『誕生日おめでとう、潤』
『おめでとう』
プレゼントを抱えてありがとうと笑っていた、両親と過ごした最後の誕生日から五回目の誕生日を迎える。
もう五年経つのか、まだ五年しか経ってないのか。どちらにしたって、もう両親が揃うことなどないし、誕生日をはしゃぐ歳でもなくなった。
ふいと何の印もついてない六月のカレンダーから目を背けて、鍵谷潤は部屋を出た。今日も何の変哲もない一日になる、予定だった。
『今日の一位は双子座のあなた。思いがけないプレゼントが貰えるかも? たくさんの幸せに囲まれる良い一日をお過ごしください!』
◇◆◇
一時間目は何だったか。ぼんやり考えながら教室へ向かう途中の階段で、元気な声に呼び止められた。
「おーい、あっ! やっぱり鍵谷先輩!」
「……この前の」
「そうっす! 一年の山川大貴でっす!」
ニコニコと余裕と自信に溢れる笑みでそう名乗ったのは、三日ほど前に同じこの階段で盛大に潤にぶつかってきた男だった。ぶつかられた時は何故かずぶ濡れ、泥塗れで、この世の不運をすべて背負ったかのような表情を浮かべていたのに、随分な違いだ。
「この間はすんませんっした! これよかったらどうぞ!」
そう言って潤の目の前に差し出されたのは、新品のTシャツのようだった。広げてみるとド真ん中に、某CMの女将さんで有名な台詞が印字されている。
「……何で」
「だってこの前ぶつかっちゃって先輩も服汚れたっしょ?」
オレのお気に入りなんっすよ~、と話す大貴だが、ツッコミたい所はそこではない。まぁ、お詫びの品だというものを突き返すのも悪いし、潤は素直に受け取った。
「……ありがとう」
「いいえどういたしまして~、って元はオレが悪いっすから!」
着てくださいね~! と楽しそうに手を振って、大貴は一年の教室に戻っていった。奇しくも誕生日にプレゼントをくれるとは、何ともタイミングのいいやつだ。
潤は貰ったTシャツを小脇に抱え再び階段を上がり始めた。
◇◆◇
わぁわぁと騒がしい歓声が聞こえる。大元はヴァレットのクラスのようだ。潤のクラスに行くにはそこの前を通るため、一体何が、とチラリと窓から中を見てみる。
人だかりの中心には学生の傍らアイドル活動をする学園のマドンナ、乙歌きらりがいた。
同級生なんだよなぁ。先日初めてライブで見たアイドルが舞台よりずっと身近にいることに不思議な感慨を覚える。学園でも多くのファンに囲まれるとは少し大変そうだな、と潤が眺めていると、不意にバチッと視線がかち合った。
「あ! 潤ちーん! おっはよー!」
「……えっ!? お、おはよう」
突然話し掛けられて、潤は飛び上がりそうなほど驚いた。しかも何だそのフランクなあだ名は、嬉しいじゃないか。くっ、これがファン心理というやつか。
だが周りから視線が集まってきて、じわりと顔が赤くなっていくのがわかる。は、恥ずかしい。
「この間はライブ来てくれてありがとう!」
「い、いや……」
「また来てくれたら嬉しいな!」
おろおろする潤に構わず、きらりは教室の中心からピッと潤にギャルピースを向け、バッチーンと綺麗なウインクを投げた。ライブの時にも見た、いわゆるファンサというやつだ。
ギャラリーがどっと沸き、潤に羨望の視線が突き刺さる。いいのか、何もしてないのにファンサを貰ってしまっても。
もうすっかり真っ赤になってしまった潤は、耐えきれなくて無言でコクコク頷くと猛ダッシュでその場を離れた。後ろから楽しそうな「またねーっ!」という声が聞こえたが、貰ったプレゼントがいっぱいいっぱいで返事をする余裕はなかった。ただ、次にライブに行く機会があればうちわを準備していこうと決意した。
◇◆◇
まだバクバクする胸を押さえて、深呼吸した潤はキョロキョロと辺りを見回した。隣の教室にすぐに入ってしまうときらりファンの視線から逃れられないと思い、教室を通りすぎてがむしゃらに走ってきたのだ。
まだ始業までは時間があるから、少し休んでから行こう。そう思って潤はそこにあったベンチに座った。
「あーっ!」
「っ!!」
ふぅ、と一息ついた所で、突如後ろから叫ばれて潤は再び飛び上がった。落ち着いてきていた心臓がまたバクバクと鼓動を早くする。なんなんだ今日は、ドッキリでも流行っているのか。
「そのTシャツ! オレも持ってるよ!」
振り返るとニコニコと人懐こい笑顔を振り撒く少年がいた。ゴーグルを額にかけて顔の至る所を汚した彼は、大貴から貰ったTシャツを指差した。
ここの服好きなの? と問われるが、貰い物なのでどこの服なのかがそもそもわからない。有名なブランドなのだろうか。
答えに詰まっていると少年はんん? と首を傾げて潤の顔を覗き込んだ。なんだ、どうした、距離が近い!
