大人の事情と言われて納得できるのは大人だけ「ん」
突き出されのはマスタードーナツの箱だった。
なぜこの女が、私に?好物を前に咄嗟に言葉が出ず、受け取る手が躊躇ってしまう。
チャイナ娘は丸い瞳をじとりと細めて、お前にじゃねーヨ、とわざとらしくため息をついた。
「そよちゃんにだヨ。お前通さねーと渡せねーだロ」
「ああ、そう……」
「……まァ、間違えてポン◯2個買ったから、1個くらい食ってもいいケド」
「……そう」
「そよちゃんがいいって言ったらだけど。あと、フ◯ンチクルーラーも間違えて2個あるから、1個くらい食ってもいいけど」
「そう」
やっと受け取ったその箱はずしりと重い。姫様のちいさな体にこれら全てが入り切るとは思えない。食べきれなかったら勿体無いから、私が8割くらい食べてやってもいい。
息を吸うと、ドーナツの甘い香りが肺を満たした。ぽたぽた垂れる唾液を啜る。異三郎がこの場にいたら、エリートらしからぬ顔をやめなさい、と呆れ声で言うだろう。
「じゃあ、そよ姫に渡しておくから。用が済んだのならお引き取りを」
「あっ、オイ!まだ済んでない!」
呼び止めるその声が、妙に必死だった。
傘の影で表情がよく見えない。もじもじと足で地面を削って、むすっとした顔のままで、チャイナ娘は唇を尖らせる。
「……その、……そよちゃん虐めんなヨ」
「そんな真似はしない。人殺しが友達のそばにいるのは心配?」
「っそうじゃなくて、」
「確かに私は人殺しだけど、お廻りさんだから。姫君を殺すなんてこと、しない。安心していい」
「や、だから、そうじゃなくて、」
「何が言いたいの?ドーナツを渡す以外にまだ何か用事が?」
異三郎のメールより要領が悪い。本当に伝えたいことが伝わってこない。言いたいことがあるならはっきり言えばいい。
多めに入れたドーナツを報酬に、そよ姫を斬るなとでも頼みに来たのだろうか。それならば、もっと強請れば大量のドーナツを納めさせられるだろうか。
「私、」
顔を上げる。傘の下の表情がよく見える。
悲しそうな顔だった。
「お前のこと、悪いヤツなんて思ってない!」
「……」
「だから、--だから、そうかしこまんなヨ」
なんて甘っちょろい言葉だろう。彼女の微笑みが、どんな意味を持っているのかわからない。
こんな話はさっさと切り上げて、姫様とドーナツを貪りたい。そう思うなら無視して立ち去ればよかったのだが、反論の言葉が喉を滑り出てしまった。
「たった一夜、手を貸しただけで、私がどんな人間か分かったつもりでいるの。世の中そんなに簡単じゃない。私はお廻りさんだけど、人殺しなの」
「分かってる。私はポリ公も人斬りも大嫌いネ」
「だったら、」
「でもお前のことは嫌いじゃないヨ。そよちゃんの友達は私の友達アル。それに、お前の気持ち、ちょっとわかる気がするネ」
ぴくり、と瞼が震える。
たった一夜だ。たった一夜背中を預けた程度で、私という人殺しを理解したつもりでいるなんて滑稽だ。私がどういう人間かなんて自分自身すらわからないのに。
「バカの面倒見るのは苦労するアルナ」
「何の話?」
きっと、彼女は私の殺気が強まったのに気づいている。目つきが先ほどと違う。それなのに視線を逸らさず真っ直ぐ見つめて来るものだから、背中を向けるのが憚られた。
「あいつ、私たちを帰らせようとしてたアル。女子供と思ってナメやがってヨ。全部大人で、自分たちだけで解決しようとしてた」
「あいつって、……」
「だから最初に狙われた」
そういえば、そうだ。
あの時現場にいたのは、彼女と連れの眼鏡だった。
