交換日記はじめました!?【1 】
「おつかれさまー、わるい、遅くなった……ってあれ、慎ひとり?」
「純哉」
Dear Dream様。
自分たちの名前が貼られた楽屋に入って、思わず純哉は首を傾げた。前の仕事が長引いて遅くなったから、もう皆とっくに揃っていると思っていたのだが、中にいるのは慎だけだった。
今日、 Dear Dreamは音楽番組で新曲を披露する。
収録まではまだ時間があるのだけれど、なるべく早めに集まるのが最近のお決まりだ。集まったところで、ただ中身のないことを喋るだけだけど。
デビューして半年以上。
それぞれ単独の仕事も増えた分、 5 人全員で会える貴重な時間をメンバーみんな大切にしているのだ。
部屋の奥で書き物をしていた慎は、くるりと椅子を純哉の向きへ回転させた。
「あぁ、どうやら道が混んでいるらしい。集合時刻には間に合うらしいが……」
「そーなんだ」
純哉はジャケットをハンガーに掛けた。今日は朝からずっと仕事だったし、ここまで走ってきたから疲労で身体が重い。本番までに身体を休めようと、入り口近くのソファーに沈んで息をつく。
「もう俺以外来てんだと思ってたわ」
「さっき遅れるとメッセージが来ていただろう。珍しいな、見てなかったのか?」
口元に手を当てて、不思議そうに見つめられる。
千弦ほどではないにせよ、純哉はメールやメッセージをまめに確認する方だ。携帯を触る理由が好奇心ではなく、アイドルとして報連相を大切にしているからという点が彼との違いだが。
「わりーわりー、急いでたから見てなくってさ」
純哉の答えに、慎は「あぁ」と頷いた。
「前の仕事がちょっと押しててさ。慎は来んの早かったんだな」
「この近くで取材があったからな」
「そっか」
会話がひと段落すると、慎はまた椅子を回転させて書き物に戻る。純哉も特に気にせず、パンツのポケットから携帯を取り出した。
画面は全て Dear Dreamのトークルーム通知で埋まっていた。どうやら奏たち 3 人は、同じ現場から事務所の送迎でこちらに向かっているらしい。
『あと 10 分くらいで着きそう!』
奏からのメッセージにはすぐ既読がついて、慎から『了解』と来た。続けて、『気をつけて』と寿司(もちろんエンガワだ)が喋っている謎のスタンプ。何だよそのスタンプ。慎っておもしれーヤツだよな、ホント。
ソファーの肘おきに頬杖をつき、そのままぼんやりと机に向かう慎の横顔を眺めた。涼しい顔でまた何か書き物をしているが、そのクールな表情の下にユーモアが秘められているのを純哉はもう、知っている。
慎が素を見せるようになったのは2032の騒動があってからだ。
あれから慎は人が変わったかのようにかなり他人に心を開くようになり、口数も増えた。以前の彼なら仕事前のお喋りなんてすげなく拒否していただろうし、そもそもこうやってユニットすら組んでくれなかっただろう。
周囲と砕けた態度で接するようになった慎だが、純哉に対しては時々、ドライになることがある。シンメとしてビジネスライクな付き合いが長かったからだろうか。
今だって純哉のことは気にせずに熱心にペンを動かしたままこちら見もしない。純哉も無理にお喋りに誘おうとも思わなかった。だけど不思議と昔のような寂しさはないし、何ならこの関係を心地良いとすら思っている。
『O K』のスタンプを押してから、また慎の方を見た。
よほど早く到着していたのか、慎もうステージ衣装に身を包んでいる。メイクと髪を少しセットすればすぐにでも本番に挑めそうな格好でノートに向かっている姿が何だか彼らしい。これが奏や千弦なら衣装がシワにならないか心配するところだけれど、慎なら大丈夫だろう。
ペンを持つ手が、ノートの端を行ったり来たりしている。かと思えばピタリと止まって宙をトントンと舞ったり。熱心な様子だが、どうやら筆は進んでいないらしい。
「なぁー、しんー」
「なんだ?」
返事はくるが、視線はノートに落ちたままだ。
「それって、何書いてんの?」
純哉の問いに、慎はゆっくりと顔を上げた。青い瞳がほんの少し揺れながらこちらをはっきり捉える。
今日だけじゃない。ここのところ会う度に、慎はやけに熱をこめてノートに何かを綴っている。
最初は学校の宿題か、作詞でもしているのかと思って気にも留めていなかった。
だけど、宿題にしては参考書などを開く様子が一切ないし、作詞にしてはいつもと少し様子が違う気がする。
「あー、でも最近新曲の作詞中って言ってたっけ、それ?」
「……いや、違う」
思わずドキリとするほど、陰りのある声。慎は何かを確認するようにドアを伺う。そのままキョロキョロと部屋を見回して周囲を確認すると、ノートを手にこちらへ近づいてきた。隣へ腰を下ろすと、二人分の重みを受け止めたソファーがぎぃと苦情を立てる。その音にやけにドキドキしてしまう。
「……実は」
内緒話をする時のように、小さく潜めた声。慎は一瞬俯き、ばっと勢いよく顔を上げてたあと、覚悟を決めたように純哉に向き合った。つい数分前までリラックスしたムードだった楽屋が、一変して緊張感漂う場に変わる。
鋭い目つきに射止められ、純哉はごくりと唾を飲み込んだ。なんだ、何を言われるんだ。もしかして、「恋人がいるんだ」なんて、スキャンダルでも暴露されるんだろうか。
「お、おう」
な、なんでも来い!
