村の端にて※前半はXにアップ済み
※愛が重いブロマンスとBLの狭間(👁️💧風味)
※二人に夢を見過ぎている
ーー霊毛。
幽霊族がこの世にたった一本だけ遺すことのできる毛。
儂はその毛で編み上げた、霊的な護りを宿すちゃんちゃんこを水木に纏わせて、妻を連れて村から逃げるように言った。岩子が再び狂骨に囚われないように、水木が狂骨の力に屈しないように。
「なんて事を」
村の外れで蹲る二つの人影。
ひとつは妻、ひとつは友。
「水木……お主」
どうしても妻を助けたかった、妻を助けるためにこの村に来た。
だが、この村で友となったお主も、助けたかった。
それなのに。
「どうして岩子にちゃんちゃんこをかけたのだ」
膨れた岩子の腹の上にかけられた、黄と黒のちゃんちゃんこ。水木に着せたはずのちゃんちゃんこ。
その当の水木は、血糊に塗れた一張羅だけでその傍らに伏していた。
「気を失うていたからか?身重だからか?」
嗚呼!何という愚かな献身!
身重かつ囚われていたとて、岩子は栄えある幽霊族であるからして、些末な妖気や少々のちょっかいなぞ多少は耐えられるというに。
狂骨どころか、ちと様子のおかしくなった妖怪の溜まり場に踏み込んだだけで血を流して前後不覚になるような、脆弱な人間のお主のために託したちゃんちゃんこであるというに。
どうやら、己は友に値すると感じたこの男のことを安く見積もっていたようだ。
「儂は、友と呼んだお主の懐を計り切れんかったわ」
未だ目を覚まさぬ岩子を抱き寄せ、水木が慮ってくれたちゃんちゃんこをかけ直す。呼吸も安定しているし腹の様子もおかしくはない、幽霊族特有のヒヤリとした体温を確かめたところで肩の力が抜けていった。
対して傍らの水木は髪色も顔色も紙のように白く抜け落ち、赤黒く染まった一張羅の洋装がその白をより際立たせる。頬に手を寄せれば人間よりも幽霊族のように下がった体温に、再び肩に力が入っていくのを感じる。
「人間なぞ、あんなにも信用できんものだと思うていたがのう」
みんなみんな、幽霊族を狩り尽くし、使い倒し。とてもではないが心通わせるものでは、ないと思うていたのに。
種族丸ごと、信用ならぬと、思うていたのに。
妻の言っていた“もの”はこれだったのかもしれない。
妖気に当てられ満身創痍の己よりも、囚われていた妊婦を気遣い、持てる全てで護って。人間も妖怪もなく分け隔てなく慈しみを施せるその性根。
「全く天晴れな日本男児じゃあ」
友の頬を撫ぜる手を肩に移して胸元へと抱き寄せると、紫の唇から小さく喘ぎ声が漏れた。
生命の灯火がまさに立ち枯れんとしている。疾く手を打たねば、死神がすぐにでも友の魂を掠め取って行くだろう。
それだけは嫌だと、頭の、胸の、腹の奥から囂々と音が鳴り響く。
「お主は死なせたくない」
どうでもいいと思っていた人間の、今までならこれも寿命と捨て置くばかりだった人間の、その内のたった一人をこんなにも惜しいと。手放したくないと、思ってしまった。
「水木、すまんの」
友の首を体に凭れさせ上を向かせて、これから己が行おうとしている不義を詫びる。いや、こうして口に出す事で何かから赦されたいのかも知れない。
身の内から湧き出した感情は口の端に乗せて弄ぶ友情なぞとうに超えていて、どこまでも欲深く執着を生み出してしまった。
黄泉比良坂に足を踏み入れたのならば、今すぐに儂の血を与えて人間で無くせば良いではないか。
このまま人間としての生が終わるのであれば、幽霊族の眷属として儂と妻と子と、永の時を過ごしても良かろうて。どうせ六十年余の命、すでに半分使っているのだ。
言い訳じみた言葉遊びを一通り済ませて指に歯を立てれば、すぐに赤い玉が指先に現れる。この玉を友の口にいれてしまえ、そうすれば命を落とさずに済む。
「……げ、げろ」
「っ、水木!?」
まさに触れようとしていた唇から呼びかけられ、驚きの余りに思い切り顎を掴んでしまった。側から見れば、半死人の首を捥ぎろうとせん悪鬼が如き所業だろう。
だがそんな事にはとんと構わず、動かすのも怠いはずの口を動かして、よく開きもしない瞳を強く儂に向けて友は言葉を続けた。
「おくさん、ぶじか」
血の気が引いた。
また友の残酷なまでの誠実を踏み躙る真似をする愚かしさに。
儂は己の欲だけでこの男を人間でなくしてしまおうとしていたというに、友はここまで傷付いてなお、妻のことを心配している。この喫緊の状況でなお!
