むしやしない たまたま近くにいたから、なんて理由をつけて、事務所で聖川と落ち合った。紆余曲折あって、オレと聖川には「恋人」という関係が一つ増えた。恋人同士が会うのに別に理由なんていらないのだろうけど、素直になれなかった時間が長すぎたオレたちの間には、未だに何か、そういうどうでもいい口実が必要だった。
聖川は、今期注目ドラマの主演に抜擢されていた。アイドルは俳優と違い、ドラマや映画の他に、バラエティやら、歌番組やら、時期によったらライブやら、仕事の幅が広い。主演俳優は覚えるセリフの量も膨大で、今はきっと忙しさのピークだろう。
当然生活もすれ違いで、恋人らしい触れ合いをしたのは、随分昔のことのように思う。本当は今すぐ抱きしめて、息もできないくらい深いキスをして、奥の奥まで繋がりたい。
でも、体が資本の仕事に無理は禁物。
「神宮寺、夕食は? よければ寄っていかないか?」
だから、その誘いもオレはウソをついてでも断ったんだ。
「大丈夫。もう済ませたから。早く帰って自分のことしろよ」
「そうか……」
少し寂しそうな聖川の声に、オレの決意は揺らぎそうになる。どうでもいい口実を付けて迎えにくるほどには、オレだって聖川と一緒にいたい。
でも家に上がったら、帰る決意をする方がよっぽど後ろ髪を引かれ、苦しくなるとわかっていた。
その時である。
グゥ、とオレの腹が鳴ったのは。
エンジンの音に紛れて、聞こえていなければいいのにと思ったが、聖川がこちらに視線を向け、じっとオレの顔を見つめているのが、フロントガラスの向こうを見ていてもわかった。
絶対に、バレた。
聖川ときたら、なぜか腹の音には敏感なのだ。
「なんだ、夕飯が足りなかったのか?」
「いや」
聖川の声色は、どこか嬉しそうだった。それから自身のバックを探って、おせんべいを一枚取り出し、パキパキと一口サイズに割ると、袋を開けてオレに差し出した。
「ほら、むしやしないだ」
「むしやしない? おせんべいのこと?」
聞き慣れない言葉を尋ねると、「言わないのか?」と返ってきた。
「腹の虫に、少し大人しくしてもらうための食べ物……いわば、軽食のことだな」
「ふぅん。初めて聞いた」
「そうか」
ありがたくその一欠片をぱくっといただくと、醤油の味がじんわり口の中に広がって、なんだかますますお腹が空いてしまった。
「あんな虫嫌いなお前がね」
「ふ。唯一、俺が可愛らしく思う虫だな」
「なんだよそれ」
ふふ、と聖川が小さく笑う。
「で? 夕飯は? 神宮寺の腹の虫はそれでいいのか?」
「いいよ」
「嘘をつくでない」
「ウソじゃない」
「では、言い方を変えよう」
「何?」
丁度赤信号で車を停めると、じとっとした目で聖川がオレを見つめた。
「嘘をつけ」
「は?」
「でなければ、お前がうちに寄る理由がないだろう?」
まっっったく!
本当にこいつは、オレがどれだけ色んな欲を我慢してると思っているのか。
はぁ、と盛大にため息をつくと、信号が青に変わる。
「……腹の虫だけじゃないけど」
と悔し紛れに言い放つと、言い返すみたいに強めの口調で返ってきた。
「台本は先まで入っている」
「はっ!?」
それって、どういう……と聞く前に、聖川がオレの上着の裾をきゅっと掴む。
「……我慢しているのは、お前だけではないぞ……」