花火を見にいく仙越の話 もうすぐ目的の駅に到着する。隣の彦一に生返事で答えながら、座席に沿って立ち並んだ数人奥を見る。アイツはこちらを気にする事なく、福田と話していた。
この中でどう切り出せばいいのか。そもそも忘れてないだろうか?
そうこうしているうちに停車のアナウンスも終わり、外の景色の流れがゆっくりになっていく。吊り革を握った手の内側には汗が滲んでいた。
「俺と越野、今日はここで降りるから」
仙道がこちらまで聞こえる声で、皆に伝えるように言った。
真正面から切り出されてギョッとする俺の顔を、「そうなのか?」という面持ちで近くの部員達が覗いてくる。答えあぐねていると、ドア寄りにいる俺のところまで来た仙道にポンと肩に手を置かれた。
「あ、あぁ」
反射的に同意の声が出る。
「じゃ、お疲れ」
片手を上げて列車を降りる仙道に連なり、俺も「お疲れ」と残る部員達に挨拶する。
「お疲れっしたー!」
体育会系特有の腹から出す声は、ホームにまで響いていた。
「何であんな言い方すんだよ」
まとわりつくような外の蒸し暑さを無視して、一歩前を歩く仙道の隣に駆け足で寄る。
「ん?」
「降りるの。わざわざ二人で降りるって、皆に言わなくたっていいだろ」
「言わなくたって後から分かるだろ?」
「だからって――」
わざわざ知らせる必要はないだろう。
降りる瞬間の皆の、妙に察した顔付きを思い出して居心地の悪さがぶり返す。付き合い始めて早々に仙道が宣言したものだから、部員はみんな俺達の関係を知っているのだ。この後のことを明日聞かれるのは確実だ。今から気が重い。
そもそも、学校を出る段階で他の部員と別れておけば良かったのだ。仙道も部誌が書き終わらないなら待たせなければ良かったのだ。
今更後悔したって遅いのは分かっているが、隣のデカい図体を睨め付けずにはいられない。
「ははは、ごめんな」
視線に気付いた仙道が絶対に反省していない謝罪をしてきたから、ムカついて横っ腹にグーを入れる。「痛っ」と体をくの字にする姿がちょっと面白くて、口元が緩んでしまった。
ちょっとだけ列ができていた改札を並んで出る。
「……おー!」
オレンジ色に照らされた街並みに、二人とも自然と感嘆の声が漏れた。
提灯の並んだロータリーには浴衣の人も多く、道の先には出店が並んでいる。通りにある店も外で売り出ししているようだ。あまり降りたことのない駅だが、普段より賑わっているということは分かった。こじんまりとしているが、立派な花火大会の会場だった。
「確か高台の方には見る場所があるんだよな?」
「そう書いてあった」
期末テスト終わりに読んだ雑誌を思い出しながら辺りを見渡すと、人波が坂道の上へと流れていくのが見えた。
「じゃあそっち行こうか」
「待て」
じっと周りの出店達を見やる。焼きそば、焼きとうもろこし、イカ焼き、じゃがバター、フランクフルト――どれも風に乗っていい匂いを漂わせている。特に焼けるソースや醤油の匂いは部活終わりの腹には拷問だ。仙道に視線を戻すと、奴も険しい顔で立ち並ぶ店を見ていた。そしてどちらともなく歯を見せて笑い合う。
「俺も。めちゃくちゃ腹減った」
「俺焼きそば食いたい」
「じゃあ、俺はたこ焼きにしよっかな」
目的地に向かう道すがら、まずは先に見つけた焼きそばを買い、その数店先にあったたこ焼きの屋台で仙道の買い物を見守る。仙道が財布をしまう間に預かったたこ焼きは出来たてで、上手いこと縁を掴んでいないとやけどしそうだった。荷物をしまい終わったのを確認して歩き始めようとすると、
「越野」
仙道の大きな手によって、勢いよく腰を引き寄せられた。塞がったままの手では反応することもできず、そのまま仙道の胸板に顔を埋める。
「ギャハハハハ!」
頭の後ろで発せられた品のない笑い声に顔だけで振り向くと、ビール缶を片手に、既に出来上がった大学生らしき集団の一人がすぐそこでふらついていた。この酔っぱらいとぶつかりそうになっていたということはすぐに察せられた。
「大丈夫?」
「おぉ、サンキュー」
「ったく、危ねーな」
こちらには目もくれず離れていく騒がしい集団を見張りながら仙道が呟く。いつも穏やかなコイツの目が珍しく睨むように細められていて、胸がドキリとした。