「……無事、じゃよ。お主のお陰だ」
「そっ、か」
ひどく震える声で答えれば、また唇が歪む。強張った顔は笑みを作ろうとして、心の底から良かったと無事を喜ぶ表情を作ろうとして、だ。
……この男を助けよう。だが、この気高き魂と人間の器そのままに。
妻の言っていた“もの”を蔑ろにしなかったと胸を張れるように。
そうと決めた途端にまた、さらに血の気が引いて喉と胸の間がぎゅうと狭まるのを感じる。一拍遅れて視界が霞み、涙が外に出んと溜まりきったことに気付いた。
「おお、ちとすまんが、大人しくしておくれ」
「何すん……っがっ!」
人間の気質が抜けてしまわないようにちゃんちゃんこを友の胸に被せ、命と性根だけは消え去らぬよう、よくよく願い奉るとご先祖様方に願いを託す。
一時にこんなにも頼るなど、情けない末子と嘲笑ってくれて構わない。とにかく一縷の望みを託して、血が触れないように友の口に指を捻じ入れる。
「わしにもたすけさせてくれ」
頼む、効いてくれ。
力無く不格好に開いた口の中へ、儂の頬を滑る涙の粒が一滴二滴と落ちたのを確認し、捩じ込んだ指を引き抜いた。何が起こったのか分からない様子の友は先程より僅かに目を見開いている。
すぐに不具合が出ない様子に、ひと息ついて友から顔を背ける。これ以上涙が入らないよう、そして今し方してしまった愚昧な行動への居心地の悪さに耐え切れなかったからだ。
血を与えずに友が助かるかは正直賭けだった。最悪、先程の実験に使われた人間のようにならないとも限らない。
どうか友よ、この愚か者の儂を罵ってくれ。
「……あほたれ」
「はぁ!?」
胸の内で罵れと思いはしたが、会話をしているように言葉が返ってくるとは思わなんだ。流れる涙もそのままに、短い叫びと共に眉根を寄せて盛大に睨み付けてしまった。
人間の中にもよいものがと見直した途端にこれだ!これだから人間は!
「お前、いま何か、やったろ」
俺なんか構わないでいいんだよ。
最後は音にならない声で伝えて、友は満足げに瞼を落とす。そのままホウ、とひと息漏らして意識を手放したようだ。
命の刻限が来てしまったのかと慌てて抱え直せば、友の呼吸も脈もしっかりと感じられて己の行動が願いに近い形で身を結んだのだと知れた。よく見れば蒼白だった顔色だけはほんのりと赤みが差してきてもいる。
ああ、神様仏様御先祖様よ、忝う御座います……感謝の念は二人が助かった事による歓喜と共に全身の力を抜けさせて、二人を抱え込んだ状態に仰向けに倒れ込む羽目になった。最良ではないが、最善の結果になったと思えたから出来たことだ。
「妻を助け、友を助け、ついでに幽霊族を仇なす村も滅ぼしてやったぞい」
狂骨も幽霊族も解き放ち滅んだ村の端にて見上げた夜空は星のひとつも見えなかったが、いま、儂の腕の中にはふたつの綺羅星がしっかりと鼓動を鳴らしてその輝きを伝えてくれていた。
*
「と、まぁ。これがかの村の端で水木を置いていくまでの一部始終よ」
「そうなんですね父さん!」
「親父さん、それ本当の話?盛りまくってない?」
「人の話を疑うとは、嘆かわしいぞ猫娘……」
おわり