」
「エーン!だから悪かったって!」
「フン、またどうせ口だけだ」
「は!?なんでそんなこと言うんだよ」
「文句は実績を出してから言え」
「クソー!シンヨコにポンチが湧く限り確約はできねぇ!!けど、さ」
そこまで言ってロナルドは出掛かった言葉を飲んだ。
「これはお前だけなんだぜ」なんて、言える間柄じゃない。
しかしそもそも半田も半田だ。俺にちゅーされただけで機嫌ちょっと直しやがって。半田にちゅーするのも、半田の機嫌がそれで少しよくなるのも、よくよく考えてみればおかしいのだ。
違ってるかもしれないけど、自惚れかもしれないけれど、ロナルドから見れば、半田はまるで。
「・・・その、拗ねんなって」
そう告げた途端、両肩を捕まれ、半田の顔が覆い被さる。唇の柔らかな感触が落とされたのは、ほんの一瞬だった。
「拗ねてなどッ!ッ!気に食わんだけだ!」
耳の先まで真っ赤にしてそう吐き捨てるや否や、半田は窓から逃げるようにして去っていく。
「あっおい!」
慌てて窓の下を覗くが、半田は振り返りもせず、ビルの影に消えた。唇の端ギリギリの場所に、余韻はまだ残っているのに。
「…口にされるかと思った」
今まで半田からされたキスの中で、一番唇に近かった。あと数ミリズレてたら?あとちょっと。あとちょっとで‥・と想像すれば、ドキドキと胸の鼓動が速くなる。今まで目を逸らし続けていた可能性が、ロナルドの中で一気に存在感を増す。
「ぅえ?なんで?俺、え???」
思わずじりじりと後退りして椅子にぶつかる。するとその拍子にロナルドの脚の横を、何やらワサッとした何かが伝い落ちる感覚にロナルドは反射的に視線をやった。
パサリと床に落ちる、忌々しい緑色の悪魔。絶叫の後ロナルドは、半田マジ許さんと心に決めるのだった。
完