腹を括り、上擦った声で先を促すと、慎は、抱えたスキャンダルを告白した。
「コウカンニッキを、書いているんだ」
「そっかー、コウカンニッキを……って、ええぇぇぇぇ!?」
こうかんにっき、こうかん日記、交換日記⁉
「ここここ、交換日記って、あの、小学生とかがよくやる?」
「あぁ」
深刻な顔で頷かれるが、純哉はすっかり全身の力が抜けてしまった。どんな爆弾発言が来るかと思ったら交換日記って!!
「だ、誰とやってんの」
「……けいごだ」
ケイゴ? 一瞬変換に悩んで、同じ D-Fourプロダクション所属の風間圭吾に辿り着く。
「あの、 KUROFUNEの?」
「あぁ、あの風間圭吾だ」
ライバルユニットKUROFUNEのプリンス、風間圭吾。
呼び名に恥じない品のいい端正な顔立ち、優雅な立ち振る舞い。そして「ごきげんいかがかな? プリンセス!」とファンにキラキラ星を振りまく姿が印象的なアイドルだ。
KUROFUNEとは以前、デビューの座をかけて競っていた上に、露骨に敵対心を向けられていたから、仲は険悪極まりなかった。
けれど双方揃ってデビューした今では一緒に仕事をする機会も多く、軋轢は解消されている。奏や千弦は KUROFUNEに懐いているくらいだ。いつきも、 KUROFUNEのもう片方、黒石勇人と談笑している姿をよく目にする。
慎だってそれなりにふたりと仲良くやっているようには見える。見えるけれど、まさか交換日記をする仲とは思ってもみなかった。というか、高校生にもなって交換日記をする間柄が一体どんな関係か、純哉には皆目見当もつかない。
「それって、メールとかアプリでしねーの? あ、何かの企画とか?」
半ば期待を込めた問いかけは、あっさりと否定された。
「プライベートだ。圭吾の連絡先は……緊急用の電話番号しか知らない」
「マジか。お前らなんなの、友達じゃないの?」
慎と風間にあったいざこざについては、詳しくないけど何となく知っている。
純哉の問いに、慎は何かを懐かしむように目を細めた。ふっと吐息だけで笑う。
「友達、か……何なんだろうな、俺達の関係は」
「いや、知んねーけど……」
慎に分からないものが、純哉に分かるはずもない。
そもそも今時電話番号しか連絡先を知らないのに交換日記をするような間柄なんて、聞いたこともない。仲が良いのか悪いのか、いや、多分、悪くはないだろうが。多分。
慎はノートを膝に置いたまま、きゅっと端を掴んだ。
「圭吾とは離れていた期間が長くて……再会して、また会話をする機会を得た」
だけど、と慎は目を伏せた。まつげが震えた気がした。
「圭吾と会えない間――伝えたい、と浮かんでは消える言葉が山のようにあった。今だってそうだ。心を揺さぶられる出来事があれば、まっさきに圭吾に言いたくなる」
「それって」
もしかして。続く言葉を、口にするのは躊躇われた。純哉の逡巡に気づいているのかいないのか、慎は嬉しそうに笑う。
「そして、今は伝えられる距離にいる。それがオレは、とても嬉しい」
「そ、そっか?」
だけど、と慎の表情が再び曇る。
「今の俺達は『親友』じゃない。昔みたいに毎日顔を合わせるわけじゃないし、それに――近づきすぎて、失うのが怖いんだ。だからメールやメッセージみたいに、離れていてもすぐにつながれるツールを使うことが正解なのか、分からない。でも、やはり圭吾には何かを伝えたくて」
