ふれないで ひと思いに飛び込んだのは、氷の海だった。
水しぶきと、波と、それから泡の音。冷たい水が肌を刺すけれど、水を掻き分けて進んでいく感覚は好きだ。
潜って、潜って、潜っていく。
海中に沈んだラブルを掴んで、プロペラスクリューで一気に駆け上がる。
重さは感じない。だって、これはたぶん夢だ。夢というより、少し前の記憶をなぞっているだけ。
水から上がって、くるりと空中で一回転。
陸に上がると、仲間たちが出迎えてくれた。ラブルは感謝を、歓声はケント、マーシャル、エベレスト──そして、もうひとり。
『さっすがズーマ!』
甘い声を弾ませて、あの子が駆け寄ってくる。
きらきら輝く、まるい茶色の瞳。ふわふわとした白とグレーの尻尾が、せわしなく揺れている。そして花が咲くような笑顔で、こう言うんだ。
『すっごくカッコよかったであります!』
陽の光と、それから水しぶき。
あれから僕は、何て答えたんだっけ?
──そこで、目が覚めた。
******************
(……またあの夢かぁ)
うっすらと目を開ける。
パウステーションの庭には、沈みはじめの夕陽が落ちていた。
どうやら僕は夕食後、サーフボードの手入れをしているうちに眠ってしまったらしい。
まどろみながら、周囲を見渡してみる。
ラブルとスカイはここにいない。確か、ポーターさんの店を手伝いに出かけると言っていた。チェイスの姿も見えないので、ケントの所に行ったのだろうか。そして庭の向こうから、マーシャルの声がした。
「それじゃ、いっくよー! ロッキー、時間測定よろしくっ」
「了解であります!」
視線だけ動かして、ふたりの姿を探した。少し離れた場所にいる。
尻尾を軸にして、くるくると回転するマーシャル。その横で、マジックアームにストップウォッチを構えたロッキーが見守っている。
(ああ、ワンワンブギーの振り付けの練習かな)
薄目でしばらく眺めていると、ロッキーが歓声を上げた。
「24、25……わあっ、マーシャルすごぉい! 新記録でありますよ!」
「えっ、ほんと? やったー! ──って、わあぁぁ!」
喜んだ勢いで、マーシャルがいつものようにバランスを崩す。そのままロッキーを巻き込んで、ふたり揃って倒れ込んだ。
「いってててて……ごめんね、ロッキー」
「もう、マーシャルってばぁ……でもすごかったでありますよ、記録更新!」
「ほんと? うれしい! ありがとー!」
ふたりは今、寝そべったまま密着している体勢だ。体をくっつけたまま、至近距離で笑い合っている。あと少しでも近づいたら、鼻先が触れそうだ。
思わず、ちくりと胸が痛んだ。
(……いやいや、何考えてんの僕。別にいつものことじゃん)
そう、あのふたりの距離が近いのはいつものことだ。というか、僕たちパウパトロールのメンバーは基本的に、全員距離が近い気もしているけれど。
ロッキーとマーシャルは、メンバーの中でも特に気性が穏やかというか、波長の近いところがあると思う。だから気も合うし、距離も近い。
たぶんお互いに変な感情はないんだろうし、多少距離感がおかしくても、あのふたりだもんな、と結論づけて終わる。──いつもは、というか今までは、そうだったのだけれど。
「よーし、もう一回!」
「がんばって、マーシャル!」
ビークルの中で寝転がったまま、ぼんやりと様子を眺めていると、もう一度マーシャルが回り出す。
また転ぶ──と思っていたら、今度はどこからかチェイスが走ってきて、マーシャルを受け止めた。
(さっすがチェイス。ナイスキャッチ)
なんとなくほっとして、小さく息を吐いた。するとロッキーが振り向いて、バチンと目が合う。そのまま、僕の方に向かって走ってきた。
見ていたことに気づかれて、どこかばつが悪い。別にそんなの、気にすることでもないのに。だから何でもない風を装って、こちらから声をかける。
「やあロッキー。ワンワンブギーの練習?」
「そうであります! ズーマも一緒にやらない?」
