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    LLLnamamam

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    LLLnamamam

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    とりあえず進んではいるけど、🐌くらいの速さ。
    知らん人が出てきた。もう嫌だ。はよ終わらせたい。

    『早く春にならねぇかな~!(仮題)』 いつの時世ときよのことであっただろうか。
     少女が独り、必死の形相で人気のない山道を駆けずりまわっていた。
     古き時代の残映が散見されるそこは甚だ緑陰多く、渓声常に涼やか。平素はしゃらしゃらという葉ずれの向こうで、生き物たちの荒々しい息吹が時折風に乗って聞こえる程度の、至って『閑寂』な山野である。
     しかし今日に限っては巨獣のけたたましい咆哮の他に、少女の苦しげな喘ぎ声がそこらじゅうに鳴り響いていた。
     少なくとも、彼女にはそう感じられるほどに。

    (もう、いや!)

     ほろほろぐずぐず、涙ながらに少女は胸中でこう叫んだ。
     因果応報。自業自得。
     事実そうだとしても少女は誰構わず取り縋って、自身に起きた不幸について思う存分泣き喚きたかった。もう兎にも角にも大変だった、ということをひたすら共感してほしかった。
     なにしろ少女の背後には『空の王者』という異名を冠するリオレウスが、大翼を唸らせて「無法者排除すべし」と猛然と迫ってきているのである。世の二つ足、あにこれを嘆かざらんや。
     かてて加えて荒ぶる火竜の攻撃は、いずれも苛烈を極めていた。
     口から放たれる火球はあらゆるものを燃やし尽くし、猛禽のように鋭い爪は出血性の猛毒を備え、全体重を載せた突進は巨木をも粉砕する。
     幸いにも少女はこれら全てをすんでのところで回避できたが、よしんば直撃すればヒトの身体がどうなるかなんて、あえて言うに及ばない。
     そして不幸にも、この灼熱の死の気配は何処までも執拗しゅうねく少女の背中にまとわりついてきた。
     当然の結果だった。不本意であったにしろ繁殖期の火竜らの縄張りにみだりに立ち入り、逆鱗に触れたのは少女である。このような陰気な山奥であたら露と消えるのもまた、運命だと言えた。

    (こんな……こんなはずじゃなかった!)

     走りながら、少女は可哀想な自分のために言い訳をした。その途端、胃から苦くて酸っぱいものが逆流。自らの不甲斐なさと愚さが濃縮されたような不味さに耐え兼ねて、横隔膜がひっひっと痙攣する。胃の中の内容物が全部口から飛び出しそうだった。
     少女は胸から喉へとせり上がってくる衝動を、汗と涙と鼻水でぐちょぐちょの顔を強く顰めることでなんとか押しとどめた。すると、

    「危機に陥った時ほど笑えばいいのさ」

     と、聞き覚えのある明朗な声がひょうひょうと鼓膜に吹き込んできた。
     それは彼女が『教官』と呼び慕う人物の言だった。曰く、笑顔には緊張を和らげ、精神を冷静に保つ効果があるという。
     理屈は頭で理解できているし、既に藁にもすがる思いで何度も試してみた。けれども少女のまろい頬は固く強ばったまま。

    (全然笑えない、なんにも面白くない!)

     少女は口をへの字にひん曲げ、より一層死にものぐるいで走り続けた。だからと言って、逃げ足が早くなるわけでもない。
     護身用の軽弩は見た目こそ立派ではあるが弾丸は装填されることはなく、『軽』とは名ばかりの重石と化して少女の体力をどんどん削っていく。
     さりとて無闇やたらに野に打っ棄ることもできず、無用の長物は安からぬ持ち主に呼応するかのようにガチャガチャと忙しなく鳴くばかり。
     頼りの綱だったはずのオトモのガルクは、頼りない主人を早々に見限って何処かへ逃げてしまったきりである。
     救援を呼びに行った可能性も無きにしも非ずだが、それよりもこの孤軍奮闘がやがて虚しく終わることの方が、遥かに現実的だった。
     そうして火竜によって影も形もない状態にされた後、誰にも気づかれることなく大地に還るところまでを思い描いて、少女の目から新たな涙が溢れた。

    (絶対に、いや!!)

     全身の筋肉が戦慄き、少女の曲がった口の端から拒絶の悲鳴が小さくこぼれた。追って本能が「なにがなんでも走れ!」と何度目かの指令を飛ばす。
     だが倒けつ転びつ全力逃走を続けた両膝は今にもけたけたと笑い出しそうで、喉からはひゅうひゅうと乾いた喘鳴が盛れ出ていた。
     殊更酷いのは手のひらだった。鋼鉄の如く硬い翔蟲の糸を握り続けたことで皮は熟れた桃のようにべろんと剥け、瑞々しい朱色の肉がすっかり露出してしまっている。
     この状態でさらに糸を射出すれば、どうなるかは想像に容易い。
     再び翔蟲を飛ばすことに少女は躊躇いを覚えたが、それでも逃げなくてはいけない。一瞬たりとて立ち止まってはいけない。
     見計らったかのように、ある人物がまた耳元でそっと囁いた。

    「生き物は動かなくなった時こそ、死だよ」

     そんなことは少女も恐ろしいほど分かっている。
     でも、だって。

    (疲れた。痛い。苦しい) 