それで交換日記を提案したのだという。
「お、おう?」
よく分からないが、ふたりなりの複雑な事情があるのだろう。よくもまぁ、風間も許可したものだとは思うけれど。
純哉はこの話題に首を突っ込んだことを後悔し始めていた。同僚アイドルふたりの秘密の交換日記なんて。こんなの、パパラッチだって持て余すネタだろ。
「いざ文章にしようとすると、やはり難しくてな。なかなか書き上げられない。伝えたいことはこんなにあるのに」
「……そっか」
後悔はしている。だけどその一方で、純哉の胸には少しだけ安堵のような、温かいものも生まれていた。
長い間ずっと人を寄せ付けず、拒絶していた慎。純哉も彼と深い仲になるのは諦めていた。どんな事情があるかは知らないけれど、そんな彼が何かを伝えたい――誰かと関わりたいと思っていることは、とても良いことに感じた。
何かを言おう、とした時だった。コンコンとノック音が聞こえたかと思うと、こちらの返事も待たずに勢いよくドアが開く。
「おっつかれー!」
ひょっこりと赤い頭が顔を覗かせ、そのまま嬉しそうに室内へと入ってくる。
「奏」
「あ、慎くんと純哉くんだ! 久しぶりだね! 何話してるの?」
無邪気な笑顔が、重たかった部屋の空気を一気に明るいものに変える。奏のこういうところを、純哉は素直にアイドル向きだと評していた。とはいえ今はちょっとタイミングが悪い。
「あー、おつかれ。えっと……」
言葉に詰まっていると、トントンと肩を叩かれる。慎は純哉にだけ見える角度で口元に人差し指を立てる。奏には秘密にしておきたいらしい。
「近況報告だ。いつきと千弦は一緒じゃないのか?」
「うん、えっとね、ふたりともトイレ行ってて……」
二人の会話を聞きながら、純哉は青いノートを見つめていた。風間くんはどう思っているんだろう、なんて考えながら。
【2】
風間の本音は、すぐ知ることになった。
交換日記の話を聞いてから数日。終日オフだった純哉は朝からレッスン室に籠もっていた。
入れ替わり立ち替わり他のアイドル達で溢れていたレッスン室も、時計の短針が9を過ぎた頃には誰もいなくなっていた。喉の渇きだけ潤して帰ろうと食堂に入ると、見覚えのある薄い金髪が目に飛び込んでくる。
「あれ、風間くん?」
入り口からすぐのテーブルで、何か書類を読んでいる。ポップな字体が踊っているそれは企画書か何かだろうか。
突然呼びかけられてた風間は、驚いたように振り向いた。
「佐々木? こんな時間にどうしたんだ?」
「レッスンしてたらこんな時間になっちゃって。風間くんこそ珍しいっすね、何してるんですか?」
「収録終わりに事務所に呼ばれてね。次の仕事の資料を渡されたから、少し読んで帰ろうかと思って」
テーブルの上には本やファイルが広げられている。その中にひとつ、見覚えのある青いノートを見つけて純哉は思わず声を上げた。
「あ、交換日記」
「え……?」
形の良い切れ長の瞳がまん丸になって、動揺の色をありありと映し出す。風間は震える指先で青いノートを示した。
「さ、佐々木は知ってるのか、これ」
「あ、いやー、そのー……」
しまった、これ言っちゃいけないやつだったか?
