やめられない 瞼の裏に、やわらかい陽の光。
午後の日差しを受けて、寝床から身を起こす。
いつもは外のビークルで寝ているけれど、今日はパウステーションの中で昼寝をして、いま目が覚めたところだ。
「あ、ロッキー起きた? おはよー」
「んー……おはようズーマ」
少し離れた場所から、ズーマが声をかけてきた。眠い目を擦りながらそちらに向かうと、どうやら食事の準備をしているようだ。
準備といっても、おやつ入れのボタンを押して、お皿に乗せただけのものではあるけれど。
「久々によく寝たであります……ズーマはいつ起きたの?」
「僕もさっき起きたとこ。ごはん食べよ!」
今日パウステーションに残っているのは、ぼくとズーマのふたりだけ。みんなは町で開催されるイベントの手伝いに行っている。
会場の設営は、昨日のうちに済ませた。もちろんぼくたち全員で出動して、準備は完了。今日の任務は、ただイベントに出席するだけだ。
ぼく達も当然一緒に出動するものと思っていたのだけれど、意外なことに、ケントがこう言った。
『ふたりは一日、パウステーションで待機していて。といっても、多分呼び出さないと思うから。疲れが溜まってるだろうし、ゆっくり休んでね』
ケントの気遣いには、理由があった。
シーパトロールでの任務が始まって、しばらく経つ。
陸とは違うさまざまな任務に手探りの日々だったけれど、最近ようやく一段落したところだ。
ケントは全員の装備やビークルを海での任務に対応できるようにしてくれたし、負担が偏らないよう出動も均等に振ってくれていた。
けれどやっぱり、海の知識や経験に最も長けているズーマの存在は大きい。
出動がない時でも、全体を見守ってサポートに当たったり、メンバーに助言したりと慌ただしく走り回っていた。
そしてぼくに対しては、水に濡れるのが苦手なことが理由だ。
最初の任務で水に潜る覚悟を決めたけれど、やっぱりいつもの任務時より気を張って疲れているだろうということで、ケントが気を遣って休みをくれたのだった。
(こんなにゆっくりするの、いつ以来だろう?)
今朝みんなを見送ったあと、朝食を食べたら眠くなって、そのままふたりとも爆睡してしまった。
寝過ぎたあと特有の、心地良いような倦怠感。
冷たい水で、乾いた喉を潤す。食べ物が喉を通ると、少しずつ頭が覚醒してきた。
「久々にいっぱい寝ちゃったねー」
「でありますね。イベント、確かあと一時間半くらいで終わるんだっけ?」
「多分そう。微妙に時間空いちゃったねー。何する?」
「アポロ鑑賞会はどう?」
「いいねー!」
緑とオレンジのクッションを隣に並べて、鑑賞会を始める。
いつもは通信やゲームに使っている大画面に、ミラクルアポロが映し出される。録画なので既に内容は知っているのだけれど、やっぱり何度観てもアポロは良い。
「ねえロッキー。シーパトロール、お疲れ様」
アニメが流れ始めてすぐ、ズーマが話しかけてきた。
「どうしたのぉ? 急に改まって」
「んー、海での任務も一段落したし……なんとなく?」
「ええー、なにそれ」
ぼくは軽く笑いながら、返事をする。
「ズーマもお疲れさま。色々大変だったでありますね」
「ほんとにね。海賊は出るわ、大蛸は出るわで……」
「またパウメイドになれたのは楽しかったけどね〜」
「たしかに! 次の満月が待ち遠しいよ」
音量を落としたアニメをBGMに、しばしふたりで、思い出話に花を咲かせた。
ズーマとこうして話すのは楽しい。他愛のない話も、どんな話でも。
任務での疲れを癒すように、労わるように、シーパトロールの話題は尽きなかった。
「──あとさあ、ロッキーが蛸のお母さんに捕まったときあったでしょ? あの時はびっくりしちゃった」
「あれは本当に焦ったであります……マーシャルが助けてくれたから、なんとか海に落ちずに済んだけどねぇ」
そう言うと、ズーマは少しだけムッとした顔になる。
「……あのとき一応、僕も助けに来てたんだけど?」
蛸の触手からぼくを助けてくれたのはマーシャルだけど、マリンダックのアームで大蛸をくすぐって、船から引き離してくれたのはズーマだ。
