放課後の教室は夕焼けの色でじんわりと染まっていた。窓から射し込む橙色の光が机の表面で反射し、長い影を作る。だけど、そんな美しさすら、今のわたしには目に入らなかった。
心を支配しているのはただひとつ――目の前の、憧れの先輩だけ。
本当なら今頃、部活の体育館にいるはずだった。だけど今日は委員会の会議で、こうして空き教室に委員たちが集まっている。
教室に入った瞬間、黒板に書かれた「席は自由」の文字を見て、迷わず先輩の後ろの席を選んだ。……そこは、わたしにとって“いつもの場所”だ。先輩の姿を一番よく見られる、わたしだけの特等席。
何気ないふりをして腰を下ろしたけれど、胸の鼓動は隠せない。
桜木清右衛門先輩――委員会活動でよく顔を合わせる人だ。面倒見が良くて、わたしのことも何かと気にかけてくださる。
わたしが心から憧れている、大切な……。
ずっとみてる事を気づいて欲しくなくて、視線を資料に落とそうとしても、先輩の存在感に目線が奪われてしまう。今、その先輩が楽しそうに話している相手は、彼女――。
先輩がわたしに何気なく話してくれた、ずっと前からの付き合いだと。
その話を聞いたとき、わたしはまだ自分の気持ちに気づいていなかった。だから傷つく隙もなく、「入り込む余地なんてない」という事実だけを突きつけられた。
それでも――その後、気づいてしまった恋心は、深く胸に焼き付いて離れない。どうにもならないのに、どうしても、諦められない。男同士じゃなかったら?なんて望みすらさせてくれない。
嫉妬なんてできる立場じゃないのに。
羨望の眼差しは、うまく動かないからくりの糸みたいに絡まり、ほどけないまま。
目の前で笑い合う二人の姿に胸が締めつけられるたび、息が浅くなるのに――わたしの視線は、どうしても桜木先輩を追ってしまう。
だめだよ……。そう思えば思うほど、心も身体も言うことを聞いてくれない。会議の内容なんて、まるで耳に入らなかった。
「小平太、プリント!」
不意に声をかけられ、はっとして顔を上げる。プリントが前から回されてきていたのに、気づいていなかったのだ。慌ててそれを受け取る。
「こらー、小平太。話、なんにも聞いてないだろう」
「……っ、そう言う先輩だって。彼女と話ばっかりじゃないですか」
――しまった。普段ならこんな口答えなんて絶対しないのに。
嫉妬が言葉になってしまったのかもしれない。
「小平太も言うようになったなぁ」
先輩は笑いながら、隣の彼女に「なぁ?」と同意を求める。
やめてほしい……これ以上、心をかき乱さないで。
やっぱり、正面の席に座ったのは間違いだった。
さっき受け取ったプリントの端を指で滑らせる。やるせない気持ちの行き場がなくて、指先が落ち着かず紙をいじる。
「いっ……!」
痛みが走った。見ると、プリントの端で指を切ってしまったらしい。
「どうした、小平太?」
「あ……ちょっと紙の切れ味が良かったみたいで」
バツの悪い笑みをうかべてそう答えると、先輩はすぐに眉を下げた。
「大丈夫か。指って、地味に痛いよな」
小さな傷口から血がにじむのを見て、先輩はすぐに自分のハンカチを取り出した。
わたしの指をそっと包み込み、ハンカチで押さえる。その瞬間――心臓が、大きく跳ねた。
「あっ……!先輩!」
「気にすんな。けっこう血が出てるじゃないか。これで抑えて、保健室に行ってこい」
優しく微笑む先輩。その声が、温度が、わたしをあっという間に包み込む。
――そうだ。先輩のそんな優しさにわたしは好きになってしまったんだ。
何度だって、そう思い知らされる。
わたしは頷いて立ち上がり、会議の途中の教室を抜けた。
廊下はもう薄暗くなり始めていて、その景色が今の心の内を映しているみたいだった。