じぃちゃん達を見送って、じゃあ次、オレらはどう動くかってなった時。オレは部屋の天井付近の壁にくっつく、格子になったステンレスカバーがはめ込まれた給気口を見た。トイレの便座を踏み台代わりに、試しに排気ダクトの中を覗いてみれば中はずいぶん広い。
なんか後ろで「これからどうするか〜」みたいなことをブツブツ言ってるアズールほっぽって、体半分ダクトの中に押し込んでみた。
「あはっ、中けっこう広いねぇ……これならオレでも大丈夫そう」
体半分ダクトの中に突っ込んだオレに、「おい! 何してるんだ!?」なんて、勝手なことをするなってアズール怒ってんの。
「こっから行ったほうが見つかんないでしょ?」って、ダクトの中に全身入っちまえば、デカめの舌打ちしたアズールもそうするしかないって思ったのか、オレの後に続いてダクトの中に体突っ込んだ。その瞬間、あまりの埃っぽさに顔しかめたアズールが、金魚ちゃんがくれたネクタイを外して汚れないようにジャケットの下、シャツの胸ポケットに丁寧に仕舞ってた。
あれは親父のとこに乗り込んでボコられた時、とにかくぼろぼろになって、穴も空いてもう使えそうにないだろってなってた所を、やたらと渋って残念がったアズールを見た金魚ちゃんが、蛸足の刺繍を全体に入れて穴を塞いで繕った。
リビングだと『もし針を落としたら危ない』からって、みんなから離れてダイニングテーブルで刺繍する金魚ちゃんに、『近くで見ててもい〜い?』って聞けば、『面白いことなんて何も無いと思うけど……』って、ナイトレイブンカレッジの時は、魔法使って簡単に裁縫してた金魚ちゃんが、今じゃあちっちゃな手で針を持ってチクチクしてる姿は側で見てても面白かったし、無言で熱心に針を刺す姿に、あ〜これ、金魚ちゃんそ〜とう楽しいんだろなってのが分かった。
そうやって金魚ちゃんが心を込めて刺した刺繍入のネクタイ。そりゃアズールにしてみれば、替えがきかない……アズールのためのこの世に一点しかない代物だ。元の価値から何十倍にも価値が跳ね上がったネクタイと、この刺繍の土台になってるネクタイが何一〇本も買えるようなスーツじゃ圧倒的に差がある。破れたり血や埃で汚れたところで、また同じものを作ることができるスーツと比べれば、このネクタイの価値が分かる……まぁ、簡単に言っちまえば、アズールの宝物ってことなんだけど。
そう考えると、やっぱりちょっと……いや、か〜なり腹立つ。オレも今度金魚ちゃんに、オレのためだけに刺繍を刺してくんねぇか頼んでみようかなぁ……なんて、そんな事考えながら物音を最小限にズルズルとダクト内を移動していると、薄暗かったダクトの中に光が見えた。どうやらどこかの部屋の給気口から入る光みたいだ。
今まで無言で後ろから付いてきたアズールに、手のひら向けて〝止まれ〟って合図して、振り返り人差し指を唇に当てて「シー」って、格子になったステンレスの給気口の外を指差す。
そこから見えるのは、先程まで見てきた廊下に面して大きく窓があるような部屋とは違い、外からは一切中を伺い知れないような部屋……
その部屋、モニタールームの奥。ガラス越しに何かの検査ルームになっている部屋の中、あの怪しい布にくるまれたままの意識の無いアスターとサミュエルが、検査台に拘束されてた。
いつもは割と冷静なはずのアズールが、この光景見て今にも飛び出して職員殴り倒し、二人のもとに駆け出しそうな顔してる。それをぐっと抑え込んでるのか、奥歯が割れそうなぐらい噛み締めた音が聞こえた。まぁオレも今、おんなじ気持ちなんだけど……