「わはっ! やっぱり見たことあると思ったー!」
「え?」
「日向ぼっこ部の先輩でしょ? サクラダが言ってた!」
言われてみれば後輩の櫻田カズユキと仲が良さそうに歩いているのを見たことがある気がする。確か、シークと呼ばれていたか?
少年は自分の鞄をゴソゴソと漁ると、何かを引っ張り出して潤に手渡してきた。広げてみるとそれはまたTシャツで。
「それあげるね! お近づきのシルシってやつ」
「えっ……」
「オレの最近のオススメ! かわいいでしょ」
広げたTシャツの真ん中には『長靴に吐いた猫』という文字と、その文字通りのイラストが描かれている。かわいい……かわいい、か?
「じゃあオレもう行くねー! Tシャツ他にもたくさんあるから欲しかったらまたあげるね」
「あ、ありがとう……」
じゃあねー、と手を振って、彼は去ってしまった。お礼は言えたが勢いに振り回されて何が何だかよくわからない。
今度櫻田に彼のことをまた聞いておこう。そう決めて、潤もそろそろ教室に向かうことにした。
◇◆◇
教室に着くと始業まではあと少しの時間になっていた。いつも潤は早めに来ているので、もの珍しげな視線がちらほら向けられて少し恥ずかしい。
「あれ? 潤くんこんな遅いの珍しいね」
「何かあったんですか?」
席に着くなりそう話し掛けてきたのは、深海式と宿木アオイだ。心配そうな色が滲んでいる二人に、潤は慌てて首を横に振った。
「……何でもない。少し休んでたら遅くなった」
「ふぅん? あ、それ何持ってるの?」
「Tシャツ、みたいですね」
深く追及されないのは助かったが、彼女達は潤が持つ二枚のTシャツに興味を持ったようだ。Tシャツを広げてみせると、二人は同時にぷっと吹き出した。
「何そのTシャツ~! 面白いね!」
「いいセンスです」
かわいい~とはしゃぐ二人に、やはりこれはかわいいのか? と潤は自分の感性にやや自信がなくなってきた。
「これどうしたの?」
「……貰った」
「え、なんで? 誕生日とか?」
「……まぁ、そうだな?」
式に問われて潤は曖昧に頷く。誕生日は特に関係なく貰ったものではあるのだが、今日が誕生日であることは間違っていないので。
すると二人は「えーっ!」と驚きの声をあげた。慌ててゴソゴソと自分の鞄を漁った二人は、それぞれ取り出したものを潤に差し出した。
「ホントに誕生日だったんだ! はいこれ! 誕生日おめでと」
式の手には甘いことで有名なブランドのチョコレート。おやつにでもする予定だったのだろうか、貰ってもいいのか?
