熱 4泣くジーザスを、ユダはベッドの上から見つめることしか出来なかった。
何故泣いているのか皆目見当がつかず、かけるべき言葉が見つからない。
あまりにユダが情けないから泣いているのだろうか?
だが、それでは何故謝られるのかが分からなかった。
「おい」
とりあえず一言かけると、ジーザスは怯えるように肩をびくりとさせた。
ユダはますます混乱した。
「なんで泣いてるんだよ」
そう聞いてもジーザスは黙って啜り泣くだけだったが、やがて小さな声で答えた。
「わ、私は…君に淺ましい思いを抱いてしまった」
そう言ったかと思うと、また恥いるように顔を手で覆い俯いてしまう。
ユダはジーザスの震える後頭部を見つめながら、言われていることが分からず頭が真っ白になった。
いや、分かることには分かるが、まさか。
「……どういうことだよ」
ユダは拳をきつく握りながら、さらに問いただした。
心臓が高鳴って、苦しかった。
五月蝿い鼓動を打ち消すように、言い聞かせるように頭の中で叫ぶ。
期待するな、期待するな。
「…君が……君の、写真で」
ジーザスは、やっと聞き取れるような声で喋った。
「分からない。自分が分からないんだ。
誰と何をしようと、君の勝手なのに。でも、君が誰かと触れ合うかと思うと嫌でしょうがなかった。それなのに…」
ジーザスは嗚咽をひとつもらしてから、涙と一緒に叫ぶように言った。
「君の写真を見ながら、私は自分に触れてしまった」
ジーザスは膝を抱え、咽び泣いた。
ユダは、そんなジーザスを目を丸くして見つめることしか出来ない。
ジーザスは、まるで大罪を告白するかのような様子だった。
「は、恥ずかしくて、き、君の目も見れなかった」
涙を堪え切れない子供のように、ジーザスは嗚咽を絶え間なく上げながら途切れ途切れにやっとそう告げる。
そしてこの告白を聞いたユダは、これは夢だな、と半ば本気で思ってしまった。
いや、こんなに視界も思考もはっきりとしているのだからそんなはずは無いのだが、そう思わないと今起きていることがとても信じられなかったのだ。
そのせいか、ユダは妙に冷静になった。
何故ジーザスはこんなことを言い出したのだろうと少し考え、きっと彼は勘違いをしているのだろうという結論に達した。
ジーザスの様子がおかしくなったのは、ユダが彼を看病した夜以来のことだ。
きっと、熱を出した時にユダが抱きしめてやったので、ユダのことが好きだと勘違いしているに違いなかった。
いわば刷り込みのようなものだ。
「おい」
ユダは幾分冷静になり、優しい声でジーザスに話しかけた。
「あんた、混乱してるんだよ」
ジーザスが、聞き耳を立てるようにユダの方を少し振り向く。
頬が涙で濡れて光っているのが見えた。
「あの夜、俺が看病してやったから。それで、俺のことが好きだって勘違いしてるだけだろ」
ここまで言って、自分はなんて馬鹿なのだろうとユダは後悔しかけた。
ジーザスの気持ちが自分に向きかけているのに、千載一遇のチャンスを潰すなどあまりに愚かだと思った。
だが、ジーザスの純粋な思いを自分の良いように利用するなど、ユダにはとても出来なかったのだ。
自分はいつから、こんなにもお人好しになってしまったのだろう。
ジーザスから顔を背け、何もない部屋の角を見つめる。
涙の気配を目の奥に感じたが、無視した。
目を瞑り、ジーザスが「なるほど!」と言って納得するのを静かに待つ。
そうしてジーザスは部屋から立ち去り、また明日から何事もなかったかのような日々に戻るのだろう。
だが、そうはならなかった。
「勘違いなんかじゃない!」
いきなり大きい声でそう言われ、ユダは驚いて振り向いた。
ジーザスがこちらを振り返って膝立ちになり、ベッドに両手を乗せて身を乗り出しているところだった。
ジーザスは泣くのをやめ、ユダの顔を真っ直ぐに見上げていた。
「あの夜…君に抱きしめられて、自分の気持ちに気がついたのは事実だ」
