夜を共に大きな館の縁側で、今日の稽古を終えた小さな鬼切が、ふかふかの赤雪犬を抱きしめながら、心の中で思い巡らせていた。
海国との戦いで折れた刀身が再鋳造されてから数週間経った。鋳造当初の鬼切の調子は不安定で波があったが、今ではだいぶ安定し、鍛錬も昔のようなペースで行えるようになってきていた。
源氏に忠誠を誓っていたあの頃と変わらず、源頼光は自分をこの屋敷に置いてくれている。ここでは襲ってくる妖怪たちを眠気を堪えながら警戒する必要もないし、雨や寒さに、飢えや乾きに困ることもない。
しかし、以前と異なるのは、頼光が自分に仕事を頼まないという点だ。自分はもはや頼光の部下ではないので、当然ではある。
折れたせいで身体が子供のように小さくなってしまったが、鬼切は子供ではない。衣食住分くらいは、源氏の抱えている仕事を手伝ってやるべきだろうという思いで、最近、鬼切の心は落ち着かない。
鬼切は決断し、行動することにした。
「……というわけで、おれに仕事をくれ、源頼光。」
さて鬼切は館の主人である源頼光の部屋にやってきた。そしていつものように姿勢正しく座って、さきほど自分が考えたことを全て話した。
頼光は何やら書物に没頭し、目を離さない。いつも忙しい彼が今何に取り組んでいるのか、鬼切は知らない。
少し間があって、頼光が口を開く。
「……お前の希望は承知した。しかし、まだお前に何かを任せるつもりはない」
「何故だ?」
鬼切は噛みつくように言葉を返し、頼光は手を止めて鬼切を一瞥した。
「早く仕事がしたいなら、修行に励み、一日もはやく以前の力を取り戻すことだ」
そう言って頼光は再び書物を始める。
「……」
無言の鬼切は納得できなかった。
「不満か?」
「当然だ。」
光は筆を置き、鬼切の真っ直ぐな目をじっと見つめた。
「……わかった。
そうまで言うなら今日から夜間、私の部屋で護衛をせよ。
それが最初の仕事だ。
いいな?鬼切」
頼光のその言葉を聞き、鬼切は自信に満ち溢れた表情を見せた。
「承知した!」
不寝番は鬼切にとって馴染みのある仕事の一つだ。人間たちとは異なり、鬼切は夜でもよく物が見える。
睡眠も人間ほどには不要だ。
身体が小さくなっても以前と同様に仕事をこなせると、この男に証明できるだろう。
そして夜になった。
ささやかな明かりで書物を読む頼光の傍らで、小さな鬼切は座りながら、うつらうつらと舟を漕いでいた。
「う…」
昼間あれほど張り切っていたのに、今は眠くて仕方がない。鬼切は必死に目を開けようとしたが、今にも睡魔に負けそうだ。
「…鬼切、眠いなら寝ていい」
頼光が声をかけるとはっと頭を上げ、必死に起きようとするが、すぐに瞼がくっついていく。
「ねむくなど……な……」
もごもごと呟きながら、やがて完全に目が閉じる。
「………」
頼光は筆を置き、立ち上がった。
すっかり眠ってしまった鬼切を抱き上げ、奥にある寝室へと運ぶ。敷物の上に身体を下ろすと、鬼切はすうすうと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
頼光はその、幼くなってしまった顔をしばらく見つめていた。
明かりを消し、眠る鬼切の隣に横になり、自分も眠ることに決めた。
早朝、鬼切は目を覚ました。
すぐ横に頼光の気配があることにまず驚き、そして不寝番を言いつけられたはずなのに、自分がいつの間にか完全に眠ってしまったことに気がついた。
顔を青くして飛び起きると、隣で源頼光が目を覚ましたところだ。
「……、鬼切?」
寝起きの低い声で頼光は声をかける。