尻尾を振りながら僕を誘うロッキー。マーシャルの方に視線を移すと、チェイスと何やら話している。時おり、町の方を指すジェスチャーが入る。
「んー、僕はいいかな。あのふたり、今から出かけそうな雰囲気じゃない?」
ロッキーが振り向くと、マーシャルが「ちょっとチェイスと町まで行ってくるね」と手を振ってきた。手を振り返してふたりを見送ったあと、ロッキーは僕に向かって微笑んだ。
「ほんとだ。ズーマは周りをよく見てるでありますね」
どくり、と心臓が跳ねる。またこれだ。最近、とある出来事をきっかけに、ロッキーは頻繁に僕を褒めるようになっていた。それに加えて、毎回もれなく僕の心臓もこうなってしまう。
「えー、そうかな?」
わりと落ち着いた声が出せたと思う。ただ、今はちょっとロッキーの顔が見れない。視線を逸らしながら、動悸が落ち着くのを待つ。
「……ズーマ、どこか具合悪いでありますか?」
「え、ううん全然。超ノリノリすっごい元気だよ!」
見透かされたようでドキッとした。いつもみたいな笑顔を作って、ポーズなんかもきめてみせて。
だけど──
「でも、顔が赤いでありますよ?」
ずいと距離をつめられた。顔が、近い。額にふわりと肉球の感触。ロッキーが、僕の額に手を乗せている。
「…………っ」
つい反射的に、飛び退いてしまった。ロッキーは目を丸くしている。ああもう、やっちゃった。
「──僕、ちょっと泳いでくる!」
「えっ、今からでありますか?」
「うん、今ちょうど波がイイ感じだから! じゃあねロッキー、またあとで!」
サーフボードを引ったくり、後部座席に投げ入れる。怪訝な顔をしたロッキーを背に、僕はホバークラフトを急発進させた。
***************
サーフボードに寝そべって、沈みかけの夕空を見上げる。ゆらゆらと体を揺らす波に、心地よい水音。いつもなら心が落ち着く風景だ。──それなのに。
「…………はぁ」
深く、長いため息を吐く。
いざ海に来たけれど、波に乗る気が起きなくて、ずっとこうしている。こんなの僕の柄じゃない。いつもみたいに軽いノリで、ザッパーンといきたいのに。
涼しい海風が頬を撫でる。だけど、顔の火照りはなかなかおさまらない。
目を瞑ると、あの日の声が反芻する。
『さっすがズーマ! すっごくかっこよかったであります!』
きっかけは多分、あの時だったと思う。
あれは氷海での任務に出たときだった。ラブルが海に落ちてしまい、僕が救出に向かった。これは救出後、陸に戻ってきたときに、ロッキーがかけてくれた言葉──なのだけれど。
(あのあと、何て返したんだっけ。……ああ、そっか)
いつもみたいに軽いノリで『ありがとう』なんて言えばよかったんだ。なのになぜか何も言えなくなって、ただ体を振って水しぶきをかけてしまった。ロッキーも案の定、やめてよ冷たい、なんてリアクションになってたし。
今思うとあれは、無意識にしてしまった照れ隠しだったのかもしれない。
そこで一度、自分の気持ちに引っかかりはしたものの、それからはまた普段通りに過ごしていた。
任務となれば気を引き締めて切り替えていたし、遊ぶときも今までどおり。
僕とロッキーは元々、けっこう距離が近かったと思う。公園にもビーチにも、何度もふたりで遊びに行ったし、気づけばよく隣にいる。
今思えば、宇宙人の飛ばしたクッキーを取ろうとして頭をぶつけた時なんか、だいぶ顔が近かったなぁなんて思う。
だけどもう、そんな距離感ではいられなくなっちゃったんだ。
(こんなんで明日、デートなんてできるのかなぁ。──あ、いや、別にデートじゃないけど)
こんな体たらくだけど、実は明日、ロッキーとふたりきりで出かけることになっている。
約束を取り付けたのは、ついこの前の任務のあと。──僕がロッキーへの気持ちを自覚したのとほぼ同時だった。
『助けてくれてありがとう、ズーマ』
『ずっと思ってたんだ。ズーマのこと、カッコいいなあって』