暴れたい気持ちを抑え込んで耳をすませば、モニターとガラスの向こう側、意識の無いアスターとサミュエルを見つめた職員の話し声が聞こえてくる。
『凄いな……これが所長が持ち帰った研究結果か……さっきから上がってくる波形データが凄い』
『ああ……こんな魔力波形は見たことがないよ……早く俺らも直接〝実験〟ができる立場になりたいな』
『特Sランクの素材なんて、この施設でも所長を入れて一〇人程度しか〝実験〟できないだろ……俺らじゃまだ、こうやって奇跡的に測定が回ってくるぐらいだ。貴重な素材に触れられるんだ。それだけでもありがたいと思わないと』
『そうだな。あぁでも、これを産んだ母体の方は、もう簡単な実験が始まってるんじゃないか? これで特Sクラスの素材を安定供給してくれるようになったら、俺等にも機会が回ってくるかもよ』
(母体……ってのさぁ、間違いなく金魚ちゃんのことだよねぇ……)
その実験ってなると、確実に金魚ちゃんに子供を産ませようとしているって事デショ。
アズールには、金魚ちゃんの魔力とユニーク魔法を代償に黄金の契約書で呪いを引き剥がすことに成功したと聞いた。それがない状態で金魚ちゃんがまた稚魚を産むなんてことになったら、どんな最悪な事態になるかなんて分かったもんじゃねぇ。
何より、雑魚が金魚ちゃん孕ませようなんて、身の程知らずもいいとこだろ。アズール以外でそんな奴がいたなら、一瞬で喉元を食いちぎってやらなきゃなんねぇ。
横でこの話聞いてるアズールも、オレと同じかそれ以上の事考えてるみたいで、ブチ切れてるアズールに近い方の皮膚がヒリついている。
『だといいが……それより、この先一体、何一〇〇項目身体データを取るんだ? こりゃ当分ここに缶詰だな』
『時間もかかるだろうし、食えるもんを確保してくるよ』
『あぁ、頼むよ』
んな事言って白衣の研究員が一人部屋を後にした。絞めるなら今しかないタイミングだろってアズールと目を合わせ頷き、まず先に監視カメラの位置を探る。この部屋も入口付近の天井にあるみたいだ。
それを確認して、オレは行動に移す。音立てねぇように給気口の格子を外し部屋に着地すりゃ、それに気づかねぇ雑魚の背後から忍び寄り、その首を羽交い締めするなんて簡単だ。気づいた時にはもう遅い、一瞬ヘタにもがくも、雑魚は五秒で意識を失った。
アズールの方も、オレが雑魚羽交い締めした瞬間に急いで給気口から飛び降り、入口横の壁にあったガバーを取って、先程のように監視カメラのモニター画像をさっきみたいに操作してる。
目の前には、分厚そうなガラス越しにアスターとサミュエルが見える。〝特Sランクの素材〟なんて大層な呼ばれ方してる通りに扱われたのか、パッと見て大きな怪我はなさそうでそれだけは安心できた。
あぁでも……じわりとオレ自身がどうにもできない苛立ちがじわじわと脳を侵食してく。まだダメだって、あのヘラヤガラをぶちのめす最高のタイミングまで抑え込んでなきゃならねぇ……
冷静になるためにふぅと息を吐くと、アズールがバーチャルキーボードのエンターキーを叩き、どうやら作業終了したみたいだ。
「一応できることはしたが、僕の腕前じゃどこまでごまかせるか分からない、早く二人を助けてここを出るぞ」
「そうしたいんだけどさぁ……こっちの検査室? のロック解除がわかんねーんだよね」
職員IDとパスワードで開くらしいそのドア、絞めたコイツのIDで開く可能性もあるが、変なことをしてエラーでも出せば、警備員がすっ飛んでくるかもしれねぇ……迂闊なことは簡単には出来ない。
