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    Twitterの企画用に書いたもの/南海太郎朝尊

    審神者の葬式にくる南海先生の話.
     小学三年生のとき、祖父が死んだ。夏休みが始まる直前のことだった。学校を休んで母の運転する車で祖父の家(つまり母の実家)へと向かい、先に到着していた伯母夫婦とともに祖父の家に泊まった。仕事がある父は翌日の通夜の直前に新幹線でこちらへ来ることになっていた。
     身内の死というものを経験したのはこれがはじめてだった。母方の祖母は母がまだ若い頃に亡くなっていて、祖父はもう長いことこの田舎の一軒家で一人暮らしをしていたらしい。祖父のことはよく知らなかった。母は昔から祖父との折り合いが悪かったらしく、そのため私が母に連れられてこの家に来ることはほとんどなかったのだ。祖父の家に着いた最初の夜、かつて母の部屋だったという和室に敷かれた布団の中で家鳴りの音を聞きながら、私はたった数回しか会ったことのない祖父のことをぼんやり思い出そうとしていた。
     覚えているのはそれぐらいで、祖父の家に来てから通夜が終わるまでの記憶はほとんどない。忙しなく動き回る母たちの姿を眺めているうちに慌ただしい二日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
     不思議なことはその翌日に起きた。祖父の葬儀の日のことだ。通夜と葬儀は近くの菩提寺で行われることになっていて、その日も朝の早いうちから私たちは準備のために寺へ向かった。通夜のときは暗くて気がつかなかったが、山を背にして建てられたその寺はそれなりに広く、歴史がありそうだった。境内には見上げるほどの大きな木が生えており、もう七月も半ばだというのにあたりはひんやりしていた。子供ながらにどこか神聖な気持ちになったのを覚えている。本堂の脇に建つ事務所のような建物の前まで来たとき母が言った。

    「ママたちはお坊さんとお話があるから、そのへんで遊んでなさい。服を汚さないでね」

     私が「わかった」とうなずくと「門の外に出ちゃダメよ」と言い残してさっさと建物の中へ入っていってしまう。大人たちが建物の中へと消えていくのを見届けると、私はひとり境内を冒険することにした。自分で言うのもなんだが私は昔から手のかからない子で、だから母も私を放っておけたのだろう。広い境内をぶらぶら歩き、街中では見ることのない巨大な木を見上げたり古い建物に施された彫刻を眺めたりしながら寺の奥へと進んでいく。
     そうして寺の一番奥まできたところで私は足を止めた。目の前に小さな門があった。その門の向こうには青々とした山がそびえ立っており、その門は山への入口のような役目を担っているらしかった。この門の向こうにも道はあるのだろうか。ここから山を登っていくとそこにはなにがあるのだろう? そんな疑問が頭に浮かんだが、母の「門の外に出ちゃダメよ」という言葉を思い出して踏みとどまる。どちらにせよ、固く閉ざされたその門は私の力では開けられそうもなかった。私はなおもしばらく門を見つめ、それから近くに落ちていた小枝を拾ってその場にしゃがみこんだ。黒いワンピースの裾が汚れないよう気をつけながら。もう境内にあるものはあらかた見尽くしてしまったし、母に呼ばれるまでここにいることにしよう。そう決めて枝を鉛筆のように握ると、ざりざりと地面に絵を描き始める。まずは意味のない丸や三角を。それから三角の形の耳をしたネコ、丸い耳のクマ、細長い耳の……

    「おや、どうしたのかね? こんなところでひとりで」

     びっくりしてパッと顔を上げる。驚きすぎて声も出なかった。小枝を右手に握ったまま、私はぴしりと固まってしまった。
     目の前に和装の男が立っていた。当時の私が子供だったということを考えても長身の部類だろう。少なくとも父や伯父よりは背が高かった。肩まで伸びた黒い髪はうねうねとウェーブがかっていて、アニメでしか見たことがないようなチェーン付きの丸い眼鏡をかけていた。長い髪の間からのぞく頬は青白く、まるで血が通っていないように見えた。七月だというのにマントのようなものを羽織っていたが、少しも暑そうではない。夏の朝の眩い光の中で、その男の存在はあまりにも異質だった。
     あんぐりと口を開けて固まっている私をよそに、男は腰をかがめて私が地面に描いた絵をのぞき込んだ。

