「何にするか?」
「ん~、ホットの……ココアかカフェオレ」
「分かった」
彰人はベンチに腰掛けて、自販機の方へ向かう冬弥を見送った。
チームの誰かが誕生日を迎える度に謙さんとこで祝って、セカイでも集まって歌ってパーティー開いてもらって、という流れが当たり前の物になって久しい。そしていつの間にか、杏とこはねと別れたあとに二人でここに立ち寄り、少し話をしてから帰るのも当たり前になっていた。
「二人でここに寄るのも何度目になるだろうか」
「お、ちょうど同じこと考えてた」
「ふふ、そうか」背中を向けた冬弥の声が少し弾む。「彰人の誕生日は、少し肌寒い。小豆沢の誕生日も」
「杏の誕生日は蒸し暑いし、そう考えるとお前の誕生日が一番快適だな」
そうかもしれないな、と笑いながら差し出されたホットココアの缶を、彰人はありがたく受け取った。お互いの誕生日にはお互いに奢り、他の二人の誕生日にはそれぞれ自分で買うのも暗黙の了解になっている。
「今日も楽しかった」
「楽しかったっつーか騒がしかったっつーか……人の誕生日に託けて騒ぎてぇだけだろって奴もいるが……」
「それも悪くないだろう?」
「まーな」
どちらからともなく手を近づけて、コーヒーとココアの缶がコン、とくぐもった音を鳴らした。プルタブを開ければ、甘い香りと香ばしい香りが漂い、地面にこびり付いた吸い殻の臭いを少しだけ上書きする。
「こうやって乾杯する度に、最初にここに寄った日のことを思い出す」
「最初っつーと……あー……お前の誕生日だったか?」
本当はよく覚えているくせに、それを言うのがなんとなく気恥ずかしくて、はっきり覚えていない体を装ってしまった。そんな自分に呆れつつ、彰人はまだ熱いココアを一気に呷る。
「ああ」
冬弥は頷いて、深くベンチの背もたれに寄りかかった。軽く上を向いたその顔が、なんだかとても満ち足りたような表情を浮かべていて、
「なぁ」考えるよりも先に言葉が口をついた。「お前の望みは変わってねぇのか」
「え?」
——『彰人がこうして隣にいてくれる。それ以上に何を望むことがある』
その言葉がずっと、忘れられずにいる。
耳にした瞬間は純粋に嬉しかった。冬弥が自分の隣に居ることを望んでくれていることも、それを言葉にして伝えてくれたことも。
だがそれは、“何も望んでいない”のと同じだ。誕生日に口にする望みにしては、あまりにも寂しすぎた。
こっちは、もっと我儘言って欲しいって、自分にできることならどんな望みだって叶えてやりたいって思っているのに。
中身の少なくなったスチール缶が冷えて、指先まで冷たくなっていく。戸惑ったような表情を浮かべている冬弥の顔をまっすぐに見据えた。
「——いや、今日はオレの誕生日だから言わせてもらうが、オレは今こうしてお前が隣にいるだけで良いなんて思ってねぇ」
「え……?」
「今だけじゃねぇ。夢を叶えるまででもねぇ。いつかRAD WEEKENDを越えた後も、」これ以上は言わない方が良い、言うな、と頭の中で警鐘が鳴る。聞こえないふりをして目を閉じた。「どちらかが……歌えなくなるような事が、起きて、隣に立てなくなってもずっと……何があってもずっと他の誰にもお前の隣を譲らねぇし譲らせねぇ」
それが、何よりも音楽が、歌うことが好きな冬弥の可能性を閉ざすことになったとしても。
「……なぜ」
一拍置いてから、冬弥が小さく呟いた。さすがに困らせただろう。引かれたかもしれない。彰人は恐る恐る目を開いた。
「なぜ、彰人がそれを言うんだ……?」
「なんで、って」
冬弥の口から発せられたのは、その言葉の通り受け取るならば、困惑や拒絶の色を滲ませていてもおかしくないセリフだった。しかしその声色は意外にも明るいトーンで、投げかけられたのが純粋な疑問であることを物語っている。なにより、冬弥が目を見開いて、珍しいくらいに口をぽかんと開けている。予想外の反応に、困惑したのは彰人の方だった。
