ふれてもいいよ 空は快晴、海には白波。
眩しい太陽の下、きらめくビーチの上。
ホバークラフトを走らせて、ズーマがやって来る。尻尾も腕も、ぶんぶん振りながら。
「おまたせーっ、ロッキー!」
「ううん、そんなに待ってないでありますよ」
なんて定番のやりとり。これって何だか、世間一般に言う「あれ」みたいだなあ、なんて思っていると──
「よしっ、じゃあ行こっか。デートに!」
「……デートじゃないでありますよ!?」
たった今思い浮かべていた単語を当てられて、強めに突っ込んでしまった。ズーマは「えー、いいじゃん」なんて言いながら、いたずらっぽく笑う。
そしてぼくの手を取り、こう言った。
「今日は一日、全力でエスコートしちゃうよー!」
小慣れた台詞と手の温もりに、小さく心臓が鳴った。そんなぼくの動揺にはお構いなしに、ズーマはぐいぐい攻めてくる。
今この瞬間、ふたりきりの休日が始まった。
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事の始まりは、少し前。
とある任務をきっかけに、ふたりで海に出かけようとズーマに誘われた。
いつもなら海への誘いなんて断る一択なのだけれど、そのときはなぜか、行ってもいいかなと思ってしまったのだ。そこまではまだいい。
約束を取り付けてしばらくしたあと、なぜかズーマがぼくに対してよそよそしくなった。避けるとまではいかないし、普通に会話はしてくれる。だけど体が触れようとすると、顔を赤くして避けられてしまう……という具合だった。
自分が何かしてしまったのか、もしかして嫌われてしまったのか。色々不安に思っていたけれど、結局つい昨日、誤解は解けた。──ただ、その理由は意外なものだったけれど。
『ロッキーのことを嫌いになったんじゃない。好きだから、触れなくなっちゃったんだ』
聞いていくうちに、理由がわかった。
たぶんズーマは、ぼくのことを好きでいてくれている。友達としてだけじゃなく、特別な相手という意味で。
そのあとはまあ、色々なことがあったんだけど……誤解が解けたあとのズーマは、なんというか、凄かった。
ぼくに触れないと照れていた頃が嘘みたいに、こうして手を取ったりしてくる。しかもさっきみたいに、さらりと口説き文句のような台詞付き。まるで、開き直って吹っ切れたかのようだった。
今日だって別に、パウステーションから一緒に出発すればよかったんだけど、ズーマの「だって待ち合わせした方がデートっぽいじゃん」という一言で、こんな形になった。
正直言うと、嬉しかった。
だってぼくもズーマのことが、同じ意味で好きだったから。まあ、この気持ちが何なのかを自覚したのはつい最近──というか、昨日の夜なんだけど。
だけどぼくには、今の関係を変える気はない。
すべてのものは、いつか壊れる日が来る。たとえそれが、どんなに頑丈で、絶対的に思えるものでも。
壊れたのが物ならば、まだいい。修理さえすれば、元の形に戻せるからだ。
でも、相手との関係はそうはいかない。昨日まで優しかった相手が突然突き放してくるなんて、野良時代に嫌というほど経験している。
ぼくにとってパウパトロールは、一番大切な居場所だ。互いに認め合えて、助け合えて、自分らしくいられる場所。
みんなとは仲間として、上手くやっていけてると思う。だけど、そのなかで特別なひとりができてしまったら? 想いが通じ合って一時はうまくいったとしても、もしそれが壊れてしまったら?