うかつな発言を後悔するがもう遅い。愛想笑いを浮かべて「間違えました!」と誤魔化そうとしたが、嘘をつくなと言いたげな鋭い視線を寄越されて観念する。大体、交換日記と何を間違えんだよって話だよな⁉
「それ、慎との交換日記……すよね?」
つとめて軽い調子で笑って、風間の顔色を伺う。彼はため息をついた。
「誰に聞いた? ……って、慎しかいないか」
「あー、まあ、はい」
「慎が自分から積極的に話すこともないだろうし、成り行きで知ったって感じかな」
あれ、とハテナマークが純哉の頭に浮かぶ。風間がそんな風に慎を評しているのが意外だったのだ。以前、慎のことを無視していたこともあったし、風間は慎のことをあまり覚えていないのかと思っていたのだけど。
「……佐々木、さっきまでレッスンしてたって言ってたよな。喉、乾いてないか?」
風間は身を屈め、足下に置いてあったバッグを漁る。「コンビニのくじで当たったんだ」と差し出されたのはスポーツドリンクだ。レッスン終わりにはぴったりのチョイス。ただ、この状況で飲み物を渡されるのがただの親切心だけじゃないことくらい分かる。
風間は話を聞いてほしいのだ。一瞬迷って、素直に応じることにする。
「ありがとうございます」
コンビニに行ってからは少し時間が経っているのか、ペットボトルの表面には汗ひとつない。生ぬるさがじんわりと掌に広がっていく。
「座って飲みなよ」
勧められるままに純哉は椅子を引いた。
「いただきます」と蓋を回して口をつける。いつもより少ししょっぱい味が口中に広がっていく。
引き留めたくせに、風間は書類に目を落としたまま何も言わない。純哉も何を言ったら良いかわかんないから食堂にはただただ沈黙が広がっていた。気まずくて、意味もなくスポーツドリンクに何度も口をつける。
半分ほど飲み干したところで、ようやく風間は書類を置いて、おずおずと話し出した。
「……交換日記なんて、おかしいと思わなかったか?」
「おかしいって言うか、……まぁ、めずらしいなーとは思ったかな」
「そうだよなぁ」
風間はテーブルに肘をつき頭を抱える。近くに置いてある資料たちに腕があたり、バラバラと位置を変えた。青いノートが少しだけ純哉の方へ近づく。
青地に金で草花の模様が描かれた表紙。その辺のコンビニなどでは絶対に買えない、品の良いそれは慎が選んだ気がした。ふたりだけの、特別な日記。
風間は迷子のような、か細い声で呟いた。
「オレもどうしてこんなことになっているのか、よく分からなくて……」
セットされた細い髪がぞんざいにかき回されて、指の間をさらさらと落ちていく。呻く風間は、いつもの大人びてキラキラしていて自信に満ち溢れた『KUROFUNEの風間圭吾』とは別人のようだった。
「……風間くんは、イヤなんすか? 交換日記」
「嫌、では、ないんだけど」
風間は困ったように笑う。
「慎とはしばらく疎遠にだったから――メールとか、電話とか、気軽に話すことが、何て言うのかな、ふしぜ……いや、不思議な気がして」
純哉はただ頷いて、先を促した。
「だから、慎が『交換日記をしよう』って提案してきた時、少しほっとしたんだ。――慎とすぐ話せる距離にいたとしても、何を話せばいいか、分からないから」
慎は「伝えたいことがありすぎて、どうしたらいいか分からない」と言っていた。じゃぁ、風間はどうなんだろう。
純哉は祈るような気持ちで、思わず尋ねていた。
「……慎と、ホントは話したくない?」
自分でも驚くくらい、低い声だった。俺ってこういうしゃべり方もできるんだ、と頭の隅で冷静な自分が感心している。
だけど、風間の今の言葉だけじゃ、まるで――慎と話したくないみたいに聞こえてしまって、聞かずにはいられなかった。純哉にとって、慎は大切な仲間だ。それに、風間と疎遠になっていた頃の慎の様子も知っている。だから、答えによっては。
再び沈黙が食堂に満ちる。風間は純哉の問いに戸惑いの表情を浮かべていたが、やがてふっと目を伏せて苦笑した。
「話したくない奴と、交換日記なんてしないさ」
純哉はその言葉が、ひどくひどく嬉しかった。妙な騒動に巻き込まれていることも忘れてしまうくらい、嬉しかったのだ。
