ぱちん、ぱちん。
ベランダへ出る窓が大きく開けられ、その足元で男がしゃがみ込んでいる。
雲一つない快晴でも通り抜ける風はまだ冷たい。しかし、ほんの数時間前までむせ返るような熱い時間を過ごした身としてはむしろ心地いい程だ。
ぱちん。
「局長?窓なんか開けて……あっ」
キッチンからコーヒーカップを持ってきたドンジュが弾けるような音を聞きつけ、ベランダでしゃがみ込む男の背中に向けて大きな声を上げた。
「おどかすな!手元が狂うだろ」
顔を顰め、爪を切っていたヨンが振り返った。
「あーっ、待って!それ、ちょっと待って」
テーブルにカップを置くと、ドンジュは何やら焦った様子で駆け寄って来る。
「?」
「もう終わっちゃいました?」
ヨンの隣に腰を下ろし、ドンジュが手元を覗き込んだ。
「いや、今始めたところだが」
「よかった」
「何が」
「いえ、前から思ってたんですけど、局長って深爪気味ですよね」
ヨンから爪切りを取り上げながら、ドンジュが言った。
「そうか?」
「そうですよ、指先が傷つきやすくなるから心配してたんです」
「大袈裟だな」
「ほんと自分には無頓着ですよね、僕に切らせてください」
ヨンの手を取ると、ドンジュは器用に爪を切りそろえていく。
ぱちん、ぱちん。
「局長の爪、丸くて可愛いけどもう少し気遣ってあげてください」
「何が可愛い、だ」
お前の方がきれいな形をしているくせに。ヨンはふん、と鼻を鳴らし口を尖らせた。自分の手に添えられたドンジュの指先は細く爪もそれに見合った綺麗な形をしている。
普段まじまじと見る事がないが、比べると同じ男であるのにこうも違うものなのかと感心すらするものだ。
「まぁ、あなたが僕を傷つけまいと気にしてくれてるのは嬉しいんだけど」
「な……っ」
にこりとドンジュが笑って言った言葉に、ヨンは思わず腕を引きそうになるがそれは目の前の男の手によって遮られてしまう。
「急に動いたら危ないですよ」
「お前がバカなことを言うから。それにこれは昔からの癖だ、お前の為じゃない」
ヨンが悔しそうに唇を噛んで顔を反らすが、その耳は真っ赤になっていて動揺を隠せていないのが愛おしい。
身体を重ねるようになって、深く激しく求めるドンジュの背に何度爪を立てたか分からない。
それでも背中に傷がつかないのはヨンがこまめに爪を切っているからだ。
「僕としては背中に傷の一つや二つ付けて欲しいって思ってるんですけど」
ぱちん、ぱちん。
それほど伸びていない爪を丁寧に切って行く。
「あなたが付けてくれたものなら何だって嬉しいんだけどな」
「……うるさい、黙ってやれ」
「はいはい」
すっかり首まで紅潮したヨンにドンジュはくすくすと笑いながら角が出ないようやすりをかけ始めた。
「ねぇ、今度は少し我慢して伸ばしてくださいね」
何時もより少し長めに整った指先に、ドンジュは恭しく口づける。
「っ、こら」
びくりと肩を揺らせてヨンが身を引くと、ドンジュもそのまま身体を前のめりにさせた。
「必死に縋りつくあなたを想像するだけでぞくぞくします」
熱を持った耳元で囁くと、男は小さく呻いてドンジュを突っぱねようともがく。
「お前っ……」
羞恥に潤んだ目で睨まれても凄みはないのだが、この後を穏やかに過ごすには自分が引き下がらねばならないだろう。
「ふふ、さ、朝ごはんにしましょ」
何事も無かったかのようにドンジュは立ち上がり、ベランダの窓を閉めた。温まっていた部屋はすっかり冷えていたが、ヨンには丁度いいのかもしれない。
「うう……くそ」
火照った顔を覆い、ヨンがふらふらと洗面所に向かった。
「可愛い人だな」
ドンジュはトースターに食パンを突っ込みながら冷めかけたコーヒーを啜る。
洗面所では激しい水の音とヨンのうめき声が聞こえ、ドンジュが堪え切れない笑い声をあげた。