    「ふむ。これはネコ、こっちは……ああ、簡略化されたクマだね。以前絵本で見たことがある。この描きかけのものはウサギかな? 君は絵が上手いね」

     私の落書きを眺めたまま男が感心したように言う。少し低めの、のんびりとした声だった。こちらの驚愕など気にもしていないらしい。
     ふいに男が視線を上げた。男の顔を凝視していた私と男の目がばっちり合う。男の瞳が薄い灰色であることにこのときはじめて気がついた。

    「ああ、君は……『彼』のお孫さんだね。目の形がよく似ている」

     私の目を見つめたまま、男が懐かしそうに目を細める。穏やかでやさしいまなざしだった。
     『彼』とは祖父のことだろうか? 私のことを『お孫さん』と言ったのだからきっとそうなのだろう。じゃあこの人はおじいちゃんの知り合い? 少なくともこの寺の人間ではないだろう。こんな格好をした人をお寺で見たことはなかった。いや、どこでだって見たことはなかった。そもそも彼はどこから現れたのだろう? 声をかけられるまでまったく気配を感じなかった。気がついたら目の前に立っていたのだ。正面には門しかないはずなのに――
     そこでようやく気づく。裏山へ続く門が開いていた。さっきまで確かに閉まっていたのに。彼が開けたのだろうか? だとしたら、彼は山から来たことになる――
     突然男が身を起こした。その身体はしゃがんでいる私にはまるで細長い塔のように見えた。

    「すまないね。君たちの邪魔をするつもりはなかったのだが、君のお祖父さんに返しそびれていた物があることに気がついてね。無理を言ってこちらに来させてもらったのさ」

     ゆっくりとあたりに目をやりながら彼が言う。その様子をぼんやり眺めながら、私はなんとなく、この人子供の扱いが下手だな、と思った。子供である私への気遣いというものが一切感じられない。初対面の大人は普通、こちらの名前や年齢を聞いたり、自分が誰なのか(お父さんの会社の人、ママのお友達、など)を子供にもわかりやすく教えてくれるものだ。目の前の男は名乗るつもりも、こちらの名を聞くつもりもないようだった。
     しばらく口をつぐんで境内で一番大きな木を眺めていた男がふたたび私に向き直った。

    「これから君のお祖父さんのところへ行こうと思うのだけど、君も一緒に来るかい?」

     え、と声が漏れた。予想外の展開だ。どうしよう、と内心焦る。知らない人についていってはいけないと母にも先生にも聞き飽きるぐらい言われている。でもこの人を一人で祖父の元に行かせていいのだろうか? まだお葬式が始まっていないのに家族でもない人を中に入れてもいいのだろうか。ママを呼んできた方がいいのかな。その間この人はおとなしく待っていてくれるだろうか。
     ぐるぐると悩んだすえ、結局私は「うん」とうなずいていた。


     まるで初めから祖父のいる場所がわかっているかのように男はすいすいと迷いなく歩みを進める。私はその後ろを小走りでついていった。そのまま迷いのない足取りで本堂の中へと消えていく背中を慌てて追いかける。母たちはまだ別の場所にいるのだろう。本堂内は無人だった。板敷きの広い空間に昨夜と変わらず何脚ものパイプ椅子が並べられていた。
     そうして昨夜と同じように、祖父の柩はそこにあった。あの中で祖父は眠っているのだ。
     男がまっすぐ柩の方へと向かう。いつの間に靴を脱いだのだろう。私も慌てて靴を脱ぐと、彼の背中を見つめたままそうっと柩に近づいた。そして柩の一メートルほど手前で足を止める。
     しばらくの間、男は装飾が施された白い柩をじっと見下ろしていた。かと思うとおもむろに柩のふたに手をかけ、止める間もなくふたを開けてしまった。私はあっと息をのみ、思わず後ずさる。まるで時が止まったかのようにあたりが静寂に包まれた。外で鳴く蝉の声もこの場所には届かない。
     柩のふたを持ったまま彼はしばらく動かなかった。ただ静かに柩の中の祖父を見つめている。それからふいにこちらを振り返った。

