少し不思議な話を 村から外れた丘を登る一つの影。
まだ枯れている下草を踏むとカサっと音がする。その下には新しい芽が土を持ち上げ、頭を出そうとしている。
「こんなところでやってたのか。探すの大変なんだけど」
たどり着いた先には刀を振っているもう一つの影があった。
「ここなら人がいなくていいって聞いたんだよ」
デュランが日課にしている鍛錬は、狭い宿ではできないと断られ、宿の主人に何もないところを勧められた。
そこには一本の枯れ木しかない。その上には大きくて丸い月。空気が澄んでいるからはっきりと輪郭が見える。
枝の先には膨らみ色づき始めたつぼみがついているのが月明かりでよく見える。
花見にしてはまだ早すぎるし、月見にしては少し肌寒い。
丘に吹く風は、冬の名残を感じる。
「寒っ……。まだかかるのかい」
「あと少しだ。寒いならとっと帰ればいいだろうよ」
デュランはずっと体を動かしているので寒さは感じていない。ホークアイがたどり着いた時には温まっていたが、あっという間に風に体温を奪われた。
デュランの言う「あと少し」が、少しで終わらないのもいつものことだ。
「いい酒があるからどうかなって誘いに来たのにさ。いいや一人で飲む」
ホークアイはそう言うと地面に座って、持ってきた器で飲み始める。
デュランはそれを横目で見つつまた剣を振る。ソードマスターになってからというもの、常に剣を振り、新しい戦法を考え出そうと試行錯誤している。
そんなデュランの鍛錬を眺めて過ごすのがホークアイの余暇の過ごし方となっている。
その横でホークアイも手慰みに手裏剣を投げたり忍術で的を狙ったりすることもある。しかしデュランほど真剣にやるわけでもなく、のんびりと時間が過ぎるのを待つ。
特に今晩は月が明るい。デュランの動きがよく見える。どんな間合いで手助けしようかなど試行する。
デュランは上段に構え、力強く振り下ろす。
「あっ、やべ!」
大きな声とともに、衝撃が枯れ木にぶつかる。
「何してるんだよ。危ない!」
ホークアイも思わず言ってしまった。
邪魔にならない所にいたはずなのに、危ない目にあうところだった。
「悪い、ちょっと力加減を間違えた。それにしても木に傷がついてなくて良かった」
デュランが木の傷を確かめようとしたとき、強い風が吹いた。砂を巻き上げて二人にぶつかる。
「げっ、目が痛い!」
「何だよ、今日は!」
デュランもホークアイも砂まじりの風には辟易する。
一通り風が去ったあと、目を開けると、そこには花が咲き誇り、薄紅色に色づいた木があった。
空にはまん丸の満月。霞がかかり、輪郭がぼやけている。
「あれ、咲いてる……?」
先程まで北からの冷たい風に吹かれていたはずだ。ホークアイの体は寒さが染みていたから間違いようがない。
木の芽も縮こまって開いてはいなかった。
今は体も震えることなく、吹く風も優しい。ふわりと風が吹くと、花びらが木を離れ、空を舞う。
二人で呆然としていると、影が近づいてくる。
「おや、まあ! 客人だ」
その影はよく見ると肌は青く、額には角が二つ生えている。毛皮の服を着て、手には金棒。
心当たりはある。はるか遠くの国に伝わる話。
酒が大好きで、人々に悪事を働くという。
鬼だ。
二人は驚きのあまり、言葉すら出てこない。
「なんだ? オイラの顔に何かついてるのか? ふん、あんたから酒のいい匂いと人間のニオイがするな。人間はどこにいるんだ?」
そいつはホークアイに顔を近づけ、ふんふんと鼻を鳴らし、獲物を探す。
「気のせいか。それよりかお前さん、そんなに小さな角でいじめられなかったか? ここらでは安心していいからな」
鬼が何故か同情してくれる。
どういうことかとホークアイは額に手をやると確かに小さな角がついていた。これには苦笑するしかない。鉢金の角が鬼の角だと勘違いされたのだ。旅装を解いていなかったのが幸いしたといってもいいのだろうかと判断に困る。
鬼はその様子を見て笑う。
「こっち来いよ。花も咲いたし、呑もうぜ」
そして、ホークアイを手招きする。
「おい、ホークアイ。行くのか」
デュランは聞かずにいられなかった。鬼は人を食うともいう話もあるからだ。
