きれいに、きれいに星穹列車の自室で眠っていた穹は、水の流れる音で目を覚ました。
バスルームから聴こえる水音に、もしや止め忘れて寝てしまったかと考えながら穹は潰れそうな目を擦る。
水を出しっぱなしで寝たなんて、パムに知られたらどれだけ叱られるか。
バレる前に止めようとベッドから立ち上がりバスルームのドアの前に立った辺りで、その水音がただ水が流れているだけの音ではない事に気が付く。
ばしゃばしゃと水が跳ねる音。…誰かが、何か洗っている?
ここは星穹列車の中、流石に不法侵入者の可能性は低いと思いつつも慎重にドアを開けると、予想外の人物がそこに居た。
「…モゼ?」
穹に背を向ける形で洗面台に向かい、手を洗っているモゼ。
目に映ったのが見知った背中であることに安堵と疑問を抱きながら声を掛ける。
すると、彼はゆっくりと穹の方へ振り向いた。
…酷く疲れたような表情で。
「穹」
力無くぽつりと呟くように名前を呼ばれ、どうしたのかと近付いていく。
彼がこの部屋に来る度、まず手洗いをするのはいつものこと。
けれど今日は随分と様子がおかしい、そう思って洗面台を覗き込むと、グローブの外された彼の手が流れ続ける水の中で真っ赤になっているのが見えた。
血で汚れている、とかそういう訳ではない。
肌そのものが赤い。洗い過ぎだ。
「っバカ、何してるんだ!早くタオルを」
「待ってくれ、まだ」
「は!?まだ洗うつもりなのか!?」
「まだ、汚れている気が、して」
『これではお前に触れられない』
いつになく、弱々しい声だった。
一先ず水を止めてタオルでモゼの手を包みながら、いったいどうしたのかと尋ねてみる。
彼は少し言いよどみつつも、とある"仕事"の帰りに突然穹に会いたくなって列車へ来たのだと教えてくれた。
それは別に特段変わったものではなく、いつも通りのやり慣れた仕事のはずだった。
けれど車掌の許可を得て穹の部屋へ入り、穹の寝顔を見て、触れようとした途端────自分の手が、どうしようもなく汚れて見えたのだと。
だから手を洗ってから触れようとして、でもどれだけ洗っても汚れが取れた気がしなくて。
そうして手が赤くなるまで、穹が起きてしまうまで洗い続けて。
…きっと、モゼは疲れているのだろう。
彼自身に自覚はなくとも、心が疲れている。
暗い瞳で自分の手を見つめる、その姿が痛々しい。
痛々しくて、哀しくて…全くこちらを見ないことに、少し腹が立つ。
「…穹?」
タオルに包んでいたモゼの手を取り、彼の右手の人差し指を口に含む。
冷たい指先を温めるように舌を這わせ、ちゅうと吸い付く。
彼の指をねっとりと舐めながらそろりと見上げてみると、明らかに動揺した様子のモゼが僅かに頬を染め穹を見ていた。
よかった、と内心でホッと息をつく。
彼の意識がこちらへ向くように、なんならちょっとえっちな気分にでもなって心労を少しでも忘れてくれればいいと少々いやらしく舐めた甲斐があったというもの。
「…ほら、これで綺麗になったんじゃないか?それとも、俺も汚い?」
モゼの指から口を離し、上目遣いにそう問うてみる。
こく、と彼の喉が動くのが分かった。
「…そうか。こうすればよかったのか」
声色の変わったモゼが、穹の唇を指先で擦る。
そして穹が舐めたのとは別の指で穹の唇を割って、するりと歯を撫でた。
開けてくれ、と言うかのように。
「他の指も頼む」
突然の言葉にえ、と驚き少し開けてしまった口の中へ強引に指がねじ込まれた。
押し入ってきた時の強引さとは裏腹に、モゼの指は穹の舌をそれはもう優しく優しく擦り撫でる。
ただそれだけのことなのに、穹の身体を不思議な快感が走った。
指が動く度に口の中からくちゅくちゅと音がして、蕩けた瞳で見つめ合い、互いに熱い吐息を漏らす。
もう、先程までの重い空気は綺麗に消え去っていた。
「(なんか変な扉、開いちゃったかも…ま、モゼが元気になるならいっかぁ)」