呪い伝説が生まれるほんの少し前のこと。
上の世界を治めるという聖なる竜がおりました。人間、動物、魔物すらも等しく愛する清く美しい心を持っていましたが、その生命は儚く尽きてしまいました。
彼女は命が尽きる直前にひとつの卵を産み落とし、次代の竜の王としてお付きの者たちに大切に育ててもらうはずでした。
しかし卵は一夜にして何者かに奪われ、ついに卵が上の世界で孵ることはありませんでした。
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「ハーゴン。その昔話にはもう飽きたわ。」
「おや、お気に召さなかったので?」
ハーゴンと呼ばれた神官は、ぱたんと本を閉じ、横で不服そうに頬を膨らませる子竜に微笑みかける。子竜は溜息混じりに続ける。
「その何者とやらはお前のくせに、よくそんなベラベラと他人事のように話せるな」
「ワタシにとっては他人事のようなものですよ。女王様がいらっしゃらないのならば、あんな世界未練もありません。」
「うむ、やはり頭がおかしい…よく曾祖父様はこんな奴の言うことを素直に聞いたものだな」
「あのときは産まれた時から共に過ごしておりました故…」
「…そういう、否定しないところもだぞ」
呆れ果てた子竜は、また溜息を漏らして、その身に合わない大きなシーツに身体を沈ませる。
「もうお眠りに?」
「どこかの誰かさんのせいで眠くなってしまったわ。いいから出てゆけ。」
しっしっ、と手をひらつかせて、ハーゴンに出ていくよう促す。ハーゴンはにこやかに笑いながらベットから離れ、ドアノブに手を掛ける。
「おやすみなさいませ。竜王様。」
きい……ぱたん。
年季を感じさせる扉の音を聞いた後、子竜は頭から布団を被った。
「…わしは、曾祖父様ではないのに」
曽祖父の名を呼ばれた子竜は、悲しげに揺れる目をゆっくりと閉ざした。
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「よくぞここまでたどり着いた。わしは……
…わしは王の中の王、竜王の曾孫じゃ」
幼き日の些細な会話が、ずっとこびりついて頭から離れない。
自分は竜王じゃない。竜王以外の存在と思われたい。そんな劣等感から、いつしか彼は、自身を竜王の曾孫と名乗るようになった。こんなことをしても、ハーゴンがこちらを認識してくれないことはわかりきっているのに、何故か諦めきれない自分がいた。目の前の…同い年であろう少年少女は、驚いた様子で顔を見合せた。大方、竜王という存在はもうとっくに亡き者になっているはずと思っているのだろう。
「驚くのも無理はない。しかし安心せい!そなたらを取って食おうとは思っておらん。人間たちには、この城をくれた恩もあるのでな。それに…」
曾孫はそのだぼだぼのローブから小さな手を覗かせた。よく見ると、黒く濁った大きな枷が、両の手首を固く縛り、玉座へと繋がっていた。
「…こんなモノがあっては、城どころかこの部屋からも出られぬ。」
悲しそうな目をしながら、手首の枷を撫でる。かと思えば、すぐに元の調子に戻り、続ける。
「時にそなたら、見たところ勇者の血筋のものだろう?わしから頼みたいことがあるんじゃが……」
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竜王の曾孫が言っていたようにアレフガルドを巡り、遂にハーゴンの根城に辿り着いたローレ一行は、襲いかかる魔物を蹴散らしながら主の元へとたどり着いた。
祈りを捧げていたその男は、気配に気づくや否や構えを解いて振り向き言った。
「誰じゃ?ワタシの祈りを邪魔するものは!このワタシを…大神官ハーゴン様と知っての狼藉か!」
気迫のあるその声にたじろぐことなく、ローレは名乗りを上げる。
「我らは伝説の勇者ロトの血を継ぐ者!その使命に則り、此処でお前を討つ!」
「ほほう、面白い…やれるものならやってみるがいい、ロトの末裔よ!」
ハーゴンはイオナズンで爆風を作り出したかと思えば、煙の中から一直線にローレに殴り掛かる。それを間一髪で避けたローレは、空いた懐に肘を打ち込む。ハーゴンの体勢は崩れることなく、1度地についてまた加速する。
「お前…神官のくせに動けるな…!」
「ククク…、鍛え抜かれた身体でなければ、破壊神様の生け贄には相応しくないわ!」