その鼓動がピタリとくっつく仙道の胸板から跳ね返ってきたことで、自分がまだ仙道の腕の中にいることに気付く。
「……仙道」
食べ物で塞がった両手は使えないため、小手で体に回された二の腕を叩く。
「あぁ。悪い悪い」
仙道は今気が付いた様でパッと手を離した。
「持たせて悪かったな」
特段気にする様子もなく、にこやかにたこ焼きを引き取って「行こうぜ」と歩き始める。
その涼やかな流れに、一人だけ体温の上がった俺は半歩遅れを取って隣に急いだ。
坂道を登り切ると、開けた場所に辿り着いた。隅に数えるほどの遊具があるため、普段は公園なのだろう。今は中央に櫓が組まれ、木々には提灯が吊るされている。独特な橙色の光は夕暮れの紫色の空によく映えていた。
敷地の周りを囲う石垣に二人分のスペースを見つけて腰をかける。時計を確認すると、打ち上げ始めるまであと数分だった。
「始まる前に食っちまおうぜ」
待ちきれないとばかりに焼きそばのパックに掛けられた輪ゴムを取ると、歩いている間も胃袋を刺激し続けた香りが一気に広がる。多めに掴んだ麺を啜るとムラのある濃い目のソースが体に沁みた。
「なぁ、たこ焼き一個くれよ」
「いいぜ」
隣でたこ焼きを一口で放り込んだ仙道は口をモゴモゴさせながら頷いた。口の中の物を飲み込んでから、使っていた爪楊枝をかつお節が踊るたこ焼きに突き刺し、
「はい、あーん」
満面の笑みで俺の口元まで運ぶ。
「……やめろよ。自分で食う」
顔を逸らして避けると、仙道は「えー」と笑顔を残しながらも残念そうな顔をしていた。少しだけ良心が痛んだが、手のひらを宙で数回下ろして拒否を伝えると、たこ焼きは渋々パックに戻された。
刺さったままの爪楊枝で、俺も一口で食べる。程よく冷めたたこ焼きはトロリと口の中に広がった。頬張りながら、代わりに自分の焼きそばをパックごと仙道に突き出す。
「サンキュー」
先程の断りを気にする様子のない仙道は素直に受け取った。
「ん、こっちも美味いな」
「そりゃそうだ」
ありきたりな感想を述べるいつも通りの仙道を、俺はただ横目で見ていた。
焼きそばはすぐに腹の中に消えた。物足りなさを感じながらも水筒で喉を潤し、呼吸を整えてから尋ねる。
「……さっきから何なんだよ」
「何が?」
仙道は最後のたこ焼きを口に放り込みながら振り向いた。
「……たこ焼き食べさせようとしたりさ。ぶつかりそうになった時もあんな、だ、抱き寄せる、みたいにする必要あったか?」
改めて口にすると恥ずかしい。しかし話を始めてしまったのなら最後まで行くしかない。気付けば踵が小刻みに揺れていた。
「お前と付き合ってるからって、別に俺、オカマとかじゃねーから。あんまオンナ扱いみたいなことすんなよ」
嫌なのは事実だけど、勢いで思ってもないことまで口走ってしまった気がする。
コイツに怒るなんて日常茶飯事なのに。どうしてか今は気まずくて仙道の方は見れず、鼻息荒く太腿に肘を突いて手に顎を乗せた。無言の一瞬が長く感じられた。
「嫌だった? ごめんな」
発せられた言葉に振り向くと、仙道は困ったように笑っていた。それはいつも部活で俺が怒った時にしてくる謝り方と変わらなくて、変わらないことにムカついた。俺の眉間の皺に気付くことなく、仙道は指で頬を掻きながら続けた。
「俺はただ、越野のことを大事にしてるつもりだったんだけど」
「……は?」
「だって俺、越野のこと好きだもん。好きだから優しくしたり、特別扱いしたいってのは当たり前だろ?」
「なっ!」
一気に顔が熱くなった。太い眉を下げて柔らかく細められた瞳を向けられて、さらに心臓が締め付けられる。仙道らしからぬ直球をぶつけられてちょっと嬉しいとか思ってしまった自分が悔しい。負けるな、気を許すな。緩みそうになる顔に力を入れて見返す。
「うーん……」
眉を下げたまま何故か笑顔が曇っていく仙道は左上に視線を逸らし、唇を尖らせて呟いた。
「……嘘」
「は!?」
思わず前のめりになる。どういう意味だよ! 俺の気持ち返せよ! 仙道は俺の爆発しそうな焦りをものともせず、恥ずかしげに続けた。
「ちょっと、越野に好かれたくてやってたところある。下心ってやつ?」
あんぐりと口を開けた俺の声にならない最大級の疑問符と、花火が打ち上がるのはほぼ同時だった。
ヒュー……、パァン!