    「お祖父さんの顔を見ないのかい?」

    「え……」

     まるで当たり前のようにそう訊かれて驚いた。母は通夜のときも私を柩に近づけようとはしなかった。まだ遺体を見せるには早いと思ったらしい。どうしよう、少し怖い。私が返事をしないでいると、彼はそれを気にしたふうもなくふたたび祖父の方へと視線を戻してしまった。それがなんだか悔しくて、私は覚悟を決めるとおそるおそる彼のそばへ近づいていった。台の上に置かれた柩の中を、少し背伸びをしてのぞき込む。
     祖父の顔をこんなにまじまじと見たことはなかった。こんな顔をしていたのか、とも思うし、ああこれは確かに私の祖父だ、とも思った。しわの刻まれた顔、ふさふさした白い眉毛、まっすぐに引き結ばれた唇。瞳を閉じていてもなお生前の頑固さが窺えるようだった。

    「……人間の魂は死後黄泉の国へ行くと言うけれど、では人でないものの魂は一体どこへ行くのだろうね?」

     ぽつりと彼がつぶやいた。思わず彼を見上げるが、彼の視線は眠る祖父に向けられたままだ。
     その問いは私へ向けたものでも、柩の中で眠る祖父へ向けたものでもないような気がした。それは彼自身への問いかけだったのだろう。そしてその想像どおり、彼は私がなにも答えないでいることも気にせず懐から一冊のノートを取り出した。どこにでも売っているような青い表紙のノートだった。

    「……生前、彼は熱心な刀剣の研究家でね。僕も同じような研究をしていたから、よくふたりで意見を交わしたものだよ。酒が入るとすぐ熱くなるところには辟易したけれど……生きている人間の刀剣に関する考察を聞くのは実に興味深かった。これは――」と手に持ったノートに目を向ける。「彼が研究の成果を書き記したものの一部さ。ぜひ読んで意見を聞かせてほしいと乞われていたのだが、ついに返せずじまいだった」

     そう言うと彼はまるで高価な宝物を扱うようにそのボロボロのノートをそっと柩の中へ入れた。その一連の動作がまるで神聖な儀式のように見えて、私は柩の中に勝手に物を入れてはいけないんじゃないかという疑問を口にすることができなかった。
     柩のふちに手をかけてもう一度中をのぞき込むと、彼はふっと微笑んだ。

    「さあ、君。今度こそお別れだ」

     その声があまりにも穏やかで、ふいに胸がぎゅうっと痛くなった。祖父が死んでからこれまで一度も泣かなかったのに、私はその場で大声で泣きわめきたい気分になった。

    「返さなきゃダメなの?」

    「え?」

     パチリと目を瞬いて彼が私を見る。そういう表情をすると結構若く見えた。一体何歳なのだろう。

    「それ、……あなたが持ってちゃダメなの? 返さなくてもおじいちゃんは怒らないと思う」

     彼をなんと呼べばいいのか一瞬迷い、結局ずいぶん大人びた物言いをしてしまった。誰かを『あなた』なんて呼んだのはそれがはじめてだった。
     なぜそんなことを言ったのだろう。ただ、もったいないと思ったのだ。祖父が彼に託した大切なものをこのまま燃やしてしまうなんて。
     しばらく彼は黙って私を見つめていた。それからふっと小さく笑った。――男の人を美しいと思ったのは後にも先にもこのときだけだ。