「ちょうど新作がありました。お守りになりますよ。誕生日おめでとうございます」
アオイの手には手作りらしい小さなマスコット。キーホルダーになっているようで、自信作です、とアオイは少し得意気に笑っている。
二人の手からそれらを受け取り、潤は少し照れながら小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
あまり自分から誕生日を宣伝するつもりもなかったが、改めて祝われるとやはり嬉しい。どういたしまして、と二人はひらひら手を振って自分の席に戻っていった。
畳んだTシャツと一緒に大事に鞄にしまうと同時に授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。ほわほわとした気分のせいで、潤は授業に集中できるか少しだけ不安になった。
◇◆◇
たまににやけそうになってしまう頬をどうにか抑えて、何とか午前中の授業を終えた潤は中庭に出た。梅雨には入っているが今日はほんの少し雲があるだけのいい天気だ。
中庭には日向ぼっこ部のメンバーがすでに何人か集まっていて、それぞれ弁当を食べたり、早速昼寝をしたりしている。
潤の今日のお昼は決まっている。後輩の猫屋敷結が作ってきてくれるという弁当だ。以前おにぎりをあげたお礼と、誕生日の祝いを兼ねて腕によりをかけるらしいから三人で食べよう、と親友の一ノ瀬翔から連絡があった。
なぜ結が潤の誕生日を知っているかというと、そちらも翔が教えたらしい。別に隠しているわけでもないが、広められるとそれはそれで照れくさいものがある。本人には言わないけれど。
その肝心の二人はまだ来ていないようで、潤はとりあえずベンチに腰を下ろして空を見上げた。ふわりといい香りの風が吹いて、昼食前なのに眠たくなってくる。くぁ。小さくアクビを噛み殺して眠気に耐えているとすぐ後ろから声をかけられた。
「よ、ジュン。寝不足か?」
「斗環先輩」
振り返れば佐奈田斗環先輩がベンチの背に手をついて潤を見下ろしていた。道理でいい匂いがするわけだ。
立ち上がって挨拶しようとすると斗環はそれを制して、潤の目の前にひょいと何かの包みをさしだした。思わず手を出して受け取ると、斗環は「それ、ジュンにあげるよ」とにっこり笑った。
「え、どうして……」
「誕生日だろ、今日?」
そういえばずいぶん前に誕生日は教えたことがある気がするが、まさか覚えてくれているとは思わなかった。教えたことすら忘れていたから。
開けてみてもいいかと聞けば、もちろんと返ってきて、潤は包みを開けた。中に入っていたのは、
「……指人形?」
ウサギのデザインをした指にはめられる布。ああ、でもこの手触りは。
「眼鏡拭きだってさ。かわいいだろ?」
マイクロファイバーっぽい手触りだな、と思った通りだったらしい。試しに早速眼鏡を拭いてみると、なかなか拭きやすいし、ウサギが一生懸命眼鏡を拭いているように見えてとてもかわいい。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。誕生日おめでとう」
祝いの言葉とともにわしゃわしゃと頭を撫でられる。するとそこに「えーっ!」という叫びが割って入った。
「潤くん今日誕生日だったの?! 知らなかったんだけど!」
驚愕の声を上げたのは同級生で同じ日向ぼっこ部員の春日実桜だった。
「そーだよ、今日が誕生日だってさ」
「えー! ガチ? ちょっと待ってて!」
何故か斗環が実桜に答えると、実桜はパタパタとどこかに走って行ってしまった。斗環と顔を見合わせて首を傾げていると、五分程度で実桜は走って戻ってきた。
「はいこれあげる! 誕生日おめでとう!」
その手にはヒノマートの袋にたくさん詰め込まれたお菓子の数々。教えてくれてたらちゃんと準備してたのに! と言う実桜は、今の五分でこれだけのお菓子をかき集めてきたらしい。甘いものからしょっぱいもの、普段自分ではあまり手にしないものも入っていて面白い。
「……ありがとう」
「どういたしまして!」
袋を広げてそのまま二人とどれがオススメだとか、これはまだ食べたことないなとか盛り上がっていると、今度は横から控えめな声がかけられた。
「あのーすいません」
そちらを見れば、鍵盤ハーモニカを腰に下げた女の子が大きな袋を抱えて立っていた。