「言葉にしないと伝わらないことがたくさんあるって、俺はもう知ってるから。……でも、言葉にしちゃえば壊れることもあるだろ。だから――すぐに思ったことをすぐ口にするのが怖くて。だからゆっくり考えられる交換日記がちょっとありがたく感じたりもするんだ」
長いまつ毛が影を作っている。憂いを帯びた表情は王子様と形容されるにふさわしい。だけど風間は友人――彼にとっては友人でもないのだろうか――にただただ頭を悩ませている。
純哉はそんな青年を、いいな、と感じた。俺、風間くんのことけっこー好きかも。
「なんて、変だろ」
自嘲するように吐き捨てられると、何を言っていいのか分からなかった。
カタン、と入り口で物音がした気がして、純哉はそちらへ目を向けた。しかし開きっぱなしの扉の向こうには、ただ明かりの灯る廊下しかない。
風間に視線を戻すと、見慣れたプリンスの顔に戻っている。控えめに柔らかく苦笑しているけれど、見えない壁がふたりを阻む。
「ごめん、おかしな話をしたね」
「あ、ぜんぜん……」
「交換日記なんて初めてだから、ちょっと妙な気持ちになっているのかもしれないな」
そろそろ僕は行くよ。
風間は机に散らばる書類をまとめた。最後に青いノートを一瞥して、カバンへとしまい込む。純哉が何も言えない間に、プリンスは優雅に立ち上がった。キラキラとした笑みで一礼する。
「佐々木、それじゃぁ。引き留めて悪かったね」
「あ……お疲れさまっす」
俺は一体何に巻き込まれてるんだろう。俺は、どうしたいんだろう。
廊下に消えていく背中を眺めながら、純哉はぬるくなったスポーツドリンクを流し込んだ。
【3】
それからの純哉は忍者だった。
慎が交換日記を執筆中、奏たちが「何してるの」とわらわら寄ってきたら「あーっ! なぁこの動画見て!」なんて、気を逸らしてみたり。
風間が慎に交換日記を渡そうとタイミングを伺っていたら、代わりに手渡しを引き受けたり。
交換日記が他のメンバーにバレないよう、そしてふたりが円滑に交換日記を進められるよう動くその様は、隠密行動をする忍者そのものだった。
俺は忍者じゃなくてアイドルだっての! 何でこんなことをしているのか、自分で自分が分からなくて何度も叫びたいのに、何故かやめられない。
「何コソコソしてんだ?」
隠密行動中、 KUROFUNEの黒石勇人から声を掛けられたこともある。
その時純哉は風間からノートを受け取ったばかりだった。とっさに愛想笑いを浮かべてしまう。
「あ、黒石くん、あはは……何でもないすよ」
「何だよ、それか?」
純哉の手にある青いノートを顎で指して黒石が尋ねてきた。「知ってるんすか」と聞くと「知らねえ」と目を細めた。
「圭吾がなんかやってんだろ、興味ねえ」
「あ、そうすっか……」
「好きにすればいいだろ、あいつの交友関係は俺には関係ねぇ」
それは、突き放しているような台詞だったが、純哉には信頼にも聞こえた。「仲いいんすね」と言ったら、黒石は「うるせぇ」と吐き捨ててどこかに行ってしまったけど。
そんな隠密行動からはや数ヶ月。
今日は音楽番組に出演する。出演者は純哉と慎だけだ。
慎は個人名義でドラマが決まり、その主題歌をソロで歌っている。作詞も担当しているらしい。純哉はソロの楽曲がある訳ではないのだけど、最近ランキング一位をとった Dear Dreamの代表としてスタジオトークに呼ばれているのだ。
「慎ー。そろそろ出番だって、行けそう?」
「あぁ、大丈夫だ」
あの日のように机に向かっていた慎は、パタンとノートを閉じた。青い表紙がちらりと見える。交換日記は今慎のターンらしい。
ふたりで連れ立ってスタジオへ向かう。慎は緊張を感じさせない澄ました顔で歩いていたが、スタジオに入った瞬間目の前にいる人物に気づいて目を丸くした。
「圭吾」
「……慎」
およそ交換日記をしている(多分、恐らく親密な)ふたりとは思えない、緊張感がその場に走る。何だ、この時間は。気まずさに耐えきれず、純哉は口を開いた。
「あー…… KUROFUNEもこの番組出るんすか?」
「あ、あぁ、そうなんだ。もう出番で……」
助かった、とばかりに風間が表情を和らげる。
そのまま純哉と風間が何とか空気が明るくなるよう会話を続けていた。慎はじっと風間を見つめているが、風間はそちらを頑なに見ようとしない。スタジオに流れている緊張とはまた別の種類の重たい空気が漂う。