『いつも前向きで勇敢なところ、尊敬してるであります』
任務完了後の打ち上げで、ロッキーはわざわざ僕にお礼を言いにきてくれた。
嵐の中、ふたりだけで海底施設の修理に向かう、という任務だった。そのとき、水の勢いにあてられてしまったのか、ロッキーが動けなくなってしまったのだ。
それを励まして、力を合わせて、ちょっと体を張って守ったりもして──任務を無事に完了した。そしたら、あの褒め言葉の数々が待っていたんだ。
その時も僕は、そっけない返事をしてしまったのだけれど──照れ隠しのつもりで「じゃあ今度泳ぎに行こうよ」だなんて軽口を叩いた。水に濡れる前提の誘いだなんて、断られるに決まってる。それであの気恥ずかしい雰囲気を振り払おうなんて思っていたら、
『……サブマリンでなら、ちょっとくらい行ってもいいでありますよ』
──まさかのOKが出たのである。
目を伏せて、少し照れながらも答える姿。あのときも確か、こんなふうに夕陽が差していた。
思い出せば出すほど、頬が熱くなる。
果たしてこんな状態で、明日ふたりきりでなんて会えるんだろうか。
「……あー、もう!」
動悸を振り払うように、勢いよく体を起こす。
柄にもなくバランスを崩して、そのまま海に落っこちた。
***************
陸から上がると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。陽の光はほとんどないけれど、今日は月も星も明るい。
ふと、ビーチの入り口側から、誰かがやって来るのが見えた。──ロッキーだ。
「ロッキーじゃん。どうしたの?」
海に落ちて体が冷えたせいか、少し落ち着いて声をかけることができた。
「あ、うん、……ズーマのことが気になっちゃって。夜泳ぐのは危ないでありますよ」
「ええー、大丈夫だよ。海のことなら、僕ちゃんと分かってるし」
僕を心配して来てくれたんだ。嬉しくて、思わず尻尾を振りそうになる。
だけど口では、また照れ隠しみたいなリアクションをしてしまった。
そのまま砂浜でふたり並んで、夜の海を眺める。距離は、少し空けたまま。
ビーチには他に誰もいない。波音がやけに静かで、そのうちロッキーの息遣いまで聞こえてきた。気恥ずかしくて、できるだけ明るい声で話題を振る。
「ちょっと泳いできたけど、波いい感じだったよ。明日、楽しみだねー」
「ねえズーマ。……明日のお出かけ、やっぱりやめておくでありますか?」
突然、気遣わしげな声で、ロッキーが訊いてくる。
「えっ! なんで?」
「いや、そのぉ……もし気が進まないのなら、なんか無理に行くのも悪いなぁって、思って」
「いやいや、誘ったの僕だからね? 行こうよ普通に」
できるかぎり明るく答えてみたけれど、まだ引っかかっているような顔をしているロッキー。
「えっと……急にどうしたの?」
「──だってズーマ、最近ぼくのこと、避けてない?」
ぎくりとした。返事をする声が、少しだけ上擦る。
「えー、そんなこと別に……」
「あ、いや、避けてるはちょっと言い過ぎでありますね。なんていうか、そのぉ、えっと……」
ロッキーは僕をじっと見つめてくる。おずおずと僕の顔を伺うように、少し上目遣いで。意味もなく心臓が跳ねて、自分の過剰反応に少し嫌気がさした。
「ズーマは、ぼくに触られるの、嫌になっちゃった……?」
核心に触れられて、ぎくりとした。上手く隠してたりつもりだったけど、バレていたらしい。何これ恥ずかしい。
「そ、そんなことない……けど」
「ほんとに? ぼくの勘違いでありますか……?」
遠慮がちに手を重ねられて、また反射的に手を引っ込めてしまった。
「あっ……ごめん」
ロッキーは一瞬、悲しそうな顔をしたあと、控えめな笑顔をつくった。
「やっぱり、そっかぁ……あ、でも気にしないで。大丈夫であります! こういうの、慣れてるから」
「えっ?」
