「う゛ぅ……」
「サミュエルどうした!? 大丈夫か!!?」
急に青い顔して座り込んだサミュエルに驚いて顔を覗き込めば、小さく唸りながら「とうさん、あたま、いたい」とフラフラするサミュエルの体を支えた。
「こえ……いっぱい聞こえて……きもちわるい」
リドルたちと一緒に住むようになって、サミュエルが時折『声が聞こえる』『誰かが何か話しかけてくる』と耳をそばだてているのを度々見かけたし、いつも最終的に『聞こえない』と残念がっていたのも知っていた。
僕の腕の中で耳を手で覆っても、それでも聞こえてくる声にぐったりとしたサミュエルを抱きかかえれば。アスターの方は、僕譲りの銀髪の光沢をいつもよりもずっと赤く光らせ、ギッと目を吊り上げる。この姿は、以前フロイド達の父親に怪我をさせられたリドルの姿を見た時と同じだ。
「アスターもどしたの?」
フロイドが問えば、ひと言「来る」と言ったアスターが、開く自動ドアがら押し入る侵入者を睨みつける。黒い抗呪石ローブのフードを深く被る警備兵が、僕達に向かって一斉に銃口を向けた。
「チッ! もうバレたか……」
監視カメラを弄ったといっても、僕程度の腕前ではその痕跡を消す事自体まだ難しい。元からすぐにバレてもおかしくない状況だったが、子供たちが今この様な状況の中見つかるのだけは避けたかった。
どうにか二人を安全な場所に……と、考える僕の目の前。アスターが「あぁ……もうッ!!!」と大声を上げる。
その声に、この場にいた人間の目が一斉にアスターに向けば、怒りで顔を赤くするアスターの周囲に、ゆらりと魔力が膨れ上がるのを感じた。
「また……かあさんにヒドイことしてるの? あぁ、もうッ……なんでッ!? なんでそんなことするのッ!!!」
アスターの感情に呼応するかの様に、空気が震え、密集する。すると男たちは、まるで空気の塊にでも首を絞め上げられているのか、次々に手から銃を落とし、うめき声を上げ首元の何かを必死に剥がそうともがき、口から泡を吹いて目を見開いている。
「どうして!? なんで!!! あぁもうヤダヤダヤダッ!!!」
頭を抱えながら地団駄を踏むアスターは、普段は紫色の瞳まで赤みを帯びて魔力を暴走させる。
あのリドルの主治医——フレド曰く、産まれた経緯のせいか、アスターとサミュエルはブロットの溜まりにくい体質だと聞いている。がそれでも、全くブロットが溜まらないわけでも、魔法を行使することでかかる体への負荷が無いわけではない。
魔法士の親が、魔法の発現が早かった子に持たせるペンダント型の魔法石を、リドルは二人にお守りにと持たせてはいたが、こんな風に怒り任せに魔法を使えば、ブロットが溜まりきってしまう。いや……それ以前に、このままだとこの警備兵達を、アスターが手にかけてしまいそうだ。
「アスター落ち着け!!」
「なんで!? なんでみんな、かあさんをいじめるの!?? もうヤダいやだ!!!」
ぐすぐすと泣きながら、なんでどうしてと怒るアスター。この反応から見ても、今どの様な状況下に置かれているか分からないリドルが、現在危機的状況に置かれているのだけはわかる。
だがそれ以上に、今はアスターの方が危うい。
アスターはリドルに似て、癇癪玉のような部分がある。怒ると手がつけられず、ワッと泣いてぐずるアスターを根気よくなだめられるのはリドルだけだ。抱きしめて、膝の上で落ち着くまであやされる姿をこの半年と少しで何度も見た。これに関しては、僕も試そうとはしてみたものの、やはりダメで。その時は機嫌の悪くなったアスターのぐずりがさらに酷くなった。
僕はアスターの父親なのに、どう対処すれば止める事ができるか何も思い浮かばず、一瞬思考が停止する。このままだと、アスターに人を殺させてしまう。それだけは絶対にさせたくない。なのにどうすれば良いのか、全く正解が思い浮かばない。
どうすれば落ち着かせられるのか……腕の中でぐったりするサミュエルを抱えながら固まっていると、僕の横をスタスタと歩いくフロイドが、宙吊りになった警備兵の前まで歩き、大きく脚を振りかぶり、部屋の壁まで次々に蹴り飛ばした。
「!!?」
驚いたアスターが顔を上げれば、振り返るフロイドが、何事もなかった顔で笑う。
「おじさん……なんで」