「しっ。ここで行かないほうが不自然だろ? 何でかオレは鬼扱いみたいだから、大丈夫そう。キミは後ろにいた方がよさそうだ」
ホークアイがデュランの前に立って招きに応じる。
木の下では鬼たちが集まって酒盛りに興じていた。
「遅かったな! おめえの後ろのは誰だ?」
「なんと、珍しい姿をしているな」
「久々の客人だ、飲めや」
口々に飲めや飲めやと次々に誘われる。
どうしたものかとホークアイが突っ立っていると、奥の方に座っている一回り大きい鬼に声をかけられた。
「これはまたちっこいのが来たもんだ。まあこっちにどうだ」
これは断りきれないと腹をくくり、ホークアイもドカリとあぐらをかいて座る。
「さあ、一献」
差し出された杯を受け取ると、一気にあおる。
ホークアイの喉元が晒されるのを見て、デュランはヒュッと息を呑む。いくらなんでも無防備すぎる。
襟を引っ張って警告して伝わるかどうかやきもきするしかない。
「もてなし感謝する」
月の明かりの下、金の目が一層光る。デュランとは逆に、ホークアイは鬼に怯まないように背筋を伸ばして相手を見ている。
「良い飲みっぷりじゃねえか。おい、お客人に肴も持って来い!」
早速、ホークアイと鬼の間に料理が並べられる。肉や魚の串、貝の干物など見た目は悪くない。何とかの目玉とか出なくて良かったと、デュランはそっと胸を撫でおろす。
「ところで、何故ここに来たのだ?」
「桜が美しかったからつい迷い込んでしまったんだ」
ホークアイは少しの事実と虚構を混ぜ込み、この場所に迷い込んでしまったことと、ここら出る方法を知りたいことを話す。
「難儀な旅をしてるなあ。お前たちの大事な木が枯れ始めているのは心配になるな。ワシらの木もいずれそうなるのであろうか」
鬼が見上げると、花びらがはらりはらりと落ちてくる。
「次は里の酒はいかがかな」
ホークアイは手に持っていた酒をついでやる。鬼が酒の匂いをかいで、やはり一気に飲む。
「ああ、懐かしい味だ。昔はよく分けてもらっていたものだ」
鬼は目を細めて懐かしむ。村人もそれらしきことを言っていた。この里の酒は鬼も人も酔わせるほどうまい酒だ、と。
ホークアイも鬼に合わせて呑む。偶然手に入れた酒が役に立っている。
「して、人間よ。そろそろ後ろの者を誤魔化しきれぬ頃になってきたぞ。周りの者にも気づかれそうだがどうするつもりだ?」
頭の言葉に、鬼たちの目の色が突然変わる。
「やはり人間がいるのか!」
「人間! うまそうだな」
デュランはとうとう見つかってしまった。その一方で噂の通り、鬼は人を食うのだと感心している。
新しい食材だと鬼たちのギラつく目に包囲される。
いつ襲いかかられてもおかしくない状況でホークアイは朗々と口上を述べる。
「まあまあ、今宵は良い月ですので、一つ」
酒瓶と使い慣れた短剣を片手に持ち、足で地面を踏み鳴らす。
ドンと一歩。
また一歩。
酒瓶が揺れるとふわりと酒精が立ち上がる。
その香りに鬼たちは色めき立つ。
「いい匂いだ」
「飲ませてくれ!」
ホークアイを中心に人だかりができ始めた。極上の酒のおこぼれをもらおうとしているのだ。
「あのやろ!」
そうやって目立つことをして、注意を引きつけようとするやり方にデュランの背筋が冷やりとする。
デュランは近くにある刀を取り、輪の中心へと向かっていく。
「おい、それはワシのだ……」
チラチラと刀の様子を窺う視線は感じていた。この勢いで持っていってしまうとは鬼にとっても予想外だ。
「ふざけんなよ、お前ら! ホークアイから離れろ!」
デュランの力任せの一閃は地面を抉る。狭まりつつあった人だかりの輪を広めることに成功はした。
鬼よりもホークアイから非難の声が上がる。
「ちょ、加減てのを知らないのか!」
あの一撃を食らったらホークアイはひとたまりもない。
「おまえな、一人で勝手に事を進めるなよ! オレにだってやれることはある」
デュランは真正面から刀を突き出す。
ホークアイはそれを躱し、デュランの背後へと回る。
「適材適所って言葉があるだろ! キミは考えなしに突っ込むからややこしいことになる!」