「頼光、おれは……!」
「……まだ暗い、もう少し休め」
頼光は言葉を遮り、手探りで座る鬼切の服をひっ掴み、掛け布の中に引きずり込む。そのまま抱き枕のようにしっかり抱え込んで再び目を閉じた。
「頼光…!」
鬼切は暴れたが、頼光の腕からは逃れられない。
「騒ぐな」
「う、ぐ……」
一喝され、鬼切は黙るしかなかった。
結局鬼切もそのまま二度寝してしまった。
翌日もその次の日も、鬼切の不寝番は続いた。
しかし毎晩、どれほど頑張っても、彼は頼光が寝るまで起きていられないのだ。その度に頼光は彼を抱いて寝室へ運び込み、朝まで一緒に眠る。
結局、鬼切は「子供ではない」と自負していたが、身体はどうしても子供だったと気づいた。
朝早く目が覚め、日中は無尽の体力で動き回り、ご飯はとても美味しくいくらでも空腹を感じ、夜になるとスイッチが切れるかのような眠気が押し寄せてきた。
昨夜は、今日こそ絶対に眠らないつもりで素手で刀身を握ろうとしたが、頼光に刀を取り上げられてしまった。
そして今、万策尽きた様子の鬼切が、ついに申し出をする。
「源頼光、今のおれに不寝番はできないようだ……」
「ああ、そのようだな」
重々しく伝えた鬼切に対して、頼光からはあっさりと同意が返ってきた。鬼切はその様子を見て、とても落ち込んだ。今の状態では、たしかに単独でなにか仕事をこなすことは難しいと実感せざるをえない。
「おれは……」
「ただ、役には立っている」
「……なに?」
予想外の言葉に鬼切は呆気に取られ、そして眉をひそめた。
「源頼光、いい加減なことを言うのはよせ」
頼光はふっと笑みを浮かべた
「嘘ではない。お前を抱いているとよく眠れる」
「……………」
思いがけない回答が重ねられ、鬼切は考える。
確かに、いつも朝起きると、頼光は鬼切を抱え込んでいる。
「まだ外は寒いが、お前は暖かい」
「そうか……?」
「ほどほどに小さく邪魔にならず」
「む…」
「最近はよく眠れた」
「……それは……良かったが……」
鬼切も頼光が言っていることはわかる気がした。
ふわふわで暖かな赤雪犬を抱えて眠ると心地よく感じる。でも、それでいいのか?
思っていた成果が上手く出せずに落ち込んだが、頼光の役に立てる形で貢献できているなら、目標は達成されたと言えるのかもしれない。
考え込む鬼切を見つめ、頼光はふと真面目な顔をした。
「しかしお前が夜起きていられないのは事実だ。眠りを必要としている身体ならば、眠るべきだな。」
鬼切は真剣な表情で頷き、頼光の指摘を受け入れた。
「ゆえに今夜からは、お前は規則正しく、時間になったら私の寝室で寝ているように。それを仕事としよう。回復すれば、不寝番もいずれできるだろう」
「……承知した」
話し終わった頼光は席を立ち、去っていった。
鬼切は取り残され、今後のことを考えた。
希望とは違う形になったが、少なくとも穀潰しの扱いは避けられたようだ。
こうして鬼切は、夜になると頼光の部屋で共に眠ることになり、帰ってきた鬼切の、最初の仕事は頼光の抱きまくらと決まったのだった。
赤雪犬は、夜部屋に鬼切がいないことを寂しがって鬼切から離れなくなったため、ついに彼らは3人川の字で眠るようになったようだ。
朝晩頼光の寝室を出入りするようになった鬼切は、自然と昔のように寝食の世話をも担当しはじめた。
回復とともに少しずつできる仕事を増やしていくことで、焦ること無く鬼切は自信を取り戻し、いずれ不寝番へも戻れるだろう。
頼光の寝食を忘れた作業への没頭も落ち着きをみせたことで、気難しい源氏の長の世話から開放された家来たちも喜んだという。