「ん〜〜? アスターたちは金魚ちゃんと〝人に怪我させるような事はしちゃダメ〟って約束してるでしょ? 約束破ったら、また金魚ちゃんが悲しむよ?」
その言葉に、アスターの髪や目の色がじわりと元に戻る。
「こいつらぶん殴んのはオレや〝とうさん〟がするから、アスターはしちゃダメ」
わかったぁ? とフロイドがアスターの頭を撫でれば、その言葉に安心した表情を浮かべたアスターがコクリと頷き、僕の方にやってきて抱きついた。グリグリと額を体に擦り付けるのは、アスターの感情が一杯になったとき、よくリドルにしてる仕草だ。
アスターがもし警備兵を殺してしまったら、きっとリドルは一生その事で苦しむし、アスターの心の傷にもなるだろう。それが回避できてよかったと心底思うと同時に、胸の中に渦巻く嫉妬を、今はそんな事を考えているときじゃないと押し込んだ。
「ここにいたら、また増援が来ちゃうかも、どーするアズール?」
「リドルが危険な目にあっている可能性がある、急ぐならもう正攻法でいくしかないだろ」
「あはッ! オレぇそっちのが好き。もうじぃちゃんたちにアスターとサミュエルを預けに戻ったりできねぇんだし、二人はアズールが抱えてて」
絞めるのはオレがやるからぁと、先陣を切るフロイドの後ろを、二人を抱き上げ追えば。薄目を開けたサミュエルが「あっち」と指差す。
二人はリドルから産まれたからか、それとも呪石の何らかしらの力か、リドルと離れていても、どこにいるのか感覚としてわかるようだ。
「フロイド! リドルはこの先の部屋にいる!!」
「りょ〜かい!」とフロイドは、曲がり角から現れた警備兵を、軽く飛び跳ね蹴り倒した。
絶対にリドルを助けて、全員無事にあの家に帰るんだ……!
そう決意して、サミュエルが指し示した場所に向けて廊下を走れば、遠目で見えたリドルがいるという部屋の壁が見えた。だがその周辺に出入り口もなく、どこから入ればいいのか分からない。迂回して出入り口を探すべきかと考えれば、次はアスターが僕に「ねぇ、とうさん……後でかあさんに、いっしょにあやまってね」と言って手を前に突き出し、髪の光沢を濃くする。
ちょっと待てと止める前に、アスターから生み出された赤い球体が、全速力で壁に向かって突き進む。
「フロイド避けろッ!!」
慌てて叫べば、気づいたフロイドがヒラリと回避し数秒後、地面が揺れるほどの衝撃とともに壁は崩れ去った。
煙の上がる中、溶けた壁から部屋に立ち入れば、二人の男がリドルを引きずっている最中だった。そのリドルの体は酷く扱われ、頬は赤く腫れて、シャツワンピースの胸元のボタンが無く、白い肌を明かしている。
「お前たち……僕のリドルに一体何をした!?」
アスターとサミュエルを下ろし背後に隠れさせ、ギリギリと奥歯を鳴らしながら、僕はリドルの腕を掴んで引きずる男を見た。
「は? 何だお前ら……うごぁッ!!?」
「ジャマ」
男二人を殴りつけたフロイドは、開放されたリドルを支え、僕達のもとに連れてこようと後退するが、リドルの表情は助けられた安堵よりも、酷い焦燥感を滲ませている。
「アズール! フロイド!! ボクのことはいいから早く、アスターとサミュエルを連れて逃げるんだ!!!」
どういう事か聞き返す前に、ガラス一枚を隔てて向こう側、自動ドアが開き、あの憎きダーハム・グレイソンが顔を出した。
「いやはや……リドル・ローズハート……君が産んだ星の子は、本当に素晴らしい力を持っている。この目で見れて……あぁ……幸甚の至りだ」
拍手とともに感嘆の声を上げる奴は、僕たち五人を順繰りに見つめ、そして……あの時リドルの頭に突きつけていた拳銃を見せた。
「さぁ……実験の続きを行おう。その素晴らしい力を、もっとしっかりしたデータにしてまとめなければ……そのためには、君にはこの先も子供を産んでもらわねば困るのだよ……」
普段は簡単に動じないリドルが、顔を青ざめ細い肩を震わせる。その姿に、一体どこまで体を開かされたのかを考え、僕の眉間に皺が寄る。フロイドは「オィ」と前に出ようとし、僕は腕でそれを制した。