そう思うと、仲間という今の関係が、変わってしまうのは怖い。
だからぼくは、この淡い想いを胸に秘めたまま、なかったことにしようと思っている。
ズーマも今はぼくを好きと言ってくれているけれど、このままはぐらかしていれば、いつか他の誰かを好きになるかもしれない。そのときはきっと、辛くてたまらないだろうけど……また仲間として一緒に居続けられる。
だから今日は、ただの友達として、一緒に過ごすだけにしよう。好きな相手とふたりで出かけられるだけで、もう充分すぎるくらい幸せだ。そう思うことに決めた。
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ふたりを乗せたホバークラフトが、蒼い海上を走る。涼しい海風のおかげで、火照った頬が冷えていくのがありがたい。
操縦席のズーマの顔を、少し後ろから眺めてみた。褐色の毛並が、海風に靡いている。金色の瞳が太陽を反射して、宝石みたいに輝いていた。
(……かっこいいなぁ)
つい浮かんだ感想を、頭を振って振り払う。
そうこうしているうちに、目的地が見えてきた。
「ついたよー!」
停泊したのは、少し沖合に入った場所だった。
陽の光を照らして、きらきらと輝く海。青々とした波は揺れ、涼風が吹きぬける。
最高の景色を背景に、ズーマの笑顔が映えている。──だけど、その手に持つのはサーフボード。
「やっぱりウインドサーフィンやるのぉ……?」
「うん、前にやってみたいって言ってたでしょ? いい機会かなぁと思って!」
確かに言った。言ったけど、やっぱり濡れるのは御免だ。それに、せっかく今日のために嫌いなお風呂にまで入ってきたのに……。
(──あ、でもあれって……)
ズーマが持っているのは、昔ぼくが直したサーフボードだった。コーニーを助けるために、一度はぽっきり折れてしまったそれは、ぼくの貼り合わせた帆と、流木をリサイクルした支柱でできている。パーフェクトだと褒めてくれた、思い出のサーフボードだ。
あれからずっと手入れして長く使ってくれているみたいで、それはとても嬉しいけれど。
「でも濡れちゃうし……」
「え、大丈夫だよ?」
心底意外だと言うように、きょとんとした顔で答えるズーマ。
「……? ていうか、持ってきたサーフボードって一枚だけでありますか? もしかしてぼくは見てるだけでいいの?」
「そんなわけないじゃん。──こっち来て!」
「うわぁ!?」
ぐいっと腕を引かれて、サーフボードの上に乗せられる。背中側にズーマが立って、片手でぼくを支えつつ、もう片方の手でマストを掴んでいる状態。
うそでしょ、こんなの予想もしてなかった。波でぐらぐら揺れる足元が怖くて、必死でズーマの体にしがみつく。
「僕がついてるから安心して。ロッキーのこと、一滴も濡らさないから!」
「わわっ、ちょっとぉ!!」
直後、マストを繰って発進した。ゆったりとしたスタートだけど、波の音がだんだん早くなる。
なるべく動かないように体を硬直させているけれど、それでも足元はおぼつかない。
(やってみたいとは思ってたけど……ウインドサーフィンって、こんなにスピード出るの!?)
速度が上がることに耐えきれなくて、ぎゅっと目を瞑る。するとズーマが、後ろから声をかけてきた。
「ロッキー、目を開けてみて!」
「い、いやであります! こわい……!」
「大丈夫だよ、僕を信じて」
おそるおそる、目を開けてみる。するとそこには、絶景が広がっていた。
「うわぁ……!」
光に満ちた海の上を、まるで空を飛ぶみたいに滑っていく。風切り音が耳をかすめて、火照った頬をやさしく冷やしてくれる。
サーフボードはぐんぐんと、風をきって進む。エンジンも積んでいないのに、風と波の力だけでこんなに速度が出るんだ。
「ねっ、気持ちいいでしょ?」
「うん!」
ズーマは最高の笑顔を咲かせて、「イエーイ!」といつもの口癖。水の上にいるのにこんなに余裕そうな姿、ぼくからすれば本当に信じがたい。