夜空にひとつ、またひとつと花火が打ち上がる。色とりどりな光は深紫の空を彩り、ハラハラと散っていくところまで綺麗だった。気付けば俺達は無言で空を見上げていた。
「玉屋ー!」
打ち上がる度に上がる老若男女の歓声が会場を盛り上げる。火薬の弾ける音はビリビリと体を振るわせ、その迫力を物語る。次々と打ち上がる花火に、会場の人間は皆すっかり惹きつけられていた。
だけど、俺の頭の中は先程の仙道の言葉でいっぱいだった。
『好かれたくてやってた』
そういうのって、普通本人に言うもんじゃねーだろ。つーかもう好かれてるじゃねーか。確かに俺からそういうことを言った記憶はないけど、付き合ってるんだからそれでもう好きってことにならねーの? だって俺は分かってる、つもりだし。じゃあ何だ? 俺の好きって伝わってねーってこと? こうやってデートに来てるのに? あと別にあーんで好感度は上がらなくね?
取り止めのない考えが芋づる式に浮かんで、頭を埋め尽くす。視線は空に向かっているが、何も見えちゃいない。暑いからじゃない、変な汗が額に滲んでいた。
「…………」
隣に視線をやると、仙道は口を開けて「おー」と上を眺めていた。その呑気さにムカつくけれど、花火の光に照らされる、鼻筋の通った横顔は綺麗だった。
何か、俺だけ意識してるみたいだ。
一人で勝手に怒って、慌てて、落ち込んで。情けない。火薬の音にかき消えたため息は、誰の耳にも届いてないだろう。
「…………」
いつまでも見ていたって仕方ないので視線を空に戻すと、ちょうどスターマインが始まったところだった。小玉の花火が連続して打ち上がり、音も空も派手さが増してきた。さっきよりは落ち着いたからだろうか、素直に楽しめていると思えた。
何十もの花火が一秒の間にも色を変えて、夜空を彩っていく。フィナーレに向けて盛り上がっていく様に目が離せないでいたら、石垣に置いていた手が熱くて柔らかいものに握られた。
「!」
びっくりして見ると、自分より大きな手が重ねられている。手の主に視線を持っていくと、ひっそりと笑みを浮かべた仙道がこちらを見ていた。
「……ここ外だぞ」
「大丈夫。皆花火見てる」
そう言いながら指と指を絡ませてくる。周りの視線が気になるならすぐに振り払えば良かったのだ。だけどできなくて、されるがまま指の隙間に通された指で手のひらを握られる。仙道は体ごとこちらに向き直し、さらに一歩、距離を縮めた。膝と膝がくっついても、肩と肩がくっついても、俺は身を強張らせるだけで動くことはなかった。
「……やめろ」
勢いを増していく花火の音でかき消えそうな声だったが、仙道は聞き逃さなかった。
「どうして?」
口元に笑みを浮かべた仙道の顔の片側だけを花火が照らしている。彫りの深い端正な顔が際立っていた。美しい顔はさらに距離を詰めて、形の良い唇を開いた。
「ここで花火以外を見てるようなヤツは、俺とお前くらいさ」
――バレてた。
長い下まつ毛に飾られた瞳が意味深に細められたことで確信する。顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
「なぁ、越野」
そう囁く仙道の顔を俺は知っていた。
初めて見たのは仙道の家。そのあとにも何度か。俺を求めて熱を帯びた瞳にはまだ慣れないけれど嫌じゃない。意識したら仙道と触れているところが余計に熱く感じてきた。
それでも今までは二人きりの時に、だったから。戸惑って少しだけ視線をずらす。仙道の肩越しに見えた人混みは揃って空を見上げていた。
――俺達だけが俺達を見ている。
俺が唾を飲み込んだのを合図に、仙道は繋いでいない方の手で俺の肩を抱いた。大きな背中が俺のことを隠すように覆い被さる。
目を閉じる瞬間、視界の端にクライマックスを飾る金色の大玉花火が見えた。
だから誰も見ちゃいない。二人だけのキスだった。
「こんな近くで見るの子供の頃以来だったけど、凄かったな」
「あぁ、凄かった」
「小さい花火大会って書いてあったけど全然そんなことなかったや」
点字ブロックのすぐ手前で帰りの電車を待ちながら、たわいのない感想を繰り広げる。ぼうと向かいのホームを見ると、あちらも随分な混みようだった。
ようやく到着した車両に乗り込むが、後ろから傾れるように押し込まれるので、急いで奥のドア横の良いポジションを狙う。身動きが取れなくなる前にドアを背に寄りかかると、仙道は向き合うように位置取った。
「すっげー混みよう」
「……な」
仙道のすぐ後ろには二つほど頭のてっぺんが覗いている。鮨詰め状態で走り出したこの電車の中でありながら、俺と仙道の胸の間には余裕があった。
俺は顔の横に置かれた、力の入った仙道の前腕を見る。
「…………」
これも『特別扱い』ってやつなのだろうか。それも、下心込みの。
視線を戻すと、当の本人と目が合う。
「大丈夫?」
「……平気」
答えを聞いて安心したように微笑む仙道を見たら、満更でもなかった。