「強いし、死んじゃうわけないって分かってるけど、それでも、絶対生きて帰って来るって信じて待つのは大変アル。銀ちゃんね、こんなにずっと一緒にいるのに、まだ私たちに内緒で仕事に行くときあるネ。家で待つ女の気持ちを考えたことあんのかヨ。だから天パなんだヨ」
「……」
「お前も、そういうバカの面倒いつも見てんだろ。だから嫌いじゃないネ。白髪の面倒見てる奴に悪い奴はいないアル」
くだらない、と吐き捨てるつもりが、何も言えなかった。今日は変だ。言いたいことは上手く言えないし、言いたくないことは溢れてしまう。
「きっと私たち似てるアルナ」
「似てない。全然」
「白髪の面倒見てるし、そよちゃんの友達だもん」
珠のような青い目が真っ直ぐ私を見据えている。血の色なんて知らないみたいに透き通っていて、羨ましかった。白より無垢に見える純粋な青。
だが彼女は戦闘民族の種族のはずだ。血の色だって知っている。人殺しの種族。
人殺しでも、そんな瞳になれるのかな。人殺しでも、変われるのかな。そんな願望を抱くことすら私にとっては罪に思えた。
「先輩としてアドバイスしてやるネ。歌舞伎町の女王から直接のご指導受けるんだからありがたく聞けヨ」
「女王……?」
聞き慣れない肩書に首を傾げながら、彼女が何故ここに来たのかなんとなく理解した気がした。その姫にドーナツを渡しに来たのではない。私に話をしに来たのだ。友人への差し入れをカモフラージュにして。
「白髪ってのは強情で自分勝手アル。人の話も聞かないし、はっきり言ってバカネ」
「それ白髪の一般論じゃなくて坂田銀時の話でしょ」
「オイ人の話遮るんじゃないよ。エリートのくせに何学んできたんだヨ。責任者出せコノヤロー」
「責任者は異三郎だけど」
「おうおう、呼べヨ。その方が好都合ネ。白髪ってのはな、はっきり直接言ってやらなきゃわかんねーんだ」
「何を?」
「"私"は、好きでアンタの隣にいるんだってこと!」
青い目が細く弧を描く。
「バカだから、いちいち言わなきゃわかんないんだヨ」
「……、うん」
「だから、言ってやった方がいい。勝手にどっか行っちまう前に」
言うだけ言って、すっきりしたのか、歌舞伎町の女王は後腐れなく振り返って歩き出した。あれだけ私のことを呼び止めたくせに、自分が帰る時は呆気ないものだ。
やはり、私へ話をするのが主要な目的だったのだな。
甘い匂いに耐えきれず箱を開けると、好物のポン◯やフ◯ンチクルーラー以外にも、数種類のドーナツが2個ずつ入っていた。きっと姫様だけでは食べきれない。もしも余ったら、私が全ていただいて、一つくらいは異三郎にあげてもいい。姫様の許可が降りれば、だけど。
◆
「そういえば銀さん、いつの間に見廻組と顔馴染みになったんですか?」
掃除機をかけ終わった新八が、なんとはなしにそう尋ねた。
「あー?」
「だって、結構タイプ違いますよね?真選組はホラ、あんなのほぼチンピラ集団だから、街であちらさんか銀さんのどっちかが喧嘩ふっかけてからの縁なんだろうなって思いますけど」
「仕事だよ仕事。依頼受けたの」
「え?そんなのいつ受けたんですか?てか、警察直々の依頼って結構な案件じゃないですか。教えてくれたら手伝ったのに」
「しょーもない仕事だから一人でやったんだろ、もーあんまり覚えてねーけど。てかあんまりアイツらの話すんな。何回ブロックしてもメール爆撃されて若干ノイローゼ気味なんだよ俺……」
「うわ……やっぱりメアド交換しなくてよかった……やっぱ目が死んでる白髪ってろくな人いないんですね」
「そーだよ、目が死んでる白髪に……エ?新八くん?それ銀さんも入ってるよね?純然たる銀さんへの悪口だよね?」