どうしたらいいんだよ、これ⁉ 助けてほしい、と何かに願いながら会話をしていると、「おい」と救いの声が放り投げられた。
「呼ばれた、行くぞ」
くいとアゴで指し示して、救いの主、黒石はスタスタと行ってしまう。
「おい待てよ勇人! 佐々木、慎、また!」
風間は手を上げて、黒石を追いかける。 KUROFUNEふたりの背中が見えなくなってると一気に肩の力が抜けて「はーーーっ」と脱力した。
「何だよあの空気! 重いっつの! 慎、風間くんと仲良いんじゃねぇの⁉」
「仲……が良いんだろうか」
「しらねぇって!」
巻き込まれているだけの純哉に分かるはずもない。この現代に、 交換日記なんてするくらい、何か言葉を交わしたいと思う関係なんて。言葉を交わしたいと思っているくせに、会えばうまく目を合わすのも難しい状況なんて。そんな間柄、純哉は知らない。ただ、分かることは一つだけだ。
「知らねえけど、仲良くはしたいんだろ? そのためにおまえ、頑張ってんじゃないの?」
ふたりとも。相手と近づきたいから、意識するんじゃないのか。
彼らが疎遠になった事情は純哉には分からない。どんな出来事があって再び縁が繋がったのかも詳しく知らないし、聞こうとも思わない。黒石じゃないけれど、慎の交友関係は慎だけのもので、話したいなら話してくれれば良い位に思っている。
だけど。
ずっと人を寄せ付けなかった慎が不器用ながらも風間と関わりたいと思っていることを嬉しく思う。
純哉に素を見せるほど悩んで、慎と向き合いたいと思っている圭吾を好ましいと感じる。
それなのに顔を合わせると会話ができないふたりを、純哉はすごく――応援したいと思う。
アイドルはエールに応えるもの。だけど、それだけじゃないと純哉は知っている。真剣な思いを応援するのだってきっと、アイドルの役目なのだ。
「そうだな……ありがとう」
「何のありがとうだよ」
純哉が笑ったら、KUROFUNEのステージが始まった。
「あれ、風間くん。お疲れさまっす」
舞台袖で出番を待ちながら慎の様子を見ていると、隣に風間がやってきた。どうやらパフォーマンスを終えて見学に来たらしい。
「見てくんすか? 慎のステージ」
風間はプリンスらしい柔らかい笑みを浮かべた。
「あぁ、次の仕事まで時間があるからね」
さっきはあんなに慎とバチバチやってたくせに素直じゃないの、と純哉は密かに苦笑してしまう。慎のことが気になるんじゃん。
風間は腕を組みながらスタジオに視線をやった。
慎はトークの収録中で、司会者と談笑している。やがてステージの時間になり、にわかに「及川さん、ステージ移動します!」とスタッフが色めき立つ。
司会者が慎に話を振った。
「さて、及川さん。今から披露していただく曲はどんな曲ですか?」
「ドラマの主題歌なんですが――友人への言葉について書いた曲です」
にこりと笑って慎は席を立った。スタッフが曲スタートまでのカウントダウンを始める。ごくり、と唾を飲む音が隣から聞こえた気がした。
慎のステージは圧巻だった。
青春物のドラマに主題歌にふさわしい、友情についての曲。
大切な友人とのもどかしい距離感と、親愛をを彼らしい言葉で表現している。きらびやかなステージ衣装に身を包んで、彼は全身で「友人」について歌っていた。
語り合った時間のこと、飲み込んだ言葉のこと、それなのに近くにいるとうまく会話ができないこと、それでも、素直にまた語り合える時間を嬉しく思っていること――
その歌詞は、ドラマの話に沿ったものにも聞こえたし、慎が誰かに歌ったものにも聞こえた。多分それはきっと。
ステージが終わって、慎ははにかんだ。
「ありがとうございました。この曲が誰かの背中を押してくれると良いなと思います」
「……慎」
風間が小さく苗を呼ぶ。ちらりと隣にいる彼の顔を見て、純哉はにっと笑った。
「いいステージすっね」
「まだなんだ」
「へ?」
「クソ」と風間は王子様に似つかわしくない悪態をつく。
「交換日記、まだ、俺の番じゃないんだ」
こんな時に何を言い出すのだろう。不思議に思って見上げた風間の瞳には、ごうごうと炎が宿っていた。今この場に、プリンスはいなかった。
ここにいるのは、ただただ友人に、何か言葉を伝えたい青年だけだ。
