髪結露に濡れた真白い花弁。働き蜂が拵えた女王の座。芳しい香木に木の実。真珠の輝き、鱗の煌めき。みんな砕いて油の中へ。
つやつや、きらきら、壺の中で光るそれは王様の髪を整える極上の香油になった。
「ひまだ」
長い髪を全て解いて洗髪を済ませたカマソッソが長椅子に寝そべる。たちまちに周囲を美容部員が取り囲み、髪が含んだ水気を柔らかい布で拭き取っていく。同時に濡れ髪に効果が出やすい香油を彼らの王の黒髪に手早く馴染ませていく様は、彼らの技術力の高さを物語る。カーン王宮の王仕えとして芸術的なほど優れた美意識を持つ美容部員たちは、今日この時の機会を1秒も無駄にはしまいと目を血走らせ、黙々とカマソッソの髪を梳いた。
彼らの王は決して無精ではないが、身を飾ることより武功を重んじる戦士としての意志が先んずるためか、もともと流れ落ちる滝のように真っ直ぐな世話のいらない髪質であるためか、その誰もが羨む長い黒髪の手入れをおざなりにするきらいがあった。
髪の乱れを整えるくらいはいい。汚れを落とすのもいい。だが香油がどうとか髪飾りががどうとか言われ出すと、カマソッソは全く興味を失ってしまう。好きにしろと言えば、美容部員たちは彼の髪をいじるのをやめないので、その間座して待たねばならないのは非常に苦痛を伴うものだった。それ故に彼は必要以上に構おうとする美容部員から逃げるわけなのだが、美を追求する熱意が高い彼らから逃げ切るのはカマソッソとて至難の業。なにせ彼らには無敵の呪文があるのだ。
「王妃様に言いつけますよ」
孔雀石の耳飾りをつけた美容部員が大袈裟なほどに体を逸らせて叫ぶ。
「ああ!こんなにも美しいお髪をもつれさせたままにするなんて、王妃様が知ったらさぞお嘆きになるでしょう!」
「むう」
唸るカマソッソ。
「そろそろ乾燥する季節ですから、こまめに保水しないと髪が切れて王妃様が心配なさるかも」
赤い貝の首飾りをつけた美容部員は哀愁たっぷりによろめく。
「……わかった。許可する、が!オマエたちに無限の時間は与えられん。最速にして時短、即ちオレがイヤになったら終わ」
「王妃様に言いつけますよ」
「…………ぐぅ……」
渋々、不承不承、と言った具合で髪の手入れを許可するカマソッソではあるが、実のところ、これは彼のパフォーマンスの一環である。
美容部員たちがカマソッソの毛先の手入れを始めた頃、彼は王妃を呼んだ。
まもなく彼のちいさなちいさな妻が現れ、長椅子に身を投げ出した夫のそばに腰掛けた。両手にたくさんの異国の書物を持っている。
「陛下、以前仰っておられた北の国の歴史書が手に入りました。おもしろいことが書いてありそうです」
七か国語をあやつる彼女は本をいくつもカマソッソに見せる。
「見えん。もっと近くへ」
「はい。これで見えますか?」
「まだ遠い」
寝そべっていた体をがばりと起こすと、無心で髪の手入れをしていた美容部員から悲鳴が上がるが、気まぐれな王はおかまいなしだ。そのまま長い髪は長椅子の背もたれの裏に流し、王妃をひょいと膝に乗せた。
「あの、あのう……」
目をきょろきょろさせることしかできない王妃の小さな声は、美容部員達の慌てふためく騒ぎの中に消える。
「これで見える。今日はこのザマでな、目をずっと閉じていたままだったので霞むのだ」
「本当に?」
「オレは嘘は吐かん」
淡く笑いながらカマソッソは妻のやわらかな髪に手をやる。手櫛で梳いてやると、気持ちよさそうに瞼を伏せるので悪戯心がくすぐられてしまう。
彼女の丸い額にちゅっと唇を落とすと、美容部員からの抗議が先に来た。
「陛下、動かないでください。髪がずれます」
「陛下、後ろに私たちがいること、忘れないでくださいね。王妃様がお可哀想」
「陛下、早くしたいなら大人しくしてて下さい」
無礼者と一喝しても良かったが、膝の中で書物で顔を隠して震える妻の桃色に染まった耳を見ているだけで、そんなことはどうでもよくなった。
王は上機嫌なのを気取られないように、王妃に北の国の歴史書を解説するよう求めた。
「王妃様に言いつけますよ」
この呪文の効果は抜群だったと、王の髪の手入れをすっかり済ませた美容部員たちは、その様子を微笑ましく思いながらゆったりと王の髪を編み込み始めた。