リラックスしきっていることから、舌をしまい忘れてしまいますその日もカルデアでは非日常な日常を迎えていた。今回起こった霊基異常は人が猫に変化するというフィクションじみたものだった。カルデアに猫が居る、という和やかな状況に反して人体を猫にするという無茶が起きているのだ。早急な事態解決が望ましい……とされていたのも昔の話である。度重なるトラブルや事件、サーヴァント同士の諍い…むしろ何も無い日の方が珍しいまである為、もはやマスターどころか一般職員すら驚かない。はしゃいでいたりテンパっている者は最近来たサーヴァントのみで、彼らも月日が経つごとに慣れると思われる…それ程までに事件に事欠かない所なのである。
幕末の名だたる英雄を導いた吉田松陰もまた、表にこそ出さないものの、興初めて見るタイプの霊基異常に味津々な1人である。そして彼の前には1匹の猫がちょこんと座っていた。光の当たり具合によっては紅にも見える焦げ茶の毛並みをもつその猫は、松陰が晋作の部屋へ本の返却に訪れると、まるで出迎えるかのように扉の前で「にゃん」と鳴いたのだった。
朝に放送があったが、被害に遭ってないから自分には関係ない事柄だと流していた内容を引っ張りだし、言っていたトラブルはこれか、と思い至る。
「晋作…ですか?」
「にゃぁ」
気が動転して思わず質問してしまうが当然、「はい」とも「いいえ」ともつかない返事しか返ってこない。
「たしか…時間経過で戻るのでしたね…」
この部屋に来た時は弟子と喋っている時間の方が長いのでこうも静かだと違和感に感じてしまい猫の弟子に聞かせる訳でもない独り言を呟いてしまう。それに、晋作は部屋に居るとはいえ猫の姿のため、本人不在の部屋に松陰1人な感覚がして少々据わりが悪い。
借りた本の感想戦は今度にして本を置いて早々に立ち去ろうとした所で、猫が机の上のタブレット端末をたしたしと叩いてにゃーにゃー何かを訴える。言われるがまま端末を付けてやると、ふにふにの肉球のついた前脚で何やら画面をタプタプと叩き始める。
『先生待ってました!』
「?待っていたとは?もしや体調が…?」
『いえ、それは大丈夫。でも部屋から出れなくて』
「ああ、なるほど。」
『にしても、こんな時の為に画面の大きい端末用意してて良かった』
「…。」
『バウリ○ガルは作ったんですけどニャウリン○ルはまだでして…』
「そうですか…」
意思疎通が困難になる状況の想定ならまだ分かるが、犬猫になる想定をされるこの環境とは…と宇宙に行きそうな意識を引き止め、朝から強制的に部屋に籠っていた弟子に声をかける。
「とりあえず食堂へ行きませんか。僕も昼はまだなので」
猫はにゃん!と返事をして松陰の足元に擦り寄った。
▷▶︎▷
昼を過ぎた時間帯と言うのに食堂は賑わっていた。キッチン勢の作った臨時の猫用ご飯が各々の口に合ったようで、そのままお昼寝する猫とその保護者の立場の者達が多く残っている様だった。
フランス王妃の膝の上でカチコチになっている灰色の猫とそれを揶揄って引っかかれている神才、スフィンクス・アウラードに似たフォルムのどこか神々しさを感じる猫を抱えて慌てているオルタの旧いファラオと急いで猫の寝床を作成しているオルタではない同位体のファラオ、猫が2匹…と思ったら片方は意志を持つ宝具だったり…とそれぞれ猫を堪能している様である。
「あ、松陰先生は今からお昼で…ってその子は…高杉社長」
「ええ、まあ。」
マスターに声を掛けられ、その目が己の肩に居る弟子に止まる。部屋を出た頃は足元を歩いていたのだが、踏んでしまいそうだと肩に乗せたのだ。始めはそわそわと落ち着かなげにしていたが、今ではそういう毛皮の首巻きのようにリラックスして松陰の首元に懐いている。
自分と晋作の分を注文し、席を取るとマスターも正面に着席した。
「社長の姿が見えないね、って部屋に探しに行く所だったんですよ。猫になってたら出れなくなってるだろうから」
『僕がなってなければ面白かったんだがな』
「おお!猫でも画面って反応するんだ。自分用のやつダ・ヴィンチちゃんに頼もうかな」
『そうだ、猫の鳴き声を集めたデータって用意出来るかい?ニャイ○ンガル作ろうと思って』
