ちょっと向こうで話そう、とダンテがファウストを連れて囚人たちから離れていくのを、イサンは視線で追いかけた。彼らの頷きや手の流れ、わずかな動きを見つめていても、何を話しているかまではわからない。おおかた業務に関わることなのだろうが、そうではないかもしれない。それもわからない。以前までは淡々とした態度で接していたファウストも、最近は他の囚人と同じく、ダンテに対する態度がやわらかくなった。仕事の話の合間に、個人的な話題で談笑している可能性もなくはない。
ずっと見ていると、だんだんとみぞおちの辺りが疼くように気分が悪くなって、イサンは目を逸らした。肺に石を詰められたように体が重苦しく、息が深く吸えない。はあ、と浅い吐息を吐き出しながら、イサンは近くの壁に凭れ掛かった。頭を傾けると、髪が乱れて頬にかかる。
近頃は時折、こんな風にして苦しさを感じることがある。以前LC本社で検査を受けたとき、気になる数値もなかったから、病気ではないはずだ。ではなぜ、と自問してみても、原因に心当たりはなかった。
ただ、今のようにダンテが誰かと話しているとき、発作のように苦しさが襲ってくることがある。まれにダンテと話しているときにも。剣契のイサンは昔から力を貸してくれて頼りにしているのだと、どこか誇らしげな声音で打ち明けられたときも喉が塞ぐような心地がした。
〈――イサン?〉
不意に声をかけられ、はっと伏せていた顔を上げた。いつの間にかファウストとの相談を終えたらしく、ダンテがイサンの顔を覗き込んでいる。
〈どうかした? 顔色が悪いけど……〉
「あ、いや、私は……」
安穏なり、と続けようとして、胸に詰まった石が邪魔をした。出かかった言葉を飲み込み、小さく頷く。
「……さり。胸が重く、僅かばかり息苦し」
〈本当? さっきの戦闘で怪我しちゃったのかな……〉
「ダ、ダンテ」
ダンテの声に困惑と心配が入り混じる。彼の手がイサンの胸元へ、首筋へと伸びてきて、思わず驚きで肩が跳ねた。ダンテの手はそのまま怪我の有無を確かめるようにイサンの腕や腹を撫でていく。イサンが自分から不調を申告することはめったにないせいか、手つきがいやに真剣だ。そこまでしなくともよい、と体を引けば、少しじっとしていて、と子どもを諭すような調子で窘められた。
〈血は……出てないみたいだけど。見た目にはわからない部分が傷ついてるのかもしれないな。一応時計は回しておくね〉
「う、うむ……」
ダンテがイサンの手を握り、どこか遠くを見るように黙り込む。冷えた指先にダンテの体温が染みこんでいく。今は自分だけを気にかけていてくれるのだと思うと、指先だけでなく体の中心に温かさが灯り、胸を塞いでいた強張りが溶けていくようだった。かすかにダンテの手を握り返すと、呼吸が軽くなるのを感じる。自然と口端が笑みのかたちにほどけた。
〈ん……。うん?〉
時計を回し終わったのか、ダンテがふたたびイサンの方に顔を向け、それから首を傾げる。
〈どこも、痛みは感じなかったけれど……〉
「否。そなたの助けで心地軽くなりき。感謝せり、ダンテ。かたじけなし」
〈そうなの? まあ、気休めになったのなら良かった〉
気分が悪くなったらまた必ず言うように、とイサンに言い置いて、ダンテは囚人たちのほうへと戻っていく。
気休めなどではなく、ダンテに触れられて実際楽になったのだ。怪我でも病気でもないのになぜ、と問われても。うまく説明できないのだが。イサンはどこか不思議な心地を抱えたまま、ダンテのぬくもりが残る指先を握りこみ、惜しむようにそっと撫でた。