蚊帳の外 終わらない原稿、迫りくる締切日に胃を痛め始めた午前一時。静かにパソコンに向かっていた私のスマホのアラームが高らかに鳴った。
「しまった! もうこんな時間か!」
慌ててスマホのアプリを起動し、特定のページを開くと軽快な音楽が流れてきた。
『みなさんこんばんは! 今週もミスルチラジオの時間がやってきました! お相手は私、ルチルと!』
『ミスラです』
『よろしくお願いします〜!』
夜中とは思えないはつらつとした声と、気怠げで色気を含んだ声が耳に届く。間に合ったことに安堵した私はほっと肩を撫で下ろした。
夜中の作業BGMにと友人に教えてもらったこのラジオは、パーソナリティのルチルとミスラの二人がお便りを読みつつ、まったりお話しする三十分の番組だ。
『最近暑くなったり涼しくなったり気温の変化が激しいですが、皆さん体調を崩されたりしていませんか?』
『俺はそんなに弱くないんで』
『さすがミスラさん! でも皆さんは無理せずしっかり水分補給してエアコンを使って……あ、そういえばエアコン消してきたかな。ミスラさん覚えてます?』
『は? 知りませんよ。出かける直前に貴方が花瓶を倒して水浸しにしたことしか……』
『わー! わー! それは内緒でって言ったのに! ミスラさんのバカバカ!』
開始早々のやり取りに、私は映像が見えるはずもなにのにスマホのアプリ画面を見つめながら、ニヤける口元に手を当てていた。
この二人は一緒に暮らしている絵本作家とモデルなのだが、ラジオではその生活の様子が惜しげもなく語られるのだ。最初は番組として作っているのかと聞き流していたが、どうやら営業ではない様子。その家族とも恋人とも取れる絶妙な距離感で進む会話は聞く人によって様々な印象を与えた。時に微笑ましく、時に危なっかしく、時に思わせ振りなやり取りにリスナーはどんどん惹かれていくのだろう。勿論私もその一人だ。ラジオ開始一周年記念では二人が旅館から配信していたので、三十分延々と美味しそうに夕食を食べる推しのASMRを聞かされる伝説の回となった。次の週には旅行での出来事を話してくれたが、盛り上がりすぎて時間が足りなくなってしまう程だった。
『さぁ、気を取り直してお便りお願いします!』
『はい。ラジオネーム、ルチル大好きキスしたい♡さんから……はぁ? なんですかこのふざけた名前は』
『も〜! ミスラさんってば、本当の名前じゃないんですから怒らないでください! でもありがとうございます! 嬉しいです!』
『嬉しいってなんですか、貴方どこの馬の骨かもわからないやつにキスされたいんですか?』
『違いますよ! でもキスしたいくらい好きって言われたら嬉しくないですか?』
『はぁ? やっぱりキスされたくて嬉しいんじゃないですか』
『も〜! 違いますってば!』
今回も始まった二人のすれ違いコントのようなやり取り。これは定番中の定番で、お便りが最後まで読まれないまま終わることもある。それでもこの掛け合いが聞きたくて多くのリスナーがこの番組を楽しみにしているのだ。
だって私達はいつも……。
“蚊帳の外”