穴だらけの証明閉じられたカーテンの隙間から月の光が入り込んでいる。曝された肌は瑞々しく照り、打ち寄せた仄かな月光は彼女の顔を浮かび上がらせた。
--溺れているようだ。
苦しそうに柳眉を寄せ、涙で潤みを滲ます顔を見ながら、いつも思う。熱に浮かされた虚ろな眸は一体どこを、何を見ているのだろう。うつくしい眼球に舌を伸ばすと長い睫毛は震え、瞼は固く閉じられた。
「恋がしたい」
妙に艶めいた、甘さの余韻が残る言葉。そう聴こえたのは彼女の声が擦れていたからかもしれない。どちらもオレを不愉快にさせることはなく、ただただ笑みを招くだけだ。
近くに落ちていたズボンを穿き、ベッドの隅に追い遣られていたクッションに背中を凭れさせる。サイドボードに置かれたリモコンに腕を伸ばし、何気なしにテレビのスイッチを入れた。映像が映し出されるまでの短い間、未だ何も身に付けていない████がベットの上で再び呟いた。
振り向かずにそうか、と軽く返答した。彼女はまともな回答など期待していなかったらしい。特に気にした様子もない。脱力しそうな声を上げてシーツに爪を立て始めた。
「クリスマスマーケット、もう始まってた。あと二週間でクリスマスだよ」
「もう十二月なんだから当然だな。だがオレたちの仕事はこの国の神の教えに背くモノだ。大体、████は神を信じているのか?」
「まさか。メローネは?」
「オレもだ。信じていたのなら、オレは今ここにいないだろう。クリスマスってのはな、今では何かしらの会社のただの商戦文句に過ぎないんだ。日本のバレンタインと同じだな」
「……夢、ないね」
「サンタクロースはいない。ベファーナもな」
「……今、サンタと魔女がどこかで一人死んだ。酷い。メローネの悪魔、殺し屋」
「誰より悍ましく人を屠る女が何を言ってるんだ。それに君はたった今、オレの存在を否定しただろうが」
「何が?」
「恋したいんだろ。なら、恋をさせてやるよ」
ザッピングを繰り返していたオレの指を「今の見たい」と背後から████が掴んできた。すかさずリモコンを放り投げて彼女の腕を取る。ベッドの上に雪崩れ込むように組み敷けば、柔らかな髪が薄闇の中で散った。呼吸すら奪うように唇を奪ってやる。いつだって独りよがりの、応える必要を感じさせない強引なキスだと自嘲した。
「オレの女になれば良い」
「…………」
「そうすればもう焦らなくて済むだろ?」
「……やだよ。頷いたらそれこそ私、本当に一人ぼっちになりそう」
「信用ないな」
「……ないよ」
微かに震えた声音。眸を見て会話に興じてきた████が、逃げるように視線を逸らした。こちらの視線を感じながらも、決してテレビから目を離さない。
オレは████の隣にごろんと体を横たえ、背中に額を寄せた。素肌が密着し、彼女の甘やかなの香りが染み付くような感覚は、眩暈がするほど甘美だった。自ずと髪が雪白の肌に触れる。くすぐったかったのか████は身を捩ったが、そうはさせまいと空いている片手で彼女の腰を掴んで固定してしまった。
何が悪かったのだろうか。順番か、誠意か。そもそもこんなことを始めたのが間違いだったのだろう。
きっかけはオレからの『何となく』したキスだった。その頃から████に惹かれていたのだと思う。いや、これはずっと前から、彼女と出逢ってから、そんな思いを覚えていた気もする。
いつとて心中に溢れていた彼女への恋情は、切ないものも孕みながらも穏やかだった。けれど明確な意思表示をする前に、オレたちはなし崩しのセックスをしてしまった。それから何となくこの関係を続けている。
元々、任務以外で二人で出掛ける事は決して珍しくはなかった。それに加えてキスをして、セックスをするだけ。外から見れば普通のカップルと何ら変わらない。けれど意思の疎通が出来てない。
試しに「好きだ」と言ってみた。彼女は少し逡巡した様子を見せてから小さく頷き、眸を逸らす。それだけだ。
やはり順序を違えたのがいけなかったと今更思い知らされた。思い知った。それでも一度知ってしまった快楽を遠ざけるのはひどく難しい。ああまるで、麻薬と同じだ。甘美な破滅への世界へと招き、胸を絞め殺し、縊る。これは病気だ。そこにあるから手を伸ばしてしまう。いっそのことオレがどこか遠くへ行ってしまえば楽になれのではないかと思う。到底無理な話だが。
彼女は言う。きっとあなたは私を手に入れたら興味を無くすにに違いない。だからこういう関係が一番私にとって救いなの、と。
ああ、信頼も何もないじゃないか。くつくつと咽喉奥で笑いを噛み殺していると、████は身を縮めてか細く震えていた。どうしたのかと思い、上体を起こして彼女の顔を覗き込む。少し長めの前髪から見え隠れする相貌は、何度見ても見蕩れるほど美しい。
████は喉を引き攣らせながら、ぽろぽろと涙を零していた。泣き声を零してしまったことが不服だったらしい、必死に両手で口許を押さえている。交々と色彩を変えるテレビの光が、潤みを滲ます眸に煌めきを堕とす。
「どうして泣いてるんだ」
優しく髪を梳くと、逃げるように彼女は目を瞑った。柔らかい髪質のそれは指に絡み付いてきたが、嫌悪感などちっとも沸かない。
可哀想な████。本当はオレのことが好きなのにな。約束してやれたら良いのに、君がオレを受け入れてくれたとしても、オレの気持ちは何ひとつ変わらない。けれどそれすらも言えないくらい████、君が愛しくて、欲しくて堪らないんだ。
「ごめんな」
そう云って、オレは小さく微笑んだ。精一杯の優しい声で。