「ん? どうしたの?」
「実家からたくさんお菓子が送られてきちゃって、今配ってるんです。日向ぼっこ部の皆さんもよかったら、と思って。あ、うち山波もにかっていいます!」
どうぞ、と差し出された袋を斗環が受け取り、中を覗くと大量のお饅頭が入っていた。紅葉の形をしたそれは色んな色の個包装に入っていて、それぞれ中の餡が違うらしい。
「へぇ、面白いな。ありがとう。じゃあ俺が皆に配ってくるな」
そう言って斗環は、まず潤に好きなのを選べと袋を向けた。
「え、俺は最後で……」
「いいからいいから。誕生日に遠慮するなよ」
余ったのでいいか、と思っていたのだがそれを言われると弱い。袋を覗いて、せっかくなので珍しそうな『瀬戸内レモンクリームもみじ』と書かれたパッケージを手に取った。
次に実桜が『桜もちもみじ』を選ぶと、斗環は人数分配って余ったらまた持ってくるからちょっと待ってな、と言い置いて他の部員に配りに行った。
「すごーい! こんなの初めて見た!」
「それすっごいもちもちして美味しいんですよ、オススメです!」
「へぇ! じゃ、早速食べちゃお。潤くん食べないのー?」
「俺は……デザートにする」
もみじ饅頭の味は気になるが、まだ昼ごはんを食べていないので取っておきたい。そう言うと実桜はふーん、といいながらいそいそとパッケージを開けた。
「あの、今日お誕生日なんですか?」
「え……まぁ、そうだ」
実桜がにこにこともみじ饅頭をパクついている横で、もにかが問いかけてくる。肯定すると、もにかは自分用らしい鞄からまた違う袋を取り出し潤に手渡した。
「これもぶち美味しいんですけど人数分に足りなくて……よかったら貰ってください」
「えっ、いや悪いから……」
「お誕生日なんですから遠慮せんでどうぞ!」
「そうだよ、せっかくだし貰っちゃいなよ!」
何故か実桜がもにかに加勢し、押された潤はその袋を受け取らざるを得なくなった。袋にはクリームパンと書いてあるがなんだかとてもひんやりしている。冷たいクリームパン?
嬉しいが、いいのだろうか。こんなにたくさん貰ってしまって恐縮してしまう気持ちも大きい。
「……ありがとう」
お礼を伝えると、もにかも実桜もとても嬉しそうに笑ってくれた。その笑顔が、なんだかプレゼントを貰った時と同じくらい嬉しくて。恐縮する気持ちが少し和らいだ気がした。
◇◆◇
斗環が戻ってくると、もにかは他の部にも配りに行くといい、斗環と実桜もそれぞれ昼を食べてくるからと解散した。
さて、そろそろ腹も減ってきたがまだか、と思っていると、寮のある方から翔が走ってくるのが見えた。キラキラした笑顔が眩しくて、潤は思わず目を細めてしまった。
「すまない、待たせた! 何してるんだ?」
「いや、眩しくて……」
「そうだな、いい天気だし」
翔は隣に座って眩しそうに空を見上げた。うーん、ちょっと違うんだがまぁいいか。結はまだ来ていないと伝えると、翔はそれなら先に、とラッピングされた紙袋を渡してきた。
「誕生日おめでとう!」
「ありがとな。開けてもいいか?」
「ああ!」
袋を開けると、中身は翔もよく着ている襟つきのシャツだった。休日はTシャツにジーパンがほとんどな潤がいつもオシャレだと思っていたそのシャツ。
「俺のオススメだ。潤のいつものTシャツの上から着れるし、どんな色でも合わせやすいぞ」
「おお……なんかすごいな」
「潤はかっこいいんだからもう少し服装気を付ければいいのに」
「別にかっこよくねぇしほっとけ」
親友どうしの気安さで笑いあって、貰ったシャツを大事にしまって。そうしている内に、弁当箱が入っているのだろう鞄を抱えた結の姿が遠くに見えた。
お、来たな、と呟いた翔はいつもよりずいぶん嬉しそうだ。
「潤くんセンパーイ! お待た、せ……」
潤を呼びながら走って来た結は、言葉を途中で切って急にピタリと足を止めた。どうかしたのかと見守っていると、結はおろおろと左右を見回して、意を決したようにゆっくり近付いてくる。顔が赤い気がするが、熱でもあるのか?
「お、お待たせ、潤くん先輩。と、しょ、翔くん、先輩」
「だい……」
「大丈夫だぞ、結。全然待ってない」
ほら座って、と。潤より先んじて翔が結を促す。翔がぽんぽんと空いている自分の隣のスペースを叩くが、結はさらに顔を赤くして反対側の潤の隣に腰を下ろした。え、いいけど何で?