     極度の疲労で脳は思考を止めようとしている。要するに、本能が速やかな休息を求めていた。事実精根は尽き果てており、地べたに大の字に寝そべって眠ってしまいたいくらいだった。
     それでも『自分がカムラの里を守るのだ』という玉鋼の意志が、道半ばで挫折することを許さなかった。少女は粘っこくて金気臭い唾を無理やり飲み込むと、

    「気焔……っ、万丈ぉぉぉ!!」

     生きるために翔蟲をえいやっと前方へ飛ばした。
     翡翠色の糸が翔蟲から勢いよく噴出されるのと同時に、手のひらの傷口にかんかんに焼けた火箸を強く押し付けられたような激痛が走った。 

    「ーーーーーー!」

     意思とは全く関係なしに、尾てい骨から延髄にかけて強烈な痺れが光の速さで駆け上る。反射的に少女の身体は大きく痙攣。力の抜けた手からは翔蟲の糸がするりと離れた。
     身魂の均衡がついに崩れた瞬間だった。
     少女は射出の勢いに引きずられ、受け身もまともに取れずに顔面から地べたに叩きつけられた。
     その拍子に額を強かに打ち、肉体と精神を辛うじて繋いでいたものが、ふつと切れた。
     たちまち少女の意識は深潭に向かって、ずぶずぶと真っ逆さまに沈んでいく。リオレウスがすぐそこまで接近しているというのに、身体は石の如く硬直してしまって指先一つ動かない。それの意味するところは即ち、死である。

    (短い、人生だったなぁ)

     なすすべもなく奈落の底へと引き込まれていく自分を、客観的かつ冷静に俯瞰する自分がいた。そのもう一人というのも、直に永い眠りにつくだろう。
     瞼が次第に重たくなっていく。抗いがたい強烈な眠気を払うように少女が睫毛を震わせれば、目の前に故郷の姿がぼうっと浮かび上がった。
     たたら場の赫灼たる火炎。
     滔々と流れる蒼い大河。
     群れ咲く花ぐわし桜。 
     従容として朗らかな人々。
     あるのが当たり前だと思っていた光景に、ゆくりなく少女は駆け寄ろうとした。が、やはり体はピクリとも動かず、おもむろにそれは霞となって掻き消えてしまった。
     やにわ、途方もない郷愁が少女の胸いっぱいに押し寄せた。今すぐにでも里に帰りたい。少女は朧げな意識の中で願った。
     でも、それはもう叶わない。肌をぢりぢり焦がすほどの烈しい熱波が、彼女の淡い願望を瞬く間に蒸発させてしまったから。
     底を知らぬと思われた涙もついには枯れ、すっかり頬は乾いてさらに硬くなっていく。まさしく、死人のように。
     愚かで哀れな少女はただ小さく、すんと鼻を鳴らした。

    (お父さん、お母さん、教官、そしてカムラのみんな。里を守れなくてごめんなさい)

     願わくは、カムラの里に安寧あらんことを。
     そうして少女は世界に別れを告げて、瞼をぴたりと閉じた。
     その刹那。

    「愛弟子ぃぃぃぃぃぃ!! 起きろぉぉぉぉぉ!!」

     空気を切り裂き、鳴矢の如くひょうふっと飛んできたそれは、少女の延髄を寸分たがわず鋭く深く突き刺した。
     激痛にもよく似た衝撃に、堪らず少女は弾かれたように面を上げた。
     半覚醒の不明瞭な視界に真っ先に飛び込んできたのは、自分に向かって突進してくる、小山ほどもある碧色の巨体。
     その正体に驚愕や恐怖を覚えるよりも早く、少女は大きく身を捩って二回、三回と地べたを横に転がった。
     否、見えざるなにかによって突き動かされていた。
     それを見計らったかのように、間髪入れず眼前で蒼白い稲光が炸裂。
     強烈な閃きに暫時、目が眩んだ。
     やや遅れて空が割れんばかりの雷鳴と咆哮が同時に轟いた。
     と思いきや、間断なく火竜の叫換が少女の耳を劈く。次々と襲いかかる爆音に今にも鼓膜は馬鹿になりそうだった。
     一体、なにが起きたというのか。
     不愉快な耳鳴りと目眩を振り払うように頭を振りつつ、少女はぼやけた両眼を数度瞬かせてーー眼球が飛び出しそうなほど目を大きく見張った。

    「頑張れッ! キミは強いッ! ここが踏ん張りどころだぞぉ! なぁに恐れることは一切ない! キミが思ってる以上にキミは強い! 強くて強くてしょうがない! キミさえいれば、カムラの里は守り抜けるッ!」

     雷狼竜ジンオウガを翔蟲の糸で巧みに操り。
     敵愾心を燃やすリオレウスを容易く圧倒し。
     呆然とする少女に向けて万雷の声援を送るは、カムラの偉大なるツワモノ。
     彼の口元には、例の言を体現するかのような大胆不敵な笑みが溌剌と浮かんでいた。