すると突然、大きな波につかまった。ぐらりと傾く感覚に、落ちちゃう、と小さく悲鳴をあげる。すると、ぐっと腰を引き寄せられた。
「しっかり掴まってて」
口元は微笑んだまま、真剣に前を見据える横顔。マストを掴む腕には、しっかりと力が込められている。どんな波が来ても、ぼくを支える腕はびくともしない。
ズーマはぼくより少し背が低いけれど、いつも水に潜っていることもあり、意外と鍛えられている。何たって、あの上背のあるチェイスといつも良い勝負をしているくらいだ。
(……こんなにカッコいいの、ずるいであります)
小さな呟きは誰にも聞こえることなく、ただ海面に吸い込まれていった。
****************
しばらくウインドサーフィンを楽しんだあと、ホバークラフトをサブマリンへ変形させて、ぼくたちは海中を進んでいた。
近海を潜り、岩礁を抜けて、さらに少し先へ。
たどり着いたのは、海蝕洞。自然の力でできた洞窟だ。洞窟内の三分の一ほどは海水で、差し込んだ淡い光で、青く澄んでいる。少し薄暗いけれど、怖いというより幻想的だ。
「アドベンチャーベイに、こんな場所があったんだぁ……! 知らなかったであります」
「でしょ? 僕の秘密の、お気に入りの場所なんだ! サブマリンでしか来れないからね」
「秘密なのに、ぼくに教えちゃってよかったの?」
「うん、ロッキーにならいいよ」
ズーマはそう言うと、目を細めて笑う。いつもは太陽みたいな笑い方をするくせに、たまにこうして、大人びた笑顔を見せるときがある。そんな顔を見るのも、ぼくは好きだった。
水辺に座り、しばらく他愛のない話をした。そのまま話に夢中になっていると、足先にひんやりした水の感触。
「ひゃっ……!?」
いつのまにか、潮が満ちてきたようだ。寄せてきた水が足にかかりそうで、慌てて避ける。ズーマとの会話が楽しすぎて、水がこんなところまで来ていたなんて、全然気づかなかった。
「──やっぱり、そろそろ帰ろっか」
「えっ?」
隣にいるズーマが、申し訳なさそうな顔で言う。
「一応ここは満潮になっても、三分の一くらいは濡れないんだけど……ロッキーは嫌だよね。ごめんね、やっぱり行き先海じゃなかった方が──」
「ち、ちがうであります!」
本当に違う。ぼくは水に触れたら、反射的に避けてしまう。それはそうなんだけど、でもだからといって、帰りたいわけじゃない。
「でも、濡れたくないんでしょ? じゃあ帰ったほうが……」
「それはそうだけど、そのぉ……そうじゃなくて、えっと」
どうしよう。帰りたくない気持ちが思わず口をついて出てしまったけど、上手く説明ができない。というか、理由を正直に言うのはちょっと……いやかなり恥ずかしい。一瞬、適当にはぐらかしてしまおうか、と思ったけれど──
「ロッキー、大丈夫?」
ぼくの背に、気遣うように手を添えてくれる。ズーマはいつもそうだ。ぼくが濡れそうなとき、度々さりげなく気遣いの言葉をくれる。任務で水に入らざるを得ないときは、心配を含んだ目で見守ってくれる。
そんなズーマが、ぼくに無理強いさせたと思って、申し訳なさそうな顔をしている。
想いを受け入れないと決めてはいたけれど、悲しい顔をさせたかったわけじゃない。
「もしよかったら、聞かせてくれる? ロッキーのしたいようにしていいから」
言い淀んでしまったぼくを、ズーマは優しく見守ってくれている。どうしよう、言っちゃだめだ。だって言えば気づかれてしまう──ぼくの本心を。
だけどやっぱり、言ってしまいたい。ぐるぐるぐるぐる、頭の中が渦巻いている。
もういっそ、いっそのこと、ありのままを──
「だって……濡れたら、一刻も早く体を乾かしたいと思うでしょ?」
「えっ?」
とうとう、口に出してしまった。思いのままをそのまま言葉にしたから、当然意味が通じない。