「いや、すまない。こっちの話、と言うか……心の中を読まれたのかと思って驚いた」
「は?」
「俺も同じ気持ちということだ。いや、ずっと同じ気持ちだった」
「は……?」
冬弥は暖を取るように両掌で缶コーヒーを挟んで転がしながら、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「本当は俺も、夢を叶えた後も隣に立って居られたらいいのにと……。けれどあの頃は、また彰人と歌えるようになったことが奇跡みたいに嬉しくて、それまで以上に毎日が新しいことの連続で、満ち足りていて、それ以上を望むなんて烏滸がましいと思っていた」
コーヒーを飲んで、その手元に視線を落とす。
「こうやってこのベンチに座ってコーヒーを飲む度に、あの頃よりも随分欲張りになってしまった物だといつも思い出していたんだ。そうしたら、俺の望みを彰人が口にしたから、驚いてしまった」
柔らかく微笑む冬弥を見て、彰人は言葉を失った。胸のつかえが下りたような、それでいて一層苦しくなるような、甘い痛みを言葉にできないまま彼の頬に手を伸ばす。冬弥は少し慌ててきょろきょろと周りを見渡し、辺りにひと気が無いことを確認してから、彰人の掌に頬を寄せて目を閉じた。
顔を寄せて、唇が触れるだけのキスを落とす。彰人の手に冬弥の手が重なる。
「彰人、手が冷たいな」
「あ、わり」
冷たい、と言うわりに重ねた手を放す気は無いらしく、ぎゅっと握り込んでくるのでそのままにさせる。
「他には?」
「え?」
「他に望みとか、我慢してることとか」
「いや、そんな急に言われても思いつかない」
「いつでも、もっと言って良いんだよ。ダメ元でも言うようにしろ」
「最近はあまり遠慮せず言っているつもりだが……引き続き善処しよう。だが彰人、今日はお前の望みを俺が聞く日だと思う」
「……それもそーだわ」
それじゃあもう一回、と顔を近付ければ、冬弥が再び目を閉じる。薄い唇を軽く食んで、小さく開いた隙間に舌を滑り込ませるとコーヒーの味がした。
味が分からなくなるまで舌を絡ませて、冬弥の熱っぽい吐息で顔が湿る。キスの合間に囁くように、あきと、と名前を呼ばれる。
「……こう、してると、顔が熱くなるから……彰人の手が冷たくて気持ちいい」
あんまり可愛いこと言われると、これだけじゃ我慢できなくなるんだが……と言いたい気持ちを堪えていると、冬弥は口元に手を当てて小さく笑った。
「それにしてもさっきの……ふふ」
「んだよ」
「いや、夢を叶えた後も何があってもずっと、と言ってくれただろう。まるでプロポーズだなと思って」
「……はぁ!?」
ぶわ、と顔が熱くなり彰人は視線を泳がせた。そんなつもりで言ったわけでは無かったが確かに言われてみればどう考えてもプロポーズの文言だしずっと二人並んでいたいという言葉に偽りは無いから違うと否定するわけにもいかないしつまり本当にプロポーズと同義と言っても過言では無いのだが問題はこんなところで咄嗟に伝えるのは違うだろという点で、
「それじゃあ明日も朝練だしそろそろ帰ろう」
「え!? あ、だな」
彰人が一人で慌てている間にコーヒーを飲みほしていた冬弥が立ち上がり、彰人も後に続く。空き缶をゴミ箱に入れながら、赤くなっているであろう顔が自販機の灯りでバレないかそわそわして両頬を押さえると、冬弥の頬に触れていた方の手だけ温くなっていた。
「そうだ彰人、まだ彰人の誕生日なのに申し訳ないが、早速思いついたから一つ我儘を聞いてくれないか?」
「おう、なんだ?」
「えっと……」
冬弥は少し口ごもってから、はにかんだ笑顔を浮かべて彰人を見た。
「さっきの……成人したらもう一度聞かせて欲しい」
これが今日一番嬉しいプレゼントだったかもしれないな、と思いながら、彰人はにやける頬の内側を噛み締めた。
「——おう」