     🍵🍵


     天高くして秋気しゅうき清し、朝ぼらけ。
     ようよう一日の始まりを迎えようとしていたカムラの里に、突如として「なぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃ!?」という女の高らかな声が響き渡った。
     牝鶏ひんけいあしたするは、カムラでは決して珍しいことではない。むしろ山河に挟まれたこの鄙里では数少ない娯楽であり、今朝は何処そこの誰だな、と状況と原因を推測して楽しむ程度には、皆おおらかであった。
     だが今日の鶏鳴は、明らかに常とは様子が違っていた。
     まだ初秋だというのに、まるで初霜が降りたような凄然とした冷気。
     目にはさやかに見えねども、ある起点を中心にそれが幾重にも輪を描いて広がっていくのを、カムラの民はその肌で痛切に感じ取り、身震いした。
     一体、何事であろうか。
     あるものは水汲みの手を止め、あるものは起き抜けの格好のまま家から飛び出した。
     そもカムラ人というものはおしなべて懇篤で、里の中で起きた出来事はすべて把握しなければどうにも気が済まない。非常時においては殊更敏速である。
     ある種の習性に則り、彼らは朝支度もおざなりに、老若男女問わず、ひたぶるに、一目散に、現場へと翔蟲を飛ばした。危急に際して里の掟は二の次だった。
     さて、ほどなくして古びた水車小屋の前に里人たちが続々と集まってきた。今朝の牝鶏がこの家の主であることは、その声を耳にした時から分かっている。
     しかるに、その家主の姿が何処にも見当たらない。
     玄関の戸は固く閉ざされており、恐らく主は家の中にいるのだろう。奥からガサゴソと物音がする。
     主人に叱られて締め出されたのか、戸口前では当家のルームサービスのアイルーが泣いていた。いの一番に到着したものが事情聴取を試みているが、彼はみゃあみゃあにゃごにゃご喚いてばかり。
     里人たちは一様に首を傾げた。アイルーがヒト族の言語を介しても、残念ながらその逆はほとんどないからである。ただ、彼の大袈裟な身振り手振りから大層良からぬことが起きたのだ、ということだけは窺い知れた。
     とはいえ、その古屋の戸を叩こうとする勇者は誰一人としていない。
     戸の隙間から漏れ出る剣呑な空気からは「如何なるもの、立ち入るべからず」という無言の威圧がありありと感じられ、もはや一度こうなってしまうと木板一枚を挟んで向こう側は、所謂禁足地である。
     とりもなおさず家主が自ら出てこない限り、こちらから足を踏み入れてはいけない。むやみやたらに声をかけてもいけない。
     それがもとよりカムラの里の不文律である以上、手を差し伸べようにも安易に手が出せないという、まさに『板挟み』の状態だった。
     さあらば、ルームサービスを問い質すのが先となるのだが。

    「と、とりあえず落ち着けって、なぁ? なにを言っているか、さっぱり分からんから……」
    「……が………と……ミャ……から、早く……ニャ~!」
    「だから、なにを言ってるか……」

     アイルー語混じりの断片的な説明では、やはり埒が明かない。とうとう痺れを切らした何某が他のアイルーを呼んで通訳させようとした、ちょうどその時。
     カムラ名物『大翔蟲おじ』ことハネナガ氏が、はぁはぁふぅふぅ息を切らして遅れてやって来た。ごめんねごめんねー、と言いながら彼は人だかりを押しのけ、

    「おぉーい、朝っぱらからどうしたんだぁぁぁ!? なんかあったのかぁぁぁ!」

     なんとあろうことか、畏れ多くも家主に大声で呼びかけた。同業者として気安く親密な関係を築いている二人だけれども、だからと言って許される行為ではない。
     誰かの「あっ!」という驚呼きょうことも悲鳴ともつかない声の後、ピシャーン! と不意の雷が水車小屋前に落ちた。
     鼓膜を突き刺すような刺激音に里人たちが首をすくめていると、勢いよく開け放たれた戸の向こうから背の高い女が現れた。

    「もう、いや。火薬の調合中は手元が狂うと危険だから話しかけてくれるな、と常々言い含めているのに。これで我が家が吹き飛んだらどうしてくれるんですか。ねぇ、ハネナガぱいせん?」

     はぁぁぁぁ、と木枯らしにも似た深い嘆息。砕けた口調とは裏腹な、凄涼な視線。
     痩身を覆う、武張った装い。鼻を突くツンとした火薬の匂い。
     そして女の背中で鈍い光を放つ、銀灰色の長大な軽弩。
     親しみや敬愛以上に畏怖の念を抱かせる女の様相に、その場にいたハネナガ及び里人たちはたちまち心胆を寒からしめた。
     カムラの里の名狩人、通称『猛き炎』。
     かつて百竜夜行を退け、巨獣の死体の山を幾多も築き上げてきた生ける伝説。
     巷では英雄とも呼ばれるその彼女が、早朝から火薬を調合し、頭の天辺から爪先まで最上位の武具で固めている。しかも、ひとかたならぬ殺気を立ちのぼらせて。
     確かに、ただ事ではない。
     里にモンスターの大群が押し寄せて来ようとも、単独で古龍討伐に向かうことになろうとも、すべて「なんとかなるでしょ」の一言で片付けてきたツワモノが、今まで見たことのないほどの強い気を発しているのである。
     これ即ち、前代未聞の事案が水面下で起きているということにほかならない。
     殊に年嵩の里人たちの蒼顔は、ますます青ざめた。百竜夜行という災厄を乗り越えた経験があるからこそ、天地あめつちという名が絶える以上のことを彼らは想像できないのである。
     最も身近な禍難と言えばやはり自然災害か強大な巨獣の出現ではあるけれども、仮にそうであるならばギルドからの退避勧告が先んじるはず。
     誠に一体、何事であろうか。
     あるものは自分たちの理解に及ばぬ出来事そのものに、あるものは考えうる最大の災いに恐れおののいた。
     そんな大人たちの不安を察してか、あるいは女狩人の威容に怯えたのか、幼子らもべそをかき始めた。その声は未だ止まぬルームサービスの意味不明な悲泣と不協和音をなし、周りの大人たちがそれをなだめようとする。
     連鎖的に辺りが騒然としていく中、堪らず、といった顔つきでハネナガが女におずおずと問うた。

