その甘美な味は「フェンリッヒ、お前の血はどんな味なのだ?」
まただ、とフェンリッヒはため息を隠すことなく吐き出す。
こうしてこの暴君は度々こちらに何かを聞いてくる。それも、聞いてくるのは基本返答に困るものばかりだ。
「…お生憎様、オレの身内には吸血鬼なんてモンはいないから知らん。アンタだって、自分の血の味なんて知らんだろ」
「うむ、確かにな。…お前は“人”狼であろう?なら悪魔とも人間とも違う味なのではと思ってな」
そんな趣味の悪い情報など知らん、とフェンリッヒはもう一度ため息をついた。
話は終わっただろうと油断していたその瞬間、背後にある影ひとつ。動く前に掴まれた。
「っ、なにすんだ!放せ!」
「まぁ、そう暴れるな。すぐ終わる」
後ろから片手の手首を掴まれ、腰に手が回される。
「何がだ!」
「やはり気になるであろう。俺が」
「アンタかよ!!そこまでは知らんって言ってるんだ!!」
恐らく血の味のことを言っているのであろう。
なんとか振り切ろうともがいても、腕力では『力の大妖』とまで言われている吸血鬼に人狼たるフェンリッヒが叶うはずもない。というより、この出鱈目な火力の暴君にはまず勝てないだろう。
「安心しろ、死ぬまでは吸わん」
「なんで吸うことが前提で話が進む!?っ、この!吸ったらぶっ飛ばすぞ!!」
「ククッ、それならそれでやってみるといい。そこらの骨抜きの悪魔よりお前と戦う方が面白そうだ」
(ダメだ、何言っても聞きゃしない…!!)
腰を支えていたはずの手がジャケットをズラす。ジャケットの下に何も身につけていないフェンリッヒは、すぐさま肌が見える。
「服の上から牙を立てることはなさそうで有難いな、この服は」
「そういう意味で着てるんじゃっ…!」
「そう暴れるなと言っている」
「人の話聞かないクセによく言えるな!?」
依然もがくフェンリッヒに痺れを切らしたか、ヴァルバトーゼは正面に向き合ってから押し倒した。
この間僅か数秒。反応しきれなかったフェンリッヒは、見事に押さえつけられてしまった。
「ふむ、これなら良いか」
「ちょ、待てって…っ」
「もう遅い」
開いた口が、牙が、フェンリッヒの肩口に刺さる。
当たり前にそんな痛みなど感じたことがなく、どう痛いと言っていいかわからなかった。
「…ッ、!」
「息をしろ、フェンリッヒ」
「い、たい…っ!」
血が流れる。
吸い出される血を埋めようと、身体中を血液が巡っていく。そこから生み出される感覚は、戦闘で血を流した時のものとはまた別だった。
「く…ぅ、っ」
「…地面に爪を立てるな」
両手がそれぞれ取られ、手を繋がれる。
絡めた指がやけに鮮明な感覚を伝えてきた。
「力ならこっちに入れろ」
「もう、吸うな…っ!」
「そう言うな。もう少しだけ味あわせろ」
手を握られ、グローブがギリギリと音を立てた。
痛い。
そのありったけの文句を手に込めても暴君はビクともしなかった。
ガリ、ともっと深く牙が入った。
「ヴァル、バ…トーゼ…っ」
「…そのような声で呼ぶな」
もっと酷くしたくなる、とゾッとするほど妖艶にヴァルバトーゼが微笑む。
やめろと言っているのに、何を勘違いして捉えているのか。
放された片手が今度は腰を押さえた。自由になった片手でヴァルバトーゼの肩を押しても動きもしない。
(…も、無理だ…っ)
目の前が霞む。息が上手く出来ない。心臓がうるさい。
呼吸が少し浅くなった頃、何かが身体から抜けていく感覚。
目の前に、自分を苦しめていた顔があった。
「…生きてるか?」
「……殺さない、ってんなら…もっと、加減…しろ、よ」
「すまんな。…お前の血は甘い。実に甘美だ。だから止め時を見失ってしまった」
地面に横たわりながら浅い息を繰り返すフェンリッヒに、ヴァルバトーゼはそう言った。
「冷徹に見えながら、優しい男である、お前のような味だ」
「…バカ、じゃないのか」
アンタを殺すために一緒にいるのに、とフェンリッヒは心の中で悪態をついた。
「バカとはまた手痛いな。…だが、確かに無理をさせたようだ」
「っ!?」
ぐい、とフェンリッヒの身体が持ち上がる。
横抱きにされて運ばれているらしい。
「ふ、ふざけるな!下ろせ、歩ける!」
「そう遠慮するな」
「嫌がってるんだよ!!わかれ!!」
やはり力では敵わない。
下ろす気がないとわかったら、フェンリッヒは抵抗を辞めた。
「…血を失って、少し眠いであろう。原因は俺だからな、その間守ってやる。少し眠れ」
「……守れなかったら、オレが今度は噛み付いてやるからな」
「フフ、それも悪くない。だが仲間を守ることが先だ。安心しろ、必ず守る。約束しよう」
その言葉にやたら安心感を覚え、フェンリッヒは意識を手放した。
静かになった彼を人目につかない場所に運んで下ろし、寝かせた隣にヴァルバトーゼが座り込む。
顔にかかった髪の毛をさらりと横へズラす。
「……お前があのような顔が出来るとは、驚いたぞ」
涙を浮かべ、堪えるような、懇願するような、いつもの仏頂面とは似ても似つかぬ表情。
その顔と声に動揺してやり過ぎた自覚はあった。
思いつきでやることではなかったな、とヴァルバトーゼはひとり頷いた。
横を見ると、少し険しい顔で寝息を立てる男がひとり。
その頬に手を添えて、見る。
「…あのような姿を見せるのは俺の前だけにしておいてくれ」
─いや、やっぱりあんな姿を何度も見せられたら保たんな。
暴君はそう言って笑う。
そこに流れているのは、魔界とは思えぬくらいに、穏やかで優しい時間だった。