「もちろんズーマにも感謝してるでありますよ」
「ええー、なんかついでっぽいその言い方!」
拗ねながらも、弾けるような笑顔。
こんな風にふたりでゆっくり話す時間は久々だ。なんだか幸せだなぁ、なんて思っていると。
ふとズーマが起き上がり、ぼくのすぐ隣へ距離を詰めてきた。
空になったオレンジ色のクッション。ふたり分の体重を受け止める、緑色のクッション。
うつ伏せに寝転がって肘が触れる距離に、ズーマがいる。
「皆がんばったのはもちろんだけどさ、ロッキーもすごかったよ。自分から水に潜るって言ったとき、僕感動しちゃったもん」
至近距離で、ちょっと甘くて優しい声が響く。
目を細めて笑う大人びた表情に、少しだけ心音が早くなる。
「そ、そうかなぁ……ありがとズーマ」
お礼を言うと、ズーマはぼくの肩に頭をあずけてきた。距離の近さに、なんだかじわじわと緊張してくる。
「な、なに……?」
「何って?」
「え、いや、だから、そのぉ……なんか近くない……?」
「いいじゃんたまには。ふたりでゆっくりできるの久々なんだし」
ぼくとズーマは、いわゆるお付き合いをしている仲だ。といっても、なかなか恋仲らしい雰囲気になれるチャンスは少ない。
パウステーションには常に皆がいるし、任務の時にそういう雰囲気になるなんてもっての外だ。
だからふたりきりになりたい時は、こっそりどこかへ出かけることにしている。大抵は夜、みんなが寝静まったあと。
ぼくのクリーンクルーザーで遠出して、その荷台の中だったり、ズーマのホバークラフトでしか行けない秘密の場所だったり。
だけど最近は、シーパトロールでの任務が続いたこともあり、ふたりきりの時間はしばらく持てなかった。
町の人たちの役に立てるのは嬉しい。だけどやっぱりちょっと寂しいな、なんて思ったりもしていたのだけれど。
ズーマの手はいつの間にか、ぼくの腰まで伸びてきていた。
視線は画面に向けたまま、時折ぼくの尻尾や耳を軽く撫でたりしてくる。
頬が熱くなってきて、なんだかそわそわしてしまう。さっきからテレビの内容が頭に入ってこない。
「ね、ねえ、やめてよくすぐったい……」
「そう? そんなに触ってないけど」
しれっとした言い方に、ちょっとだけ腹が立つ。
これは多分、からかわれてる。だから少し冷静になろうと思って、画面の方へ向き直った。すると──
ちゅ、と小さい音がして、無防備だった首筋に柔らかい感触。少しだけ湿っていて、熱い。何をされたのかを理解して、一気に顔に熱が集まった。
慌てて振り向くと、そこにはしてやったりという顔で笑うズーマがいた。さすがにこれは容認できない。
「だっ……だめでありますよ! こんな所でそういうことは──」
「そういうことって?」
「〜〜っ、もういいであります!」
こんなことまでしておいて、あくまでもシラを切るつもりらしい。
そっぽを向いたぼくの顔を、ズーマが後ろからつついてくる。
「ごめんごめん、からかいすぎちゃった」
両手を合わせて、謝罪のポーズをしてみせるズーマ。
片目を瞑った表情には、あまり反省の色が見られないような気もするけど。
「ねえ、でもやっぱりちょっとだけくっついてもいい?」
「……ちょっとだけなら」
「やったぁ!」
素直に喜ぶ顔が、あどけなくて可愛い。
ズーマにこの顔をされると、ぼくは弱い。そして多分ズーマ本人も、そのことを知っている。
そういうところ、年下の権限をフル活用されているようで、正直ちょっとだけ悔しいけれど。
再び隣にやってくるズーマを待っていると、急に視界が反転した。うつ伏せの視界にいた緑色のクッションが、白い天井に変わっている。
仰向けに転がされたのだと、一拍遅れて気がついた。天井とぼくとの間に、ズーマのしたり顔がある。
「これのどこがちょっとなのぉ……!?」
「ごめんね。……だめ?」
口では謝ってるけど、たぶん全然悪いと思ってない。
ぼくを見下ろす顔が、心なしかちょっと強気だ。
この体勢、しばらく出来ていなかったふたりきりの密会をつい思い出してしまって、心臓に悪い。
「だめでありますよ、だってこんな……い、いつもみんなで過ごしてる場所だし……」