「ダーハム・グレイソン……お前は、私だけでなく妻や子まで拉致して、人道的とは言えない実験に使おうとした。これは立派な犯罪です。到底許せるものではない。今後もこのようなことを続けるというなら、持てる力すべて使ってでも、僕たちは『anathema』を潰そうと思います……ですが、ここで私達から今後一切身を引くなら、年間一〇〇億マドルを、あなた方『anathema』に投資してもいい……どうです? 少し手を引けば、あなた方は今よりも良い環境で研究を続けられる。悪い話ではないでしょう?」
こんな杜撰な交渉を仕掛けるつもりはなかった。本来ならイヴァーノと立てた作戦通りに、もっとanathemaに関係する投資家たちに根回しした上で、作戦を決行するはずだった。どうにか乗ってこいと、たらりと背中に垂れる冷や汗を隠しながら、こちらが有利に見える表情で問う。
「一〇〇億マドルとは……我が『anathema』に投資する方々の中でも、それほどの額を提示される方は中々いらっしゃりません……本当に、実に魅力的な申し出だ」
肯定的な言葉を口で吐きながらも、ダーハム・グレイソンの表情は変わらない。何を考えているのかわからないその表情に、早々にこの交渉は決裂したのだと早々に悟った。
「ですが、アーシェングロット殿。我々は金や地位や名誉のために、この研究を続けているのではない。我々が求めるのは〝真理〟だ……呪石の起こす奇跡を、私達は解明したいのだよ。そのためには、リドル・ローズハートと子供たちは必要になる、これはマドルには代えられない価値だと、そう思わないかい?」
「あいにく、私はこの呪石の研究に、私の妻と子の命を掛けるほど重いとは思っていない。私の妻と子をそれっぽっちの価値にされるのは心底不快だ——フロイドッ!」
この愉快極まりないこいつらを殺してでも逃げるぞと、ダーハム・グレイソンからフロイドを隠すように撃ち出した水流に紛れ、フロイドが奴の急所を狙い飛び込んだ。
足技で顔面を蹴りつけ壁に叩きつける、が周囲の職員の誰も、地に伏せたダーハム・グレイソンに反応しなかった。
「フロイド! そいつは呪石の力を使って〝死の原因〟を書き換え、無かったことにできるんだ!!」
リドルの発言とともに、フロイドが跳ねるように後退すれば、地に伏せたダーハム・グレイソンが何事もなかったかのように立ち上がった。折れたその首は元に戻り、「彼の言っていることに間違いはありません」とニタリと笑う。
本当に、最悪な奴らを相手にしている。勝ち目どころか、逃げることすら想像できない。あまりにも絶望的な状態だ。
「もうそろそろ、抵抗するのをやめ給え。こちらも実力行使しなければならなくなる……いや、そうだな……その子供たちは感情で能力値に大きく作用するように感じる……そうだ、そうだな……材料は二人いるんだ、一人ぐらい潰してもいいだろう」
そのひとり言の後、何の躊躇もなくダーハム・グレイソンが手にした銃口が僕たちに向き、引き金が引かれた。
魔法も、何も、とっさに使うことが出来ず。リドルと子供たちを守る為に三人の前に立った僕の体を、〝何か〟が凄まじい衝撃で駆け抜けた。その衝撃に痛みを感じる前に、僕は床の上に倒れていた。
「アズールッ!?」
聞いたことがないような、フロイドの慌てた声が聞こえた。大声で叫んでいるであろうその声が、何故かやたらと遠い。
ちらりと目の端に映るのは、リドルの青ざめた顔だ。
なんだか今日は、そんな顔のリドルしか見ていない。
そんな顔じゃなくて、僕はリドルが子供たちに囲まれ穏やかに微笑む顔が見たい。
朝、目が覚めて「おはよう」と僕に微笑むリドルの笑顔……
子供たちに料理を作り、過保護なまでに二人を大切に慈しむリドルの横顔……
「行ってらっしゃい」と子供たちと一緒に、仕事に向かう僕を見送リドルの姿……
帰宅して、皆でリドルの作った夕食を食べて、子供たちが寝た後に、抱きしめたリドルの体の柔らかさも、ほのかに香るあの花のような石鹸の香りも……
僕の腕の中、僕を心から信頼しきった表情を見せてくれるようになった、あの瞬間も——
僕の手の届かない、はるか高みにあったリドル・ローズハート……
ずっと……僕はずっと、リドルのその瞳に、僕だけを映してほしかった。
ねぇ、リドルさん……あなたの心に、ほんの少しでも僕を、フロイドより好きだと思ってくれた瞬間が、ありましたか?
僕の意識が完全に黒く塗りつぶされる直前、すべての意識を総動員し、カフスボタンに仕込んだ転移魔導陣を発動した。