    「ま、まさか……古龍討伐に行くつもりじゃあ、ないよな……?」
    「古龍? 私の方には依頼すら入っていませんが、誰がそんなことを?」

     女の口ぶりからするに、どうやら狩猟に行くのではないらしい。

    「おぉん……? じゃあ、その格好は?」
    「あぁ、コレ。今から浮気した挙句に逐電した旦那をシバきに行くんですよ」
    「へぇ~、ウツシさんをシバきにね~」

     と、ハネナガが惰性でおうむ返しをして数拍後。

    「……ウ、ウツシさんが、浮気ぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

     素っ頓狂な絶叫を皮切りに、周囲が一斉にどよめいた。
     武芸百般のウツシと、その弟子であり妻でもある猛き炎。
     ツワモノにしてクセモノであるがゆえに「割れ鍋に綴じ蓋」と揶揄される夫婦ではあるけれども、その実、相即不離そうそくふりの比翼の鳥であることは里の皆が知るところとなっている。
     もし女の言う通り、彼らの間に秋風が立ってしまったとなれば、それこそ天地という名が絶える時と喩えても過言ではない。

    「い、いやいやいやっ! あの人に限って浮気だなんて……絶対にありえないだろ!」

     ハネナガの必死の否定に、女の口から湿っぽい木枯らしが、ひゅうと吹いた。

    「でもねぇ、うちのルームサービスちゃんが言うには、私がぬくぬくぽかぽかお布団天国を楽しんでいる隙に、ガルクに乗って何処ぞの娘っ子とカムラから出ていったらしいんですよ」
    「そんな……まさか!」

     にわかには信じられないといった様子で、ハネナガは女を押しのけて禁足地を覗き込んだ。
     カムラきっての恐妻家はこういう時、上がり框でガルクのノミ取りをしつつ「怒ったって疲れるだけなのにねぇ」と静観しているのが常である。
     だのに、あるべき光景はそこだけぽっかり切り取られていて、今はすっかりもぬけの殻となっていた。
     急ぎ振り返って「誰か彼らを見たものは?」と目顔で問うてみても、揃いも揃って青白い顔を横に振るばかり。
     ハネナガは自身の広い額に手をやって唸った。

    「ったく、門番はなにしてたんだよ……!」
    「カムラの門なんて昔っからガバ中のガバですし、普通に見逃したんじゃないんですか」
    「そっ、そりゃそうかもしれんが! アンタもこういう一番大事なことは、もっと早くに言えよっ!!」
    「ええ~。ルームサービスちゃんがそれはもう、懇切丁寧に説明していたでしょう?」
    「バッカ! 俺たちにアイルー語なんか分かるわけなかろうが! こうなりゃ……しょうがない。相手のことはさておき、まずは皆で手分けして」
    「いえ、討っ手は私一人だけで十分です。それが一番早い」

     ハネナガの提言を遮るが早いか、女は彼の横をひょいとすり抜ける。すると何処からかガルクとアイルーが旋風のように躍り出て、女の後に続いた。

    「わわっ!? あっ、ちょっ、待てよ!! 待てったら!!」

     思わずガルクたちに足を取られたハネナガは、よろめきながら女を呼び止める。しかし、女は止まらない。
     一度こうと決めればさながら弾丸のように、まっしぐら。キューンと飛び出して、なにかにぶち当たるまで止まることは決してない。なおかつ下手に触れようものなら火傷程度では済まないのが、猛き炎が猛き炎たる所以である。
     女の軌道を妨げぬよう、そして女の激しい思火おもひに焼かれぬよう、水車小屋に集っていた里人たちは野分に吹かれた落葉の如く、ざぁっと音を立てて道の端へと吹き散った。
     その人垣の真ん中を、大股でずんずん進んでいく女の背中に向かってハネナガは必死に叫んだ。

    「アンタ、間違ってもウツシさんたちを殺すなよ!? 絶対に殺すなよ!?」

     女は自らを「追っ手」ではなく、「討っ手」と称していた。無論、背中にかつがれた得物は獣を殺すためのものではあるが。

    「さぁ、どうでしょうねぇ」

     振り向きもせず、二月の花よりも紅い霜葉そうよう色に染まった唇で女がそう嘯いた時。東雲しののめの空から身を切るような冷たい風が、びょうと吹き下りた。
     移ろいやすいものの喩えに『女心と秋の空』とあるけれども。
     先に移ろったのは、男心であった。


    🍵🍵


     険しい岩壁に挟まれた山道を通り過ぎれば、冷たく湿った陰風が頬や首筋をいやらしく撫でさすり。
     高く伸びた叢竹の中に足を踏み入れれば、笹の葉のさやぐ音に混じって、無数の小さな囁きが耳孔に群がり寄る。
     今は昔、人々が暮らしていたという廃墟群の方を少し見やれば、虚のようにぽかっと開いた窓から誰かがこちらを見ている――ような気がした。