「ああ、もちろんパウパトロールに入ってからは、そういうことはなくなったでありますよ! 慣れてるっていうのはその……昔、時々言われてたから。触らないで、とか、近寄らないでって」
風の噂で聞いたことがある。ロッキーは昔──パウパトロールに入る前、野良犬だったと。
本人から直接聞いたわけじゃないから、詳しいことは知らない。だけどそれを知ったとき、色々なことに合点がいった。
たとえば、色んなものを溜め込む癖だとか、片耳に入った切れ込みなんかは、野良時代の名残なのかなと思ったりする。丁寧な口調は、人間に優しくしてもらうための処世術だったのかもしれない。
そして何より、水に濡れるのが嫌いな理由も。一度体が濡れてしまえば、野良犬には体を乾かす手段がない。まあ、これは僕の勝手な想像だけれど。
ロッキーは、少し遠くを見ている。昔のことを思い出しているんだろうか。
アドベンチャーベイには比較的、優しい人間が多い。でもやっぱり一部には、野良犬を嫌がる人間もいる。
ふと、小さな野良犬のロッキーの姿を想像してしまう。雨に濡れ、冷えた体で、触らないでと追い払われる。見たこともない勝手な想像なのに、胸が痛んだ。
「──だから大丈夫、気にしないで。……とはいってもやっぱり、ズーマが相手だと、ちょっとだけ──さみしいけど」
ロッキーの声がだんだん小さくなっていく。僕に気を遣わせないためなのか、無理やり笑顔をつくっている。だけどその顔が、逆に悲しく見えた。
「ごめんね。誘ってくれて、うれしかったであります! ──それじゃ、おやすみズーマ。ぼく、先に帰るね」
そう言うと、ロッキーは背を向けて、パウステーションの方へ歩き出した。
何か言わなくちゃいけないのに、誤解を解かなきゃいけないのに、喉から声が出ない。でも、このままロッキーを帰しちゃだめだ。
「──待って!」
そう叫んで駆け出した。追いつく直前、足がもつれて、勢い余ってそのまま転ぶ。しかもロッキーを巻き込んで。
何やってるんだろ、僕。マーシャルじゃないんだから。
「ズーマ……?」
ロッキーを組み敷いた体勢のまま、しばらく動けなかった。そんなに走ったわけじゃないのに、なぜか肩で息をしている。
胸が苦しい。こんな距離感、ちょっと前まで当たり前だったのに。体はまた反射的に避けようとしてしまうけれど、今はそうしちゃだめだ。ロッキーを、離しちゃだめだ。
「えっと……」
僕の体からこぼれ落ちた水滴が、ロッキーの顔や、お腹に染み込んでいく。いつもなら、「やめてよ濡れちゃう」なんて言うくせに、今は何も言わない。
ただ、僕を見ている。僕の言葉を待ってくれている。だからちゃんと伝えなくちゃ、と思った。
「ごめん」
そのまま静かに体をおろして、ぴったりとくっついた。ついさっき、ロッキーがマーシャルとしていたみたいに。お腹も腕も、足も密着させて。下腹部のやわらかい体毛が絡んで、その感覚がなんだか切なかった。
「……ズーマ? どうしたの?」
戸惑うロッキーの声が、近い。
額や手に触れられたときの比じゃないくらい、心臓がばくばく鳴っている。たぶん顔も赤くなっているし、きっと情けない表情をしている。
こんなカッコ悪いところなんて、できれば見せたくなかった。せっかくこの前、カッコいいって褒めてもらったばかりなのに。
だけどそれでも、それ以上に、ロッキーの悲しい顔を見たくなかった。だから、意を決して口を開く。
「──ちがうんだ。ロッキーが嫌いだから触れないんじゃない。……ロッキーのことが好きだから、触れなくなっちゃったんだ」
どんどん言葉尻が小さくなっていく。だけど、ちゃんと言えた。
「え、えっ、……どういうこと?」
案の定のリアクションが返ってきて、内心がっくりとうなだれる。予想はついていたけれど、いざこんなふうに脈のない返事をもらってしまうと、やっぱりそれなりにショックだ。
「どういうことって……いや、わかるでしょ?」
「分からないであります! だってぼくは、ズーマが好きだから触りたいって思うでありますよ?」