んなこと考えてたら、ラッキーな事にさっき部屋を出ていった雑魚が帰ってきた。
「遅くなった、検査はどこまで……す、んだ……!?」
「あはっ! 検査はもう終了〜 もちろん、お前もなぁ」
手にしたエナジーバーとミネラルウォータを床に落とした男は、驚いて警備員を呼ぼうとポケットの中の緊急ボタンを押そうとしたが、まぁもう遅せぇ〜んだわ。男の腕を後ろ手に捻り上げ、さっき肉壁からもらったコンバットナイフの刃を喉元に押し付け、余計なことはすんなよって視線で脅す。先に締め上げた雑魚と一緒で荒事に慣れてない姿に。アズールから聞いてた、学園から逃げた金魚ちゃんを追ってきたっていう奴らは、コイツラよりもランクが上なようだ。
「な……何が目的だ……?」
「私達の目的は、あなた方が〝特Sランク〟と呼んでいる、向こうにいる子供二人です。私達は今ここであなたを殺して、床で寝ている彼に扉を開けさせる事もできます。そう理解したうえで、この扉のロックを解除して生き延びるか、それとも拒否して殺されるか……どちらを選ばれますか?」
アズールのこの脅迫に、雑魚の顔が一瞬で真っ青になった。喋るのすら怖いのか、検査室のドアに自分のIDカードを押し付け高速でパスワードを打ち込めば、ドアは簡単に横スライドで開いた。
「あ、開けたから、もう……開放してくれても……!」
「ぁ? まだチビの拘束解いてねぇだろ」
「そんな……だってそんな事したら、上層部に殺されてしまう!!」
「それってさぁ、今、即死ぬか……命狙われるかも知れねぇけど、もしかしたら逃げられるかもしれねぇってことじゃね? ならオマエはどっち選ぶの?」
オレの言葉に、どうしても死にたくない気持ちが勝った雑魚は、組織を簡単に裏切って、アスターとサミュエルの拘束を解いた。
「ほら! これで良いんだろ!?? 早く開放してくれ!!!」
必死に訴える雑魚に、「ウンそ〜だねぇ、じゃあオヤスミ〜」って頭ぶん殴ったら、その場ですぐ気絶した。本当につまんねぇやつらだ。
アズールが、アスターとサミュエルを検査室の外に抱きかかえる姿を横目に、オレは逆にこの雑魚二匹の外部との連絡手段やIDカードを奪ってポイと検査室の中に捨てた。んで、ドア閉めたらドアに〝ロック〟の文字が表示されて、まぁこれで少しの間、時間は稼げるだろう。
「アスター! サミュエル!!」
二人をジャケット敷いた床の上に寝かせたアズールが、二人に呼びかけたら、意識がゆっくりと浮上し、目の前のアズール見て二人して「「とうさん……?」」って、最初はぼんやりしてた意識が戻れば、気絶する寸前を思い出して、ワッ! と声を上げて泣き出した。
「とうさん、かあさんがッ!」
「フェエじぃも、みんな……たおれて!」
「あぁ……まずはお前たちが無事で良かったよ……」
頑張ったな、怖かったろって……アズールが二人を抱きしめて背中を撫でてやってた。こんなけ大声で泣けるんだ、きっと怪我とかも大丈夫だろ。で、よかった……とそう思うと同時。何度も見てきた光景のはずなのに、アスターとサミュエル、二人の父親って立ち位置のアズールを見るとやっぱり胸の中がモヤついた。
でも、無事で良かったじゃんとか、今はまだ仕方ねーだろってモヤ付く気持ちを追い払ってたら、いつの間にか泣き止んだアスターとサミュエルがオレのとこに来て、両脚に一人づつ抱きついてきた。
ニコリと笑うサミュエルと、唇尖らせて恥ずかしがって素直じゃないアスターの頭を撫でれば、簡単にモヤ付く気持ちが落ち着いて。
あ〜、オレってこんなに単純だっけ? って、ちょっと笑っちまった。