    (もう、いや)

     神経質気味に、ぴゅうと女は甲高く嘯いた。
     するとオトモのガルクはたちまち一陣の風と化り、落ち葉を蹴散らし、砂塵を巻き上げ、秋色に粧い始めた山中を疾駆する。
     古ぼけた景色は目まぐるしく過ぎてゆき、ほんの少しだけ絡んだ視線は蜘蛛の糸のようにふつりとちぎれて、向かい風に乗ってはらはらと流されていった。
     ああ鬱陶しい、と小鼻を膨らませて熱い鼻息を吹き出したのも束の間。今度は小虫が女の口の中に飛び込んできた。
     これには不用心に口を開けていた当人に非があったが、ついカッとなって女はその小虫をムシャムシャしてやった。
     早朝からの騒ぎから今の今まで携帯食料の一欠片すら口にすることができず、とにかく腹が減って仕方なかったのである。
     というのは言い訳の一つで、たとい腹の足しにならずとも度重なる不愉快をメッタメタのギッタギタに噛み砕いてやりたい気持ちになっていたのが最大の理由だった。
     歯ごたえのある甲殻を怒りに任せて奥歯で噛み砕けば、カラカラに乾いた口から唾液が自ずとあふれ出し、それに絡めて飲み下すとほんの少しだけ胸がすっとした。
     が、やはり小虫程度で腹が満たされるわけはなく、気鬱な表情はそのままに女はゆっくりと天を仰ぎ見た。
     時は正午前。
     翳り曇った女の腹の内とは裏腹な、憎らしいほどの快晴が眼前に広がっていた。
     遙か遠くまで澄み渡った碧い空は巨大な天幕に似て、四方の山野をことごとくおおっている。
     その浩蕩たる丸天井の下では一羽の白鳥が悠然と飛翔しており、それは女の瞳にごく小さな影を落とした。
     やにわ、錐で突かれたような鋭い痛みが右の眼窩に生じて、女は「ああ」と短く呻くなり顔を伏せた。
     果てしない碧空を漂泊するたった一点の、孤雲の如きその白がやけに眩しくて。
     チカチカと明滅する視界から逃げるように、女はガルクの腹を軽く蹴って先を急がせた。

    (こんなはずじゃ、なかったんだけど)

     心身の調子が、何故か今日に限ってすこぶる悪い。
     本来太く堅固な神経は妙に細かくささくれ立ち、耳目はかえって余計なものまで逐一拾ってしまう。そのくせ、知らず知らずのうちに自他の境界線が曖昧になり、自分という存在そのものが分からなくなる隙がふと生じる。
     そうして忘我の霧に惑えば、後頭部を不意に小突いてくるような茶々が入って、ハッと我に返る――という繰り返し。当然イライラは募るばかりである。
     加えて持病の片頭痛はどんどん酷くなるし、今となっては吐き気と腹痛も催してきた。あたかも先程飲み込んだ小虫が『この恨み、はらさでおくべきか』と、胃の中でぶいぶい飛び回っているようだ。
     あまりの煩わしさに女は喧しい、と片手でしくしく痛む腹を強く押さえた。本来ならばキャンプ地にて養生してしかるべき容態であるけれども、さりとて不定愁訴如きで立ち止まるわけにもいかない。
     余所の女を伴って逐電した不肖の夫、ウツシの捜索を始めて早半日。
     女は彼らのしっぽの毛先すら、依然として掴めていない――。
     

    「旦那さん!」

     突如、なにかが爆ぜた栗のように地中から勢いよく飛び出す。それからキャッと空中三回転、にゃんぱらりとガルクの首に跨ると振り向きざまにこう言った。

    「旦那さん、もういい加減諦めて、救援を今すぐに要請するのニャ! 一生で一度のお願いだニャ~!」

     勝気なイナダにしては珍しく、泣き言めいた響きがあった。けれども頭の回転が鈍った女には、何故か他所事のようにも聞こえて、

    「諦めたら、そこでクエスト失敗ですよ」

     と、ろくに視線を合わせもしないで何処かで拾って覚えた名言で返すと、

    「あ"!? 今ふざけてる場合ニャ!?」

     途端にイナダは両目を満月そっくりに光らせ、カカカッとひげ袋を小刻みに震わせた。どうやら思わず虎ならぬ、アイルーの尾を踏んでしまったらしい。
     自分以上に情緒不安定なオトモを目の前にして、虚ろで緩やかな世界に傾きかけていた女の意識は一気に現実に引き戻された。

    「別にふざけてなんかいません」 

     しょぼしょぼの目を瞬かせて、女はイナダとしっかり向き合った。よく見ると、大きくつぶらな瞳には薄っすら涙が滲んでいた。

    「じゃあ、ちゃんとボクの話を聞いてくれニャ! これはオトモとして、すごくすごく情けないことだけど! ボクとノワキだけじゃ、多分、いや、きっとあの二人には追いつけないのニャ!」