ジーザスは、一瞬唇を噛んで目を伏せた。
だがすぐに顔を上げ、改めてユダの目を見る。
「だが、あれから考えたんだ。君は…
いつだって一番そばで私を助けてくれた。君は多くは語らないが、君の誠意を感じるには行動だけで十分だった。時に、私の言う事に反対だってしてくれた。そんなことをしてくれるのは、君だけだ。君がいなければ、私はここまで来られなかったんだ」
ユダは、苦笑いしそうになった、
結局、それも全て勘違いの一因だろうと思った。
第一ユダが黙々と働いたのも、ジーザスの一番そばにいるための下心のようなものだったのだ。
だが、ジーザスの自分への気持ちが勘違いでも、今の彼の言葉でユダは今までのことが十分に報われると思った。
しかし、ジーザスはまだ喋り終えてはいなかった。
「君がそばにいるだけで、落ち着けるんだ。君が居なくなることを考えただけで、耐えられない。君がいつだって私のそばに居ると思えばこそ、私はずっと安心できていたんだ」
ジーザスは、また泣き出しそうな顔をする。
彼の両手は、祈るように強く握りしめられていた。
ユダは、心臓が早く打ちすぎて死にそうだった。
言われていることが、何故か恐ろしくて仕方がなかった。
ジーザスが、何かを決心したかのようにユダを見つめる。
やめてくれ、とユダは心の中で叫んだ。
言うな。言うな。
「ユダ。君を愛している」
恐れていた言葉が、ユダの心臓を勢いよく貫いた。
自分が、すっかり壊されてしまったかのように感じた。
そして同時に、ユダのジーザスに抵抗する気力も全て奪われてしまったことを悟る。
そんなユダをジーザスは光る目でしばらく見つめていたが、何かに気が付いたように目を逸らした。
「でも…私には君を愛する資格はない」
俯きながら、両手を胸元にあてる。
「私は…淺ましいことを考えてしまうから」
ジーザスは、もう一度辛そうにユダを見た。
そして、青あざがほぼ消えかけた、ユダの目元に手を伸ばす。
だが、触れる直前に顔を歪ませ、引っ込めてしまう。
そのままジーザスは、ベッドの上に突っ伏してしまった。
「君を傷つけたくないのに…!」
再び泣き出すジーザスを、ユダはまだ先ほど受けた衝撃が抜け切らないまま見つめていた。
まだ現実とは認められていなかったが、何とか口を開く。
「そんなこと、ないだろ」
ユダは声が震えてしまった。
だが、そんなことを気にする余裕もない。
震えが全身に広がるようで上手く喋れる気がしなかったが、何とか言葉を続ける。
「好きなら、そういうこと考えるだろ」
好き、と口に出した言葉がまだ信じられなかった。
言った途端に全てが現実でなくなるのではないかという非現実的な恐怖に襲われる。
だが、ジーザスは泣くのをやめて、顔を上げてユダを見ていた。
救われたような、何かを期待するようなその表情に、ユダは胸がどうしようもなく締め付けられた。
「俺だって」
確かにユダは、色々な男と寝てきた。
相手に気持ちがなくとも、快楽さえ得ることが出来れば、辛いことを忘れられるなら何でも良かったのだ。
だが、ユダは。
「本当はずっと、お前と…」
そう言ったユダは、突然耐え切れなくなった。
声が詰まり、ぼろぼろと涙が溢れてしまう。
ずっと蓋をしてきた気持ちを、自分でもずっと向き合えなかった思いを口に出してしまい、恐ろしくなってしまうくらいの感情が押し寄せる。
己の膝を掴む自分の両手を見つめながら、ぼたぼたとシーツに降り注ぐ自分の止まらない涙を呪った。
だが次の瞬間には、立ち上がったジーザスが自分の隣に座ったかと思うと、抱きしめられていた。
ジーザスも泣き続けていた。
頭に回された手が、ユダの後頭部を優しく撫でる。
ユダの涙が、ジーザスのシャツの肩口に吸い込まれていく。
ユダがおそるおそるジーザスの体に腕を回しそっと力を込めると、一層強く抱きしめられる。
ユダは黙って身体を震わせながら、今まで堪えてきた一生分の涙を流した。