2人が激しい殴り合いを繰り広げる中、サマルはスクルト、ムーンはベホイミを施してローレのサポートに徹していた。しかし、中々ローレの体力が尽きないことに痺れを切らしたハーゴンは、回復役を潰すべくムーンに飛び掛かった。
「うぐ…ッ」
「ムーン!!」
運悪く痛恨の一撃を食らったムーンは、堪えきれずその場に蹲ってしまった。そこに駆け付けるサマルだったが、ハーゴンはチャンスとばかりに彼の目の前で甘い息を吐き出し、瞬く間に眠ってしまった。
蹲り苦しむムーンに、眠ってしまったサマル、そして、仲間を回復するための呪文を持ち合わせていないローレ。どう考えても絶望的な状況だったが、ローレの攻撃の手が止まることはなく、少しずつながらハーゴンの体力を確実に削っていった。
「グハッ……中々やりおるな、ロトの末裔よ。しかし無駄なこと。時期にあの世に送ってやるわァ!」
「ぐっ…(は…速い!このままじゃ……)」
ーベホイミ!ー
声が聞こえた瞬間、ローレの体力が再び回復した。思わず声のする方に振り向けば、先程まで身動きひとつ取れずにいたムーンが、よろよろと立ち上がりながらこちらに手を出し、ベホイミを掛けていたのだ。
「ムーン…!!」
「集中しなさいローレ!次の攻撃が来るわよ!」
「…!」
ムーンが声をかけてくれたものの、未だにハーゴンのスピードに追いつけない。衝撃に備えて腕を顔の前に出すが、そこに衝撃が来ることは無かった。代わりに目に入ったのは、オレンジ色のマントに金髪の…
「サマル!」
「ごめん寝ちゃってた!今何時!?」
「大惨事よバカ!早くローレにスクルトを!」
「おっけ…ぇ!」
剣でハーゴンの腕を弾き、直ぐにスクルトをローレに掛ける。万全な状態になった3人は、再び武器を構えて目の前の敵に立ち塞がる。ハーゴンは激しく憤り叫んだ。
「おのれェ…おのれおのれおのれェ!!!しぶとく向かって来おって……こう苦戦する相手だったならば、初めからあの子竜のように術を掛けておくべきだったわ!」
「何…!?」
「子竜って、まさか……」
「ククク…そうよ、かの有名な竜王、その曾孫にも呪いを掛けてやったのだ!ワタシが死なぬ限り、未来永劫解けることの無い呪いをなァ!」
「ど、どうしてそんなことを…!!」
「何故…クク、愚問よ。しかし、まあよかろう。冥土の土産に、あの子竜のことを教えてやろう」
ハーゴンは語った。竜王の曾孫は、竜王の子孫である以前に聖なる竜の血族であること。かつて仕えていた竜の女王が、上の世界と、ルビスが創り出した下の世界を同時に管理するという大きな負担によりその生命を落としたこと。そして、女王を亡くした根本の原因であるルビスに復讐をする為、破壊神を呼び出そうとしていることを。
「だがしかし…竜王は勇者アレフに討たれ、その血を濃く受け継いだあやつは、あろう事かこの世界を気に入ってしまった!だからワタシは子竜に伝えてきた。ここまでの歴史を、女王様の素晴らしさを、女王様を亡き者にしたルビスの愚かさを!…しかし愚かにも、子竜の意思は変わらなかった」
そこまで言い終えると、ハーゴンは静かにローレ達を見据える。
「…だから、だからワタシはあやつを曾祖父がいた城に閉じ込めた。この世界を壊すとなれば、確実に止めに来るだろうからな。
…さて、長話はこれで終いにしよう。息は充分過ぎるほど整ったであろう?」
くつくつと嗤ってから、ハーゴンは再び杖を構える。
「さあ、始めようではないか。本当の戦いを!」
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古びた城の玉座では、竜王の曾孫が手遊びをしつつ、来たる時を静かに待っていた。…しかし意外にも、その時は小さな音とともに突然訪れた。
…ぱきん
手首の違和感に気付き、両の手を目の前に差し出してみる。…今まできついほど括り付けられていた枷が、まるで分厚い硝子細工のように大きな破片となり散らばっていた。
「やっ…」
一瞬喜んだものの、直ぐに曾孫は俯いてしまった。
この術を掛けたのはハーゴンだ。かなり強力な術の為、自力で解除するか彼の命が尽きない限り解けることがないはずだ。そして今、この枷は自然に砕け散った。…答えはひとつだった。
曾孫は部屋の外を出て、陽の光が当たる場所まで歩いた。立ち止まると、彼はやけにぼやけた空を静かに見上げた。
「ハーゴン…お前は最期までわしのことを見てくれなかったな」
一筋の光が、曾孫の頬を伝った。