     結果を出すには、まだ早いのではないか。女がそう反論する隙も与えず、イナダはのべつまくなしに続ける。

    「旦那さんには、ちゃんと現実と向き合ってほしいのニャ! 実際こんなに時間をかけているのにボクたちは姿かたちすら見つけられていないニャ! 
     もしこれが速さの問題なら一生追いつけないし、技術面の問題なら誰かの協力を得て挟み撃ちにした方がいいニャ!
     だから旦那さん、意地を張らずに是が非でも救援を要請してほしいのニャ! このままだと二人を取り逃がしてしまうかもしれないニャ! それは旦那さんだけじゃなく、ボクたちオトモにとっても不本意ニャ!
     ノワキだって、そう思うよニャ!?」

     すると股下のノワキが「ワフ……」と申し訳なさそうに小さく同意する。
     未だ終わりが見えない追走劇。追跡に長けたオトモたちが苛立ったり気弱になったりしてしまうのも、無理からぬことだろう。女はすすき色をしたノワキの首筋を労わるように一撫でし、そして毅然と答えた。

    「あなたの気持ちに応えられなくて申し訳ないけれど、救援の要請をするつもりはありません。
     だって、これはほかならぬ私とあの人の問題なんだもの。オトモはともかく、他人の世話にはなりたくないんです」

     ――なに言ってるんだ、このバカは。
     イナダのガラス玉のように透き通った目は、彼の心中をよく物語っていた。

    「フ、フクズクがいなくなって困ってるのに、よくもそんなことをぬけぬけと!!」
    「たかだフクズクです」
    「されどフクズクだニャ!!」
    「大丈夫、あなたたちだけでもなんとかなりますよ。他の地域のハンターはガルクもフクズクもなしでやっていると聞きますし」
    「だからぁ! ボクたちだけでは、どうにもできないって言ってるのニャ!!
     お"ぉ"ん"!! こんな偏屈で分からず屋とは、もう付き合ってられないニャ! これが終わったら、風通しがよくて家庭的で物分りのいいハンターさんのところに転職してやるんだニャ~!! その時はノワキ、お前も一緒に連れていってやるからニャ!」

     キヌゲネズミのような丸い鍵しっぽをぽんぽこりんに膨らませ、イナダはノワキの首筋にぎうとかじりつきながら声を上げて泣いた。

    「お"ぉ"ん"、お"ぉ"ん"!! こんな時タツタがいればニャ~~~!! すぐにウツシさんたちの居場所が分かるのにニャ~~~!
     タツタ~! 一体何処にいるんニャ~!! タァツタァァァ!!」

     イナダの八つ当たりじみた悲痛な叫びは深閑とした山中に吸い込まれ、フクズクの鳴き声や羽音もついぞ聞こえはしなかった。主人が指笛をいくら吹こうが帰ってこないものは、オトモが呼んだって帰ってくるわけがない。
     ――予期せぬ、フクズクの喪失。
     殊にフクズクによる鳥瞰に依存するカムラ地方のハンターにとって、それは捜索時間の浪費、ひいては強大なモンスターの急襲を受ける危険性が高くなることを意味している。
     しかも今の季節柄、井戸の釣瓶が落ちるが如く、日没は恐ろしく早い。念のため時間制限のない探索ツアーを受注してはいるが、暗くなってしまえば捜索がより困難になるだけでなく、イナダの言う通り、馬鹿者たちは女の手の届かぬところへ行ってしまうだろう。
     まさに、弱り目に祟り目とも言うべき状況だった。
     口惜しい。
     フクズク一羽欠いただけで、このザマとは。
     かたやウツシも同条件。おまけにあちらはお荷物一人を抱えている分だけ形勢不利であるはずなのに、何故か討っ手である女の方が翻弄されている。
     まるで、勝ち目のない鬼ごっこか、追跡術の鍛錬をさせられているように。
     もしくは――それだけウツシが浮気相手に本気まじになっている、ということか。
     女は紅の剥げた下唇をヂィィと強く噛み締めた。そうして舌先にほのかに鉄味を感じた時。一つの言葉が脳裏をはたと過ぎった。

    「危機に陥った時ほど笑えばいいのさ」

     そう言っていた男は、確かにどんな時でも笑みを絶やすことはなかった。
     時には(コイツ、マジで空気が読めない)とドン引きしたこともあったが、男に倣って笑っていれば、なるほど、大抵のことは上手くやり過ごせたものだ。
     では、夫婦の危機も一笑に付すことができるのか。
     女は少し試みて、すぐにやめた。

    (全然笑えない。なんにも面白くない)

     口角が上がる気配は、微塵もない。口の両端に目に見えない百貫の重りがぶら下がっているようだ。言わずもがな、気分や体調は青天井になるどころか、現在進行形で爆下がり中である。
     そこにイナダが金切声でギャン泣きするものだから、堪らず女はへの字口の隙間から盛大な溜息を吐き出した。
     ちょうど、その時だった。

    「おーい!」

     唐突な呼びかけに、女の肩とイナダのしっぽが同時に跳ねた。
     男にしては甲高く、笛のように遠くまでよく通る明快な声。
     聞き覚えのあるそれに惹かれて思わず振り返りそうになったのを、女はすんでのところで押しとどめた。
     今日は空耳がとかく酷い。生き物の鳴き声や風の音を人間の――ウツシの声と誤認して何度空振りをしたことか。
     ならば、また聞き間違えたのだろう。私もとうとう焼きが回ったものね、と自虐的な落ちを適当につけて女は先へと急いだ。どのみち人界の外では、急に声をかけられても無視をするか返事をしない方がよいとされている。