「だっていっつも外じゃん。たまには部屋の中でもいいでしょ?」
「で、でも……! そろそろみんな帰ってきちゃうよ……?」
「イベント終わるまで一時間しかないけど、片付けとか移動時間も入れたらけっこうあるでしょ」
「だ、だけど、まだ明るいし、そのぉ……」
だんだん言い訳が尽きてくる。それにつれて、弱くなっていく語尾。
「やっぱりだめ?」
眉を下げて、ちょっと寂しそうな表情。この顔にも、ぼくは弱い。
ぼくだって別に、そういうことをしたくないわけじゃない。ただ、時と場所がちょっと引っかかっているだけで。
「ロッキーが本当に嫌ならやめるよ。無理強いしたいわけじゃないから」
答えられないでいると、ズーマは身を引いた。去り際に、ぼくの頭を軽く撫でて、ひとこと。
「ごめんね。ちょっと寂しかっただけ」
これは多分、本音だ。それは分かる。だって、実はぼくもそうだったから。
本当はずっと、ずっと──
「あっ……まって!」
離れていこうとする腕に、思わず手を添えていた。ズーマの驚く顔と、固まる体。
しばしの沈黙。ちらりと時計を見る。時間は──確かに、ある。
触れた掌が、熱い。こんなに過剰反応するほど、長いあいだ触れていなかったんだ。
この機を逃せば、次はいつふたりきりになれるのか、わからない。
口をついて出たのは、思うままの感情だった。
「や…………」
息を呑む音が、聞こえる。
「やめないで……」
ズーマの喉が大きく上下する。何かに耐えるような顔をしたあと、それは不敵な笑みに変わった。
雄々しいような、獲物を狙うような、そんな表情。
「了解。絶対やめてあげない」
顔が近づく。口と口が触れるまであとわずか。
そんなところで──
すぐ隣の大画面が、煌々と光った。
『ロッキー、ズーマ? もしよかったら君たちも一緒に来…………』
画面の向こうには、ケントと仲間たち。言葉の途中で、その顔が固まる。
というか全員固まっている。ケントも、仲間たちも、もちろんぼく達も。
長い長い沈黙のあと、ケントが口を開いた。
『……邪魔してごめんね、やっぱり気にしないで。僕たちあと二時間くらい時間潰して帰るから、もうちょっとゆっくりしてて』
いつもの穏やかな微笑みを浮かべて、でもどこか早口だ。これは本気でまずい。通信を切られる前に、なんとか弁明しなきゃだめだ。
「ま、待ってケント!! 違うんだこれはその……そ、そうアポロごっこ! 僕たちちょうど遊んでたんだよ、ねっロッキー!?」
「そそそうでありますアポロごっこ!! ぼ、ぼくが敵でぇ、ズーマがアポロ役で……! わ、わぁやられちゃったであります〜!!」
わざとらしい言い訳をするぼく達に、生暖かい視線が画面越しに突き刺さる。
『いいのよふたりとも。わたし達に構わず続けて』
「スカイ!? やめてその言い方!」
『わぁー、いいなあアポロごっこ! ぼくも帰ったら一緒にやりたい!』
『ごめんねマーシャル、話がややこしくなるからちょっと黙っててくれるかい?』
なんやかんや体裁だけは整えたあと、通信が切れた。
最後の方なんか、皆もう言い訳するぼく達を可哀想なものを見る目で見てた気がする。これはしばらく立ち直れない。
「ほらぁ、やっぱりこんな所じゃ駄目だったでしょ……!?」
「ご、ごめん……でもロッキーも最終的にノリノリだったよね」
「そろそろ怒るでありますよ」
反省が足りないズーマを尻目に、ぼくは頭を抱える。
「もぉ、絶対あとでイジられるであります……!」
「イジられるならまだいいかもね。腫れ物に触る感じだったら、僕耐えられないよ」
「そういうこと言うのやめてよぉ!」
怒りながらも、ふたりの時間が強制終了してしまった事を少しだけ残念だと思ってしまうのだから、もうどうしようもない。
次はいつ、ふたりきりになれるんだろうか。
少しだけ沈黙が訪れて、深くため息を吐いたあと、ズーマが言った。
「──でもまあ、とりあえず」
ぼくの気持ちを見透かすように、射抜いてくる金色の瞳。
「今日はしっかり昼寝したから、ちょっとくらい夜更かししても平気でしょ?」
いたずらっぽい顔で聞いてくるから、ぼくは思わず怒るのも忘れて、小さく頷いた。