一瞬、息がつまった。そういう意味で言われたんじゃないと分かってはいる。いるけれど、単純に言葉自体の破壊力が高い。
心を落ち着かせるために、大きく息を吸って吐く。
「……ロッキーってほんとさあ……いや、なんでもない」
「……?」
一度上体だけを起こして、顔を見てみる。ロッキーはまだ、腑に落ちないような表情をしていた。
「ほんとに? ズーマ、ぼくのこと嫌いになってない?」
「なってないよ。言ったでしょ、す……好きだって。……だから信じてよ」
伝わってないなら、もう一度駄目押しの一言。もう、ここまでくれば半分ヤケだ。するとロッキーの表情が、だんだん明るいものに変わっていく。
(あ、いつもの顔だ。……よかった)
──そう思っていると。
「……そっかあ、よかったぁ……」
ロッキーはそう呟いて、僕の体に腕を回してきた。また距離が近づいて、そのまま肩に顔を埋められる。体温が伝わって、鼓動がさらに早くなる。
「……ズーマに嫌われちゃったら、やっぱりぼく、ちょっと立ち直れなかったかも」
触れた頬から、珍しく石鹸の香りがする。そういえば今日、僕が夕寝する前に、ケイティのところへ行くと言っていた。てっきり遊びに行くのだとばかり思っていたけれど、まさかお風呂に入ってきただなんて。
(……もしかして、明日のために?)
腕を回してくれたことに浮かれて、都合の良い解釈をしてしまう。少しだけ、口角がゆるんだ。
ロッキーの背中に手を回して、ぽんぽんと軽く叩いてみる。よかった、また触れた。昔みたいに。
「分かってくれたならいいよ、僕もごめんね。──って事で、明日は空けといてよ」
「了解であります!」
顔を合わせて、ふたりで笑い合う。
ロッキーの言う『好き』と、僕の抱く『好き』は、似ているようできっと決定的に違う。だけど今は、このままでいい。
ここまできたら開き直って、押して押して押しちゃって、いつか僕と同じ『好き』にしてみせる。
「あ、そうだ。ズーマ、よかったらこれからは遠慮しないで、いっぱい触ってほしいであります!」
「言い方! ねえ、さっきからそれわざとやってる!?」
とはいえ、時々自分の理性が心配になるけれど。それじゃ行くであります、とロッキーが立ち上がった。そこで、ふと悪戯心が芽生える。
「──あ。そうだ、ロッキー」
ロッキーの胸のあたりを押して、今度は優しく、砂浜に押し倒した。
真下に、キョトンとしている顔がある。まるい目をさらに丸くさせて、少し笑った。たぶん、遊びか何かだと思ってるんだろう。──だけど残念、不正解だ。
「ズーマ? どうし……んむっ」
ぐっと顔を近づけて、それから、鼻と鼻をくっつける。少し冷たくて、湿った感覚。でもなぜか熱くてたまらない。
名残惜しいけれど、鼻先を離す。そのままグレーの耳元に口を寄せて、低い声で囁いた。
「さっきみたいな言い方、あんまりしない方がいいよ。──こういう事されちゃうかもしれないから」
顔を上げて、ロッキーを見下ろした。ポカンとした表情に、ついつい笑ってしまう。
ちょっとはびっくりさせられたかな。僕ばっかり照れさせられてちゃ、それはそれで悔しいからね。
まあでも、どうせまたこれもスルーされるんだろう──って、あれ?
「…………っ!!」
「えっ、うそ」
ロッキーの顔が、みるみる赤く染まっていった。
え、なんで? 本当になんで? 鼻はダメだったの? 照れる基準が全然わかんない。
ロッキーは勢いよく起き上がり、僕を置いてどんどん走っていく。
「ちょっ、待ってよロッキー! なんで逃げるの!?」
「わっ、分かんない! ……であります!!」
「あっズルい! 僕さっき、避けてた理由ちゃんと言ったじゃん! ロッキーも教えてよ、ねえ!」
いつの間にか、一瞬で立場逆転している。
なんだ、僕ひとりで空回ってたわけじゃなかったんだ。
夜の海の上を、星が流れる。雲一つないから、明日はきっと快晴だ。
明日はどんなふうに攻めてみようかななんて、灯った悪戯心を胸に、僕はビーチを駆け出した。