純哉が何も言えない間に、ステージを終えた慎がこちらに向かってくる。隣でごくりと喉を鳴らすのが鮮明に聞こえてきた。
「慎!」
こちらに気づいた慎が表情を緩めた。
「あぁ、圭吾。見てくれていたのか、ありがとう」
「慎、えっと……」
風間は、何かを振り絞るように声を出す。慎は立ち止まりかけたが、何かを振り払うように目を伏せた。
「すまない、次の仕事があってすぐ行かなくてはいけなくて。――また」
慎は何かを苦しそうに飲み込んで、楽屋へと消えていく。風間は「あぁ」だか「うん」だか唸って、ただ慎の背中を見つめている。
もどかしい、と純哉は思った。
「……慎に言いたいことあるなら、すぐ言いに行けばいいじゃないすか」
「でも」
いいんだ、と風間は首を振る。
「慎は忙しいんだろ。電話もできないし……メールやメッセージは宛先が分からない。何も知らないんだ。後で交換日記に書いておくよ」
ぽつり、寂しそうな言葉が落ちる。
「こんなに近くにいても、すぐに伝えられないんだよな……」
風間には悪いが、何だか純哉は嬉しかった。
近い距離で何を話せばいいか分からないと彼らは言っていた。だけどちゃんと、話したいことが、近くにいるからこそしたいことがあるじゃんか。ほんっとふたりとも、器用じゃねーの。
「佐々木さん!」
近くにいたスタッフが声を張り上げた。
「出番です、準備お願いします!」
「あ、はーい!」
スタッフに呼ばれて、慌てて返事をする。純哉は一歩、二歩とステージへ踏み出してから、くるりと振り向いた。
「風間くん」
キラッキラのアイドルスマイルで笑いかける。
「今すぐ言いたいことがあるんでしょ、メッセージ送りなよ」
「いや、俺達は電話番号しか交換してなくて……」
「風間くん、知ってます?」
「なに、を」
きょとんとしている風間に向かって、とびきりのウインクを送る。
風間は今、勇気が出なくて立ち止まっている。迷ってる人を勇気づけるのは、アイドルの仕事だろ?
「電話って、話せるだけじゃないんだぜ!」
手でピストルを作ってバキュンと胸を撃つ。それから純哉は「電話番号ってさ……」とウインクした。
【4】
「純哉、この間はありがとう」
レッスン室に入るなり、慎は深々と頭を下げた。以前風間からもらったのと同じ銘柄のスポーツドリンクを傾けていた純哉は、突然のことに目を見開いた。
「へ?」
「メッセージ。あの後すぐ圭吾から来た」
「あぁ」
「圭吾から聞いた、純哉がアドバイスをくれたと。……おかげで少し、答えが見つかった気がする」
「あー」
ふたり以外に誰もいないレッスン室に、慎の「ありがとう」の声がやけに響く。
どうしようかと少し悩んで、純哉は結局「良かったじゃん」とだけ笑った。床の木目を、声が跳ねて転がっていく。
「あれから、 SNS の交換もして――圭吾とはメッセージのやりとりをするようになったんだ」
風間にしたアドバイスはシンプル。『電話番号使ってショートメッセージを送りなよ』だ。
交換日記は、じっくり相手に向き合って思いを伝える手段としては良いと思う。だけど、それだけじゃなくてすぐに言葉を交わしたいと思うなら、方法はいくらでもある。もうふたりはすぐ言葉を、想いを。交わせる距離にいるんだから。
純哉のアドバイスは功を奏して、風間はあの後すぐに慎へ、何か伝えたいことを送れたらしい。
「結構やりとりしてんの?」
どこかワクワクした気持ちで純哉は尋ねた。
あぁ、とか、なかなか難しくて、とか、そんな答えを期待していた。だが、慎から返ってきたのは首を横に振るアクションだった。
「いつでも送れるとなると、逆に迷ってしまって……三日に一通、メッセージを送り合うルールを決めていて……」
「はぁ!? なんだそりゃ⁉」
ちらり、見えた画面にはびっしりと文章が埋まっている。これって交換日記と変わらないんじゃないか⁉ まぁ、いざとなったら気軽に送れるしいいのか⁉ やっぱりこいつら訳分かんねぇ。訳が分からなくて、頭を抱えたくて。だけどなんだか愉快にもなってきて、だから純哉は歌いたいな、と思った。
胸に湧き上がる気持ちにつける名前を知らないから、代わりに歌って踊りたい。今なら作詞だってできる気がした。
「なぁ慎、一曲やらねぇ?」
「あぁ、いいぞ、何の曲だ?」
「そりゃあもちろん」
純哉がその曲の名前を告げると、慎は一瞬驚いた後、破顔した。