    「……ありがとう。君はやさしいね。でもいいんだ、僕が持っていてもどうせ没収されて捨てられてしまうだろうからね。だから無理を言ってここへ来たんだよ。――でも、そうだね」そう言って柩の中へ手を伸ばす。

    「――これくらいなら、代わりに持って帰っても咎められはしないだろうね」

     その手には一輪の白いユリが握られていた。柩の中に敷き詰められていた花のひとつだ。そんなものがあのノートの代わりになるわけない、と私は思い、そして突然、この人はもうすぐ死ぬんだ、と悟った。なぜそんなふうに思ったのかはわからない。でもそれは確信だった。この人はあのノートの代わりに、この花を道連れにするつもりなのだ。これから祖父とともに焼かれる花と同じ花を。
     静かに柩のふたを閉じる彼のことを、私はただ見つめていることしかできなかった。


     本堂内に重々しい読経の声が響く。弔問客たちが次々とお焼香を済ませていく。彼は幾列も並べられたパイプ椅子の一番最後の席に座っていた。あんなに目立つ格好をしているのに、真っ白なユリの花を膝に置いた彼のことを気にする人は誰もいなかった。いや、母だけは違った。葬儀が始まる時間になり、弔問客が全員席についたことを確かめるためにぐるりと堂内を見回していた母は、末席に座る彼の姿を認めるとぎょっとした顔をした。それからサッと目をそらす。

    「ママ、あの人――」

    「黙って。見ちゃいけません。見えないふりをしなさい」

     ぴしゃりとそう言われ、そのあまりに強い口調に驚いた。ピリピリとした母の雰囲気に、私は「うん」と小さくうなずくことしかできなかった。
     葬儀に参加するよう彼に言ったのは私だった。あのあと柩のふたを元に戻した彼が「では、僕はこれで」と言って去ろうとするのを慌てて引き止めたのだ。ここまで来てお葬式に出ないなんて信じられない。熱心に引き止める私に戸惑いながらも、彼は結局「では、せめて焼香だけでもしていこうかね」と言って私の願いを聞き入れてくれた。
     最後の焼香の順番が回ってくる。つまり彼の番だ。ゆっくりと祭壇に近づく彼の左手にはしっかりとユリの花が握られていた。彼が祭壇の前に歩み出ても誰も声をあげなかった。まるで彼が見えていないかのように。私はそっと隣の母を盗み見た。母は唇を引き結び、まっすぐに正面を向いていた。まるで意地でも焼香台の方を見ないと決めているみたいに。


     読経を終えお坊さんがその場を去ると、柩のふたが開けられて祖父との最後の別れの時間になった。柩のそばに集まった人々が、そっと祖父の顔をのぞき込む。すすり泣く声、ぼそぼそとした話し声がさざ波のように本堂内を満たしていた。私はあのノートが誰かに見つかって取り出されてしまうのではないかとはらはらしていたが、誰もノートのことには触れなかったのでほっとした。
     ふと振り返ると彼の姿が消えていた。いつの間に出ていったのだろう。私は慌てて外へと飛び出した。母が私の名を呼ぶ声が聞こえたが、私は止まらなかった。
     建物の間を走り抜け、あの門へと向かう。門は閉じられていた。彼は行ってしまったのだ。最後にさよならを言いたかったのに。ふと下を見るとさっき私が地面に描いた落書きがまだ残っていて、あれが白日夢などではないと教えてくれた。もう一度すがるような気持ちで門を見る。そのときさあっと山から風が吹いた。その風がかすかなユリの花の匂いを運んでくる。まるでさよならを告げるかのように。


     今でも時折あの日のことを思い出す。夏の朝の陽射しに目を細めるとき、木々のざわめきを聞いたとき、どこからか甘い花の匂いがしたとき――。人でないものの魂は一体どこへ行くのだろう? あのときの彼の魂は、一体どこへ還ったのだろう。できれば祖父と同じところであれば良い、と思う。そうしてまたふたりで楽しく語り合っていてくれればいい。
     それが甘い考えだとわかっていても、そう願わずにはいられないのだ。
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