大地獣とハネムーンを「相乗りしても構いませんか」
穹がオンパロス、ひいてはオクヘイマへ来てからの日々の中で、大地獣に誰かと一緒に乗るのは然程珍しいことではなかった。
それでも思わず目を丸くしてしまったのは、声を掛けてきた人物があまりに予想外だったからだ。
理性の火種を巡る事件を切っ掛けに出会った黄金裔、穹もよく知るファイノンやキャストリスの恩師、アナクサゴラス…または、アナイクス。
彼について穹が知っていることはあまりに少なく、きっとそれは逆もしかりだ。
不本意そうではあったが、彼もこれからはこのオクヘイマに身を置くはず。
そうなるとまた肩を並べて敵に向かう機会もあるだろうし、その時に互いをよく知らないというのは戦いに支障をきたす可能性がある。
おそらくこの相乗り提案には、そうならないように相互理解を深めようという意図があるのだろう。
少なくとも、穹はそう解釈していた。
暗黒の潮に脅かされる外とは裏腹に穏やかな時間が流れる聖都をゆっくりと進む大地獣。
その大きな背に乗せてもらいながら、穹とアナイクスは…特に会話をすることもなく、景色を眺めていた。
ケファレの恩寵と黄金裔の努力のもと、光に満ちた平穏を享受するオクヘイマ。
穹は、大地獣の背からこうして景色をぼんやりと眺めるのが好きだ。
疲れていても、腹の立つことがあっても…悲しい別れを経験しても、ゆらゆらと揺られているうちに、それらを少しだけ忘れられるから。
アナイクスもそうなのだろうか、と隣を見る。
景色を、人を、大地獣を見つめるその隻眼は、ひどく優しい。
初めて見る表情に、何故だか惹かれる。
キャストリスたちが彼を慕うのは、こういう表情も知っているからなのかもしれない。
「…私の顔に何かついていますか」
あまりに熱烈な視線を送ってしまっていたのか、アナイクスが穹の方を向く。
無表情ではあるものの、その瞳と声には先程までの温もりが少し残っている気がして、心臓がとくりと不思議な音を立てた。
あんたにみとれてた、と素直に伝えるのはなんだか恥ずかしくて、ごまかし笑いをしながら話題を逸らそうと周囲を見渡す。
すると、進んでいる道の少し先の方でわぁっと人の歓声のようなものが聞こえた。
同時に二人の乗る大地獣も足を止め、何事かと目を凝らすと、別の大地獣が人を二人乗せて歩み始めるところだった。
その周囲で色々な人が籠いっぱいの花を持っては空へ放り投げ、花の雨を降らせている。
「あれはハネムーンの真似事です」
え、とアナイクスの方を見ると、彼は僅かに憂いをおびた表情で前を進む大地獣を、その背に乗る二人を見ていた。
あの二人はおそらく新婚夫婦で、本来ならばハネムーンで外遊の旅に行く筈だったのだろう。
だが今のオンパロスにおいて、平和な場所など極々限られている。
その状態でハネムーンなぞ行ける訳もなく、そのうちオクヘイマの民はああして大地獣に乗りオクヘイマをぐるりと回ることをハネムーンの代替行為とした。
聖都の外へは行けない代わりに、知らない人からも沢山の祝福を受けて幸福に浸る。
むなしさと恐怖を、優しさとぬくもりで覆い隠したハネムーン。
そう説明するアナイクスの横で、穹は一つの考えに囚われていた。
「…俺たちも今、大地獣に乗ってぐるりと回ってるけど、これもハネムーン?」
これまでも大地獣に乗る時、人と相乗りをしたことはある。
今のこれがハネムーンなら今までのそれもハネムーンとなってしまうのだが、その事に思い至る前にぽろりと口に出してしまった。
それを聞いたアナイクスは呆れるかと思っていたが───彼は穹の予想に反して、クッと笑いを溢した。
「あ、待って忘れてくれ何も言うな」
「ハネムーンの終わりには共にピュエロスへ、そしてその後は床を共にするものですよ。…そうしますか?」
する、と彼の手のひらが穹の頬を撫でる。
あの大きな銃を扱っているせいか、想像していたよりも男らしい手だった。
思わぬ言葉にカァ、と頬を染めた穹に目を細めたアナイクスだったが、次の瞬間にはスッと表情を無くし穹の頬から手を引く。
「冗談です。あの女の糸がそこら中に張られている上に、"ココ"には理性の火種も在る。こんな状況で睦み合うなんて、考えただけでゾッとする」
ドッ、ドッ、とうるさい心臓を深呼吸で落ち着けつつ、火照った頬に自分の手のひらを当てて冷ます。
こういう事言えるタイプなんだ、と信じられない気持ちでいると、ふと気になったことがあった。
「…もし、こんな状況じゃなかったら?」
穹の呟きに、アナイクスはゆるりと微笑む。
せっかく落ち着いた心臓が、またばくんと大きく跳ねた。