「ニャイ○ンガル」
『ちなみにバウリンガ○はもうある』
「バウリンガ○もうあるの」
松陰の取り出したタブレットを膝の上に移動した晋作が操作してマスターと話し、一先ず大丈夫そうで安心した、とマスターが笑った。
その後はいつも通りの雑談を交えつつ食事を終え、空腹も収まったところで二人はシュミレーターへと向かった。松陰は食事を終えた辺りから好奇心が抑えられずソワソワしていたし、晋作も何だかんだ言いつつ今の状況を楽しみ始めていた。エネミーの設定を無しで開始し、猫になってもアラハバキや宝具の展開は出来るのか、という真面目なものから意識は人のままであるが知能も維持されているのかなどの検証を行い、果てには猫の弟子がどこまで伸びるのかまで確認された。
「猫は液体と聞きましたがなるほど…」
「にゃう」
「性別は…変わってませんね」
「に"ゃう"ぅ!」
持ち上げた晋作がバタバタと暴れ、バリ、とやられる前に解放し軽く謝る。
その後も小休憩を挟みつつ1人と1匹で満足のいくまで色々と試していると、晋作の動きがピタリと止まり、端末を打ち始める。
『ねます』
「…は?」
『ねます』
「突然ですね…最後にこれだけお願いできませんか?」
『ねます』
そう残して猫は丸まって本当に寝入ってしまった。思えばそれなりの時間シュミレーターで動き回っていたし、猫は夜行性で食堂に居た子も眠っている子が多かったように思う。自分の気になる事を粗方やれて眠気に抗えなくなったのだろう、本来の気質か猫化の影響か、ひどくマイペースだ。寝顔を覗くと、仕舞い忘れたまま寝入ったのかちょこんと出された真っ赤な舌が見え、少ししか見えていないそれにひどく目を惹き付けられた。かわいい。松陰はすぅすぅと寝息を立てる猫を起こさないようそっと腕に抱えると自分の部屋へと足を向けた。
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翌日、結局あれから1度も目が覚めず、人間に戻った晋作は自分が朝起きると何故か先生と同じ布団に入っていた、という状況に1人混乱していた。服はしっかり着ているし最後の記憶が猫なのでそういった心配はしていないものの、先生に面倒を見させてしまったのは違いない。
隣でモゾりと起き出す気配があり、朝一番に拳をもらう覚悟を決める。
「おはようございます、晋作」
「お、おはようございます」
「元に戻ったのですね、体は大丈夫ですか?」
「はい、それは全然…じゃなくて、先生、昨日は面倒をかけました」
「あれくらい、面倒にも思ってないので良いのですよ。それに、猫の君もかわいらしかったですからね」
(『も』……)
これ以上の混乱を避けるためやぶ蛇はつつかず、マスターへの報告と朝食に部屋を出る。
報告を手早く済ませ、食堂のキッチン組に注文を告げる。
「僕はこれを。」
「じゃあ僕はこっちで。…ところで昨日作ってた猫用のやつって今日も作れるのか?猫の時と人間の時とでどう変わるのか気になってな」
隣の松陰の目がキラリと光る。先生も気になるのだろう。
「まあ、簡単なレシピだから問題ない。小皿に付けておこう」
「なら頼むよ」
暫くして受け取った料理と一緒に小皿も貰う。食事の挨拶をして早速小皿を1口すくう。
「うーん」
「どうですか、晋作」
「美味いんだが、猫の時はもっと美味く感じた気がする…?」
くだらない会話を挟みつつ、小皿を平らげると晋作も今日の朝食に手をのばした。
食後、お互いの部屋に戻ろうとした所で松陰が昨日返却した本について感想を聞きたかった事を思い出し、再び2人で松陰の部屋へ戻ってきた。そして心ゆくまで感想戦を繰り広げ、小休止にお茶を淹れなおそうと立ち上がりかけた晋作を「病み上がりのようなものだから」と押し留めて簡易キッチンへ向かう。ケトルのスイッチを押し、茶菓子に大福を用意する間、ちらりと晋作の方を見ると、考え事でもしているのか珍しくぼんやりとした様子だった。ケトルの湯で茶を淹れて晋作の元に戻る道すがら、ソレを指摘してやる。
「舌、仕舞い忘れてますよ」
「…?…あっ」
「ふふ、やはりかわいらしい」