ホークアイの斬りつけようとした刃は、デュランに簡単に払われる。
「やりにくい! これ持っていてくれ!」
ホークアイは酒瓶を近くにいた鬼に渡し、両手にそれぞれ短剣を持つ。
いよいよ、本気で斬り合う。
間合いを詰めるホークアイの短刀をデュランは弾く。
「おまえもコソコソしてないで真正面から来いよ!」
デュランの大振りな太刀筋を見切って受け流し、ホークアイはがら空きの脇に狙いを定める。
「力任せの空振りばかりのくせに!」
ぶつけて、弾いて、躱して、繰り返されるうちにだんだんとリズムになってきた。
それを周りで見ていた鬼たちが手を叩いて拍子をとり、やんややんやと喝采を浴びせる。
一人、二人と立ち上がり踊り始めれば、釣られてほかの鬼たちも楽しげにみんなで踊っている。
辺りが急に賑やかになったことで二人は我に返る。
「なんだか馬鹿らしくなってきたな」
「キミが勝手に怒り出したんじゃないか」
ホークアイは冷ややかにデュランを見る。デュランは視線を外し、目を合わせようともしない。
二人は、こっそり盛り上がっている踊り輪から抜け出すことに成功した。
少し離れて鬼たちの賑わいを眺めていると、後ろから声をかけられた。
「久しぶりの里の酒はうまかったぞ。あいつらの退屈もしのげたしな。人間よ、そいつを持って帰れ。あんたなら使いこなせそうだ」
デュランがとっさに持って行ってしまった刀を見て、鬼の頭の口が歪む。大きい牙がはっきりと見えた。
威嚇にも見えるが、声が明るいのでこれは笑っているのだろう。
「他の連中が夢中になっている今がいい。二度と迷い込んでくるなよ」
そう鬼が言うと、ざわっと風が吹き、花びらで前が見えなくなる。
あまりの量に思わず目をつぶってしまった。
目を開けると、元の枯れ木のそばにいた。
ヒュウっと風が通り、酒に酔った頭を冷やしてくれる。
「夢、だったのか」
ホークアイは足元がふらつくのを感じる。酒を飲んだあとに激しく動くものではない。それで夢かどうかの判別もつかなくなる。
「夢じゃないぞ」
デュランの手には鬼からもらった刀。
興味津々で鞘から抜き出せば、月明かりにすらりと反射する。
デュランは軽く振ってみる。
驚くほど手に馴染み、振り上げても下ろしても重さを感じない。
どこから見ても業物というのが伝わる。
無我夢中で見ていると、視線を感じる。いや、感じるどころではない。先ほどから視線がグサグサと突き刺さってくる。
視線の先を見ると、ホークアイが静かに立っていた。
「なんだよ、言いたいことがあれば言えよ」
デュランとしてはゆっくり眺めたいのに、邪魔が入った形になる。
「デュランは良いよな、珍しい宝を手に入れられてさ。こちとら何も手に入れてない。盗賊の名が廃るよ」
ホークアイはデュランが手に入れた刀を隅々まで見ている様子をずっと眺めていた。それは贈り物をもらった子どものように喜んでいたのは可愛げがあって見ていて面白かった。でも、ちくりと言いたい気分でもあった。
デュランはバツが悪そうにホークアイを抱き寄せる。
ヒュッとホークアイが息を呑む音が聞こえる。
「あのな、お前が舞った様子が頭から離れねえんだよ。あんなやつらに見せることはねえのに。ムチャするな」
「キミが鬼に食われるんじゃないかとこっちも必死だったんだよ」
とっさに浮かんだ方法が剣舞だったというだけだ。ナバールに伝わる剣捌きは他の地域からは舞っているように見えるらしい。
それを見て鬼たちが喜んでいた。
デュランの中に沸いた怒りの根源がここにある。あのような美しい姿を誰にも見せたくなかった。とっくのとうに心を奪われたなんて使い古された言葉など口が裂けても言えるわけもなく、ひっそりと頭の片隅にしまっておく。
そういうわけで、恥ずかしさのあまり素直に感謝できないところが出てしまうのだ。
「こんな良い刀を手に入れられたのはお前のおかげだ。ありがとうな!」
デュランの笑顔に対して、ホークアイは反射的に蹴り上げそうになった。
ホークアイ自身もはっきりした態度をしていないから、欲しい言葉を貰えるわけない。
「あ、ああ……。どういたしまして?」
いつまで経っても二人は平行線のまま。月だけが二人を見守っていた。