「ご、ごめんね、遅くなって! 早く食べよ!」
結は鞄からひょいひょいと弁当箱を取り出し潤の膝に置いた。一つを翔に渡して、貰った割り箸を割る。蓋を開ければ彩りもよく、手の込んだ美味しそうな弁当だ。
「おお……すごいな」
「すごいぞ、結! 美味しそうだ!」
「にゃ……!? そ、そうかな、ありがとう」
ふっくらしただし巻き玉子、トマトのベーコン巻き、唐揚げ、ミニハンバーグの合間に彩りよくパセリやブロッコリーが添えられ、猫っぽい形に整えられたおにぎりが結らしくてかわいらしい。
では早速、と三人で「いただきます」と手を合わせた。
「! うまいな」
「本当? よかったぁ、潤くん先輩お誕生日おめでとう!」
「ありがとう」
味もしっかりしている。出汁の使い方がうまいのだろうか。素直な感想を伝えると、結はいつものなつっこい笑みを見せた。
こんなに美味しいのに黙ったままの翔はどうしたのか。一言くらい感想を言え、と翔の方を見てみれば。
「うっ……うぅ」
「えっ?!」
「えっ翔くん先輩?! 泣いてるの?!」
なんと翔は弁当を噛み締めながら男泣きに泣いている。え、何で?
潤も驚いたが、結はもっと驚いてわたわたと慌てている。翔、本当にどうした。
「うぅ……おいしい……」
「えええ、どうしよう! な、泣かないで?!」
「翔、お、おちつけ」
まさか泣くほど感動しているとは。だが美味しい美味しいと次々箸を口に運ぶ翔を見て、結は喜んではもらえているのだとホッと胸を撫で下ろしたようだった。
こうして、泣きながら弁当を食べる翔と、チラチラ翔を気にしながらも目を合わせようとしない結に挟まれた奇妙な昼食会は過ぎていった。
◇◆◇
全員が弁当を食べ終わると、結はいそいそと片付けてピューと逃げるように帰っていった。やっぱり顔が少し赤かった気がするから、ちゃんと休んでくれるといいが。
翔もちょっと用事があるから、と寮に帰ってしまった。昼休みもあと少しだ。午後一の授業は数学だったか。最近特に難しくなってきたから寝ないように気を付けなければ。
貰った大量のプレゼントを抱えながら校舎へ向かう。一度寮に戻って置いてきた方がいいかもしれないが、もうすぐ予鈴が鳴ると思えばそれも面倒くさい。
「あっ、あの……!」
突然後ろからかけられた控えめな声に潤が振り向くと、大きな赤いリボンを揺らした少女が立っていた。
「……ゆい、か?」
「はい! 潤にいさま」
彼女、御影ゆいは、潤がわずかな間だが世話になった孤児院で共に過ごしていた。今よりももっと子供で、ほとんど心を閉ざしていた潤にも物怖じすることなく慕ってくれていた、と思う。
潤が陽ノ月学園に入学してから孤児院には一度も帰っていなかったから、会うのもずいぶん久しぶりだ。
たったの三ヶ月しか共にはいなかったというのに、孤児院にも一度も顔を見せない不孝者だというのに。まだ兄と呼んでくれるのかと思うと、嬉しいような申し訳ないような、そんな気持ちになる。
「……どうした?」
「え、と……今日はお誕生日だと翔にいさまに聞いたのです!」
何か用があるのかと思えば、ゆいはそう言ってピンクのかわいらしいラッピングがされた小さな包みを渡してきた。孤児院の繋がりで翔にもよく懐いているゆいはそこから潤の誕生日を知ったらしい。
「料理部の皆様に手伝ってもらってクッキーを作ったのです! 受け取ってもらえますか?」
ラッピングまで自分でしたのだろう。少しいびつな形なのが、却って気持ちがこもっているようで嬉しい。だけど。
「……いいのか」
「えっ?」
「俺が受け取っても、いいのか?」
孤児院にいた頃も、正直に言えば今も。純粋に慕ってくれるゆいにどう向き合えばいいかわからない。そんな自分がゆいの気持ちを込めたプレゼントを貰う資格はあるのか。
そんな思いで問うと、ゆいは不思議そうに首を傾げ、パッと明るく笑った。
「もちろんなのです! 潤にいさまに貰ってほしいのです!」