さすがのズーマも、何が何だか分からないという顔をしている。それはそうだろう。なんかちょっと心が折れそう。でも、ここまで来たらもう言うしかない。
「……体が濡れたら、タオルで拭いて、ドライヤーかけるために今すぐケイティのお店に行かなきゃいけないでしょ?」
「え、うーん、どうかな。僕は別にそこまで──」
「……つまり、濡れたら帰らなきゃいけなくなるでありますよね?」
「──ん?」
「だからそのぉ、つまり……」
大きく息を吸って、ひと思いに告げる。これが、ぼくのできる精一杯の気持ちの示し方だ。
「濡れたら、デートが終わっちゃう……」
つまりは、帰りたくないから濡れたくない、ってことを言いたかった。我ながら、なんて遠回しな言い方なんだろう。
(どうしよう、ズーマの顔が見れない……)
ただでさえ静かな洞窟内に、さらにシーンと広がる静寂。
しばらくうつむいて、だけど空気に耐えきれなくなって、ついにちらりと顔を上げる。──そこには、何も言わずに固まっているズーマがいた。
えっ何これ恥ずかしい。いっそひと思いにイジってほしい。
「ちょっとぉ、せめて何か言ってよ! ……って、ズーマ?」
すると突然、ずいっと顔を近づけられた。
目が座っているようで、だけど眼光はちょっと鋭い。金色の瞳だけが、薄暗い洞窟の中で、ぎらぎらと光っているみたいに思えた。
顔と顔が近づいて、あと少しでも動けば鼻先が触れそうな距離。そこまできたところで──
「あっぶな……!」
寸前でズーマが顔を逸らした。瞳はいつもの優しく澄んだ色に戻っていて、頬が紅潮している。
ズーマは深くため息をついたあと、少しだけキッと視線を鋭くしてぼくを見た。
「──あのさあ、昨日も言ったけど、あんまりそういう可愛っ──誤解されるようなこと簡単に言うの、よくないからね…!?」
時おり見せる、ジトッとした目つき。あっ、これは結構本気の説教だ。
「僕、ロッキーよりひとつ年下だけどさあ……これでも一応雄なんだから、好きな相手にそういうこと言われると、困るんだよ」
「すっ……困るって?」
ズーマは頬を染めたまま、少し苦い顔。
嘘でしょなんで分かんないの、みたいな顔をしている。大人びたところはあるけれど、ズーマはけっこう顔に出るタイプだ。
「……期待しちゃうってこと!!」
赤い顔で言い放って、もう行こうか、と立ち上がる。思わず咄嗟に、体に触れて引き留めた。もう、歯止めが効かない。
「……き、期待しても、いいでありますよ?」
ついに言ってしまった。決定的なひとことを。だけどもうここまできたら、後戻りはできない。
ズーマはそのまま、ゆっくりと体をおろして、僕と目を合わせる。
「またそういうこと言っ、て……」
言葉尻が小さくなって、そのまま消えた。たぶん、ぼくの顔が赤くなってるのがバレたから。
「……ほんとに?」
もう声が出ない。だから、小さく頷いた。
うつむいていた顔を上げると、また目が合う。そのまま、がしっと肩を掴まれた。
押された勢いのまま、後ろに倒れる。あ、またこの体勢だ。そう思う間もなく、ズーマの顔が迫ってくる。
「…………!」
口と口が、触れている。鼻と鼻じゃなく、口を合わせている。人間でいう、いわゆるキスだ。
熱い吐息がかかって、そのまま口をこじ開けられる。角度を変えて、何度も何度も、性急に口づけられる。どう呼吸をすればいいのかわからなくて、息が荒くなる。それでも、やめてはもらえない。時おり開く目から覗く、金色の瞳。太陽みたいな眼光で、ぼくを射抜いてくる。
ようやく解放されて、しばらくふたりで息を整えた。心臓が張り裂けそうで、身体の芯からよく分からない震えが生まれている。
ぼくよりも少し早く呼吸を整えたズーマが、気まずそうに言った。
「……ごめん、ちょっと強引だったよね」
「う、うん……」
ちょっとどころかだいぶ強引だった、とは言えなかった。頭の中が大混乱でそれどころじゃない。
だけど、けして嫌じゃなかった。むしろ、もう一度──
「僕たち、両想いってことでいいんだよね?」