    「あれ!? 無視しちゃうのニャ!?」

     泣き止んだイナダが後ろを向こうとしたのを、女は咄嗟にその小さな頭を押さえて「待て」と遮る。
     前方を向きながらあまりあてにならない聴覚を研ぎ澄ませ、一拍、二拍と間を置く。やはり気のせいか、と思った矢先、女の後ろで再び声がした。

    「おーい、おーい! たっけほっのっぱーいせーんっ!! 待ってくださいよーーーう!」

     その間の抜けた呼びかけに、女もとい猛炎は固くひそめていた眉を少し開いて背後を一瞥した。
     野暮ったさと、いかがわしさと、汗臭さと。
     この世の全ての尾籠を収斂して形作ったような、いとむくつけきブルファンゴがガルクに乗って迫ってきている。
     それが自身の後輩ハンターにあたる『ボン』その人だと認めて、猛炎は密かに安堵の胸を撫でおろした。珍妙な見た目はともかくとして、自分に向けて気安く手を振ってくる猪男からは確かなものが感じられる。山言葉も使っていた。

    (大丈夫。あれは、アレじゃない)

     そう確信するなり、猛炎はすぐさま前に向き直った。普段であれば、この喧しくてチャラチャラした後輩と雑談の一つや二つを交わしていたことだろう。だが、今はひたすらに時間が惜しい。

    「ちょっとちょっとー! シカトしないでくださーい!」

     ブルファンゴが大慌てで駆け寄り、猛炎の左隣に並んだ。右隣には騎乗者がいないガルク。
     一人に対しガルク二頭を連れ立っているのは、途中で乗り換えることでより早く目標に追いつくようにするためであるが、意図はそれだけではあるまい。
     猛炎は金属めいた冷ややかな眼光でもってして、暑苦しい猪頭をぢろりと見やった。大抵の人間はこの眼差し一つで凍ったように萎縮するものだが、しかしボンは特に気にする様子もなく、明るく大きな声で言った。

    「猛炎ぱいせん、イナダくん、ノワキくん、ちーっす!」

     黙然とする女に代わり、イナダが大仰に手を振って応える。

    「わぁーっ! ボンだニャ!! やったニャ、救援ニャ!! ナイスタイミングなのニャー!!」
    「おぉっ? その反応、ひょっとしなくてもー!? まだあの二人を見つけられてない、ってコトー!? なぁんか、猛炎ぱいせんたちらしくないっすねー! トラブルでもあったんすかー!」

     悪意のない怒涛の問いが、キーンと左から右へ耳管を突き抜けた。しれっと痛いところを突いてきやがって。素直に受け答えするのも面白くないので、猛炎は聞こえなかったフリをして疾走を続ける。

    「ちょっ、ガン無視ぃぃぃ!? ってか、もしかして、耳ぃ遠くなりましたー!?」

     が、思いがけず乙女心を傷つけられたのにはさすがに無視することはできず、猛炎は風切り音に負けじと声を張り上げた。

    「耳は、ちゃんと、聞こえています! それと、私は、お前のことなど、呼んでいません!!」 

     無論、参加要請は端から設けていない。しかるに、

    「いやー! 僕ぁ、たまたま探索ツアーを受注しただけなんでー!! マジ奇遇っすねー、あはははは!」

     フゴフゴ鼻息を立てながら、上位ハンター・ボンはわざとらしく採取袋を掲げて見せた。
     別枠として探索ツアーを受注することで、ウツシらの捜索にちゃっかり加わるつもりなのだ。なんとも小賢しいことに。
     十中八九、ハネナガやゴコクらギルド連中が彼に依頼したのだろう。どのみち捜索にあたるためにギルドを介してしまった時点で、こうなることは予想できていた。
     が、その通りになってしまったのは、やはり不満でならない。猛炎はボン越しに見える、カムラのお節介焼きたちに向かってチョッと舌打ちをした。
     素直にことを聞くような素振りをしておきながら、なにを言っても聞きやしないのは一体どちらなのか。

    「私は一人が好きなのでお構いなく! 採取するならどうぞ別の場所で!」

     自分の尻くらい自分で拭かせてほしい、という懇願すら聞き入れてもらえないのであれば、こちらとて相手の意向に合わせる義理はない。
     猛炎が再びノワキに疾走を命じようとしたところ、機を見計らったようにボンからの物言いがついた。

    「出過ぎたことだと分かった上でー、言わせてもらうっすけどー! そんな顔色でー! 言えたことじゃないっすからねー! 
     ぱいせん、昨日、狩猟から帰ってきたばかりで、本当はまだ、疲れてるんでしょー!? さすがに同業者として、そういうの、見過ごせないんすよねー! 狩猟の基本はー、なんでしたっけー?!」

     冷水を浴びせられた、と言うより、頸動脈に冷たい刃物をひたりと突きつけられたようだった。
     決して忘れていたわけではないけれど。
     後輩に基本を改めて諭されるという羞恥が横隔膜のあたりからこみ上げてきて、喉をきうと締めつけた。
     だから耳にたこができるほど言い聞かせられたその教訓は、言葉にならなかった。