「……そうか」
貰ったプレゼントを大事に抱え、潤はぎこちなくゆいの頭に触れた。妹の小さな頭を撫でながら潤は自然に微笑んでいた。
「ありがとう」
「はい! えへへ……」
◇◆◇
ゆいと別れ、ほっこりした気分で教室への道を歩いていると、またもや後ろから声がかかった。
「お、潤どないしたん? そない大荷物抱えて」
「コウヤ先輩」
振り返った先にいたのはよく勉強を見てもらっている先輩の日生コウヤだった。大変そうやなぁ、と近付いてきたコウヤは、潤の荷物を見て「ん?」と首を傾げた。
「なんやそれ全部プレゼントなん? やるなぁ潤~」
「何がですか、何もやってないです」
ニヤリとしたコウヤに肘でつつかれて、つい素で反応してしまった。落ち着け。この人にはどうあがいても口じゃ勝てない。
コウヤは特に気にした風でもなく「すまんすまん」とケラケラ笑っている。
「……その、誕生日、だから」
「へ? 今日誕生日なん?」
冗談とはわかっていても、尊敬する先輩の一人であるコウヤに変に思われたくなくて、潤はプレゼントの理由を話した。
すると一瞬きょとんとしたコウヤは、すぐ戻るからちょっと待っとき、とどこかへ行ってしまった。言葉通りにすぐに戻ってきたコウヤの手には缶ジュースが一本。
「はいよ、これ兄ちゃんからな」
「す、すみません、そんなつもりじゃ……」
「エエよエエよ。からかってすまんかったな」
潤のズボンのポケットに缶ジュースをねじ込んで、コウヤはわしゃわしゃと潤の頭を撫でた。
「誕生日おめでとさん」
「……ありがとうございます」
嬉しくて、でも少し照れくさくて。潤は僅かに俯いて視線を隠した。
◇◆◇
予鈴が鳴り、コウヤと別れた潤は急いで教室に戻った。かなり増えている荷物を面白がられたりはしたが、午後の授業も無事終えて潤はふぅと一息ついた。
さて、今日は授業が終わったら部屋に客を呼ぶのだと同室の宇佐見凪透が言っていた。多分客は凪透の恋人だろうから、まっすぐ寮に帰るよりどこかで時間を潰した方がいいだろう。
裏庭で貰ったプレゼントのお菓子でもつまむか。潤はとりあえずそう決めて教室を後にした。
裏庭の定位置と化してきている木の下に荷物を下ろして、貰ったお菓子を幾つか広げてみる。何から手をつけようかとウキウキ悩んでいると「おーい!」と、もうずいぶん見慣れた赤い髪がこちらに走ってくるのが見えた。
「おい潤! キャッチボールしようぜ!」
「おい磯野ー、みたいなノリで言わんでください。俺今からお菓子食べるんで」
パシパシとボールを弄びながら誘ったのは倉敷朱羽先輩だ。潤は最近キャッチボール仲間に昇格(?)させられたのだが、次の日の筋肉痛が酷かったのでキャッチボールの頻度はできるだけ少なくしたかった。
潤がすげなく断るも、朱羽がめげることはない。
「ていうか何でそんなにお菓子あるんだよ、太るぞ」
「貰い物なんで。ちょっとずつ食べるから大丈夫ですよ」
貰い物? と首を傾げた朱羽は、急に何かに気付いたようにポンと手を打った。そして、自分の鞄を漁ったかと思うと取り出した物を潤に放る。
思わず手を出して受け取った潤が目の前に掲げて見ると、それはギフト用のリボンシールが貼られた小さな紙袋だった。鞄に入っていたせいか少しくしゃっとしてしまっている。
「アタシの推理によるとあんた今日が誕生日なんでしょ?」
「推理って……まぁ、そうですけど」
「ふふん、さすがアタシ。名推理と褒めてもいいんだぜ……というわけで、それ潤にやるよ」
「え、用意してくれてたんですか?」
「まぁね~。っていっても六月何日かまでは覚えてなかったからずっと鞄に入れてたんだけど」
朱羽が潤の誕生日を覚えていて、プレゼントを用意していたことには驚いたが、そんなことまで正直に話すのも朱羽らしい。
開けてもいいかと聞く前に、早く開けろよと急かされて開封すると、中にはつい先日キャッチボールをした時に話していたリストバンドが入っていた。