確認するような言い方に、ぐっと喉が詰まる。改めて言葉にされると、なんだかものすごく照れ臭い。
「えっとぉ、そのぉ…………わ、わざわざそういう確認するの恥ずかしいであります」
「だっ、だってちゃんと言葉にしないと分かんないじゃん! ロッキーすぐ本気か天然か分かんないこと言うし! 別にそういう意味じゃないのに、僕のこと好きだとか、カッコいいとか、触ってほしいとか色々さあ……!!」
「な、なんかごめん……」
勢いに押されて謝るぼくを見て、ズーマは長い深呼吸をした。それから、額をこつんと合わせてくる。
「僕だって言ったでしょ、ロッキーのこと、特別な意味で好きだって。……そっちも言ってよ、ちゃんと言葉にして」
少し上目遣いで、まっすぐにぼくを見つめてくる。正直かわいい。さっきまでぎらぎらしていたくせに、こういうときには年下の顔をするの、ずるいと思う。
「……す、好きであります、よ……?」
僕のたどたどしい言い方に、ズーマは目を細めて笑う。緊張していた表情が、ちょっとだけ柔らかくなった。
「ええー、この前までは普通に言えてたじゃん。どうしちゃったの?」
今度は少しだけ、意地悪な顔。上がった口角が、ちょっとだけ腹立たしい。
「だって、好きの意味が変わっちゃったからぁ……」
これ以上面と向かって言うのは無理だ。そう思って顔を逸らしたら、ふいに抱きしめられた。
「顔、見ながらじゃなければ言える?」
いつもみたいな優しい声。彼のこういうさらりとした気遣いが、ぼくはたまらなく好きだ。だからもう、思いのままを伝えてみることにした。
「……だいすき……」
息を呑む音がして、それから、ぼくを抱きしめる腕に力がこもる。
「僕も!」
しばらく抱き合って、余韻に浸った。心臓の鼓動は少しずつ落ち着きを取り戻している。なんだか幸せだなぁ、なんて思っていると。
「……ねえ、もう一回していい?」
「何をでありますか?」
「さっきの続き」
えっ、と半ば濁点混じりの声が出た。改めて言われると恥ずかしいし、正直もうキャパオーバーだ。
さすがにぼくも一応年上だから、断るときはちゃんと断ろう。そう思ってズーマの顔を見たら、またも金色の眼光に射抜かれた。そして結局、つい絆されてしまう。
「ちょ、ちょっとだけなら……」
「やったー!」
この関係もいつか、壊れるときがくるのかもしれない。でもぼくの頭の中には、アイデアが満ち溢れている。もしそんな日が来たとしても、ぼくの持つものすべてをかけて修理して、必ず最高の状態に仕上げてみせる。そんな覚悟を決めながら、ぼくより少し小さな体を抱きしめ返した。
──そして。
『パウ・パトロール、パウステーションに集合!!』
甘い時間は数分後、けたたましく鳴り響くパウタグによって終わりを迎えたのだった。
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パウステーションのエレベーター内で、ぼくとズーマのふたりだけが、肩で息をしている。
他のみんなはとっくに来ていて、ぼくたちふたりだけが全身びしょ濡れだった。
当然のように心配してくれた皆には、遊んでいたらちょっと水に落ちちゃって、と苦しい説明をした。
チェイスとスカイは少し怪訝な顔をしていたけれど、おおらかなラブルは言葉通りに受け取ってくれた。マーシャルに至っては、あたたかいタオルをかけて体調まで心配してくれた。その純粋な親切心が、良心にちくちくと突き刺さる。
昇っていくエレベーターの中、隣のズーマにだけ聞こえる声で、恨み言をこぼした。
「ぼくのこと一滴も濡らさないって言ったのに……!」
「だってしょうがないでしょ……!? あれだけお互いの匂いが付いちゃったら、水でも被らないと消えないじゃん!」
「声が大きいであります!!」
ただひとり、誰よりも鼻が効くチェイスが匂いで察して頭を抱えていたことを、ぼくたちは知る由もなかった。