    「食事と睡眠ニャ!」

     ここでも出しゃばりなイナダがすかさず代返した。

    「今日の旦那さん、正直見てられないほどダメダメなのニャ! 控えめに言ってもポンコツなのニャ!」

     ダメダメ、ポンコツと悪し様に言われても猛炎には反論の余地はない。
     事実、猛炎は昨夜遅くに遠方から帰宅したばかりで睡眠不足。食事も先ほどの小虫一匹だけ。おまけに偏頭痛、目眩、腹痛、神経耗弱にも苛まれている。
     そうした状態での狩場入りはもはや自傷を通り越して自殺行為にも等しく、今この場に最もふさわしくない人間はほかならぬ自分自身である。
     だがオトモと自分だけならば誰の迷惑にはなるまい、と猛炎は自分の立場に甘えていた。他人の手は一切借りずに、早期解決できるとさえ自負していた。
     だって自分は『カムラの英雄』なのだから。世間で噂される英雄譚の主人公なのだから。
     どんな難関でも乗り越えられないわけがなく、華麗に美しく、最後はいつも通り大団円――。

    (そんなふうに考えていた時期が、私にもありました) 

     猛炎は目を逸らし続けていたむさ苦しい『現実』を凝視して、ぐぬぬと口の中で歯を硬く食いしばった。
     軽佻浮薄な言動はともかく。
     この不愉快にして不可解な追走劇の幕を下ろすには、ボンという上位ハンターは必要不可欠であり、それが猛炎が向き合うべき現実である。
     ただ現実を現実と認めてしまった以上、猛炎はついに自己評価を下方修正せざるを得なくなった。
     たとい弾丸の如き意志でも、ぶち当たった壁が厚ければ貫き通せない。
     できないものをできないのだ、と。
     だのに、なおもって硬く練り上げられた玉鋼の矜持は「一人ではどうにもできません。どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げるのを良しとしない。
     でも。いや。しかし。だからと言って。
     猛炎は独り袋小路に入り込んで、眼前の壁に深く深くのめり込んだ。ことを難しくしているのは、吐いた唾を飲み込めない性分だった。
    『自分一人で十分』『他人の世話になりたくない』と大勢の前で見えを切ったからには、もう後には引き下がれない。弾丸とはそういうものである。
     そのため、猛炎はこの場に最もふさわしい言い訳を探し始めた。もちろん融通のきかない自分を説得するための逃げ道である。
     なにか良い手立てはないか。猛炎が血の味がする唇を舌先でちろと舐めて答えを探していると、イナダとボンがここぞとばかりに追い打ちをかけてきた。

    「旦那さん、もう変な意地を張るのはやめてボンを頼ったたらいいニャ! ボンは意地悪をしようと思って来てるわけじゃないくらい、さすがの旦那さんにも分かるニャ!?」
    「そうっすよ! 僕ぁ、ぱいせんのことを責めに来たんじゃなくてー! 手助けにしに来たんっすよー! ここは僕のことを、アイルーだと思ってー、ねー!? 猛炎ぱいせん、どうか一つ、お願いしますニャー!! お手伝いさせてくださいニャー!」

     ブルファンゴは「ニャー」と鳴かないだろ、という突っ込みは口から飛び出そうになったが、ふと馬鹿馬鹿しくなってやめた。
     代わりにずっと喉につっかえていた羞恥がいきなりストンと落ちて、猛炎ははっと息を飲んだ。
     そしてしばし思いあぐねた末、唐突に猛炎はガルクの疾走を止めさせた。併せて、ボンたちも急停止する。 

    「ボン」

     猛炎が低く唸るように呼びつけると、彼は「はい!」と期待に満ち満ちた声で応えた。その従順さで言ったらアイルーではなくてガルクに相当するだろうが、徒し事はさておきつ。
     んん、と咳払いを一つし、猛炎は口早に白状した。

    「フクズクのタツタを喪失しました。残念ですが、私だけでは追跡はできても、捕獲はできません」

     ボンはさほど驚きもせず、フゴと鼻を鳴らした。

    「あー、やっぱりっすかぁ。ぱいせんたちの追走の様子がやたらまどろっこしいから、そんな感じはしてたんすよね」

     既に見透かされていたことに、猛炎の青ざめた頬にカッと朱が差す。三度みたびも痛いところをしれっと突かれた猛炎は小憎たらしい猪頭をキッと見据えると、すぐさま「だから」と無理やり自分の言葉に繋げて言った。

    「五分だけ休憩します。その間にお前が持つフクズクからの情報を教えなさい。
     分かったら『ニャー』と鳴くこと」

     ボンはオトモ。
     ブルファンゴフェイスを被った、汗臭くてデカくて全然可愛くないアイルー。
     そう思い込むことで、猛炎は無理やり自分を納得させたのである。根本的にかなり無理があるが、『他人の世話になりたくない』という弾道を曲げる手段はこれしか思いつかなかった。
     なにより、時間はあまり残されていない。
     猛炎は顎をしゃくって、ボンに返事を促す。

    「飽くまでお前はオトモであり、私が主人なのだ」

     とでも示すかのように、尊大かつ傲慢に。
     翻ってボンは気を悪くするでもなく至極満足そうに大きく頷き、

    「ニャー!」

     と、手を挙げて元気いっぱいに鳴いた。
     かくして、オトモアイルー・ボンが仲間に加わったのである。
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