「これ……」
「持ってないだろ? 早速つけてキャッチボールしようぜ!」
早くもグローブをはめ、パンッとボールを叩きつけている朱羽に苦笑する。ここまでしてもらっては、キャッチボールを断る理由がなくなってしまう。
一旦お菓子を片付け、その濃紺のタオル地リストバンドをつけた潤は立ち上がった。グローブをはめ構えると、朱羽が振りかぶる。
「潤! 誕生日、おめでとっ!」
祝いの言葉と共に飛んできた豪速球がバスンッと重い音を立ててグローブに収まる。ビリビリと痺れる手を軽く振り、次は潤が振りかぶった。
「ありがとう、ございますっ!」
朱羽のグローブもパァンッといい音を立ててボールをキャッチする。六月の熱気を感じながら、二人のキャッチボールは幕を開けた。
◇◆◇
三十分ほどは朱羽とキャッチボールをしただろうか。天気がいい分、短い時間でも二人は汗だくになった。貰ったリストバンドは確かになかなか便利で、これからもっと暑くなるからちょうどいい。
それから朱羽はいいウォーミングアップになったと言って部活に顔を出しに行き、潤は道具を片付け今度こそお菓子に手をつけようと改めてお菓子を広げた。
そこへ潤と同じくウキウキした様子の人物がかけてくる。
「あっ! 鍵谷先輩、こんにちはー!」
明るく挨拶してきたのは一つ下の指月寿々花だ。紙飛行機から落っこちてきた寿々花をキャッチして助けて以来、潤を見つける度に話し掛けてくれ、慕ってくれている。
今では会えばヒノマートの新作お菓子の情報交換をしたりもするようになった。
「見てください! 今日新しいの入ってましたよ!」
ヒノマートの袋をずいと突きつけた寿々花はお菓子を並べる潤の横に座って同じようにお菓子を取り出した。
買いすぎちゃいました、と笑う寿々花だが、ふと潤のお菓子の量を見て首を傾げた。
「珍しいですね、こんなにたくさん」
「ああ、ちょっと……」
貰い物だから、と言えば寿々花はますます怪訝そうな顔をした。考えること暫し。ハッとした顔にデジャブを感じる。ついさっきも見たし、今日一日でもう何度も見た。まぁプレゼントが貰える日なんて限られるだろうからな。
「鍵谷先輩もしかして……誕生日なのでは?!」
「……まぁ、そうだな」
「えーーっ! もう! 教えてくださいよ!」
何も用意してない! と寿々花は慌てているが、気にしないでほしい。むしろこんなに祝ってもらえるとは思っていなかったから、気持ちだけで十分だ。
だが、寿々花はそれでは気がすまないらしい。うーんうーん、と考えた末に、今見せてくれた新作お菓子の詰め合わせ袋を潤にぐいと押し付けた。
「今日はこれしかないから、受け取ってください!」
「いや、でも……」
「ちゃんと教えてくれないからですよ! はい!」
「お前が食べる分が……」
遠慮する潤と、渡そうとする寿々花。攻防を繰り返しているうちに、ぐうぅ……と大きな音がなる。盛大な腹の虫に寿々花は顔を真っ赤にし、潤も思わずふっと笑ってしまった。
「……一緒に食べるか」
「……はい」
そうして結局、二人で期間限定のスナックを開けた。
「鍵谷先輩、お誕生日おめでとうございます」
「……ありがとう」
◇◆◇
寿々花と二人でお菓子をシェアして、開けなかった残りのお菓子は結局貰ってしまった。増えに増えたプレゼントたちはなかなかの大荷物だが、皆の気持ちが嬉しくて見ているだけでも幸せだ。
さて、そろそろ寮に帰ってもいい頃だろうか。迷っているとスマホにぽんっとメッセージが届いた。送り主は凪透で、もう帰ってきても大丈夫、ということだった。
それなら帰るか、と潤はプレゼントを抱えて、寮に向かった。
部屋についてドアを開けようとすると、何故か鍵が掛かっていた。凪透は部屋にいるはずだが、どうしたのだろう。出掛けたのか。不思議に思いながらも、潤が合鍵を使ってドアを開けた。その瞬間。
パンッ! パァンッ!
派手な音が轟き、カラフルなテープが舞い潤に振り注いだ。
「誕生日、おめでとう!!」
驚きに目を丸くした潤を揃った声が出迎えた。クラッカーを手にした、天生目透、宇佐見凪透、一ノ瀬翔の三人がニコニコと楽しそうに潤を手招く。
呆然と部屋に入れば、そこは朝出た時と全く様相が変わっていた。壁を彩るハッピーバースデーのガーランドと、カラフルな風船。そして極めつけはテーブルに所狭しと並べられたたくさんのケーキ。
「でっか!!」
思わずツッコんでしまったが仕方ないと思いたい。テーブルを占めているのは、一段だが十人分はありそうな大きさの四角いケーキと、高さもデカイ三段になっているケーキだ。三段ケーキなんて初めて見た。
「三段ケーキは私からのお祝いです。さぁさぁ座ってくださいね~。コーヒー淹れますから」
「あ、ありがとうございます」
透がさっと潤の荷物をベッドに置いて、そう促す。テーブルにつくと潤の背をぽんと叩いて、透はそのままキッチンに入っていった。
「俺達が飾り付けたんだぞ、驚いたか?」
「驚いた……もしかして昼言ってた用事ってこれか?」
「当たり!」
隣に座った翔が得意げに言う。シャツもくれたのに、一段の方のケーキも翔が用意してくれたらしい。
「サプライズ大成功! 俺からはこれ、あげるね」
「ありがとな。開けていいか?」
こちらも楽しそうな凪透が小さな袋を渡してくれた。中に入っていたのは、鍵と誕生石のチャームがついたブックマーカーだ。
「潤よく本読んでるし、それ見た瞬間に、あ、潤だなって思ってさ」
鍵が揺れるオシャレなデザインは流石凪透のチョイスだ。
あとはこれを、と翔と凪透が取り出したのは、パーティーハットと『本日の主役』と書かれた襷。ベタすぎるだろ! と抵抗したが、潤は二人がかりで浮かれ野郎の姿にさせられてしまった。
「よく似合ってるぞ!」
「ふふっ……本当、似合うよ潤」
「似合っててたまるか。凪透、笑ってるぞ」
とても真っ直ぐな目で褒める翔は本気で似合ってると思ってるのかもしれないが、笑いを堪えきれていない凪透の反応が自然だ。それはそれで釈然としないが。
そうして、三人で目を合わせてふはっと吹き出す。声をあげて一頻り笑いあって。
「コーヒー入りましたよ~。楽しそうですね」
コーヒーを持ってきてくれた透もにこやかにそれを見守った。ケーキを切り分け、みんなより多めに苺を貰って。
食べても食べてもなくならないケーキにまた皆で笑って。時間はあっという間に過ぎていった。
◇◆◇
そろそろ帰ろうかと言う翔と透にそれぞれ同室相手にもどうぞとケーキを包んだ。
それでも尚残っているケーキは本当に何人前あったのだろうか。
「小分けにして冷凍してたら少しはもちますよ。改めて誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます、天生目先輩」
じゃあまた、と透は手を振って帰っていく。
「俺も帰るな。潤、おめでとう」
「ありがとな、翔」
また遊ぼうな、と翔も足取り軽く部屋を後にした。
残った潤と凪透は静かになった部屋で、楽しかったなと先ほどまでの賑やかさを思い返して笑いあった。
「はぁ、笑った。シャワー浴びるか。その前に俺荷物片付けるから、凪透先入っていいぞ」
「いいの? じゃあお先」
凪透が部屋風呂に向かうのを見送って、潤は自分のベッドに腰掛けた。今日貰ったプレゼントを整理していく。
思いがけずたくさんの気持ちを貰ってしまった。あっという間に過ぎた一日を思い返せば胸がとても暖かくなる。
休日には貰った服を着て、たくさんあるお菓子とケーキは大事に食べて。読みかけの本にはブックマーカーを挟んで、お守りのマスコットは鞄につけて、眼鏡拭きとリストバンドも持ち歩こう。
「……ありがとう」
こんなにもたくさん祝ってもらえるなんて思っていなかった。たくさんの人に囲まれて幸せ者だな、と。そう思って潤は静かに笑みをこぼした。
ふと、壁のカレンダーが目に入る。
朝は何も書かれていなかった今日の日付には、大きなケーキの絵と、枠からはみ出すハッピーバースデーの文字が書き込まれていた。
終
たくさんのお祝いありがとうございました!!!